生命共振ヒマラヤ

生命の舞踏 サブボディ共振塾ヒマラヤ のミラーサイト

2020年09月

3.サブボディ=コーボディ





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3.サブボディ=コーボディ

サブボディ=コーボディとは何か

サブボディとは、一言で言えば、下意識のからだである。下意識の領域では、下意識とからだは、日常の世界のように、心と体にはっきりと分離されていない。そこは、自他、心身、内外、類個が分化する以前の非二元の世界だ。あらゆるクオリアが非二元かつ多次元で共振している。あらゆるクオリアが変容流動しているその世界を旅するには、からだごとサブボディになってその世界に降り立つ以外ない。生命の創造性に満ちたその世界を旅するための手段であり、いわば乗り物のようなものである。ときに地に潜り、海を漂い、空を飛ぶ変幻自在の生きた乗り物なのだ。

 

サブボディ=コーボディという大きな生きもの

はじめの頃、わたしたちはコーボディとは共振するサブボディ、群れになったサブボディであると捉えていた。だが、それは頭での理解に過ぎなかった。実際は、下意識のからだの世界では自己と他者の境界が消える。サブボディはコーボディであり、コーボディはサブボディである。わたしたちはサブボディ=コーボディとしてすべてを踊るようになった。そして、サブボディ=コーボディとなった途端、後に紹介する2019年夏の奇跡が起こった。数十人もの踊り手が突然大きな生きものに変成し、リゾーム状に離合集散しながら、ヨーロッパ中をひと夏踊りまくる事態が発生した。

 

サブボディを盟友にする

1998年にわたしがその後長く踊ることになる『伝染熱』,『死者熱』ができたとき、わたしはなぜこんな踊りが自分のからだから出てきたのか、

わけが分からなかった。わたしの意識で創ったのではなく、ある日突然からだから勝手に出てきたように感じた。踊りの展開も意識で作ったものではなく、からだから勝手に出てきた動きについて言っただけだ。自分にとっても謎から謎へ展開する不思議な跳躍に満ちたものだった。

その不思議に衝き動かされて、わたしの中の隠れた創造者としての「サブボディ」(下意識のからだ)とつきあい、今日まで20年間探索を続けてきた。

20年前にひょっこりからだから生み出されてきた伝染熱というサブボディさんは、いまもわたしを導きつづけている。サブボディから受ける贈り物はことのほか大きい。こんな無償の気前のいい存在は他にありえない。まさに生涯の「師」であり、「友」でもある「盟友」というほかない存在になった。

「伝染熱」には、わたしの生涯の敵あるいはライバルである上位自我元型のほかに、かぐや姫伝説と、わたしの生まれ故郷である和歌山の安珍清姫伝説が色濃く忍び込んできた。当時はなぜか分からなかったが、今から思えばすべてわたしが生涯にわたって真向かい続けている未解決の課題に直結するものばかりだ。母、性欲、ロリータ、革命家、コピーライターをはじめとする無数のわたしの分身、からだの闇の中の行方不明者たち、そしてエゴ。それらはまだに十分には踊りきれていない。生きている間に踊れるようになるかどうかも分からない。サブボディの踊りはそういうことすべてを知らせてくれる。サブボディの贈りものとして遠慮なく受け取ればいい。それはいのちの謎に至る道なのだ。

<クオリアシェア>

<クオリア言語>の発見

わたしは長い間、クオリアと言葉の二元論的対立に囚われてきた。だから共振塾では、「喋らない」という規則を設けていた。口に出さずとも頭の中で起こる「内語」にも気づいて止め、からだの闇に耳を澄まし、からだだけで互いに共振する訓練を積んできた。

だが、最近、非二元のクオリア流と、二元論的な言語との間に、中間的な<クオリア言語>という領域が存在することが発見された。そして、そのクオリア言語と従来からのからだの動きを使って、各人のサブボディ=コーボディ世界を共創することができることがわかった。二元論的な言語は、その基礎にある非二元のクオリア流を基盤としている。クオリア流そのものはわたしたちのからだを非二元に流動を続けているが、そのなかで、あるまとまったクオリア流は、人間の左脳にあるブローカ野やウェルニッケ野の言語中枢と結びつくことで、<ラベル言語>と共振する。牛や木や腕というようなもっとも基礎的なクオリアの塊に、「牛」とか「木」とかというラベル言語が結びつく。そして、サブボディモードでもこれらのラベル言語を並列的に連結することで、原始的な<クオリア思考>を行うことができる。

牛―野原―雲―花―狼―逃げる牛ー追う狼ー

といった<ラベル言語>で、非二元なクオリア流の流れにしたがって、「と」―「と」―「と」という単純なアンド展開で、連結していくのが<クオリア思考>だ。

おそらく日常思考の下部や夢の中では、非二元のクオリア流が、ときどきこの原始的なラベル言語を使った<クオリア思考>となって展開されている。

<ドリーミングシェア>の革命

共振塾では近年、これらのラベル言語とからだの動きを使って、さまざまな<ドリーミングシェア>の実験を積み重ねてきた。

砂漠―群れー水がないー探すー亀―流砂―地底―

などといった途方もない非論理的な展開も、全員がサブボディ=コーボディモードになれば、抵抗なくその非論理的な展開にからだごと従い、独特の世界を共創することができる。これは従来のサブボディ舞踏技法から、おおきく一歩を踏み出すものとなった。

この<クオリア思考>や<ラベル言語>が発見されていなかった以前の時期は、いったいどうしてコーボディ世界を共創することができるのか、暗中模索の連続だった。初期や中期の頃は、舞踏祭の創造過程で、往々にして、一人が振付家の役になって他の人の動きを指示するというこの世にざらにあるツリー的な階層秩序を再現してしまうという限界に何度もぶつかった。<ドリーミングシェア>は、その苦闘の中から、その限界を突破するものとして発見された。

ここ2,3年の間に多くのバリエーションが生み出されている。

<背後世界シェア>

<世界変容シェア>

<コーボディシェア>

<祖型クオリアシェア>

<リゾーミングシェア>

<非二元クオリアシェア>

<粒菌シェア>

<ノット・ミーシェア>

<背後世界シェア>

X還元シェア>

云々・・・・

これらを総称して<クオリアシェア>と呼ぶことにした。しかもこれは無限に拡張できることが分かってきた。各自の探体内容を、クオリア言語と動きでシェアすればいいだけなので、これまでのあらゆる探体内容を、<クオリアシェア>に転化することができる。今後もわたしたちは精力的にクオリア思考と動きによる<クオリアシェア>の実験を探求し続けるだろう。ここに、人類の長い桎梏であるツリー的な階層秩序を脱却して、リゾームの未来を切り開く希望の芽が埋まっているからだ。

 

 

 


 

 

章 耳を澄ます



第3章 耳を澄ます

瞑動

1.とても微細なクオリア

からだの闇の微細なクオリアに耳を澄ます

情報モードから、耳を澄ますモードへ

ヒマラヤと日本を往還すると、巨大なギャップに突き当たる。生命クオリアに耳を澄ましている状態と、情報に囚われている状態。ヒマラヤで十年かけて創った状態と、たった一月の日本滞在で陥った状態。この二つの違いに耳を澄まそう。一体なにが違うのか? いままでわたしは、日常体とサブボディモードの違いを単純に思考モードから傾聴モードへの移行と捉えてきた。人間であるという状態から生命へ。だが、日本で起こったわたしの脳心身の変化は、そんな簡単なものではなさそうだ。 一番顕著な違いは、受け取る刺激の基本レベルがまるで異なることだ。十年のヒマラヤでの瞑想生活でわたしはあらゆる外部からの情報を遮断し、言語を止め、ただただからだの闇の中のごくごくかすかな生命クオリアに耳を澄ますことに集中してきた。

