-「お姉さんは人間ではない」
街中に現れたペンギンの様にご飯を食べなくても全く問題ない、街中を出ようとするとペンギンと同じ様に体調を崩す、ペンギンが普通のペンギンでない様にお姉さんも人ではない。

 これを見る方は恐らくペンギンハイウェイをもうご覧になっているだろうと思うからもう細かい事は言わないです。

もう本題に行きますね 。
「お姉さんは全てを知っていたのではないか?」という所です。
 
最初見た時は思わなかったんですが、もう一度見てこの仮説が思い浮かびました。

まず、お姉さん自身が人間ではないという描写は最後の最後で明かされますが、所々に「あれ?」となる場面はありました。

まずはペンギンの実験成功の後にお姉さんの部屋に遊びに行く場面。
パスタをアオヤマ君は食べているのにお姉さんは全く口をつけていない、食べないのに作るということはアオヤマ君にその事を隠したかったんではないかと思います。

ウチダ君のペンギンが消えてしまった駅で同じ様に体調が悪くなる場面。

お姉さんの部屋の時点ではまだお姉さんが人間じゃないというのには気がついていないと思うんです。
それが場面が進む毎にアオヤマ君がそれを理解していく所、そしてそれを認めたくないという気持ちを感じ取れることができます。


そしてバスターミナルでお姉さんがアオヤマ君の目の前でペンギンを出して、
「私というのも謎でしょう」「この謎を解いてごらん。どうだ。君にはできるか?」という言葉。

〈海〉の中にお姉さんと一緒に入った時の
「もしこの〈海〉が消えて世界が完全に修理されたら私はどうなるんだろう」からの会話。
 
〈海〉が消え、海辺のカフェでの
「私も、私の思い出も、みんな作りものだったなんて」からの会話。

お姉さんはいつもアオヤマ君に疑問を投げ掛ける様に話しかけていました。

そして最初の仮説になる訳です。
海も、ペンギンも、ジャバウォックも、自分が何者なのかも全て分かった上でアオヤマ君に謎を問いかけたんじゃないかって。

知らない様な素振りもそういう風に振る舞えばバレない訳ですし、色々考えてみてこれが一番辻褄が合うんじゃないかって思います。


後は少し逸れますが序盤と終盤の「僕が大人になるまであと三千と〜」のくだりを見て思ったのは、
お姉さんはアオヤマ君が大人になる為の試練を与えたんじゃないかと思ってます。

僕が感じたのはこんな感じです。


あと個人的に映画版は原作よりも救いがある様に感じました。
原作ではもう二度と会えないとアオヤマ君が思う、という所で終わりますが映画版だと最後にペンギン号が見つかる所で終わる所が凄く良かったですし泣きました。

二回見て二回泣きました。

ペンギンを空目した時にまたお姉さんが目の前に現れてくれるんじゃないか、いや現れてくれ。
そしてまたアオヤマ君に「少年」って言って欲しい、そんな気持ちになりました。

宇多田ヒカルの主題歌「good night」で「ぐんない」を使ってくれたり...
最後の「この頃の僕を語らせておくれよ」は将来お姉さんに再会したアオヤマ君の言葉なんじゃないかって勝手に思う事にしています。

本当に良い作品なんです。
今この夏の終わりに映画館で是非見て欲しい作品だと思います。