S T U D I O T & Y

創業41周年を迎えた老舗のシルバージュエリーブランド。

カテゴリ: ゴローさん

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創業時に店内に置いていた村田高詩手彫りのレザー看板。


現代美術活動を経てゴローズに入社した父は、レザー彫刻を主に担当していました。

独立する時にゴローさんから頂いた肩書が「goro’s brother」。

父は、言葉に言い尽くせないほど嬉しかったそうです。

「ゴローさんと2ショット写真とか撮らなかったの?」

と訊くと、

「恥ずかしくて…言い出せなかった」

と父。

「怖い人だったの?」と訊くと

「怖いよ。怒ったりする訳じゃないけど、なんていうか、オーラがすごかった。」

と。

そんなゴローさんから頂いた名前を彫り込んだレザー看板は42年経ってもSTUDIO T&Yの宝物です。


よく見るとUNCLEのCのところにUFOが描いてあります。

ああ、あの頃、両親はUFOにハマっていたのでした。

多分4〜5歳くらいのころの記憶。夏の日。

私は両親と青々とした草木生い茂る線路を歩いていて、ごくたまに列車が来ると父が私を抱き上げて線路脇に座らせて列車をやり過ごして…そうして向かった山奥で両親と仲間たちが輪になってUFOを呼んでいた。

ふと気付くとおかしな軌道を描く無数の光が稜線の上に現れて…

あれが夢だったのか本当だったのか分からないけれど、それからしばらくの間、両親は毎晩自宅のベランダに出てUFOを呼んでいました。

おかげでUFOに攫われる悪夢を何度も見ました。


そんなレザー看板、今は北口店に置いてあります。

STUDIO T&Yの宝物です。


photo & text by Tomomi 

父の指輪物語、最終章。
(*2/14の投稿のつづき。やっとラストです。かなりの長文になってしまいましたが…最後までお付き合い頂けましたら幸いです。)


ゴローズのみとさんはとても親身に探してくださったけれど、やっぱり作りかけの指輪は見つからなかった。
しばらくして父は「やっぱり由美子に指輪を買いたい」と言った。
サプライズで贈りたかった父のために私はこっそり母の薬指のサイズを測り、父と夫と三人で原宿に向かった。夏だった。
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四十年以上前の、父の古巣。
原宿に来るのは父にとって一体何年ぶりだったろう。
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一歩一歩、ゆっくりと階段を上がり、扉を開けると幼い頃の記憶にあるゴローズが変わらずそこにあった。

小さい頃、両親に連れられてゴローさんのバーベキューに行ったことがあった。初めて食べたレディボーデンのアイスクリームにひどく感動したことを覚えている。
あの時子ども同士だったゴローさんの娘さんも、私と同じように大人になって、そこに居た。
皆さんに歓待して頂き、指輪のサイズを測った。
私と夫も測った。
私たちもまた、結婚指輪を持っていなかった。

それから数ヶ月後の冬。
今度は両親と私の三人で、出来上がった指輪を取りにゴローズを訪れた。

昔、父がゴローズに紹介したスタッフの男の子が立派になってそこにいた。
父はお気に入りのペンドルトンのジャケットを着ていた。
ゴローさんの娘さんの着ていたジャケットが、父のと同じ色と模様のペンドルトンで、訊けばゴローさんの形見なのだそうだ。小さな偶然。
そんなひとつひとつに、父も母もとても嬉しそうだった。
指輪はみんなの指にぴったりだった。

みとさんが、今ラフォーレには昔の原宿の写真が飾られていて、ゴローさんの写真もあるのだと教えてくれた。
ゴローズの帰り、三人でラフォーレに行きゴローさんの写真を見て回った。
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一番大きな写真の前で、父は長いことゴローさんと向かい合っていた。

父の選んだ指輪は、イーグルのゴールドポイント付きのフェザーリング。
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一本のフェザーを丸めた、シンプルだけれど特徴的なデザインで爆発的にヒットし、ロングセラーを続けているゴローさんの代表作。
フェザーを丸めた指輪はその後様々なブランドが販売を始めたけれど、元祖はゴローさんでありゴローズ。

だから父は、STUDIO T&Yはフェザーのみを丸めた指輪は作らない。
「ゴローさんが考えて大ヒットした指輪だよ。俺は作れないよ。」
それは父なりの、大師匠ゴローさんへの矜恃なのだと思う。

