2011年01月11日

あちらでは。

2011年、新年あけましておめでとうございます。

こちらでは、もう1年以上、更新していませんが、あちら(分家)では、ぼっつらぼっつら、更新し始めています。

→「〒カワチ日手紙〒 分家



subekaraku at 20:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!与太話 

2009年12月19日

Nikon D5000

 寒い日が続く。

 昨夜(ゆうべ)、仕事後、同じく仕事が終わったCとともに、大阪駅北口のヨドバシカメラまで。
 先日、Cに「待て」と言われた一眼レフカメラ購入の「お許し」が出たので、ワクワクして向かう。
 Cと相談した結果、購入候補としては、

  1.OLYMPUS PEN E-P2

  2.Panasonic GF1

  3.Canon Kiss X3

 で、つまりは、一眼レフといっても、コンパクトなサイズ(見た目・持ち運びやすさ重視)が欲しいと思っていたのだけど、お店の人にものすごく長い時間説明をしてもらった結果、一眼レフ初心者でも、一眼レフっぽい写真が撮りやすいのは、コンパクトなものではなく、センサーが大きいものを選んだ方が良いということで、だからといって、定番・王道嫌い(へそ曲がり。例えば、ケータイではぜったいdocomoを選ばない、というような)なぼくらであるから、Canon Kiss X3はやっぱりイヤだということもあり、なおかつ、液晶モニターがくるくる動く「バリアングル液晶モニター」という機能が気に入って、散々迷った挙句、「Nikon デジタル一眼レフカメラ D5000 ダブルズームキット」(メーカーサイト)を選ぶ。
 ニコンのデジカメのイメージキャラクターがキムタクなのは、ちょっと侵害だったけど。
 でも、そもそも、コンパクト一眼は値段が高かったし、10,000円キャッシュバックキャンペーンもあり、店員さんがいろいろサービスもしてくれて、安く買えた。

Nikon デジタル一眼レフカメラ D5000 ダブルズームキット D5000WZ

 買い終えたのは、すでにもう閉店の時間(21:30)を過ぎていて、疲れたので、すぐ上のレストランフロアに行き、エレベータのすぐそばにあった「播州や」というお店で夕食。
 久しぶりに少し呑んだ。最近は、ほんとにお酒を呑むことが少なくなっている。

 帰宅したのは、0時すぎ。
 それから、Cは翌日の友人の結婚式の準備をし、ぼくは、さっそくカメラをいじる。記念すべき第1枚目は、部屋でマニュキアを塗るCの姿だった。
 いろいろやってて、眠ったのは、2時すぎぐらいだったろうか。



 今朝、6時半起き。
 7時に予約してある美容室(will)までCを車で送り、Cがセットしてもらってる間も、待合室でぼくは、説明書を見ながら、カメラと格闘。その後、大阪駅までCを送る。
 美容室って、あんなにはやい時間から開けてもらえるものだとは、初めて知った。
 Cは、神戸空港近くのホテルに向かった。今日、結婚式を挙げるのは、大学時代の部活(バドミントン部)の後輩。新郎も新婦も同じ部員どうし。

 Cを見送ったぼくの当初の予定は、どこか公園とか、海とか、山とかに車を飛ばして、そこで「D5000」で撮影しまくる、と思っていたのだけど、眠すぎていったん家に戻ったら、そのまま夕方まで昏々と眠ってしまった。
 せっかくのひとりっきりの休日なのに、すごくもったいないことをした気分。

 だから、結局、何にも撮影しなかったけど、Cを送った帰りに寄ったガストで飲んだコーヒーと、自宅前で、愛車をパチリした。全然一眼レフっぽくない。
 もちろん全然まだ使いこなせていない。

DSC_0023


http://a05-b05.mypicturetown.com:80/P2PwebCmdController/cache/.FNY4YqIbZXyChz38N%3D21zuBkn-%26DWQV%25p-MRIeWghCf49B%3DoCbLDPYX349amzE%25/item.JPG?rot=1

