2008年12月04日

Collection

Collection

詰将棋の本を読み物として鑑賞しようというのがこの「詰棋書探訪」シリーズの姿勢なのだが、この相馬康幸氏の『Collection』はなかなか手ごわい。問題図と簡単な感想、あとは手順だけで個人作品集にありがちな自分語りや変化紛れの羅列が存在しない。こういう本をどのように読み解くべきか、さて。

古くは「詰将棋で詩を書く」黒川一郎氏や「悲しき玩具」にたとえた北村研一氏、最近でも作品集「禁じられた遊び」や「ゆめまぼろし百番」などのように個人作品集はどうしても自伝的な要素が強くなります。もちろんそれは、それぞれの作品を(なにがしかの)自意識の発露と考えれば当然のことです。
付け加えれば、変化や紛れの解説にしても小説で言えば行間に当たる部分で必要のない部分なのですが、理解されたいという強烈な願いから羅列することになります。つまり「おい、こっちを見ろ」という思いの集積なわけです。

作品を飛ばしてあとがきを読むと、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に影響されたと書いています。作品を音楽に重ね合わせるとうのは常套手段ではありますが、クラシックであったり現代音楽であったりと意識するしないに関わらず、高度に知的なイメージを与えるのに寄与しています。そのイメージがあるので意外ではあります。
もちろん添川公司氏の「呪われた夜」がイーグルスから(ですよね)のように、ロックから引用することは時代的な面もあるでしょうが、いくぶん間口の広い感じがします。まあ正直なことを言ってしまえば「ベタだな」と思ってしまったのです。

しかし考えてみると、交響曲などに見られる物語(それもかなり壮大な)や、ビバップ以降の自意識に満ちたジャズの世界から見ると、50年代に登場した踊るためだけのロックンロールというものがいかに開放感に満ちて気軽であったか、とくにティーネイジャーにしてみれば格好の遊び場であったというのはよく分かります。
詰将棋の世界もどうしても先に書いたような物語を必要としていました。その重荷を振り払うためにロックンロールが引用されるというのは頷ける話です。
音楽の話に戻りますが、そのロックンロールもいつしか自意識の発露に変わっていき、感情だけでなく思想や物語を語る「ロック」になりました。その時期の集大成が1967年の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」だったのです。
まあ、その1年前に「ペット・サウンズ」が出てるんだけどさ、というのはビーチ・ボーイズマニアの繰言ですね、すみません。

閑話休題。要するに自分たちの取り散らかった夢想やら何やらを「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」という架空の(分身の)バンドに仮託してまとめるという形、これは『Collection』で山裾悠樹という分身を解説者に配置したのと同じになります。自分を語る際にどうしても生じる自己愛みたいなものを省略する、客観としての分身が必要だったのでしょう。

collection2

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」はロック史上初のコンセプトアルバムだと言われています。テーマに沿った曲を集めてアルバムが一つの作品になるというものです。
とすればこの『Collection』のテーマは何ぞやという話にようやくなります。
ぱっと思いつくのが「物語の排除」というもの。過去の音楽のように小難しい理屈はありません、文学を下敷きにしたインテリ好みの見立てもありません、つまりはただただ楽しい遊び場ですよ、というアピールです。自分もただ手順を純粋に楽しんだことも踏まえて、一見無機質に見える装丁も含めて、そういうイメージを与えることに成功しています。
ただ、ここには一度組み立てたものをあえて排除するというややこしい「『物語の排除』という物語」が成立してしまいます。そこは個人作品集の宿命でしょうか。

もう一つ、タイトルの『Collection』。直訳すると収集、でしょうか。作ったというよりは自然にあるものを一つにまとめたもの、模様の違う蝶を箱に入れて陳列しているイメージです。多様な趣向をまとめるには便利な方法でしょう。それがコンセプトかといわれると難しいところですが。しかし「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」もバラバラな曲を一つにまとめるために、架空のバンドのコンサートというコンセプトを作り出したことと確かに同期します。

作者本人がただ楽しんでほしいと願っている作品集を前にして、理屈をこねくり回す非常に無粋な文章でありますな。
もちろん鑑賞者としては無邪気に楽しむのがベスト。実戦型から1枚の角をはがすためだけに、3サイクルの趣向が成立する22がお気に入りであることを告げて、終了にしましょう。  
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2008年12月01日