そんなゴローさんのフェザーリングが父と母の、そして私と夫の結婚指輪になった。
父と母にとっては四十五年越しの結婚指輪。

父がゴローさんにオーダーした指輪はこのフェザーリングではなかったけれど、ゴローさんの作りかけの指輪は父の元には届かなかったけれど、あの時指輪を頼んだお陰で父は、ゴローさんが亡くなる前に最後の会話を交わすことが出来た。
父・村田高詩が憧れてやまない、偉大なる大師匠。
肉体を離れ、大空に羽ばたいて行ったイエローイーグル。







父の指輪物語、その後。
(2/12の投稿の続きです。)
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村田高詩、ゴローズ時代唯一の集合写真

父がゴローさんに結婚指輪をお願いしてから一年ほど経ったある日。
突然ゴローさんから父に電話があった。
父は相手がゴローさんだとわかった瞬間にビッ!と背を伸ばし、「…はい!…はい、一人です!」
と答えた。
「こども、何人?」と訊かれたそうだ。
「じゃあイーグルを三羽飛ばそう」とゴローさんは言って、電話は切れた。
父は緊張しっ放しだった。
そして「ああびっくりした。急に電話かけて来るんだもんなあ…でも、あともう少しで出来るみたいだなあ」と嬉しそうに言った。

それが父とゴローさんの最後の会話になった。

それから数ヶ月後、父は一人で店に居る時に動けなくなり、救急搬送された。
その後しばらく入院し、退院後母と話し合って、店を閉じることを決心した。
最後の力を振り絞って、最後に家族で三日間だけ営業した。
急なことであまり広くはお知らせ出来なかったけれど、その三日間、店内は別れを惜しむ人々でいっぱいになった。
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国立店最終営業日。お客様から頂いた花束とTとY


それから三カ月あまり、長野で療養中の父の元にゴローさんの訃報が届いた。
父は動かぬ体を引きずり、母と二人、告別式に参列した。

それから四年。
紆余曲折を経て幡ヶ谷のアパートの一室で私がT&Yを再開し、やっと少し落ち着いて来た頃。
「あの指輪、どうなったのかなあ」と父が言った。
「どんなに作りかけでもいいから、もし見つかったら欲しいなあ…」
私は散々逡巡した挙句に、勇気を振り絞ってゴローズに電話をかけた。
予想外に長くなったので続く…
次で終わります。
to be continued...

photo & text by Tomomi 


2012年に私が大道芸人(バーバラ村田)としてのブログに書いた記事を紹介させてください。

父・村田高詩の師匠・ゴローさんに対する想いを少し、知って頂けたらと思います。

*写真は当時のSTUDIO T&Yと店番犬のくまこです。 




【四十二年ぶんの指輪】


2012.1.19

唐突ですけど、父が母に結婚指輪をプレゼントするのだそうだ。

四十二年前の日付けを入れて。

結婚当時お金のなかった父は、母が指輪に全くこだわりがなかったこともあり、形ばかりの指輪を送ったそうな。

さっき聞いたら七百円だったとか。

当然思い入れも大してないのでその指輪はお互いどこかに無くし、子どもが生まれたり、父がgoro’sに入ったりしたのち二人で店を出したり、店を移転したり、子どもがやがて大道芸人になったり、この不況続きにやめるとかやめないとか言いながらも踏ん張り続けたりなんだりして店の方ももう三十四年。

当初は革製品の店だったのが今は銀製品メインで父は主に彫金担当なのでもちろん自分でも指輪は作れるのだけれど、彼はその指輪を師匠のゴローさんに注文したそうで。

ゴローさんは父が未だに恐れ、深く深く尊敬し続けている大師匠。

六十をとうに過ぎても、未だに「怖い」と思える師匠が健在だというのはすごいことだな、と常々思う。

そんな父はごくたまの節目に、母にゴローさんの作品を贈る。

四十二年の歳月を経て、父と母の指に届くその指輪は四十二年分の数えきれない色々を含んで深くあたたかく複雑な光りをもって瞬くだろう。きっと。

ゴローさんの作品は一年待ちもザラだそうなので、届くのはまだまだ先になりそうだけど、私も今からとても待ち遠しいです。

という訳で指輪の写真はまだないのでうちの店の写真でも。

私も時々手伝ってます。お近くにお越しの際はよかったら遊びにいらしてください。かわいい店番犬もいます。

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2019.2.12追記

この時はまさか三年後に自分がT&Yを継ぐ決心をするとは思いませんでした。

この翌年秋、STUDIO T&Yは閉店しました。

この翌年末、ゴローさんは天に昇りました。

そしてこの結婚指輪がどうなったのか、のお話はまた後日。

to be continued... 


photo & text by Tomomi


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