


岩手の田舎の3代目石屋、トラベリングです。
色々な想いが込み上げた1か月、
書き残しておきたいこともあります。
人は2度死ぬと言われます、
肉体の死、
そして、記憶からの死・・・
平成30年6月9日に亡くなられた、
私の盛岡南高校バスケ部恩師、松田俊郎先生に感謝の想いを込めて・・・

「先生、覚えていますか、全国を決めた瞬間を!!」私は忘れないあの時の先生の笑顔を・・・
そんな時は突然やってくる。
先生の息子さんからの電話、
「父が倒れ、今日明日がヤマだと・・・」
中央病院へ駆けつけたものの、
間に合わず・・・
病室ではまだ暖かい、痩せ、小さく見えた先生。
「先生、ありがとう!!」
口から出たのはそんな言葉だけ・・・
恩とは、人から受ける、感謝すべき行為、
恩師とは、その恩を受けた先生。
私は恩師から、たくさんの生き方を学び、今現在の姿を作りあげて頂いたと思っています。
スポーツや勝利、高校生という枠を超え・・・
たくさんのエピソードはありますね。
練習試合で私が絶好調の時、
先生は交代なしで3試合フル出場。
嬉しかったですが、
帰り道に下半身すべて痙攣で救急車。
急いで病院に駆けつけてくれました。
爆笑しましたね(笑)
いつも県準優勝、
最後の望みをかけ、
1県1校代表になったウインターカップに全てをかけ、
いちど、高総体で引退し、受験勉強をしていた私に声をかけてくれた、
田舎から出てきて、
ただバスケが好きで、下手だった私。
センターがダメ、フォワードがダメ、
シューターに収まるところが、ガードとして使われ、
私は日々困惑・・・
スパースター後藤に合わせ、ついていくのがやっとでしたね(笑)
最終的に残った3年生、後藤と私、
3年生の冬までバスケが出来ました。
忘れないですよ、
ウインターカップ岩手県大会決勝、
いつも勝てなかった、盛岡工業。
苦しいときにタイムアウトを取って呼んでくれるんですが、アドバイスなし(笑)
後藤が指示出してましたね(笑)
勝利へのカウントダウンが始まった時の私の記憶もないです(-_-;)
ビデオで見ましたが先生は体育館の天井を見ていましたね!!
勝利した後、
「尚之ありがとう。」って?
いまでもあの言葉疑問です。
私が先生に「ありがとうございます。」ですよね〜

人生の中では一瞬の時間かもしれません。
負けた時にいつも見せる寂しそうな背中は、
苦しいときに何も語らず、ぐっと堪える「辛抱」を覚えた気がします。
そして、最高の「笑顔」!!
昔話が出来なくなって、本当に寂しいです。
先生が目指した、走るバスケ、平面のバスケ、
そして、繋がりのバスケ・・・
人生にも役に立っています。
先生の意志は、後藤がしっかり受け継いでいます。
子供たちを信用し、コートに送り出し、
ベンチで静かに座って見守る姿は似てきたような(#^.^#)


先生、
本当にありがとうございました。
そして、
ゆっくり休んでくださいね。

お墓に行きます。
あの奇跡の瞬間、苦しかった練習、たくさんの昔話・・・
また話にいきますね・・・
そうそう、先生、6月9日って、
私たちの高校総体が開幕した日でした・・・

雑な文書ではありますが、
感謝の想いを込めて、
想いを込めて、
残させていただきます。
家族を笑顔にする、安らぎの空間はここにあります→石のヤマカタです!!
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岩手県