近代将棋図式精選

近代将棋図式精選

近代将棋誌に発表された作品の中から、短・中・長編のジャンルごと、それぞれ時代順に受賞作だけでなく候補作も含めて401局を解説した本。なにしろ終戦後まもなくから昭和54年度までという、収録期間が長いだけに一つの歴史書のようである。なにしろ長編の部の第一番が奥薗幸雄氏の象形曲詰「大山」で最後の百六十番が上田吉一氏の「モビール」である。夭折した天才作家から「京都の三羽烏」(本書より)の代表作までというこの長尺。思えば遠くへきたもんだ。としみじみしている場合ではないのだが、本当に遠さを感じる。受賞作を線でつないだだけでは感じられない部分が、候補作も載っていることで奥行きのあるふくよかな歴史になる。今も現役で活躍している方から引退状態の方、この本でしか名を聞かないような方、そこまでの熱意の集積であり作品だけが残っていく。兵どもが夢のあと。

この本に関しては賛辞しか思いつかないのだが、とにかく読み物として面白い。たとえば田中輝和氏の煙四連発によって選考前に塚田賞受賞が発表されたこと、山田修司氏の五期連続受賞の快挙などの歴史的興奮、また狙いや変化や紛れを解説しなくてはいけない狭いスペースの中で、できるだけ正確に書かれたプロフィールなどなど退屈させない。先にも書いたが、まさに編年体で書かれた歴史書である。
なかでも時折あらわれる本音がめっぽう楽しい。例えば受賞作の解説で「意欲的な柏川作や、こくのある小西逸生氏作を押さえての受賞は作者としても心外であったでしょう」(25ページ)や「この期に発表された唯一の長篇ということで受賞したのは幸運でした」(159ページ)などあっさり書いてしまうんである。賞の価値が下がるんじゃないかとも思うのだが、もう、書かずにはいられないのである。選球眼から外れるものは賞をとっていてもアウトである。この辺の律儀さはもうだまって受け入れるしかない。
面白いのは塚田十段と判断にずれがあるときで、「自分としてはちょっとアレだけど、塚田先生の判断だからね」という場合は、これはもう仕方がない、「塚田好み」という言葉が使われる。価値観の相違はそのままに読者には「それはしょうがないな。塚田流だからな、一手いい手があればいい」と思わせる便利な言葉である。もちろんほめ言葉としても使われているので、そのあたりは誤解なきよう。
しかし、使われなくなりましたね「塚田好み」。塚田十段のように背筋の伸びた、品のある作品に使われるいい言葉だと思うのですが。残念ながら詰棋人の共通項ではなくなってきているのかもしれません。

個人的な話をします。
この本が出版されたのが中学生のとき。欲しくてたまらず、値段を見てあきらめて、親にねだることもせずようやく買ったのが就職してから。両親は本に関して鷹揚だったので、頼めば買ってくれたと思いますが、これだけは自分で買いたかったのです。そのせいもあって、はまりこみました。並べるだけでなく眺めるだけでもめっぽう楽しく1年以上は枕頭の書でした。
でも、そのときから鑑賞専門なのは我ながら血ですね。以前、詰パラのリレーエッセイで作家の方がバイブルとして読み耽っていた、と書いていましたが、同じことをしても作家になれるわけではないんだなあ、と思いました。

もっと個人的な話です。「続 塚田賞受賞作品の魅力」の連載が打ち切られたとき「近代将棋」誌の購入をやめました。それ以前から同誌の詰将棋に対する冷遇は分かっていたのですが、あれが決定打でした。なにしろ森田氏自身が「雑誌のリストラの影響を受けて」といったことを書いていましたから。本当に言わずにいられない方だったのですね。
それ以後、いくぶん持ち直した様子もありますが塚田賞に対する雑誌の熱意のなさは透けて見えてしまい、どうしても購入意欲が戻ってきませんでした。
とはいえ自分をこの道に引き込んだ雑誌だけに(僕にとって近代将棋は詰将棋雑誌です)、最終号だけは義理として購入しました。行き場もないまま解答募集された作品に「塚田賞候補作」とあってなんともわびしい物でした。

とにかく、この本は近代将棋の業績としても考えられるわけで、せめて続編だけでも出ないものかと思っているのですが、七條氏も森田氏も亡くなられ母体の雑誌も休刊してしまった状態ではもう、無理なのでしょう。

最後はひたすら愚痴になってしまった。  
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2008年05月17日

極光

極光

どんな本でも顔を持っている。もちろん作者の顔であったりもするのだが、内容から表情が思い浮かぶこともある。当然、そういうイメージの膨らむ本のほうが優れている。ここで取り上げるのは「21」ではなくもちろん「極光20」(こうは言わないけどさ)の方。こちらは表紙の面構えがなんともよろしい。あれは何ていうんだろ、卒業文集なんかでよく使われる(レザックだったっけ)紙、そこにあるのはタイトル「極光」と詰将棋作品集及び作者名の文字のみ、つまりは必要最小限の情報だけ。愛想もないし見映えを気にする風もあまりないが、眼光は鋭い。道を切り開いてきた者の自負を感じる。
それに比べて「21」はねえ、という言い方が好ましいものでないことは承知なんですが、一部上場のエリートサラリーマンという感じだよね。もちろんエリートにしかできないことはきっとあるから、それが悪いわけではもちろんないけれども詰将棋本に求めるものとはちょっと違うんだよな。もうすこし一見さんお断りでいいんでないかい?