DSC_0029


http://a05-b05.mypicturetown.com:80/P2PwebCmdController/cache/kuTV_p61nFXxu2FdlP-g%26PaKI7j8X%26NttOjJ02IH6LrFPM_dh%257BpSHL%26KFH0oq5/item.JPG?rot=1





subekaraku at 21:27|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!与太話 

2009年12月17日

好きな感覚

 今日はとつても寒かった。
 朝、バイクのエンジンがなかなかかからなかったのは、ガス欠だけのせいではないだろう。カブは燃費が良く、ガソリンを入れるのをよく忘れる。エンジンがかかりにくいな、よくエンストするな、と思って、ガソリン表示を見てみると、もうほとんどなかったりする。走ってて、途中で止まったことも何度かあった。わりとこわい。

 とつても寒かったので、帰ってきて、すぐにお風呂を沸かし、お米を研ぎ、炊飯器のスイッチを押して、お風呂に入った。
 お風呂に入ったとき、湯船に浸かりながら、たまに左の薬指の指輪を外す。
 外すと、お風呂に入ったときのしあわせ感とともに、少し解放感がある。
 それから、ちょっと、外した指輪を指でゴシゴシしたりもする。それだけで、くすんでいたものが、若干輝きを取り戻す。

 ぼくは、身に付けるものは、といっても、とくに何も身に付けないけれど、キーホルダーのキャラクターとか、ケータイのストッラプの先に付いている小物とかは、すぐに無くしてしまうのだけど、この結婚指輪は1年と数ヶ月、無くさなかった。
 もちろん、無くしたら、妻からものすごい制裁が待っていることがわかっているから、ということもあるけど、なんとなく気に入っているからだと思う。



 仕事は、年末っぽく進む。
 気づかないように目を逸らしていたことが、今年も残り半月になって、そうも言っていられなくなった。

 でも、年末特有の仕事のなかで、「年末調整」だけは、わりと好きな作業だ。
 所得税の還付金が戻ってくる、ということもある。
 でも、それだけじゃなくて、これまで控除してきた所得税の端数を切って、端数のない年税額に数字を揃える(整える)感覚が好きなのかもしれない。
 これは、今の職場で働き始めて、経理や事務という仕事を始めて5年と少し経って、だんだんと培ってきた感覚であり、楽しみでもある。
 数字が、ことばのように語りかけてくる、ということが、実感できてきている。

 でも、昨日、ある職員(男性)の年末調整をしていて、提出された「扶養控除等(異動)申告書」と「保険料控除申告書兼給与所得者の配偶者特別控除申告書」を確認していたら、住所が変わっていて、なんとなく見覚えのある住所だな、と思って、記憶を辿ったら、それは、何年か前に辞めた職員(女性)の住所で、「ああ、いっしょに住み始めたんだな」ということが推測された。
 ほんとは、引越して住所変更したら、ぼく(事務)に届けなきゃいけない(住宅手当や通勤手当や、その他いろんなことを変更しなきゃいけない)んだけど、まぁ、そんなことはとりあえず置いておいたとしても、ぼくにとって残念だったのは、ぼくは以前、その女性に好意を持っていて(その後、発展はなかった)、彼にそのことについて相談したりしていたのに、今回、いっしょに住み始めているのに、何も報告がなかった、という自分勝手なものだった。

 年末調整は、いろんなことがわかる。



 朝、コンビニに缶コーヒーを買いに寄ったら、「BRUTUS 2010年 1/15号」を見つけたので、購入。
 表紙は多部未華子。あんまり知らない。パラパラとめくれます、表紙。

 昨日は、眠る前に布団で『エスパー魔美 2』(藤子・F・不二雄大全集)を読んでました。
 復刊ドットコムで「藤子・F・不二雄大全集」を注文したのが、月々配本されてくるのです。

BRUTUS (ブルータス) 2010年 1/15号 [雑誌]




subekaraku at 20:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!与太話 | お仕事

2009年12月15日

CにCメールする

 あっという間に、冬だ。

 今日は念願のボウナスだった。
 賞与率は下がったし、結婚してみると、毎月の給料もボウナスも、すぐ「家計」行きなので、あんまり実感がないのだけど。

 更新していない間に、入籍(2008/08/26)、結婚式(2008/10/18)からの1周年も過ぎてしまっており、かといってとくに何をしたわけではないけれど、とりあえず不仲になっているわけでもなく、ありがとう、妻。ありがとう、みなさん。

