生命共振ヒマラヤ

生命の舞踏 サブボディ共振塾ヒマラヤ のミラーサイト

画家の世界| ピウ

A Painter's World | Piu from Subbody Resonance Butoh Himalaya on Vimeo.

フロイト| パメラとアダム

Freud | Pamela and Adam Koan from Subbody Resonance Butoh Himalaya on Vimeo.

振り子| リラとクリスチャン

Pendulum | Lila and Christion from Subbody Resonance Butoh Himalaya on Vimeo.

2つの魂| ジオ

Two Souls | Gio from Subbody Resonance Butoh Himalaya on Vimeo.

死者の技法と いのちの技法




「死者は静かに、しかし無限に変身する。」

「死者になることは生命になることに似ている。」
「人間の条件をすべて捨てることだけは忘れないでください。」


土方は、これらの言葉をしばしば弟子に言った。
土方舞踏は死者の芸術であり、また、いのちになる技法とも等しい。
わたしたちはヒマラヤで20年間それを研究しました。そしてとうとう、生命共振舞踏から生命共振芸術へこの技法を展開する秘密の通路を発見することができた。

方法は簡単だ。ただ日常思考を停止し、かすかなクオリアに耳を澄ます傾聴モードに移行するだけだ。
今日、わたしはこれらの重要ないくつかの点、思考を止めるとはなにか、それを行う方法、なぜ思考を止める必要があるのか​​を、ガイドしたい。

日常思考は、毎日同じクオリアを反復している

我わたしたちが日常モードでいるときは、あなたが「わたし」を感じる各瞬間ごとに、無意識裡に自分を支える無数の肯定的なクオリアを呼び寄せ、繰り返し自己の同一性を補強している。
まず、各瞬間ごとに繰り返されている「自己感」、「自己クオリア」を点検してください。
「私は強い」、「私は健康だ」、「私は優しい」、「私は、これについては多くの経験を積んできた。」、「私は、これについては経験が浅いが、何とかやり切れるだろう.....」、「私は....」,「私は.....」
瞬間ごとに私たちはすべての良いクオリアを繰り返し、自我ストーリーを強化し続けている。
ひっきりなしにそうしていないと、自分からはぐれてしまう惧れがあるかのように、反復し、確認し、強化し続ける。
「私」と感じるたびに、無意識の無数の反復が続き、あなたのアイデンティティを無意識裡に維持し続ける。
同じクオリアを繰り返し続ける反復の中に、珍しい他のクオリアが入り込む余地はない。それらはあらかじめ締め出されてしまっているのだ。
これが、日常の思考が生命の創造性を失ってしまった理由だ。自己同一性が、クオリアとクオリアの意外な出会いを阻害してしまっているのだ。

繰り返しの瞬間を狩れ!

だから、いのちの創造性を取り戻すために、最初に必要なのは、日々の無意識裡の反復に目ざとく気づき、止める訓練です。

自分ではありきたりになっているよく知られたクオリアが繰り返し始める瞬間に気づき、それを止めてください。
(きみは自己同一性を強化するために必要だが、創造性には不必要なんだ。邪魔をするからね。)
もし、これができるようになれば、その後、あなたからだの闇は、ひっきりなしにクオリアとクオリアが出会って見知らぬクオリアを生み出す、とても不思議な創造のるつぼに変わるのに驚かされるでしょう。

生命の創造性とは何か?

自我が自己の同一性を反復強化するのに必要がない他のクオリアは、すべて表向きの存在から消し去られ、サブボディ=コーボディとしてからだの闇の奥深く沈み込む。
それらはすべていのちがうまく共振することができなかった一見奇妙なクオリアばかりだ。

サブボディ=コーボディには奇妙がクオリアが詰まっている!