内容についての新しさは若島正氏が作品論で述べているとおりだが、それに付け加えるなら「五十番でも作品集が成立する」というところもあったのではないか。若島氏の言うように「極光」は「無双」「図巧」を越える、もしくはその呪縛から逃れるために、浪漫派風の作風に数学、音楽の要素を援用して新境地を開いたのだが、作品数の少なさというのも一番分かりやすい新しさであったと思う。もちろん「九十九谷集」のように百問を越える物や「春霞」のように百問以下の例もあるが、五十問という切りのよさが詰め込みや途中経過の印象を与えない。五十問でも内容の充実があれば作品集は成立する、いやむしろ精選された雰囲気すら感じさせる、というのは作品集のために百問を揃えなくてはというプレッシャーを感じていた当時の作家たちにとってはある種の解放だったのではないか。まあ、少ないと粗も見えやすいので、充実という別のプレッシャーもかかるのは当然なのですが。ちなみに森永宏明氏の「詰物語」は形式に圧倒的な影響を受けているとみたがどうでしょう。

作品の中で一番すきなのが玉方の成銀が8二から4六まで単身移動する四十五番。
いつかどこかに書いたと思うが、斜めのラインというのは縦横の動きが基本の将棋の中であきらかに破調である。四角い盤の四角いマス目を正面から座って見るのだから当然といえば当然だが、目に見える印象が角の遠打と飛の遠打では全く違う(サンプルとして図巧六十二番と六十六番を挙げておきます)。
たとえば斜めのラインを強調した作品は「極光」の中でも2枚角のパズル二十二番、タイトル作「オーロラ」、五十番など何作かあるが(「モザイク」もかな)すべて角が主役である。ところが四十五番はそれを成銀、しかも玉方の成銀で見せてしまうという信じ難さ。現実のルールに基づきながら全くの異空間の表現。前例である図巧一番や舞玉一番、後の「カルマの法則」と違って、情緒を廃して機能美だけで見せてしまうので異空間がより強調される。詰将棋に求めるものって詰まるところ、こういうものではないですか。

どんな本でも顔を持っている。それはすこし痩せぎすで、何かに没入しきった者だけが持てる澄んだ目をしている。口は一文字に引き締まっているが、奥にある微笑が容易に想像できる。つまりは子供の心で大人の世界を渡っていけるあの表情を持っているのである。  
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2007年12月05日

詰むや詰まざるや

 ここまできたら「詰むや詰まざるや」にもふれておきましょう。

 考えてみてほしいのは、「夢の華」と「夢まぼろし百番」が一つになった本、もしくは「極光21」と「盤上のファンタジア」が一つになった本である。これだけ贅沢な本はないわけで、嬉しい反面ボリュームがありすぎて消化不良を起こすのではないだろうか。ところが「無双」と「図巧」が一つになったこの本ではそういうことはない。
 この本の成功の鍵はコンパクト化にある。基本的に1問1ページ、問題と解答を同じページに載せる、これらにより驚くほど軽量化に成功している。箱に入っているとはいえ新書版より少し小さめのサイズ、仰々しい感じは少しもない。実際手にしたとき「こ、これがあの詰将棋の神器、至宝、聖典であるところの『無双』と『図巧』か」といった反応にはならない。なるわけないけどさ。自分の経験から言えば、何気なく手に取りしばらく経ってその深さに驚きあきれるというパターンであった。本当に全題載っているんだろうかと何度も確認したものである。

 内容についてあらためて述べることはない。全題載っているので自分だけのお気に入りを見つける楽しさがある。たとえば無双の三十一番(変拍子系龍の追い回し)、図巧の九十番(盤の最上段と最下段をフルに活用した豪快な趣向)などなど。あと、解説をつけてもらえなかった諸作に愛着がわいてしまったりね。
あとはとにかく手にしたときに「こ、これがあの詰将棋の神器、至宝、聖典であるところの『無双』と『図巧』か」とおののいていただこう。それだけの価値はきっとある。  
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2007年12月03日