 また、母が逝ってしまって(2009/06/11)からも、半年が経った。
 最近の週末は、母関連でお世話になった人たちの忘年会が続く。
 まだ母のことは、全然思い出す。ひとりでバイクを走らせているときや、入浴中や、眠る前など。
 先々月、生前、母がつくっていた織物や陶器や雑貨などの作品の展示会を開いたり、それに合わせて母を偲ぶ会を50人ぐらい集まってもらって開いたのだけど、そのとき自分でつくったスライドショーを先日チラリと見てみたら、今でも泣いてしまったので、自分でも驚いた。



 ボウナスが出るということからか、昨夜(ゆうべ)、物欲が出た。

 仕事帰りに急に思い立ち、バイクで梅田の「好日山荘」まで走り、patagoniaのパーカ(DAS Parka[Golden Palm])を買ってしまう。気に入ったので、レジで値札を取ってもらい、その場で来て帰った。
 帰り道も、これまでの薄いウインドブレーカーに比べると、格段に暖かかった。



 
 好日山荘の後、大阪駅北口のヨドバシカメラまで走る。
 一眼レフカメラが欲しくなった。
 定番の、Canon Kiss X3にするか、コンパクトなOLYMPUS PEN E-P2か、Panasonic GF1にするか、などで迷ってる。
 別に、何を撮りたいというわけでもないのだけど。
 基本的に、そんなにこだわりはないので、すぐに買ってしまいたくなるが、一応、CにCメールすると「待て」との返答。
 店内は、平日の夜だというのに、とんでもなく人がたくさんいた。

Canon デジタル一眼レフカメラ Kiss X3 ダブルズームキット KISSX3-WKIT

OLYMPUS マイクロ一眼 PEN E-P2 レンズキット ブラック E-P2LKIT-BLK

Panasonic デジタル一眼カメラ GF1 レンズキット(20mm/F1.7パンケーキレンズ付属) エスプリブラック DMC-GF1C-K



 最初はCと当番制だった夕食の用意も、すっかりぼく担当になってしまった。
 今夜のメニューは何にしよう? 夕刻が近づくと毎日そんなことを考えている。



subekaraku at 15:59|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!与太話 

2009年07月21日

溶連菌感染症

de278ef4.JPG

















 衆院解散。なんで万歳するんだっけ?

 朝も帰りも雨上がってた。原付通勤者には幸運。朝9時ごろから1時間ほどは豪雨だった。豪雨なのに蝉が鳴いてた。
 昼過ぎ、雨が止んだのを見計らって、郵便局へ。仕事ついでに、先週末、特定記録(なんで郵便局は「配達記録」郵便をなくしちゃったんだろう)で届いた、母のゆうちょ銀行の相続関連の手続きも済ます。ゆうちょ銀行だけ、手続きがすごく遅い。その次に遅かったのがりそな銀行。その他の銀行は、思っていた以上にはやく手続きが済んだ。公的なものに近かった金融機関ほど、まだ公的なサービスの名残りがある。
 んで、その手続きを郵便局のイスに座って待ってたら、テレビが置いてあって、今さっき調べたら、テレビ大阪の「午後のサスペンス」という枠で、「京都丹後殺人街道・伊根―天橋立―宮津」というドラマの再放送だったのだけど、そこに坂口良子が出ていて、ぼくは、30年前ぐらい、すごく幼いころ、彼女がとても好きだったことを思い出して、初恋の女性に偶然再会してしまったように慌てた。