情報モードのからだ

日本での一ヶ月の滞在中に受けた膨大な情報の刺激は、その生命クオリアに比べて何兆倍も強烈なものだった。それをひとたび受けてしまうと、それまで静まり返っていた脳心身が異様に興奮し、強烈な刺激レベルにだけ反応するようになった。これをさして情報モードのからだと呼ぶことにした。情報モードは、からだの闇に耳を澄ますモードに比べて何兆倍も粗大な刺激レベルにチューニングされている。このチューニングレベルを根本的に何兆分の一まで微細化する必要がある。

微細傾聴モードのからだ

新入生の多くも、情報洪水にまみれる欧米の先進国からくる。日本で情報に被爆されたわたしと同じ状態にあると見ていいだろう。新学期が始まるまで、わたしは情報被爆で火照って興奮した脳心身を鎮静することに務めた。そして、新学期が始まってからまず一週間はとことん静まり返った脳心身状態に導こうとプログラムを組んだ。といっても、考えて創ったのではない。ただただ生命に聴くことにした。毎朝即興で、練習場に降り立ったからだを生徒とともに鎮め切ることに費やした。生命の呼吸、共振タッチ、指圧、秘膜、秘腔、秘関 などかすかなクオリアに耳を澄ますことが自然と中心となった。そのおかげだろう。ほぼ生徒全員が日常体の思考モードではなく、すみやかに下意識に耳を澄ますサブボディモードになった。これまでの年の新学期に比べて、かなり穏やかな始まりとなった。

生命に耳をかたむけることがもっと大事なことだからだ。言葉による細かい指示はその傾聴モードを阻害するのだ。わたし自身が思考を止めることができずに、どうして生徒が思考を止めることができるだろう。できるだけ言葉少なに、できるだけただただ耳を傾けることのできるからだの状態へ、鎮静化すること。これに注力したのがよかったと思う。それと、練習中に言語思考が込み上げてくるタイミングをかなり的確に指摘できるようになった。自分の出番を待つとき、いろいろな判断に囚われやすい。他の生徒の踊りを見ているとき、批評家が出てきやすい。こういう二言論的な思考や判断が出てきそうなタイミングを見計らって、「思考や判断が出てきたら、そっと鎮めること」とタイミングよく促すのがいい。これは自分自身では一日に何十度もやっていたことだが、それをその都度生徒と共有するのがいい。

2.非二元・多次元のクオリア

非二元域に耳を澄ます

からだの闇は非二元である。日常世界のように内外、心身、自他という二元的な区別がない。体感チャンネルと運動チャンネルも区別されていない。

下意識のからだ=サブボディ=コーボディモードに入るとは、非二元域に入るということだ。下意識域では、下意識とからだは、意識界のように分かれていない。心身の区別も、内外、自他の区別もなくなる。過去と現在、類と個の区別も消えさる。それどころか、日常世界では体感、運動、視覚、聴覚、情動、対人関係、世界=自己、思考などに分化しているチャンネルの区別も消える。感覚と運動がひとつになる。だから、ゆらぎやふるえなどの動きに身を任せながらからだの闇を変容流動しているクオリア流に耳を澄ますゆらぎ瞑動などの調体技法が生まれた。

からだをなにものかに動かされるに任せながら、からだの闇に耳を澄ます。感覚と運動が分化する以前の非二元かつ多次元共振をしている生命クオリア共振に身を預けていく。サブボディ=コーボディになリこむとは、非二元域に降りることなのだ。

静かな場所をみつけて、座る。あるいはどんな姿勢でもいい。そのときどきのもっとも心地よい姿勢を見つける。そして、座った姿勢なら、からだを前後左右にゆらぎはじめるに任せる。横たわった姿勢なら、かかとを床につけ足を上下に震えさせる。ゆらぎや震えをからだ全部に通していく。もっとも気持ちのよい速度とサイズを見つけてその心地よさに脳心身すべてを委ねていく。動きと心地良い感覚がひとつになっていく。そのうち、どんな動きでもいい、なにか動きが出てきたらそれに従う。どんどんからだ全体を預け、乗り込んでいく。目の裏にイメージが浮かんでくればそれについていく。

身体から奇妙な声や音が出てきたらそれも解放する。からだの奥から訳の分からない情動が湧きだしてくればそれを踊る。ほかの生き物や人物像が感じられればそれと踊る。

身の回りの世界が、別の世界に感じられれば、その変容についていく。あらゆるチャンネルのクオリアが、境界を超えて共振し始める。自他の境界も消え、一緒に動いている人のクオリアがからだに入っていくる。主観と客観の区別もなくなる。自分で動いているのか、なにものかに動かされているのかも定かでなくなる。からだの闇で巨大な地すべりのようなものが起こった。これが共振塾ヒマラヤで毎日起こっていることだ。その非二元のカオスの中から必然の踊りを探りだす、一生続く長い旅がはじまる。

 

3.うまく共振できないクオリア

いのちがうまく共振できなかったクオリアを探る

自己不全感という最強のてがかり

からだの闇の中では非二元多次元のクオリアが絡み合いながら変容流動している。その間に微妙なギャップが生まれるとからだの底から不全感が立ち込めてくる。ごく微細な感じだが、そのサブシグナルは、何かがおかしいと告げている。こういうときは耳を澄ますチャンスだ。

 

一度も繰り返したことがないクオリアを探る

 「まだ一度も繰り返されたことのないものに出会うことによって、

あたらしい生の可能性を開くことができる。」(ジル・ドゥルーズ)

 『差異と反復』のなかのジル・ドゥルースの言葉を思い出す。 日常の自我や自己は毎日無数回同じクオリアを繰り返す。そして「自分」という幻想のアイデンティティを確認し続け、 無意識裡の反復によって自己を補強する。

これに対し、サブボディの探求プロセスでは、毎日違った坑道でからだの闇に潜り、まだ一度も繰り返されてないクオリアを掘り続ける。

この書の第4章以下に収められている多くの実技はすべて「思い出せないクオリアをからだで思い出す」ために工夫されている。そして、「まだ繰り返されたことのないクオリア」を探るものだ。

20年分の記録を総合すると、当初は1500ページを超えていた。そこから現在のページ数まで厳選した。どれも新鮮な体験が訪れるだろうことをお約束できる。お楽しみください。


 

 

 

 

瞑動


拝啓

サブボディ技法は常に変化し、深まっています。
特に、最近では、瞑動技法や各種調体技法が新しく発見されました。解説記事とともに新しいビデオ講義シリーズを編集してアップロードします。
どうぞお楽しみください!