サブボディ=コーボディに潜んでいるのは主に次のようなクオリアたちだ

・いのちがうまく共振することができなかったクオリア
・周縁化されたクオリア
・ 解離されたQualai
・忘れ去られたクオリア
・出てくるのを禁じられたクオリア
・自我がこれは無視してよいと認知したすべての負のクオリア
・取るに足りないとみなされたクオリア

これらの無巣のクオリアが、自我化から解離され、からだの闇にサブボディ=コーボディとして潜んでいる。

それらのクオリアを自由に共振させる

一見取るに足りないクオリアばかりに見える。
ところがどっこい、クオリアの力はその共振性にある。
それらの奇妙なクオリアとからだの各部、からだの声、視覚的な妄想、忘れていた夢、想像などと自由に共振が始まるまで、調体をつづけ、出てくる動きを探求してください。
もしからだの闇に潜んでいた何かのクオリアとからだのどこかが共振して一つになると、とても独特の珍しい懐かしい感慨を伴った新しい踊りが出てくるだろう。
そうだ! それがあなたのサブボディだ!
どんどん珍しいクオリアたちをからだの各部に通し、共振を増幅させていきます。
生命の創造性の秘密はクオリアの共振にある。
クオリアとクオリアは自動的に会い、新しいクオリアが勝手に生れ出てくる。これがいのちの共振による創造力の秘密です。

才能はまったく必要ない。むしろ邪魔だ

クオリアの共振委人間の意思や能力はまったく関係しません。クオリアたちはただただ見知らぬクオリアと共振し、新しいクオリアがつぎつぎと産み落とされる。
それはあなたの夢が意識とかかわりなく自動的に現れるのと同じだ。
サブボディ創造には個々人の特別な才能はまったく必要ない。むしろそれは邪魔をする。もしあなたが自分の知性に自信を持っていれば、それは止められることにありとあらゆる抵抗をし続けるだろう。
体力に自信があったり、習い覚えたからだの動かし方が身についていいればそれらも、ことあるごとにサブボディを乗っ取り、習い覚えた動きに吸収しようとするだろう。そういう持てるモノが少ないほど、自由なサブボディがでてきやすい。

誰もが世界でたったひとりの芸術家になる!

死者の技法は、わたしたちが「人間』の条件をすべて投げ去って、死者になりこみ、
静かにしかし無限に変容していく技法だ。それはいのちの技法と実は同じだ。

ここまでが、サブボディ共振舞踏と、生命共振芸術の坑道の入り口までの案内です。
あとはこの坑道をご自分でたどって楽しんでください。
大丈夫、世界中に多くの仲間がいる。
出会えばすぐに楽しい奇妙な共振が起こるだろう。
生命共振にはどんな境界もない。
地球上をあふれんばかりの生命共振で満たそうではないか。

スウォーム| ローレンス

Swarm | Laurence from Subbody Resonance Butoh Himalaya on Vimeo.

死者の技法ワークショップ in シーロス島、ギリシャ



懐かしいワークショップビデオが、ギリシャから届けられた。
これははじめて<死者の技法>をワークショップで試みたものだ。
全員が死者になって、島の廃墟や、海辺や、スタジオや、
最終日には島のフェスティバルで公演した思い出深いものだ。
ありがとう、ロアンナ、そしてワークショップの参加者たち!
また五日、一緒に踊りたいものだ。

ドリーマーズネット| サンテリとコボディ

Dreamer's Net | Santeri and Cobody from Subbody Resonance Butoh Himalaya on Vimeo.

日常体はなぜ創造性をなくしたのか? サブボディはなぜ無限の創造性を持つのか?

日常体はなぜ創造性をなくしたのか?
サブボディはなぜ無限の創造性を持つのか?