 1〜2週間ぐらい前から続いてたのだけど、昨夜(ゆうべ)あたりから、顕著に左下腹部、そして腰が痛くなり、身体も暑さのせいだけではないような、だるさが出てきた。
 ここに書いたかどうか忘れたけど、実は、ぼくは、母が死んで1週間後の6/18(木)、その日からCも休んで、2泊3日で和歌山の海まで母の散骨に出かける予定にしていたのに、その日の朝、目覚めたときに、いやな喉の痛みがあって「これは風邪じゃない予感がする」とCに言って、とりあえず旅行に出かける前に病院で受診してみよう、ということになり、2月にインフルエンザだと診断されたことのある自宅近くのH耳鼻咽喉科に行ったら、「溶連菌感染症」という、後から調べたら、おもに小さな子どもが罹る感染症だと言われ、そのすぐ直前に、皮膚がえらく荒れて皮膚科に行ったりもしてたのも、実は、その溶連菌が原因だったらしくて「抗生物質を1〜2週間飲んで安静にしておけば、とりあえずは安心」だと医師から言われたものの、医師はまた「唾液などで感染する病気なので、抗生物質を飲み終わり、症状が引くまでは、大皿にもった料理を家族と食べたりしないように」とも言われ、さらには「その症状が引いた後、中には1ヶ月〜2ヶ月ぐらいで、菌が体のなかにまだ残っていて、腎臓などに感染し、重い人では人工透析をしなきゃいけなくなる人もいるから、1ヶ月〜2ヶ月後に血尿とかの症状が出たら、ちゃんと病院に行ってください」とも言われ、それが、ちょうど今ぐらい時期になる。

 もちろん、そのとき、和歌山散骨旅行は中止で、母宅に帰ってからは、どんどん熱が上がってきて、うんうんうなってたんだけど、喉の痛みと熱は2、3日で引いて、その後も10日ほどわりときちんと抗生物質を飲んでいたら、とくに何も気になることはなかったんだけど、もともと、ぼくは血尿体質というか、20代前半辺り、初めて血尿を出したのは、東京→長野に向かう特急あさまの車内で、そうだ、長野オリンピックの開かれる前年の夏だから、1997年のことで、特急列車のトイレのなかで、「もうぼくの人生は終わった」と思い、それからというもの、とくに働き始めてから、何かの具合で(ぼくにとって)ストレスフルな状態が続くと、血尿あるいは尿路結石という症状に陥る。
 だから、ひと月前、医師から「腎臓に感染するかも」ということを耳にしてから、脅えてはいた。
 さて、病院に行くべきか、否か。
 いや、行くべきだろうけど。



 米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫)を読みながら、今夜ははやく寝る。

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)




subekaraku at 19:27|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip! | 与太話

2009年07月20日

本籍地へ

 先週の土曜日(18日)は、「どん疲れ」で夕方までごろごろ。
 16時すぎに起きて、Cとともに、車に乗って鶴見の自宅に寄って、去年9月の新婚旅行のお土産(屋久杉の切れ端)を3つ取って、それから谷町九丁目まで走り、ちょっとだけお茶して、Cはそのまま鶴見に帰り、ぼくは、もう3年も前になる社会福祉主事資格を取るための講習会で出会った人たちと会うために「や台ずし」に向かう。
 途中、コンビニに寄ったら、猛烈に便意が襲って、約束の18時に少し遅れたけど、まだ誰も来てなくて、席に座る。すぐにYさんが来て、久しぶりの再会、2年ぶりぐらいだろうか。1時間ぐらいふたりで呑んでたら、Wさん、登場。あとひとり、Nさんが来るはずだったのだけど、ホームレス支援関係施設で勤めているNさんは、ここのところの派遣切り騒ぎでたくさんの入所者があって忙しいらしく「行けない」との連絡が入った。
 それから、ほんとうにみっしりと話して、0時前になり、「ハッ」と既婚者であることを自覚して、Cに電話する。「ごめん、しんどいやろうけど、車で迎えに来てくれると嬉しい。YさんやWさんにも会ってほしいし」と言うと、不機嫌ながらもOKしてくれる。
 0時半すぎ、C到着。Wさんはぼくらの二次会にも来てくれたので、2度目だけれど、Yさんは初対面なので、お互いに紹介する。それから、Cの運転で、平野区・喜連瓜破(Yさん)と、枚方に住む(Wさん)を送り、それからまた鶴見の自宅に帰ってきたら、もう2時で、ふたりとも即寝。
 この夜は、それなりに呑んだけど、覚えてない、とか、気分が悪くなる、とか、暴言を吐きまくる、とか、それほどのことはなかった(と思う)。
 YさんもWさんも、母のこと悼んでくれた。ありがとうございます。