リー 

瞑動

サブボディ技法の最大の特徴は、瞑動にある。瞑動とは動く瞑想である。なにものかに動かされる瞑想というほうがより正確だ。

静かに座りあるいは立ち、横たわり、からだのいちぶが誰かによって見えない糸で何らかの方向に動かされていくのを感じ、それに従う。胸の糸によって前に動かされ、背中の糸が後ろに連れ戻す。じょじょに前後左右斜め、あらゆる方向に動かされるままに従う。ときには頭が床につくまで動かされ、自由になった脚が思わぬ方向に動かされる。床の上を転がされ、予想もしない姿勢になっていくに任せる。

動かされるに任せながら、同時にからだの闇のクオリアの流れに耳を澄まし続ける。からだのどこかの細胞が忘れていた生命記憶を思い出して、思わぬ動きが出てくるかもしれない。出てくる動きに判断抜きで付いて行く。それが今日のサブボディ=コーボディだ。動きが出てくるようになれば各自調体から探体に移って自由に探る。

 

瞑想状態の脳瞑動状態の脳

瞑想と瞑動の違い

第1章6の「瞑想と瞑動」の項で紹介したふたつの図を思い出してください。からだの動きを封じる古典的瞑想では、大脳の運動野と呼ばれる部分がまったく働いていない。それではいのちの全体的なクオリアに触れることができない。からだを動かしながら瞑想する瞑動によってはじめて大脳の全分野が活性化し、さまざまなクオリアが出会い、予想もできない<共振創発>が起こって新しいクオリアを生み出す。脳心身がもっとも創造的な状態になるのが瞑動の特徴だ。

 

 

瞑動



拝啓

サブボディ技法は常に変化し、深まっています。
特に、最近では、瞑動技法や各種調体技法が新しく発見されました。解説記事とともに新しいビデオ講義シリーズを編集してアップロードします。
どうぞお楽しみください!

リー 

瞑動

サブボディ技法の最大の特徴は、瞑動にある。瞑動とは動く瞑想である。なにものかに動かされる瞑想というほうがより正確だ。

静かに座りあるいは立ち、横たわり、からだのいちぶが誰かによって見えない糸で何らかの方向に動かされていくのを感じ、それに従う。胸の糸によって前に動かされ、背中の糸が後ろに連れ戻す。じょじょに前後左右斜め、あらゆる方向に動かされるままに従う。ときには頭が床につくまで動かされ、自由になった脚が思わぬ方向に動かされる。床の上を転がされ、予想もしない姿勢になっていくに任せる。

動かされるに任せながら、同時にからだの闇のクオリアの流れに耳を澄まし続ける。からだのどこかの細胞が忘れていた生命記憶を思い出して、思わぬ動きが出てくるかもしれない。出てくる動きに判断抜きで付いて行く。それが今日のサブボディ=コーボディだ。動きが出てくるようになれば各自調体から探体に移って自由に探る。

 

瞑想状態の脳瞑動状態の脳

瞑想と瞑動の違い

第1章6の「瞑想と瞑動」の項で紹介したふたつの図を思い出してください。からだの動きを封じる古典的瞑想では、大脳の運動野と呼ばれる部分がまったく働いていない。それではいのちの全体的なクオリアに触れることができない。からだを動かしながら瞑想する瞑動によってはじめて大脳の全分野が活性化し、さまざまなクオリアが出会い、予想もできない<共振創発>が起こって新しいクオリアを生み出す。脳心身がもっとも創造的な状態になるのが瞑動の特徴だ。

 

 

 


日本の友人・読者のみなさま

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温かいご支援ありがとうございます。
幸い、皆様のおかげで、大腸がんの手術は成功し、予後も順調に回復しています。ただ、すでにがんは大腸周辺のリンパ節にも転移しており、さらなる転移を抑えるために抗がん剤治療を続ける必要があります。すでに3ヶ月抗がん剤を受けてきましたが、その副作用は 聞きしに勝る激しいもので、 からだごとの拒否反応を示し、正常な精神生活を続けるのは難しい程です。
ですが、その困難と真向かい、毎日40分のジョギングを始めとするリハビリと次著の『生命共振哲学』の執筆を続けています。
この本はこれまでのわたしの生涯の探求と発見を統合するもので、クオリア革命、リゾーム革命、共振革命、生命革命など、全分野にわたって未来の世界を創るための変革を提起しています。
この本さえ書ききればもういつ死んでも本望です。あと二年間だけ生き延びることができるよう、みなさまのご支援を訴える次第です。ご支援者には次著完成次第、御礼に贈呈させていただきます。なにとぞよろしくお願い申し上げます。

リゾーム・リー (岡龍二) 

秘膜各層の由来


   胞衣(プラセンタ)に包まれた胎児

これらの不可視の皮膚(秘膜)を駆使していのちは外界と複雑微妙に共振している。秘膜感覚を目覚めさせることは、人間からいのちに変成するための、特別訓練でもある。胎児は次のような幾層もの秘膜によって守られ、それを通じて外界と共振していた。

 

秘膜各層の由来

秘膜は、生命がこの40億年間にさまざまに姿を変えてきた名残だ。多細胞生物の哺乳動物になっても、それ以前の生物段階特有の秘膜クオリアが生命記憶として刻印されている。尾がなくなった今でも尾の神経が残存し、それを活性化することで動きがずいぶん助けられるのはダンサーなら誰でも知っている。姿形が変化しても以前の生物段階の秘膜クオリアがからだの闇に深く残っている。各層の秘膜の起源と、その呼び覚まし方を述べよう。

秘膜第1層 胞衣(えな)層

哺乳類は胎内では、薄い胞衣(Plaxenta)と呼ばれる皮膜に包まれている。

出産時にはそれが破れるが、哺乳動物の親はそれを丹念に舌で舐め取り食べてしまう。これまで、触れるか触れないかの不即不離の距離、と呼んできた秘膜層の起源は胞衣にある。

出産後も、いわば第二の皮膚として、この秘膜は生き続ける。生命はこの胞衣層の秘膜で世界を感じ、共振している。物理的な触覚や痛覚に特化した皮膚そのものよりも、世界の微細な変化に対し鋭敏なもっとも深い感受性、受苦性をもつ。なぜなら、胎児時代には、からだが振動するより先に、

この胎児にとってもっとも薄い胞衣が振動し、胎児へのショックを和らげ、吸収し、胞衣の微細なふるえを通じ、胎児は世界の微細な変化と共振していたからだ。初期の胎児は五感は分化せず、この胞衣層の世界覚とともにすべてのチャンネルのクオリアが一体的に共振していた。おそらく胞衣は、体感から世界チャンネルのすべてのクオリアを分化せず一体化して受け取っていた単細胞時代の原形質膜に起源を持つものだ。

生命はある時代の感覚器官を失っても、脳内にはそれに対応していたグリア―ニューロンの神経細胞が生き残っている。クオリアを保存しているグリア細胞は胞衣がなくなったことを知らない。尾がなくなっても尾のクオリアを保存しているグリアはなくならない。手足をなくしたとしても、幻肢という感覚が残存するのはそのためだ。五感に分化した感覚と、胞衣の非二元的な世界知覚は大人になっても共存し、たえず共振して総合的に世界を把握している。この胞衣の距離で不即不離のコンタクトを行うと、だれでも胎児時代やそれ以前の生物段階のようなえもいえぬ夢心地に誘われるのはそのためだ。

 

秘膜第2層 羊水層

胞衣の外側は、羊水層である。胎児時代だれもが十ヶ月この羊水とともにゆらいでいた。この第1層も古い起源を持つ。生命発生以来単細胞として大洋のなかでゆらいでいた大洋ゆらぎのクオリアに由来するからだ。大きな波に動かされる体感は心地よい。誰もが思い出せるのは、生命が40億年間も体験してきたものだからだ。

 