続詰むや詰まざるや

続詰むや詰まざるや


詰将棋界ではひとつの史観がある。というと大げさすぎるが、初代宗桂によって実戦の練習問題もしくは妙手の採録として生まれたものが、駒余りの禁止などきまりごとがまとまりだし、家元制の確立による献上図式制度と江戸時代の遊び文化の興隆によって初代宗看以降遊戯性を増し、享保時代に「無双」「図巧」によってそれが頂点に達する。以後、徐々に衰退を見せるが大正から昭和初期にかけて雑誌「将棋月報」などでアマチュア作家による復興を見せ、戦後になって更なる発展をみせて現在に至る。というものである。いまさらの話でもある。
しかし余談ながら詰将棋というものも平和の産物という気がしますね、あらためて見ると。もしも平成以降行き詰っているのは、時代がきな臭くなっているから?なんて怖い怖い。

さて、この史観がいつごろ出来上がったものかは分からないが、「続詰むや詰まざるや」はこれを目に見える形で、作品を編纂することで表したものである。編著というものは配列と選択によってその本が作品であることを主張する。まず配列から見ていこう。

大まかな分け方としては、草創期、興隆期を経て頂点に達し、衰退し復活するという流れであり、作品集自体は時代順に並んでいる。ここで注目すべきは「黄金時代の立役者」として久留島喜内に一章を割いていること。「詰むや詰まざるや」が無双・図巧の全局解説なので焦点があたるのは当然ではあるのだが、収録が全200局中47局と群を抜いている。
また、作品の配列の基本は手数順であるが、趣向性の強いもの、また巻末作品など意図のあるものは尊重して最後に置くようにしている。先の久留島喜内の件も含めて、遊戯性の強いものを重要視していることが分かる。実戦型から始まって持駒一式などの簡単なものから持駒変換、長手数など趣向が高度になることが詰将棋の進化であるという考えに基づいている。これを唯趣向史観という。わけはないが、現在に至るまでこれが根本の考えになっているのは間違いないだろう。

次に作品の選択であるが、まあこれは頭が下がります、ほんとに。なにしろ選択をするためには解図、検討、鑑賞の三工程を経て初めて可能になる。選択そのものも、変化も含めて狙いを捕らえてさらに比較を行わないといけない。それをすべての献上図式、作品集そのほかについて行うのだから全部一人ではないとはいえ気が遠くなる作業である。しかも文章まで書いている、いやはや。
そうして選ばれた作品はさすがに見事なものでそれぞれのベストを選びながらも、並べると技術の発達が分かるようになっている。小原大介の「飛角作物」や「古風作物」であったり望月仙閣の「一桂之作物」「四図之作物」が入っていて、「名作詰将棋」のセレクトにも影響を与えている。と言いたいところだが、これは昭和53年、「名作詰将棋」は昭和54年刊行。定番だったのかしら。

こういう本が常に手に入る状況なのは嬉しいことです。平凡社の東洋文庫だから大きな書店でないと手に入れるのは難しいし、「ラーマーヤナ」とか「東方見聞録」だとかと並んで置いてあるのを見るとそういう類の本かしらん、という気にもさせられるけれど、それはそれでいいのかもしれない。そういう類の文化であるのだろう。  
Posted by stutmhr at 20:13Comments(0)TrackBack(0) 詰将棋 

2007年12月02日

名作詰将棋

名作詰将棋


 唐突な話で申し訳ないが「続詰むや詰まざるや」が名著になったのは、詰将棋の歴史を総覧しつつ、重要作品をピックアップしつつ、なお作品や作者の魅力をクローズアップするという離れ業に成功したからであった。それをこの「名作詰将棋」は入門者からマニアまでと間口を広げただけでなく、詰将棋に興味のない層までターゲットにするという無謀ともいえる試みを行い、かなりの部分で成功を収めている。

 改めて感心したのが、表紙が銀問題の7手詰であること。大道棋がどういうものかわかっている場合は「それはちょっと」かもしれないが、一般的な将棋ファンを考えた場合、シンプルな棋型は見事な客寄せといっていい。つまり商売としての客寄せであることを暗に紹介しつつ「一見さんお断り」の雰囲気を出さないという二重の効果がある。
 しかし、この作品の解説に3ページを費やすという力の入り具合はどうだ。どうだってこともないが、1枚(2ページ)1作品が基本のこの本の中では異例である。紛れを詳解することで詰将棋の深さを説明するのだが、紹介文のこれはどうか。「この本一冊を読み終えれば、この程度の問題は楽に解けるようになる…」本当かよ。
 