 昨日(19日)は、またまた昼前まで寝てて、食事してから、Cの元職場でもあり、ぼくとCが出会った場所でもあり、またぼくとCの本籍地でもある、兵庫県加東市の「やしろの森公園」に出かける。
 母もずっと「やしろの森」には行きたい、と言っていて、結局、連れて行ってあげられないままだったので、写真と骨瓶持って、車で出かける。
 実は、母の相続関係の手続きに必要な、ぼくの戸籍を取るために、先月15日(月)に、加東市役所までは来たのだけど、そのときはただそれだけをしにとんぼ帰りしたので、「やしろの森」に来るのは、去年の6月以来(参照)だった。

 門真ICから近畿道に乗り、吹田ICから中国道、そして、ほんとはひょうご東条ICで降りるのがいちばん近いのだけど、Cが、懐かしき東播磨界隈の道路をちょっとぶらっとしてみたいということで、吉川(よかわ)ICで降りる。雨上がりの田んぼ道、やっぱり走ってるだけでも落ち着いた。
 14時前に「やしろの森」着。事務局の人や、スタッフの人に挨拶して、1年ぶりの森をさっそく歩く。いちばん奥の田んぼは、大きくなった稲の間に、すでに小さなアイガモが放たれていて、賑やかにピーピー。田んぼ近くの東屋でゴロリと寝転ぶ。その後、みのりの広場に入ったら、Oさんがつくった竪穴式住居はすでにちょっと朽ちてたけど、きのこがズラリと並べられており、びっくり。
 ふらふら歩いてたら、事務局の人から電話があり、その日の目的でもあった、Cの元先輩である愛すべきAさん、Tちゃん、おふたりの子どもで明日7/21に1才の誕生日を迎えるSくん、そして、Yさんご夫妻、事務局のNさん(新婚)と久しぶりに出会う。ゆっくり話をしたり、再度、森のなかをぶらぶら歩いたり。途中、雨が降ってきたけど、それもまた良かった。森の、緑の、土の匂いが充満。

CA3B0367


CA3B0368


CA3B0369


CA3B0370


 17時過ぎに解散し、空腹だったぼくとCは、加東市内の、味処「豊後(ぶんご)」で、ぼくは海鮮丼定食、Cは白身魚フライ定食、それから、その日は土用の丑の日だったので「うなぎのせいろ蒸し」を食し、それから「パティスリーアプレシエ」で濃厚プリンを買って、滝野社ICから中国道へ。
 半ば想定内のことではあったけど、3連休の中日でもあり、神戸三田から17kmの渋滞。途中、大雨も降ってきて(聞いてたラジオでは、ちょうど走ってた播磨東部に竜巻注意報が発令されてたりした)、ほんとに疲れたので、西宮名塩SAで休憩。1時間ほど仮眠。守口の母宅に戻ってきたのは、22時ごろだった。
 Cの鞄から、母の写真と骨瓶を取り出して、棚に置き、ふたりともすぐ爆睡。



 今日はCは休み。
 ぼくは仕事だった。朝はまだ雨が降っていたものの、昼から上がる。
 帰宅して、ふたりでDVD「プリズン・ブレイク ファイナル・シーズン」を見る。なんのことはない、グダグダの展開になってきているけど、見るのは止められず。

