経験者が少なくなると、次第に風化してしまうのは世の常。


何事も経験しないと自分事のように感じることが出来ないから、仕方がないんだと思います。


でも、悲しい出来事を繰り返さないように、大切な人たちの命を守るために、風化はさせないことが大事なのかな、と思います。


1945年3月10日は、東京大空襲。
2011年3月11日は、東日本大震災。


どちらも辛い出来事ですが、どうしても東京大空襲は自分の中で現実味が薄いというか...


事実であることは頭では分かっているけれど、どこか自分にはあまり関係のない遠い出来事のような気がしてしまいます。


東日本大震災は、7年も経っているけれど、まだまだ被災者の皆様の生活が元通りに戻っているとは言えず、各ニュースでも風化させないように情報を発信しています。



実は先週、祖父が旅立ちました。


後1ヶ月で96歳の大往生でした。


生前、老人ボケが始まると、太平洋戦争時の話を繰り返し話してました。


自分は左利だけど、拳銃は右利き用しかなくて使いこなすのが大変だったこと。


陸軍に所属し満州に渡って、民間人に紛れ込む敵兵と戦って、もうダメかと思った時が何度かあったこと。


中国語を習得したこと。
(ボケても、中国語は忘れてませんでした)


それはそれは酷い上官がいたこと。
(終戦して帰還する船から部下たちに落とされたそうです)


戦闘中食べるものが無くて、カエルをそのまま食べてたこと。


ロシアの捕虜になって、シベリアの収容所まで歩いている途中、気絶した祖父の顔をビンタして『おいっ!!!起きろ!』と助けてくれた日本兵がいて、その人がいなかったら自分はあそこで死んでいた、と感謝してたこと。


収容所では食べ物が満足に与えられず、コート(?)の革を食べて飢えをしのいだこと。


周囲の人の助けと、祖父は体が頑丈だったこともあり、日本に帰国することが出来ました。


その後の祖父は、妻と息子に迷惑を掛けながら(苦笑)も自由に人生を謳歌しました。


妻(私の祖母)と息子(私の父)には厳しかったそうですが、孫娘の私には優しかった祖父。


色々、アバンギャルドな(笑)祖父の話を父や生前の祖母から聞いていましたが、祖父の全てを否定することはしたくありません。



なぜって、私には拳銃を持って敵兵と戦うなんて恐ろしいこと絶対に出来ないからです。



私にはバンジージャンプすらやる勇気ないのに、祖父やその他出兵した方たちは、私には理解することも出来ないような域の勇気を持っていたと思います。


祖父も、強烈な経験だったからこそ、老人ボケした後に何度も話したんだと思います。



太平洋戦争について、日本は責めらることが多いし、これを言ったらアジア諸国の方々から批判されるかも知れませんが、祖父のように自分の命をかけて出兵した方たちに、私は心からありがとうと言いたいです。


もちろん諸外国の隊員の方々に対しても、同じような気持ちでいます。



命を掛けて誰かを守るって、簡単なことじゃないですね。



棺には、生前大好きだったパンを納めて『お疲れ様。ありがとう』と祈りながら、旅立ちを見送りました。



私は平和な日本でのびのびと暮らすことが出来て幸せです。


私の次の代もこの幸せが続くように、そしてそれぞれの代が一生懸命生きてきた結果があなたに繋がるんだと、いつか私の祖父母たちの話を聞かせたいな、と思うのでした。