 この後は「入門編」があり3〜7手詰を紹介しつつ、手筋の解説を行う。このあたりは二上先生の作品だろうか。あまりお勉強っぽくなるのを避けるためか第2章は「楽しい詰将棋」と題して象形物を中心に収録している。ここであがっている「左右対称持ち駒○○」みたいな作品はとっさには詰まないなあ、未だに。大道棋に近い臭いがあるが、商売物なんだろうか。
 あと特筆すべきは「変則詰将棋」と題してフェアリーが載っていること。とはいってもばか詰のようなものではなく、玉方の持ち駒をなくしていくパズルなのだが、こういうものもあるよ、紹介しますよという気概がいい。相馬康幸氏の有名な無仕掛け作品はここからヒントを得たのではないか、というのが自分の前からの勝手読み。

 この本の特質を逐一あげると大変な量になるので駆け足になるが、「伝承詰将棋」「江戸時代の詰将棋」「面白い詰将棋」と章を追うごとに現代に近づいていく構成になっている。「無双」からは七十九番が選ばれているが、本の性質から短編であること、現代の目から見ても大丈夫なように変化長手数がないこと、なおかつ「無双」であることを主張する作品と言う意味でこのセレクトは見事だと思う。ちなみに「舞玉」は十三番。いまでもフェイバリットの一局である。
「紀元二千六百年祝賀詰」あたりから「ハーケンクロイツ」「荒鷲」と戦時色が濃くなり、「ヘイワノハル」の連作へ続く流れは、詰将棋は時代を映す鏡であると言わんばかりで強気である。それなら「東京オリンピック」連作あたりまで載せてくれればとも思うが、スペースの都合だったのだろうか。
それにしてもこういう企画って減りましたね。個人的な祝賀詰へシフトしているようで、まあ、このあたりは大勢をひとつにまとめるイベントが減ったことと、価値観の多様化という一般論でまとめてしまいましょう。

さて、だいぶ端折ったが最終章までたどりついた。タイトルが「知っておきたい詰将棋」であるが、これは「知っておくべき詰将棋」と言いたげであり、そういう志がバシバシと伝わってくる。なにしろ巻末に裸、煙、「寿」「新扇詰」と並んでいるのはこの本の性格上当然という気もするが、馬鋸(大矢数も図だけ載せている)、小原大介の飛角図式やら望月勘解由の戯作やらスーパー詰将棋(単騎詰)まで載っているのだ。おっと宗歩の大小詰物も載っている。番外で詰まないものまで載せるのだからすげえ。無双から1作も(このコーナーで)入っていなかったり、月報作家が薄かったりとセレクトにいくつか疑問はあるが、それを言い出したらきりがない。元値は630円だがこの値段でこれだけのボリュームであれば目をつぶるべきだろう。

こういう一生ものになりそうな本が品切れなのが残念。どれだけ需要があるか分からない将棋の本の中、さらに実戦練習にならなそうな詰将棋本。仕方がない気はするけれどこうやって大事に持っている人もいたりして、商売を度外視してこういう本を出していると商売に繋がるんではないですかね。  
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2007年01月18日

またも揚げ足取り

前回の四香詰の件なかなか反響があり、訪問者数が60人という驚愕の数字をたたき出しました。駄文をご覧になった皆様ありがとうございます。

それはそうと今日の本題。詰パラ1月号の「記録に挑戦!」の話。"おもちゃ箱"を見ているとはいえ、紙媒体でまとめて見られる方が気楽で毎号楽しみにしている。

今月は応手回数の記録の話なのだが、1枚の駒の応手のうち歩・香・桂のようにバックできない駒は合駒も入れて最大は9回、9回、5回とのこと。
さて、盤面に3枚の香があるとして残りの1枚が「合駒で使われる」→「攻方に取られる」→「捨駒される」→「また合駒に使われる」という場合は、1枚の香の応手2回と計算されるのだろうか。攻め方に取られた時点で別の駒という気もするが同じ駒であるのは確かだし、さてどうだろう。

"おもちゃ箱"ですでに解決済みかもしれないがちょっと気になったので書いてみた。  
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2007年01月16日

四香詰

いつも不思議に思ってたんだけど「一色詰の中で四香詰だけは成香がないと成立しない」という解説ってヘンだよね。なにしろこういう作例があるのだから。
四香詰

これは背負投陽次郎氏作で詰パラ1999年8月号のヤン詰に載っていたもの。手順は難しくないので省略するが、下記が詰み上がり図。
四香詰詰み上がり

合駒制限の駒があれば問題なく成香のない四香詰が成立する。玉方に駒があってはいかんというのなら伊野辺看斉も「死刑の宣告」もだめなわけで、まあそんなことはあるまい。結果稿で誰もふれなかったのが残念だったが、狙いは四香詰だなあと一人で溜飲を下げていたものだ。