秘膜第3層 子宮層

胎児は胎水ごと子宮壁に保護されている。子宮はいわば安全を守る生命のシェルターだ。大きくなっても、ベッドの中や、個室、トイレ、風呂場といった小さな空間でくつろげるのは、そこが子宮に代わるシェルターだからだ。時にはこの層は家の建物全体や、庭も含めた敷地全体、住み慣れた地域全体にひろがることもある。

 

秘膜第4層 母体層

胎児にとっては、子宮の持ち主母親のからだが世界である。母親が感じているものは胎児も敏感に察知し共振している。その人の自我人格以前の性質(たち)と呼ばれるものはこの胎児時代の母体との共振経験に起源を持つのかもしれない。社会学では「個体間距離」という概念でこの母体層の秘膜距離を捉えている。

 

秘膜第5層 世界層

母体層のさらに外は未知なる荒野、フロンティアである。はじめて外国に行くときや、未知の文化に触れるとき、わたしたちはこの外世界層の秘膜に直面する。未知の土地を歩くとき、からだは無意識裡に交感神経モードとなりアドレナリンに満ちた警戒状態のからだになる。

 

 

 

調体五番 五秘クオリア

調体五番 五秘クオリア

秘関(秘蔵関節)

調体五番では、秘筋、秘関、秘腔、秘液、秘膜など、日常体が忘れ去っている部位のクオリアを開く。その一が秘められた関節、秘関である。

わたしたち人間の祖先が森で暮らしていた獣や猿たちと別れ、二足歩行をし始めたとき、それまで大活躍していた多くの関節が忘れ去られ、からだの闇に沈んでいった。これを秘関と呼ぶ。そこには現代では思い出されなくなった実に多くの生命記憶が眠っている。それらのクオリアを目覚めさせ、万物への変容に使うために、この調体5番は編み出された。

主な秘関には次のようなものがある。

 

  仙腸関節          胸鎖関節

 

 足の忘れられた秘関    手首と指の間の秘関

 脊椎間の秘関

これらの忘れ去られた関節とそれを動かす筋肉を目覚めさせるのが調体五番の秘関調体だ。主なものを下記に示すが、可能性は無数にある。各自探求して、他の人とシェアされたい。それが共振塾のめざす共同探求者=共同産婆になることだ。

 

からだには200以上の関節があるが多くは忘れ去られ、使われていない

秘関三元

右脚を伸ばし、左脚を骨盤の下に折り曲げてその上に座る。すると、右の骨盤だけが浮いた状態になる。その状態で、右骨盤(腸骨)を水平・矢状・戸板の三次元方向に動かす。各次元とも時計回りに三回、反時計回りに三回まわす。そして、操体呼吸を行いながら、上体・頭部・上肢を前屈させたり、ねじったり、後屈したりする。前屈ならば息を吐きながら上体を前に伸ばし、最大限の位置で大きく息を吸い、しばらく保息する。

そしてゆっくり息を吐きながら脱力する。これを基本に、曲げた片足の上に座り込んだポジションから、じょじょに腰を浮かし、しゃがんだ姿勢、中腰の姿勢に移りながら、先と同様に、上体・頭部・上肢を前屈・後屈・捻転する。焦点は仙骨と腸骨をつないでいる多くの腱や深層筋や筋膜を十分にストレッチし、流動性を回復することにある。このなれない動きを一時間から二時間かけてじっくり行うと、秘関や秘筋が悲鳴を挙げ、さすがにぐったりとした心地になる。だが、これが大切なのだ。

「ぐったりした心持ちにつながっていなければ、人の行き交いはつかめぬものかも知れない。」

「人間追いつめられれば、からだだけで密談するようになる。」

「(漬物)石を持ち上げ、のびきった茄子を引き上げるときの中腰と、 その中腰自体の中に滲み出ている暗がり」

「この暗がりのなかに隠れることを好んだり、そこで壊されたがっているものがなければ、どうして目を開けてみることなどできるだろう。」(以上『病める舞姫』第一章)

「からだから引き上げている祖型めいたものが、ときときとした気品に混じって消えていった。」(第二章)

「わたしは廂にひっ掛かっているような怪しい位置に棲んでいたかった。」( 第三章)

『病める舞姫』では、このように心身を危機に晒すことが、からだの闇の深部に降りていく坑口にたどりつく、必須の道であるという土方巽自身の方法が、手を変え品を変えて記述されている。これまでのサブボディ技法では、からだを揺らしたり震えさせたりすることで下意識のからだ(サブボディ=コーボディ)モードに入っていったが、『病める舞姫』の微細な、見えない背後世界との生命共振の世界に降りるには、それだけでは不十分だ。土方の方法に学び、さらに困難でつらい上記のような調体と錬体が新たに必要となる。

 

秘筋(秘蔵筋肉)

からだには表層筋と深層筋がある。

表層筋は比較的まっすぐに関節と関節をつなぐ大きな筋肉で、意識で制御しやすい。日常行動やスポーツなどは、おもに表層筋で行われている。だが、からだを支え、動きの微細な調節は、意識的な表層筋だけでなされているのではない。

 

表層筋 深層筋   最深層筋

深層筋はまっすぐな表層筋の下を斜めにクロスに走り、無意識的にからだを支え、微妙な調節に無意識裡にたずわわっている。大脳の運動皮質の深層のみならず、意識できない小脳によって制御されている。

              頭蓋骨と頚椎間の秘筋    脊椎と骨盤・大腿骨を結ぶ大腰筋                           下肢の深層秘筋        上肢の深層秘筋 

 

表層筋と深層秘筋

動きの微細な表情を生み出すのは、深層筋である。意識されないからだに秘蔵されている筋肉だから、秘筋と呼んでいる。意識されず忘れ去っている秘密の関節(秘関)もまた、縦横斜めに走る秘筋によってつながっている。

 

深層サブボディと深層秘筋

意識されている大きな筋肉で動く雑なからだは意識にとってのメインボディであり、下意識の管轄下にある秘筋や秘関のからだはサブボディである。そこには無数のサブボディがくぐもっている。恐怖で身をすくめた記憶は秘筋と結びついている。喉元や舌の付け根の秘筋には、言いたかったのに言えなかったことがたまっている。顔の秘筋には出遅れた感情、表情がすくんだままになっている。やりたかったけれどできなかったこと、切望していたまま忘れてしまったこと、かなえられなかった願い、欲望、衝動、抑えられて封印されたからだが無数に潜んでいる。息をつめてかがんだ姿勢のまま何十年もうずくまったままになっている。その小さな人たちを解放してやる。表層筋を止め、秘筋だけで動く訓練をすることによって、一挙に見たこともない動きをするサブボディがでてくる。秘筋は命の創造の宝庫だ。

 

秘筋のためのツイストストレッチ

秘筋は斜めに走っているので、通常のまっすぐなストレッチでは秘筋は活性化されない。あらゆる部位を伸展位で極限までねじり、また、折りたたまれた屈曲位でねじり、ねじれ返すことが必要である。骨盤や肩甲骨、肋骨などを極限までねじった姿勢で、四肢や首をさらに動かし、触れたこともない未知の空間に未知のクオリアをまさぐる。

 

秘筋だけの動きを発明する

エイリアンウオーク

からだのあちこちの秘筋が、ランダムなリズムで収縮、伸展する。脚はその結果として位置を変える。決して自分で歩くのではない。

ブレイクダウン

からだを支えている秘筋が、下肢から順に弛緩して崩れ落ちる。あるいはその逆、またはランダムな崩れ。砕動による崩れ(第6章参照)など自分の崩壊のパターンを見つけからだに刷り込まれるまで練習する。