スリランカで、舞踏論日本語版を書き終えた。

日本語で舞踏論を書きぬく中で、サブボディ技法の根幹の論理が透明に浮き出てきた。


サブボディが日常的な自己から解離されてからだの闇に潜まねばならなくなったのは、サブボディがこの世界とうまく共振できないクオリアを抱えていたからだ。

日常体はうまく共振できるクオリアばかりを集めて、無限回繰り返して、

じょじょに強固な自我を育てていく。

わたしは強い、わたしは親切だ、わたしは品が良い、云々と自己肯定できるクオリアを集めて自己同一性という物語を編む。そして、日々同じ自分という物語を反復し強化に努める。

そこから漏れ落ちたクオリアはすべてサブボディ=コーボディとしてからだの闇に追いやられる。そこは、たった一度だけ経験しかけて、この世に受け入れられないことを知って、そのクオリアを二度と繰り返すことのないまま、からだの闇の奥深く沈み込む。


だから、サブボディに出会うには、

1.うまく共振できなかったクオリアを探る。

2.一度も繰り返されたことのないクオリアを見つける。

3.それが嵩じて、こわばりや凝結、癖、心身の何らかの不自由などの<癇>のクオリアに成長してくぐもっているかもしれない。


この三点を重点的に探ることがとりわけ重要だ。


サブボディと日常体との分岐点をつぶさに観察して、ようやくこの解に出会うことができた。

土方巽が収集した多くの癇のクオリアをからだに落としているうちに、その共通点が自然と体に染み込んできた。

ドゥルーズもこの理解を助けてくれた。


「まだ一度も反復されたことのないもののなかに、未来の創造の可能性が埋まっている。」(『差異と反復』)


ドゥルーズは、「私」や自我や同一性が、無限回同じものを反復して着用していることを鋭く見抜いた。それらは着古されたものばかりでなっている。新鮮なものはそこには何もない。日常体が創造性から疎外されているのは、同じものを反復しているからだ。

これで、なぜ日常体が芸術や創造から疎外されているのかの理由も闡明された。

からだの経験からは分かっていたが、論理的には説明できなかった。

ドゥルーズ、ありがとう。


なかなか理解しがたかったが、伊達に無用な論理を振り回しているだけではなかったんだね。


これで、普段のサティ(微細なクオリアに耳を澄ましてえられる気づき)のポイントにも、一つ加わった。
今までは、言語思考が芽生えたときに、鋭く気づき、それを停止することを重視していた。 
感情や情動に捕らえられたとき、それをすぐにそのまま発現することを止め、呑み込み、からだの中で新しいクオリアに発酵するのを待つ。 
そういう大きい傾性に従うのではなく、あるかなきかの不快なクオリア、いのちがうまく共振できないクオリアに耳を澄ます。 
これらに加え、同じクオリアを反復しているときにも、それに気づきただちに停止することだ。 人生は短い。同じものを反復し続けて歳をとってはたまらない。
いっときもその繰り返しに陥るのを止め、上記三点に耳を澄まし続けることだ。
24時間下意識モードになって耳を澄まし続ける。 これが日々創造性にあふれた人生を送る極意だ。 
土方は下意識のからだになりこみ、癇のクオリアを発見した。
ドゥルーズは日常体を批判し続けることで、この解に至った。 
思えば両者と格闘し続けて半世紀が経った。 そしてようやく両者が一つになった。
どちらも人類に新しい創造をもたらそうとしたものだ。つながっているのは当然だ。
だが、そのつながりの論理を見出し、共振によって一つになるのを発見したのは、これがはじめてのはずだ。
日常意識と下意識のからだを自在に行き来するツリーリゾームという技法を探求してきたことの小さな成果がようやく得られた。 
わたしたちはさらに深く、からだの闇のクオリアとからだの動きとの間の妙なる間、
クオリアと言葉の間の妙なる間に耳を澄まし、下意識のいのちに馳せ降り、動きや言葉の世界に馳せ上がる道を探求し続けるだろう。 
それは誰にでもできる、生命共振芸術を世界に広め、誰もの人生が芸術に転化する輝かしい道を開くだろう。 
ようやく行く手が開けてきた。

人間性のない身体:動物| ピウ

Dehumanized body : Animal | Piu from Subbody Resonance Butoh Himalaya on Vimeo.

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