まあ、なんだか揚げ足取りめいた話になったが「パズルの製作は揚げ足取りに始まる」という芦ケ原伸之氏の言葉を敷衍して「(詰将棋)用語の定義も揚げ足取りに始まる」ということにしておこう。  
Posted by stutmhr at 22:17Comments(4)TrackBack(0) 詰将棋 | 詰将棋

2006年12月24日

クリスマスアルバム「棚からひとつかみ」11

V.A. "A Very Special Christmas 5" /UICA-2006 A&M
A Very Special Christmas, Vol. 5

2001年にでた「クリスマス・エイド」の5作目。前に紹介した4のときも感じたが、やる気の減少というか、やっつけ感が漂っている。ダーレン・ラヴが63年のアルバムと同じアレンジで「ホワイト・クリスマス」を歌っているのは嬉しいし、ここでもジョン・ポッパーがかっこよくBBキングとの共演を決めているように、1曲1曲がそんなに悪いとも思わないが、自分たちの手くせだけで演奏しているようだ。

V.A. "A Very Special Christmas 3" /POCM-1225 A&M
A Very Special Christmas 3

こちらは1997年のアルバム。こちらのほうが締まった印象を受けるのは当時の旬だった人が多いせいか。楽しくにぎやかな感じが前半だけで終わってしまうのが残念。1作目もそうだったけど、スティングというのはかっこつけずにいられないんだろうなあ。

The Beach Boys "Christmas Album" /CDP 7 95084 2 Capitol
The Beach Boys' Christmas Album

1964年、ビーチ・ボーイズの全盛期にでたアルバム。とにかく後半のスタンダード群が出色。アレンジをすべて人に任せたこともあるのだろうが、ここまで歌手に徹した作品はほかにない。ハーモニーをたっぷり聴けるのはもちろん、「ブルー・クリスマス」ではブライアンの独唱も聞ける(これを下手って言う人が時々いるが何故なんだかさっぱりわからん)。前半のオリジナル作品も、まあ前作の「オール・サマー・ロング」レベルを期待するとあれだけど躍動感があっていい。今は70年代のアルバムとまとめたアルバムもあるけど(もちろん持っている)、こちらはボーナストラックで「ローズ・プレイヤー」や「リトル・セイント・ニック」の「ドライヴ・イン」バージョンとか聞けるし、なにより無邪気な若さに溢れているのでつい、こっちを聞いてしまう。  
Posted by stutmhr at 15:17Comments(0)TrackBack(0) 音楽 | 音楽

2006年12月22日

クリスマスアルバム「棚からひとつかみ」10

V.A. "Mambo Santa Mambo" /R2 79996 RHINO
Mambo Santa Mambo: Christmas from the Latin Lounge

タイトルのとおりマンボをはじめとしたラテンで聞くクリスマスアルバム。クリスマスアルバムは誰がやっても似たような内容になりがちで、特に英米のポップス畑の人となるとそれは強くなる。そこにこういう一枚があるとなんとも楽しい。全曲、みごとに体が動き出す。ラテンも本腰入れて聞こうかなあ、という気にもさせる。

V.A. "Christmas Gumbo" /flambeau 3344 flambeau
Christmas Gumbo

ニュー・オーリンズ系のミュージシャンでのコンピレーション。ファッツ・ドミノのと同じタイトルである。まったく、ニュー・オーリンズになると考えることは同じである。とはいえメンバーも若手(ギャラクティックやボンラマを若手といってもよければ、の話だが)から大ベテラン(定番のアーロン・ネヴィルやアラン・トゥーサン)まで、内容もニュー・オーリンズ・ファンクだけでなくロックやらザディコまで含まれていて、ガンボと呼ぶにふさわしい内容になっている。アート・ネヴィルの「マルディ・グラ・マンボ」が「クリスマス・ガンボ」にタイトルと歌詞を変えて収録されているのが楽しい。歌っているのはアート本人。それにしてもスタンダードが1曲もないので、歌詞のわからない身には普通のアルバムのようにも聞こえる。

V.A. "A Christmas Gift For You from phil spector" /CDP79 3675 2 EMI
A Christmas Gift for You from Phil Spector