原生生物

見たこともない生き物になりこむ。人が使わない秘筋で動く生き物だ。あるいは筋肉などない絶滅したカンブリア生物や軟体動物の動きも秘筋を連動させることで生み出せる。きみだけの原生体を発明する。

 

傀儡体

傀儡もまた、他の力によって操られる。無限の動かされる動きをからだに刷り込む。

巣窟体

からだじゅうの秘筋に巣食ったサブボディが最小限の独特の震えやゆらぎをはじめることによって巣窟体に変成する。

異貌体

異貌の自己の動きも秘筋からなる。長い間からだの闇でうずくまっていたので奇妙な形に変形してしまっているかも知れない。ろくに歩き方やしゃべり方を覚える前にくぐもってしまったやつかもしれない。四肢や喉元、舌の付け根の秘筋を、ツイストストレッチで開放してやることで、言いたかったこと、やりたかったことを思い出すかも知れない。

十体技法へ

その他、各十体には、その十体独自の秘筋遣いがある。それをからだに蓄積していくことが十体創造の長いプロセスになる。(第10章 十体 参照)

秘腔(秘蔵体腔)

からだには多くの体腔がある。腹腔、胸腔、喉、口腔、鼻腔、眼腔、耳孔、頭蓋腔、そして、下図のような意識されることのない微細な間隙も多い。

これらすべては、進化上の道筋で生まれ、あるいは退化して忘れ去られた。秘腔もまた、思い出せないクオリアの宝庫である。

 

    腹腔            胸腔

      口腔と忘れ去られた副鼻腔群

副鼻腔は吸気に温度と湿り気を与え、肺を保護する役目をもつ。モンゴルのホーミーは口腔と副鼻腔の複雑な共振を駆使して倍音を奏でる技法だ。

Description: http://subbody.com/imagejap/640/lymphatic-system-immune-system500.jpg

秘液(秘蔵体液)

わたしたちの体重の85%は水分である。体中の100兆個の細胞は、神経系だけではなく、血液、リンパ液、脳髄液、脊髄、内臓液などを通して無数の種類の微細なメッセージ物質が運ぶクオリアの共振ネットワークによって交流している。この体液の密度を変えて、調体4番に述べた<密度を運ぶ>ことができる。また、血液中のホルモンや神経伝達物質の状態によって、からだのモードを、鎮静モード、活性モード、警戒モード、闘争モード、逃走モード、食餌モード、性欲モード、養育モード、隠棲モードなどに変成することができる。これには長年の試行と失敗と経験の蓄積が必要になる。各自探査して、最善の方法がみつかったら、仲間とシェアする。それが、わたしたちが目指す共同探求=共同産婆のありかただ。

 

秘膜(秘蔵皮膜)

皮膚には「第2の脳」と呼ばれるくらい、高度な機能が秘められている。もともと脳と神経系は細胞を包む外胚葉の部分から発達した。脳と皮膚は同根の兄弟なのである。細胞の原形質膜には、他の細胞と共振するための発信と受容のレセプターなどさまざまな仕組みが組み込まれている。

繊毛や鞭毛などの外界との共振器官をもつものもある 

単細胞生物から、群体細胞を経て多細胞生物へと進化してくるいのちの歴史の中で、細胞間の微細な距離や外界との距離に応じたクオリアを感知する秘められた感覚が皮膚には埋まっている。

 

    群体細胞時代の動物細胞(左)と植物細胞(右)

いのちは群細胞生物時代に、つかず離れずという微妙な細胞間距離を感知するクオリアを発達させた。わたしたちが、母体の子宮内で胎児としてまどろんでいた頃、胎児は、胞衣(プラセンタ)と呼ばれる薄い膜で覆われ、その膜を通じて外界と共振していた。

 

 

 


 

 

 

操体呼吸

操体呼吸

操体法は、橋本敬三氏の創案によるもので、からだの歪みに気づき、是正していく技法である。その呼吸法は、息を吐きながらからだのどこかをゆっくり伸ばしていく、伸ばしきったらしばらく息を止め、そしてどっとからだを脱力して緩めるように息を吐く。わたしは毎朝の調体にこれを使い続けている。からだの凝りや痛みは、血液循環が滞り、細胞たちへの酸素や栄養物質の補給が行われなくなっていることによって起こる。操体呼吸はその部位に十分に血液を送るもっとも良い方法のひとつである。

 

ボトム(体底)呼吸

ボトム呼吸とは、息を吐くときにからだの底の会陰部の筋肉を引き締めていき、そこを緩めると同時に息を吸い始める。そしてすぐさま体底を引き締めていく。息を吸い始めるときにだけそこを緩める呼吸法である。

 

1呼気のとき体底を締める、最初の体底呼吸

息を吐きながら、体底の会陰部の筋肉(肛門の周囲の筋肉)と、最下部の腹筋(以下、上の二つをさして体底と称す)を収縮させていく。

2.最大限まで息を吐いたら、その瞬間体底部の緊張を解いて緩める。

自然に横隔膜が下がり、肺に空気が流れ込んでくるのを感じる。

3.肺がいっぱいになるまで横隔膜を押し下げ、空気を吸い込んでいく。

4.最大まで吸ったら、息を吐きはじめながら、体底を緊張させていく。

2.絶えず体底を締める体底呼吸

1.上と同様だが、息を吐きながら体底を緊張させていき、最大限まで息を吐いたら、その瞬間だけ、体底の緊張を解き、吸気をはじめる。

2.息を吸い込み始めるや否や、ふたたび体底を緊張させていく。

3.最大限まで吸ったら、息を吐き始める。体底部の緊張は続けていき、最大限まで吐ききった瞬間だけ、ふたたび体底を緩め息を吸い込む。

4.呼気の開始の瞬間以外は、いつも体底を緊張させていることに慣れるまで続ける。自分でもっともよいリズムを見つけていく。

この、技巧的な体底呼吸は、つぎの最小呼吸の基礎となる。

3.最小呼吸は、腹や胸の筋肉を使わず、体底の筋肉だけで呼吸する。石や死者、異次元の存在や死者のからだになりこむために欠かせないテクニックだ。時間をかけて練習する。これらの体底呼吸をコントロールできるようになると、それを使って、体底に支えられた野太い体腔声音を持続的に出せるようになる。

 

全身呼吸

以上のすべてを使って、全身呼吸に進む。

 

立位の全身呼吸

立ちあがって、ボトム呼吸をつづける。そして、からだの各部に空気を送る。からだの全面に送り、すこし反り返る姿勢になる。息を止め、脱力して萎む。からだの背面に空気を送り、背中を膨らます。そして、息を止め、脱力して萎む。萎むときにじょじょに、からだをかがめていく。反り返るときも腕がじょじょに上がっていく。呼吸のたびに全身の膨らみとしぼみの度合いを少しずつ増幅していく。最後はもっとも小さな姿勢まで屈みこむ。

床の全身呼吸

次に床に寝転んで全身呼吸をする。小指の丸みに沿って、体重をかけ、小さな姿勢のまま横たわる。そして、息を吸って床にからだを大きく伸ばす。収縮と伸展を繰り返しながら、じょじょにさまざまな姿勢に変化していく。