プリズン・ブレイク ファイナル・シーズン DVDコレクターズBOX1 <初回生産限定版>



subekaraku at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!旅の度に | 与太話

2009年07月16日

ぼくの妹

 生前からなんとなく知っていたことではあるけれど、相続手続のため、母の戸籍(除籍)謄本を、母の出生からすべて取り寄せてみると事実として、母は「2度結婚し、2度離婚していた」ことがわかった。
 1度目の結婚(昭和47(1972)年)は、どうやら中学からの同級生のIさんという人で、遺品を整理していたら見つかった結婚式のときの写真には、若かりし母の横に、黒縁メガネの「海外の人がイメージする日本人像」にぴったりな男の人が写っていた。確か、母の話ではIさんは、IBMに勤めていた人で、結婚するなり船橋(母は「トーキョー」と言っていたが)に転勤になり、「日本の会社では初めて給料が銀行振込だった」(母・談)らしい生活をほんの数ヶ月だけ送って、大阪に舞い戻ったらしい。戸籍上では、たった10ヶ月の婚姻期間しかなかった。
 そして、2度目の結婚(昭和49(1974)年)は、Iさんとの離婚から1年も経たない後の、ぼくの父となる人で、これまた遺品を整理していたら見つかった結婚式(母は、ぼくが結婚式をする、と言ったときに「わたしは結婚式なんて大げさなことしなかった」と言っていたが、きちんと2回、大勢の人を招待して開いている)のときの写真では、これまた若かりし母の横に、猿顔の「まさしくぼくの父」だとわかる人が写っている。そして、父とも戸籍上では、たった2ヶ月の婚姻期間になっている。ぼくが生まれるひと月前の7月に籍を入れ、ぼくが生まれたひと月後の9月に離婚している。偽装結婚みたいなスピード破局だ。

 母は自分の人生にフィクションを持ち込むことが大好きな人だった。
 わざとではない、と思う。ある出来事をおもしろく演出して、他人に話しているうちに、それが自分のなかでは事実になってきていたのだと思う。
「人生」とまでいかなくても、日常的にそうだった。子どものころのぼくはそれを「嘘つき!」とか言って怒ったり、大人になってからも「おかあさんの言うこと(自分についての昔話)はアテにならんからなぁ」と言っていて、それを母は断固否定した。

 母が若いときにアメリカのサンフランシスコにひとりで(「姉といっしょに」と聞かされた人もいる)旅して、帰りの船賃がなくなり、教会を渡り歩いて、ホームレスの人と寝泊りしてた、とか言う話だって、サンフランシスコに行ったのは、写真が残ってるからほんとうだと思うけど、その後の話はどうだかわからない。祖母の加護から一歩も出たことのなかった母が、そんな冒険をするとは思えない。
 そういった類の眉唾ものの「冒険譚」はいくらでもあり、それはそれでおもしろいから別に「事実」でも「事実を基にしたフィクション」でもどちらでもいいのだけど、今回、相続手続にあたって、いちばん困ったのが「母にはもうひとり子ども(女の子、ぼくにとっては妹)がいる」という話だった。
「IBMのIさんとの間にできた子で、今でもどこかで暮らしている」とか「誰の子かはわからないけれど死産した」とか「父(→Iさんなのか、ぼくの父なのか、それとも別の人なのかわからない)といっしょに交通事故に遭って死んでしまい、そのかなしみに耐え切れず、ぼくを連れて、和歌山だか福井だかの断崖絶壁で身を投げ捨てようとしたこともある」とか、とにかく「妹の存在」を軸に、母の死後、母の友人・知り合いから、ぼくはいろんな話を聞かされることになった。
 相続手続からすると、母の子が、ぼく「ひとり」なのと、妹と「ふたり」なのとでは、相当違いが出てくる話なので、いろんな市役所に行って戸籍をもらうときも、注意して見ていたけれど、結局「妹はいない」ということが、戸籍上は、なんとか判明した。

 でも、どうして母はそんな「妹」話を多くの人に話したのだろう? とは、思う。
 まったくの嘘で、多くの人にそんな話をする必要があるだろうか。
 もしかしたら、どこかで、ぼくともうひとり、母の血をひいた人がいるのかと思うと、すごく会ってみたい(ただ、今更「妹」がいるということが判明したら、ひとりでもものすごく面倒だった相続手続をやり直しということになる)と思う。
 


 今日は仕事後、鶴見の自宅に寄って届いていた郵便物などを整理し、それから、母宅に帰って、米を研ぎ、炊飯スイッチを入れ、炊き上がるまでの間、「ワールドサッカー ウイニングイレブン 2009」をプレイ(最近は「BECOME A LEGEMD」という、オリジナルの選手をつくって、プロサッカー選手の人生を体験できるというゲームモードを楽しんでいる。もちろん、名前は「すべ からく」。トップ下のMFをやってる、まだ若干18才の選手)。
 炊飯器がピーピー鳴ったので、豚肉と水菜で料理していたら、Cが帰宅。阪神−中日戦見ながら夕食。