クリスマスの大定番。初めて聞いたときはいつものクリスマスソングがオリジナルのように聞こえて驚いたものだ。アレンジに本腰を入れれば企画物でも作品として通用するところ、ロックンロール世代にもクリスマスアルバムが成立するところを見せた傑作。聴きどころはたくさんあるが、ダーレン・ラヴの強い歌声や、”Frosty The Snowman”のラストで聞かれる、ハル・ブレインのドラムの暴れっぷりなんか、いいなあ。  
Posted by stutmhr at 17:38Comments(0)TrackBack(0) 音楽 | 音楽

2006年12月21日

クリスマスアルバム「棚からひとつかみ」9

Crapenters "Christmas Collection" 2CD /31454 0603 2 A&M
Christmas Collection

1978年の"Christmas Portrait"と1984年の"An Old-Fashioned Christmas"の2作をセットにした2枚組CD。カーペンターズもアルバム単位で聞くのはこれが初めて。イメージでは1枚くらいは全盛期に発表したのかと思っていたらかなり後期の作品であった。どういう状態で作られたものかは全然知らないが、どことなく精彩を欠いているのは作家としての盛りを過ぎているからだろうか。どちらとも悪くもないが良くもない。良質のBGM。"An Old-Fashioned Christmas"の方が聞きやすいか。

Elvis Presley "If Every Day Was Like Christmas" /RCA 07863 RCA
If Every Day Was Like Christmas

エルヴィスはなにを歌っても様になる。タイトル曲のようなオーケストラをバックに歌っても、少人数のロックバンドでも不自然でないのは凄い。ということを書くのも今さらな気もするがほかに書くこともない。内容?いいよ、もちろん

The Singers Unlimited "Christmas" /UCCM-3001 MPS
Christmas

さっきのエルヴィスもそうだが、いい作品は「良い」というだけで終わってしまう。特にこういう有名作品は特に。ジャズ・ヴォーカルものではこれに止めをさすでしょう。マンハッタン・トランスファーとかでも感じたけど、後続の人たちはつらいものがあるよな。きっと  
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クリスマスアルバム「棚からひとつかみ」8

Brian Wilson "What I Really Want For Christmas" /82876-70300-2 ARISTA
What I Really Want for Christmas

1曲目は"The ManWith All The Toys" ビーチ・ボーイズのセルフカバー。イントロの完全コピーは60年代なのだが、ボーカルが出てきた瞬間に2000年代に引き戻されます。このタイムスリップ感はすごい。なにはともあれ好調なブライアンとそのバンドがいつものサウンドを展開します。オリジナルに精彩があるのが嬉しい。どんな曲であれブライアンがハーモニーをつければすべてが輝きます。特にジミー・ウェッブとの共作"Christmasey"がお気に入り。まあ自分はブライアンオタなので、なにをやっても気に入るんですけど。

V.A. "A Very Special Christmas Live" /POCM-1293 A&M
A Very Special Christmas Live!

「クリスマス・エイド」シリーズの4作目。スペシャル・オリンピックの30周年記念ライブの模様を収録。クラプトンが大活躍でほとんど出ずっぱり。ブラックだったりロックの人だったり混ざっているので、まとめ役として大御所を必要としたのだろう。お気に入りはブルース・トラヴェラーのジョン・ポッパーが歌う"Christmas Blues" ブルース・ハープがばりばり鳴ってかっこいい。あとはちょっと旬を過ぎた人が多いなあ。

Mariah Carey "Merry Christmas" /SRCS-7492 SONY
Merry Christmas

1994年の発売以来、新しい定番となっているマライアの作品。1曲目の"Silent Night"を受け入れられるかどうかで評価が決まる。ここまで大げさに歌いこまないといかんのだろうか。もちろん、それが持ち味の人だから本人にしてみれば「やらんでどーする」という話なんだけども。好き嫌いが分かれるのはここなんだろうなと思いつつ、「恋人たちのクリスマス」は悪くないじゃんと思いつつ、結局はもう聞かないのだろうなあ。
あと、日本語解説の人が(エルヴィス大好き評論家Y.R.さんです)"Christmas (Baby Please Come Home)"を「60年代に活躍したフィル・スペクターだが、これは1972年に発売されたアルバムでダーレン・ラヴという人が歌っていた曲(かなり意訳)」などと書いているのは如何なものかと。スペクターのアルバムは1963年(4シーズンズの1年後、ビーチ・ボーイズの1年前だ)、ダーレン・ラヴはフィレスのドル箱歌手であります。歴史のテストに出るところなんだけどなあ。  
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2006年12月20日