からだに、「どこをどう伸ばしたいかい?」とききながら、いろいろな姿勢にからだをねじったり、折り曲げたりしながら全身の各部に十分な酸素が行き渡るまでこれを続ける。終わった頃は、その日の探体を行なう十分な脳心身の準備ができているはずです。あとは、探体章以下に従って、自由にからだの闇を旅してください。

 

微細呼吸

口腔・鼻腔内粘膜の細胞呼吸を味わう。十分にゆらぎ瞑動などで日常体を鎮めた後に行う。からだじゅうに気持ちのよい体感が満ちてくるまでゆらぎ続ける。心地よさが満ちてきたら、ゆらぎの速度を突然超緩速に落とす。とてもゆっくりした速度でゆらぎながら、口をぽかんと開け、鼻または口からゆっくりと1ccずつ呼吸する。呆け顔になって、思考を止め、からだに聴きこむ。

新鮮な空気が口腔や鼻腔の粘膜細胞に触れたとき各細胞がどんな反応をするかに耳を傾ける。とても微妙だが強烈なことが起こっている。粘膜の細胞という細胞がざわざわと騒ぎ立てている。なんらかの信号を他の細胞に向けて発している。むずがゆい快感、しびれるような恍惚、微妙だがまぎれもなくなんらかのクオリア伝達物質が発せられている。それが全身に伝わり、全身が気持ちよいクオリアに包まれる。細胞たちは何を感じているのか、何を思い出しているのか、それらをたっぷり味わい楽しむ。自分が人間であることを忘れて、命が何億年も前に、クラゲやヒドラのような腔腸動物であったころのことを思い出す。それらの生き物になって口腔呼吸を味わう。

口腔の形を変形し、腔腸動物になりこむ。口腔だけではなく、体腔も変容し出せばそれに従う。いのちは長い長い時間を海の中で漂っていた。陸上で過ごしてきた時間よりはるかに長い時間を。だから誰でも意識を止めれば思い出せる。命に聴く。どの頃ががいちばんよかったかい?命の望む好きな生き物に変容していく。ときに粘菌、ときにアメーバ、日によって命が帰りたい時代は変わる。サブボディになりこんで、生命記憶の世界の旅がはじまる。からだの闇への大きな坑道が開く。ここがきみのサブボディの原生体への入り口だ(原生体については第11章2「原生体」参照)。

 

タオ呼吸

荘子に、「真人は踵(かかと)を以て息をし、衆人(しゅうじん)は喉(のど)を以て息をする」という一節がある。

老子や荘子のタオは、天地人をひとつに貫く巨きな生命潮流のようなものを指す。この踵呼吸は前の「生命の呼吸」に通じている。常人が喉で呼吸するのは、肺呼吸だけが呼吸だという人間的な観念に囚われているからだ。伝統的な呼吸法も、腹式呼吸やボトム呼吸にあまりにも長い間囚われてきた。だが、肺で呼吸しているのは生命の内ごくわずかの種に過ぎない。自分を人間だと思い込みすぎると、わたしたちが100兆の細胞の共振体であることを忘れてしまう。一つひとつの細胞にとっての内呼吸は、軟体動物や単細胞生物のようにからだ全体で呼吸しているものだ。命の呼吸を会得するには、100兆ある体細胞に学ぶことが肝要だ。踵だけではなく,からだじゅうの微細な部分が多次元的に呼吸している「多次元微細呼吸」を行うことが、いのちに近づくことを助けてくれる。

 

涌泉を開く

足の中心に涌泉というツボがある。ここは足の秘関の集中点でもある。このツボを開閉することで、長いリズムの生命の呼吸を感じる。また、通常の微細な呼吸につながってもいい。「真人は踵で呼吸する」という感じがどんなものか,よくわかる。大地や天の動きとからだが一つになる呼吸だ。

 

からだの百丹で微細に呼吸する

さらに、足の小指側の足刀や、踵の各部、拇指球から小指球などの各点を少し押したり反らしたりしてして呼吸する。脛、腰,胸の肋骨の一つが三次元方向にかすかに動かして呼吸する。秘腔や秘関,秘筋の一つ一つの動きが呼吸につながるのを感じる。部位によって味わいが微妙に異なる。その差異を楽しみ,味わい、深めていく。伝統技法では丹田は動きの中心点として上丹田、中丹田、下丹田、底丹田などに限られるが、踊りの場合はからだのどの一部からでも動き始めることができねばならない。文字通り身体各部の百の丹田で微細に呼吸し、どこからでも動き始めることのできるからだに変成する。

 

胎児の呼吸

わたしたちがしている呼吸は大きく二種類に分かれる。肺を通じて行っている外呼吸と、細胞単位で行っている内呼吸の二種類だ。呼吸をするとき、常にこの二種類を意識するのがいい。いつも肺呼吸と細胞呼吸の二重の呼吸をしていることを味わう。肺に吸い込んだ空気中の酸素が、赤血球に運ばれて各細胞にまで届けられる。呼吸をするとともに、腕や足を伸ばしたり、ねじったりすると、各細胞にまで酸素が行き渡っていくのを感じることができる。
そして、わたしたちが胎児のとき、どんな呼吸をしていたのかを思い出してみる。羊水の中に漂う胎児の口も鼻も気管も肺も水に満ちていて、外呼吸はしていない。胎児の血液中には母親の体内から酸素に満ちた血液が送り込まれている。その血液が体中の細胞に行き渡っていく。胎児が行っているのは細胞の内呼吸だけだ。大人のように二重ではなく一重の呼吸なのだ。いわば胎児は体中で世界を呼吸している。胎児が行っていた内呼吸はこれまで行ってきた<生命の呼吸>そのものである。いろんなリズムで体中の細胞の共振パターンが変化し、からだが伸び拡がったり、縮んだりしている。それを味わう。肺呼吸以外のもっとゆっくりしたリズムで生命の呼吸が行われている。自分が胎内で<生命の呼吸>だけをしていたころを思い出す。その呼吸はいまもからだで続いているのだ。肺呼吸のリズムにマスキングされて、聴きとりにくくなっているけれど、耳を澄ませばかすかに生命の呼吸を感じることができる。自分が人間であることなどまだ知らなかった、胎児の頃からそれを続けていることを思うとなんとも懐かしくなってくる。わたしたちが自我や自己であるだけではなく、生命であることを感じとる、これはとてもいい方法である。

 

調体一番 ふるえ瞑動

微細ふるえ

快適な場所を見つけ、生命の呼吸に耳を澄ます。どんな姿勢でもいい。からだ中の細胞が新鮮な酸素を得て少しだけ快活になり、うごめいたり膨らんだり、しぼんだりしているのをゆったり感じとる。からだに耳を澄まし続けていると、じょじょに心が鎮まり、やすらぎや心地よさが深まっていく。

 

ごく微細な震え

からだに耳を澄ましていると、からだの中に多数多様なふるえのクオリアが蠢いていることに気づく。からだのどこかから、ごくごく微細な震えが自然に始まってくればそれに従ってついていく。もっとも気持ちのよいリズムを見つけてそれについていく。気持ちよいふるえがからだ全体に波及して、他の場所に移っていけばそれに従う。

 

さまざまなゆらぎや、ゆすぶり

からだの各部が、いろいろな方向、サイズ、強さで、ゆらいだり、ゆさぶられたがっているのに身を任す。上下、前後、左右の三次元方向にゆさぶられるといままでに味わったことのない新鮮な体感がからだに満ちてくる。心ゆくまでそれを味わってください。ここまでは物理的な三次元での動きです。