ワールドサッカー ウイニングイレブン 2009

 「八木研」のサイトから、「現代仏壇」の資料を取り寄せた。
 母の遺影や骨壷たち、今のまま、ふつうの飾り棚の上に置いたままでも構わないと思うのだけど、一応、どんなのか知りたくて。



subekaraku at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip! | 与太話

2009年07月15日

MAILER-DAEMONさんからのメール

 昨夜(ゆうべ)は、阪神−中日をサンテレビで見て、1ヶ月ぶりにヒットを打ったという桧山(進次郎)のお立ち台インタビューを聞いて桧山好きなぼくは嬉しくなり、その後、よみうりテレビで、ぼくも住んでいたことのある兵庫県西脇市出身の長谷川穂積があっという間にネストール・ロチャをノックアウトしてしまったのに不信感というか、長谷川穂積自身というよりは、その中継をしていたよみうりテレビの番組制作の姿勢に不快感を覚え、そして、寝る前に、大塚英志『物語論で読む村上春樹と宮崎駿 ―構造しかない日本』をペラペラと読みながら、なにやらこれは、村上春樹や宮崎駿(そしてぼくが本書のなかに読もうと思ったきっかけである中上健次について)書かれてある、というよりは、大塚英志の個人的な怒りの書というか、憤懣の書というか、非承認への抗いというか、そういう感じのよくない読後感を生む本かも、と思ったりしていたら、先月末に会った京都在住のEくんが、村上春樹の話をしていたときに「ぼくは『アンダーグラウンド』を読むと落ち着くんですよね」と言っていたことを思い出して、「え、あんな内容なのに?」とぼくが意外そうに訊ねると、「そうなんです、あそこに書かれているひとりひとりの人たちのことを思うと、事件に遭ったからどうこうっていうんじゃなくて、そこにある生き方というか、日常というか、そういうものに触れると、とても落ち着くんです」と言ったEくんのことを、そして、Eくんがとてもいい人だと思ったことを思い出した。

物語論で読む村上春樹と宮崎駿  ――構造しかない日本 (角川oneテーマ21 A 102)

アンダーグラウンド (講談社文庫)



 先週の土曜、7/11、つまり母が逝ってしまってちょうど1ヶ月経ったことになる日は、珍しく早起きして、Cとともに地下鉄に乗って梅田へ。
 母の友人で、陶芸や織物や加藤登紀子のコンサートなどにいっしょに通っていたらしいSさん(女性)に、10/14〜20に予定されている母の「遺作展」(大量に遺された織物や陶器、それから水彩や色鉛筆のスケッチや手芸作品を一同に展示する予定)の会場でもあり、そこの織物教室にも通っていた「さをり織り」の教室に連れて行ってもらう。
 週末ではあったけれど、まだ9時過ぎであったため、待ち合わせ場所の紀伊国屋書店横のBIGMANもまだ人は多くなく、でも、ずいぶん繁華街と言われるところからは遠ざかっていたぼくであるからして、地下鉄の東梅田駅からそこに歩いて行くまでにさっそく人いきれに酔った。待ち合わせ時間の10時まで、喫茶店でモーニングを食す。
 10時ちょうどにSさんと会い、中津の「さをり」の教室まで案内してもらう。阪急電車が通る高架のすぐ横の三角ビルの3Fにその教室はあり、何台もの織り機があって、そこが母が足しげく通った場所だと思うと、いろいろなことを思った。病院にいるとき、母のお見舞いにも来てくださったHさんの姿もあって、お礼を行ったり、しばらくうろうろさせてもらう。
 その後、その「遺作展」の中日(10/17)に開くパーティーの会場でもあり、また、母が陶芸教室(ゆう工房)にも通っていたCafeゆうに寄り、ちょっとした打合せ。
 それから、お昼前まで、阪急の高架下の「阪急古書のまち」近くの喫茶店で、Sさんと3人でゆっくり話す。話をしていると、Sさんはやっぱり「正義の人だ」と、ぼくは思った。小笠原諸島の、ある島から早稲田大学に入り(小笠原諸島だって、東京都なんだから「上京」とは言わないんだろう)、その後、大阪府入庁。以来、児童自立支援施設→子ども家庭センター(児童相談所)勤務で、ずっと児童福祉ひと筋の人。