クリスマスアルバム「棚からひとつかみ」7

Carly Simon "Christmas Is Almost Here" /WPCR-11371 RHINO
クリスマス・イズ・オールモスト・ヒア

クリスマスアルバムは節操なく買うことにしているので、初めて聞くミュージシャンも多い。カーリー・サイモンも名前こそ知っているが(キャロル・キングやローラ・ニーロなどのシンガー・ソングライターの系譜の歌手でいいんだよね)これが初聴である。で、これがえらくかっこいいんである。甘い曲を歌っても(ウィリー・ネルソンとのデュエット"Pretty Paper"など)感傷に流れず力強さを感じさせる。アコギと歌声の絡むオリジナル曲"The Land Of Christmas"などが特に印象深い。ロックがただの娯楽でなかった時代を過ごした人という感が強くする。最後もジョン・レノンの"Happy Christmas"なのも泣かせる。9.11以降の意志だろうか。「オリジナルアルバムと遜色ないクリスマスアルバム」という常套句は大方はったりだが、これはそれに相応しい。

America "Holiday Harmony" R2 74498 RHINO
Holiday Harmony

「名前のない馬」や「ヴェンチュラ・ハイウェイ」など数多のヒット曲を持つアメリカの2002年のアルバム。発売当初からポップスファンの評価の高いアルバムであったが、それもうなづける内容。自分のヒット曲のアレンジを流用したり、"Christmas To Remember"でビーチ・ボーイズ風のハーモニーを聞かせたりと遊び心が楽しい。こういうのはヴェテランの余裕という感じである。

Gloria Estefan "Christmas Through Your Eyes" /MHCP-511 SONY
Christmas Through Your Eyes

スタンダード10曲にオリジナル1曲をグロリアが上手に歌う。えっと、それだけ  
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クリスマスアルバム「棚からひとつかみ」6

O'jays "Home For Christmas" /CDP-7-96420-2 EMI
Home for Christmas

フィリーの大御所、オージェイズの1991年のアルバム。クリスマスは家族でという図式に則ってジェラルト・リヴァート(R.I.P)も含めた作品。90年代に入っても充実した作品を作り続けていた彼らの好調ぶりのわかる充実した作品になっている。声を聞くだけで落ち着いた雰囲気になってくる。

The 4 Seasons "Christmas Album" /CDCHD 615 ACE(Born To Wanderとのカップリング)
The 4 Seasons' Christmas Album/Born to Wander

「シェリー」や「恋のハリキリ・ボーイ」などの大ヒットで知られるフォー・シーズンズの1962年のアルバム。前半がオーケストラをバックにで後半が自分たちのヒットアレンジで構成されている。本当にビートルズ以前のアメリカンポップスという感じでほほえましい。「サンタが街にやってくる」はたしかデビューから2曲続けてナンバーワンを出した後のクリスマスシングル。モロに「シェリー」な感じが楽しい。ボブ・クリューのクレジットがある「クリスマス・ティアーズ」は期待にたがわぬ甘いバラード。リズムが面白い「ジャングル・ベル」も楽しい。家族そろってどうぞ。  
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2006年12月18日

クリスマスアルバム「棚からひとつかみ」5

Ono Lisa "Boas Festas" /TOCT-24460 東芝EMI
BOAS FESTAS

ボサノバで歌われるとおなじみの曲も新鮮になる。ポルトガル語まじりの「レットイットスノウ、レットイットスノウ」なんかいいですね。どの曲も軽やかに華やかになってしまうボサノバにはなにかマジックがあるんでしょうね。

NRBQ "Christmas Wish extended edition" /YDCD-0040 dreamsville
N.R.B.Q.のクリスマス・ウィッシュ(デラックス・エディション)

なにはともあれタイトル曲は名曲。これだけでOKなんだけども、これはもともとあったEPにさまざまな音源を付け足した日本編集盤で17曲と楽しめる(でも27分しかない)。いいんだけど、どこかヘタウマでその分どこか親近感があって憎めない。

Frankie Ford "Christmas" /LRHR 1141 Louisiana red hot records
Frankie Ford Christmas

「シー・クルーズ」のヒットで有名な、フランキー・フォード1999年のアルバム。いやあ、すごいものを聞いちゃったなあ。1曲目から場末の流行らないバーでひとりわびしくピアノを弾いているような感じで始まるが、曲が進むにつれてどんどん酔っ払い度が進んでくる。"Adeste Fidelis"や"Ave Maria"なんて本気なんだかギャグなんだか分からない。昔はアイドル系だったはずなんだが、こういう芸風にシフトしたんだろうか。3曲目の"When Christmas Is Here"などは哀愁漂う感じでしみじみしてしまふ。いつの間にか乗せられたようだ。  
Posted by stutmhr at 23:28Comments(0)TrackBack(0) 音楽 | 音楽