 

忘れていた記憶や夢がとき解(ほど)かれる

味わっているうちに、その感触が忘れていた記憶を呼び覚ましたり、夢や想像につながっていくかもしれな。細胞には実に多彩な種類の震えの記憶が保存されている。寒さ、恐怖、驚きなどの記憶、愉快な震え、感動の震えなど数えきれない。からだと思いはつながっている。ふとした思いつきや、動きが出てくるかもしれない。からだからひとりでに出てくるものをすべて味わいつくす。サイズやリズムを変えると、違ったクオリアが出てくる、その変化を楽しんでください。

 

背後世界との多次元共振

ゆれやふるえがランダムな方向に、大きさ、強さをかえて増幅されていくこともある。からだが折れたり曲がったり、ねじれたり、倒れたりするかもしれないが、からだが勝手に動き始めるのに身を任せていく。

生命はいつも宇宙や世界の出来事と微細に共振している。地球の裏側で起こった遠い天災や事件を思い出したら、からだの細部がそれとどんなふうに共振しているか、耳を澄ましてからだごとついていく。

現在の出来事だけではなく、過去の出来事ともいつも共振している。ふと子供時代のふるえがよみがえるかもしれない。かすかに気持ち悪い内臓の感じに触れるかもしれない。ひとつの感じや情動に囚われるのではなく、別の部位の違ったふるえにジャンプする。からだじゅうにある多様な感じすべてに触れていくのがねらいだ。それによっていつも多次元かつ非二元のわけの分からないクオリアと共振しているいのちの現実に近づくことができる。

 

多次元生命共振探体

意識は少しでも気持ちの悪い感じに触れそうになったらそれを無視し、否定しようとする。それは意識や自我の習性だからしかたがない。でもふるえ、ゆらいでいるうちに、意識は鎮まり、そんな衝動も安らいでいく。すると、最初気持ちの悪いと感じた感じの中にも意外と面白いクオリアが潜んでいることに気付く。まだ味わったことのない稀な面白いクオリアへの好奇心が湧く。いつもひとつのクオリア共振だけではなく、無数に違ったクオリアがからだになかに満ちている。それを全部味わっていく。いろいろ思いがけないクオリアとの出会いを楽しみ、探る。これが多次元生命共振探体だ。20分間ほど続けよう。好きなように動きながら、思いがけない記憶や動きが出てくればそれについていくと短い踊りが出来上がる。からだの闇には自分では知らなかった創造性が潜んでいる。それをとことん開いていくのがサブボディ=コーボディ技法だ。お楽しみください。

 

調体二番 ゆらぎ瞑動

 ゆらぎ瞑動

静かな一人きりになれる場所を見つけて座る。足は自由にあぐらなど楽な姿勢で。椅子でも立った姿勢でも安全な場所を歩きながらでもいい。息を吸いながら背筋を伸ばす。息を吸う時、頭のてっぺんから背骨が見えない糸で空に吊るされていると感じると楽なからだになる。ハァーッと息を吐く。鼻から、あるいは口から。吐くとき糸に吊らされた背骨はそのままで、その他のからだ中の細胞が脱力して地球の中心に向かって落ちていくと感じる。これを数回繰り返すと、ぐんとリラックスできる。

呼吸をしながら、身体中の細胞が微妙にゆらいでいるのを感じる。はじめは、つぎの時計ゆらぎでからだの緊張やしこりを解きほぐすのがいい。

 

時計ゆらぎ

静かに長い呼吸をしながら、船にのっているとイメージする。自分ではなくて船が前後にゆれるのでからだがゆらされるにまかせて、前後にゆれる心地よい体感を味わう。心地よい前後のゆらぎが楽しめるようになったら、いろんな方向にゆらいでいく。大きな時計の中心に座っているとイメージして、12時-6時方向のゆらぎから、1時-7時方向に変わる。2、3回繰り返したら、2時-8時方向にゆらぎが変わっていく。…気持ちよい速度と振幅で、順次時計にそってゆらぎが変わっていくのに従う。思考や心の内語が無意識的に出てくることもありますが、それらが出てきたら、「いまは思考はおやすみなさい」とそっとお別れする。言葉を使っている状態の脳ではこれから入っていくもっとかすかな体感流動の世界に耳を澄ますことができないからだ。

 

全方向ゆらぎ瞑動

なにか見えないものに、思いがけぬ方向に動かされるままに、からだの姿勢を自在に変えていく。どんな決まりもない。瞑動から探体に連続的に変化していく導入路のひとつだ。

 

調体三番 三元瞑動

百丹三元

丹とは丹田の略で、動きを率先していく中心を表す。古典的な瞑想や体術では、腹(下丹田)、胸(中丹田)、頭(上丹田)の3つの中心を意識するが、舞踏はからだじゅうどこからでも見知らぬ動きが始まる。からだじゅうには百以上の関節や筋肉がある。これを百丹と呼ぶ。これらすべての関節がなにものかの見えない力によって、水平・矢状・戸板の三次元方向に動かされていくのに従う。円の動きからはじまり、それが8の字状のうごき、8の字が2つ直角に重なったクロスエイト、そしてランダムな動きに発展し、隣接部位から全身に波及していく。

 

脊椎三元

なれてきたら、脊椎ひつつひとつが、三次元方向に動かされる脊椎三元に進む。はじめは下記のように飛び飛びに脊椎が動かされることから始めるといい。

1.座位で、仙骨が水平次元、矢状次元、戸板次元の三次元方向に円あるいは、8の字、クロスエイトに動かされる。心地よいゆらぎの速度、サイズ、リズムを探る。

2.自分で動かすのではなく、なにものかに動かされているとイメージするとよりはやく、下意識モードに移行できる。動くたびに仙骨と骨盤の仙腸関節や、仙骨と第五腰椎の間の仙腰関節が微妙に開いたり閉じたりする。その微細な変化の中に無数のクオリアが折り畳まれて眠っている。そのクオリアに耳を澄ます。

3.仙骨の次は、野口三千三さんが名付けた「そへ」(へその裏=第三腰椎)が同様に三元方向の円またはクロスエイトに動かされる。

4.同様に、背中の中心(第十胸椎)、胸の中心(第五胸椎)、胴体の上端(第一胸椎)、首の中心(第四頚椎)、頭の中心(第一頚椎)、あご、舌、目の各十丹で、行い、微細で独特のクオリアが各部に深く折り畳みこまれていることを聴く。

5.立位に移って、胸骨、肩甲骨、肩、肘、手首、手、指、骨盤、大たい骨、すね、足首、足の各関節が三元方向に動かされるのに従いからだに耳を澄ます。各部の、各方向への動きがすべて少しずつ違う独特の味わいを持っていることが、じょじょにからだにしみこんでくる。

からだに潜るとはこの、からだの各部が持っている微細な違いの豊かさを味わうことだ。

やがてそれらのすべての微細なクオリアの差異を動きの中で自在に使いこなせるようになるまで続けてください。

 

秘関・秘筋・秘腔三元

調体3番は他の調体と自在に組み合わせることができる。

調体3番と5番を組み合わせると、秘関三元、秘腔三元など、忘れている部位が三元方向に動かされたり、伸縮されたりして、細胞に眠っている思い出せないクオリアを目覚めさせることができる。

 

百丹六道 

調体3番と6番を組み合わすと、調体6番の六道ゆらぎのクオリアを百丹に通す百丹六道に発展する。

その他の組み合わせをときに応じ、自由に実験してみてください。思いがけぬ発見が得られるはずだ。

 