 だんだんと街に人が多くなり、また気温も上昇するなか、ぼくは、前日知らない間にネジが抜けていて、セロハンテープで止めていたメガネの修理に茶屋町のalookに寄り、強烈な便意が訪れたので、LOFTにも寄り、さらには、また東梅田駅まで戻るのが億劫になったので、そのまま中崎町界隈までぶらぶらと歩き、cafe パラボラで、ぼくはオムカレーを、Cはハンバーグを食べて、「ONE PLUS 1 gallery」で「おんなのこ展」を見たりして、中崎町駅から帰った。

オムカレー


CA3B0366


 母宅に戻って、少し昼寝して、少し掃除したら、母が逝って1ヶ月だから、ということで、遠く(兵庫県揖保郡太子町)から、またCのご両親が来てくれて、また、畑で獲れたたくさんの野菜やスイカを持ってきてくれ、母にも手を合わせてくれて、それから、幼いころのぼくを撮ったであろう8ミリフィルムと映写機が出てきたから、なんとかして見ようとCのお父さんががんばってくれたのだけど、映写機がどうにも動かず、その後、4人で焼肉を食べに行った。
 なんだか、カゾクみたいだ、と思った。むろん、もうずっと家族なんだけど。



 ここ数日の仕事は、5月末で定年を迎えた調理場の人の退職&継続雇用手続きに没頭。いったん5月末で退職し、6月から再雇用(雇用継続)された、という、ややこしい手続きをしなければならない。雇用保険(高年齢雇用継続給付)、健康保険・厚生年金保険(資格喪失・資格取得)、民間社会福祉事業従事者共済会(脱退・入会・退職給付金請求)、福祉医療機構(退職手当共済金請求・加入)などの書類づくり。職員の人に説明など。
 今日は、さらに、最近、盲腸で欠勤していた職員の健康保険の傷病手当金請求の手続きなども。

 仕事後、またM銀行に寄って、同い年のお客様相談課長と、ファイナンシャルプランナー2級の女性と、母からの相続金についての打合せに向かう。
 すでに窓口は閉まっていたので、ATMに備え付けられている電話で中の人を呼び出し、閉店後の、でも、まだワサワサと人が残ってる銀行内に導かれた。すごくびっくりしたのは、それから支店長室に招き入れられ、支店長自らの挨拶を受ける。
 その後、そのまま支店長室で、母からの相続金を、定期預金・変額個人年金保険・投資信託(リスクの少ない)に分散して預ければどうか、と提案される。投資信託なんて、ぼくには一生関連のない出来事だと思っていたけれど。

 19時半ごろ、銀行を出て、すぐ近くの栗林書房に立ち寄り、「BRUTUS 2009年 8/1号」(特集:ニッポン鉄道の旅)を購入。

 母宅に帰宅したのは、20時半ごろ。
 母宅←→職場は、約15kmの原付(リトルカブ)通い。ふつうに走って、50分ぐらいかかる。原付で50分走る、というのは、なかなか骨が折れるけれど、最近は、この週末や来週末に予定されている各地域の夏祭りの準備などの風景も垣間見れたりして、おもしろい。
 母の写真に「ただいま」と言って、シャワー浴びて、久しぶりにビール呑もうと、1本を母の写真の前に、もう1本をグビグビやってたら、すぐ眠くなる。

BRUTUS (ブルータス) 2009年 8/1号 [雑誌]

 今日、予定メモ的なものを、母のPCにメールしたつもりが、先月末で解約した母のケータイにメールしてしまって、数分後に「届きませんでした」とMAILER-DAEMONさんからのメールが返信されてきた。
 それが、自分でも意外に思うほど、ガツンときて、仕事中だというのに、泣けてきたりした。

 暑い日が続く。



 母のスケッチブック(20冊ぐらいある)に残ってた絵のひとつ。

IMG_0004_NEW