調体四番 密度を運ぶ

からだの密度を固体―流体―気体と変化させる。普段の半流動的な状態から、流動性をまして獣体や現生体、流体になったり、気化したり、逆に流動性を失って固体となり、石や木や傀儡に変成する。密度の変化によって、からだは地球上のあらゆる物やエネルギーに、宇宙の万物に変容することができる。土方巽はこの変容技法を<密度を運ぶ>と呼んで重視した。

 

獣体への変容

四ツ位の背骨ほぐし

四ツ位になって、なにものかに頭と尾が前後に引っ張られ、長い背骨になる。背中に呼吸を送って膨らまし、広く長い背骨になる。猫の背骨伸ばし。次はその反対、胸と腹を広げて反り返る。肩甲骨と骨盤が狭くなる。しばらくこれを続けた後、尾から、あるいは頭からゆらぎはじめる。

ゆらぎからうねりへ、三元方向のくねりへ、螺旋へと増幅していく。あらゆる方向へ、背骨の間の空間が拡がる。

頭が矢状次元に円を描く。背骨が続く。逆方向。頭が戸板次元に8の字を描く。背骨が続く。じょじょに8の字が大きくなるランダムな三次元方向に8の字が拡がる。

魚位

床に長く伸びた魚位になる。伏臥位、側臥位、仰臥位で、小さなゆらぎ、大きなうねり、からだ全体の弓なり、などを行う。ねじれ、跳ね、背骨だけで跳ね返る。これは『病める舞姫』に出てくる、土方が好んだ床の上に打ち上げられた魚のレッスンだ(第10章『病める舞姫』参照)。

両生類位

背骨が床につくか離れるかの低い姿勢。手肘は八の字、膝足は逆八の字になる。この姿勢で背骨をさまざまに動かす。頭と骨盤と肩甲骨の関係を観察しながら山椒魚のうねりを体得する。両生類は水中の生活から陸上へ最初に上陸した生き物だ。そのときにどんな変化に直面したかを追体験する。

重力は? 呼吸は? その変化は子宮内の胎児から赤ん坊になって産み落とされたときの変化と共振している。

爬虫類位

山椒魚で内向いていた腕を限界までターンアウトし、爬虫類のからだになる。左右のうねりに上下のうねりが加わる。爬虫類特有の静止。獲物を見つけたら、頭、口、舌、背骨が反射的に反応して捉える。爬虫類脳だけで動くからだになる。

獣位

爬虫類の動きに、陸上の重力とその反作用を使った動きが加わる。頭、肩甲骨、骨盤、尾が協働して動く。さまざまな位置に獲物を見つけると、獣目、五体協働で飛び掛り捕らえ、喰う。三元方向に、這う、歩く、走る、跳ねる。逃げる。追う。獣の本能をすべて思い出す。

動物園の虎やライオン、ゴリラやさまざまな獣の動きを観察する。土方も幼い娘を連れて動物園に行ってじっくり観察した。自然の中にも家の周りにも手本はいっぱいある。家猫の後を同じ姿勢で一時間ほど尾行する。わたしはいっとき猫ストーカーになって修行した。自分の中にどんな獣の本性が潜んでいるか、瞑動しつつ自分独自の獣体を見つける。

 

原生体への変容

さらに全身から骨格が消え、アメーバなどの原生生物、あるいは想像上の生きものに変成する。かれらは細胞内の原形質の密度を運ぶことによって動く。ゾルからゲルへ、クリームからチーズへ。<密度を運ぶ>の先生たちだ。

 

気化体への変容

からだが十分に柔軟性を取り戻すと、からだの一部が気化し始める。頭は風船に変容し、吊り上げられていく。からだは風船に付いた糸のように頭の動きに従う。やがてからだ全部の細胞が気化していく。大丈夫、すべての細胞は30億年間の単細胞生活を送ってきた。そのとき、乾燥したからだは風に舞い上げられて、空中をさまよい続けた。そんな細胞の生命記憶が蘇って、からだが気化を懐かしむ。気化体はもっとも共振力が高い。わずかな風にも動かされ、舞い上がり、舞い落ちる。木の葉やホコリに変成するかもしれない。存分に楽しんでください。

 

固体への密度変化

やがて上空に上がって冷やされたからだは、凝結を始める。固体となり、舞踏でいう傀儡体への変成が始まる。石や木や金属など重く硬いからだに徐々に変成していく。からだが思うように動けないクオリア、だれかに動かされ、操作されているようなクオリアを思い出す。

これが<密度を運ぶ>舞踏テクニックだ。<密度を運ぶ>はのちに述べる<自在跳梁>とともに、ゆっくり動くだけのButohの単調さを逃れる重要なテクニックだ。心して身につけてほしい。

 

 


 

 

 




調体ゼロ番 呼吸

調体ゼロ番 呼吸

生命の呼吸

生命の多様な速度とリズム

命は実に多様なリズムで共振している。

これに対し、日常の意識状態では、大脳のニューロンとグリアの間で交わされるすばやくせわしないリズムに支配され、覚醒状態を保っているためそれ以外の長いゆっくりしたリズムに気づかない。とりわけ、考えたり、人と話をしたり、テレビを見たり、新聞を読んだりしているときは左脳の言語中枢と右脳のクオリアを感じている部分との間で激しいニューロン発火による電気信号が飛び交うため、からだやいのちのゆっくりしたリズムははるかにかすかなので感じることができない。

 

粘菌の原型質流動のリズム

粘菌のからだの中では原形質流動が行われ。1-2分サイクルで流れの向きが交替する。粘菌も、ロングタイドの生命の呼吸のリズムをもっている。

粘菌先生は生命について何から何までを教えてくれる、わたしにとって師の中の師だ。

 

 

生命の呼吸

わたしが塾生の何人かから学んだクレニオセイクラル・メソッドは、生命の呼吸に注目する。

肺の呼吸リズムとは別に、それよりもっと長くゆっくりしたリズム(30秒サイクルや100秒サイクル)でからだがくつろいで伸びていき、またしぼんでやすらいでいく生命のリズムをただ感じる。そのほかにはなにもしない。からだをゆっくりくつろぎながら広げていく。体液の流れがくつろぎながら広がっていく。そして重力を受け入れ、戻って静まっていく。潮の満ち干のように繰り返してされている命とひとつになる。すべての瞬間にからだを構成する100兆の細胞の共振パターンが刻々と変わっていくことを感じることができればなおいい。

生命の呼吸

生命は無数のリズムで、あらゆるものと共振しており、その中には、クレニオメソッドが見出した生命の呼吸というごくゆっくりしたリズムもあるということを感じる。

 

「人間」的囚われから自分を解放する

自分が何かに囚われていると感じたときはただちにこの「生命の呼吸」のリズムを思い出すのがいい。わたしたちは日常の自我や、解離されていた人格や、見知らぬ元型などにしばしば囚われる。そんなとき「生命の呼吸」を感じると、囚われていたものから距離をとり、自分が自分の命と共にあることを思い出させてくれる。何が起ころうとも大丈夫という天心の状態に心身を鎮めることができる。これは、あらゆるクオリアに身を預け、だが、同時にそれに支配されないための、必須の極意だ。生きる極意、新たな創造に向かうための極意だ。ただ、いのちになる。それを思い出し、それを感じるだけでいい。

 

 


 

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