2017年04月01日
鶏は今、自社の環境管理規程の書き換えに奮戦しております。
何しろ、今ある規程は『ISO認証だけを目的にした』ものですから、今更になって『現実として使い物になっていない』って言われるとツラいんですよね。
そのため、審査員様様様猊下のISO世界観が何であろうと、現実路線に舵を切った規程に書き換えるしかないんです。つまり、現実にやっている管理をそのまま文書化すると。
しかしながら、これはこれで中々大変なんですよ。
何しろ、現実の管理ってヤツはバーチャルワールドとはワケが違うので、文字起こしをしていると量が膨大になってくるんです(際限が無いとも言う)。
でも『今ここで』やっておかないと先々必ず苦労しますし、何より今はISO14001規格の2015年改正という・・・『いい機会』なんですよね。
さて。
『機会』と言えば、ISO14001:2015年改正には『リスクと機会』という概念が入って来ました。鶏はこれを『良い事(機会)だからと何も考えずに突き進むと、そこにリスクがある』という意味に捉えていたんです。
ですが。な〜んか、こう違うんですよね。
今作り直している規程と規格を見比べていると『そういう解釈』では、どうも文脈的に整合が取れないというか。
『リスク』は、まだ良いんですよ。リスクは。
元々、管理ってヤツはリスクが現実のモノにならないように手を打つためのモノですし。それに規格にも定義でワザワザ『リスクとは不確かさの影響のことである』と書いてありますしね。
なので各々の管理でありがちな、例えば廃水処理管理には『処理が失敗して悪い水を放流してしまう』とか、公害防止管理者の選任には『管理者が退職して居なくなる』といった危険性がある事を、規格では『リスク』と定義としているんだなと分かるワケです。
ところが、ここで鶏が悩んだのが『機会』なんです。
『一体、規格の言う機会とは何を指しているんだ?』という疑問に駆られまして。鶏は頭を抱えました。何しろ困ったことに『機会』の方は規格に定義が無いもんですから。
でもね、そういうのって大概にして『新しい概念』では無いんですよ。大抵は『いや、それだったら普通にしている事だよ?』って話なんです。なので、そういう視点から考えておりまして。
鶏頭ながら色々と考えた結果。
規格要求の前後の文脈などから、鶏はひとつの結論を見出しました。それは『規格の言う機会とは、要するにリスクが現実化する前に手を打つ事を意味しているのでは?』という事です。
上記の例で言うならば、廃水処理管理で『処理が失敗して悪い水を放流してしまう』というリスクは大抵の場合『いきなり顕在化する』事は現実的には稀でして。
それ以前に、例えば薬品タンクが空になったり、水槽が満タンになったりする『危険状態』が継続してから顕在化する、すなわち『緊急事態に繋がる』んです。
そこで多くの場合、そうした処理施設では『薬品タンクが空になったら警報を出す』とか『水槽が満タンになったら送水ポンプを止める』などのシステムを組み、そのような事態がリスクの顕在化(緊急事態)にならないよう、手を打ってあるモノなんです。
こうした『そんな事もあろうかと用意していた(真田副長)』が、規格の言う『機会(opportunity)』では無いのかと。英語のopportunityは、偶然の意味合いが強いchance(チャンス)とは違い、自分の力で用意するものと言う概念だそうですし。
公害防止管理者にしてもそうです。
『該当者がいきなり死亡』というケースは稀でしょう・・・無くはないですが。けど、普通は定年や転勤で居なくなるケースが大半だと思います。ですから該当者の勤務可能年数を把握しておけば『そろそろ補充が要るやろ』と手が打てる・・・というか、普通はそうしてるハズなんですよ。
つまり、規格が『リスク及び機会の特定』と言ってるのは『リスクが特定出来ていないと手の打ちようがないし、リスクの顕在化を予備的に検知して食い止める手段がないと、いきなり緊急事態だろ?だから、そのリスクに呼応した機会を用意してるんじゃないのか?』という意味かと。
ん?そう考えると旧規格の『予防処置』も、本来はそういう意図だったのかな?
ま、何れにしろ鶏にとってISO規格は管理を勉強する上での『いい機会』でございます。
2017年03月23日
選択の科学で有名な、コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授が東欧で講義をした時の話です。
教授はコカ・コーラやスプライトなど6種類の炭酸飲料を用意し『お好きな飲み物をどうぞ』と勧めたところ、生徒は意外な反応を示したそうです。彼らは6種類の炭酸飲料を前にしてこう言ったのです。『先生、どれでも良いです。だって、どれも中身は炭酸なんでしょ?』と。
そりゃま、確かに『どれも炭酸飲料だ』と言われればその通りです。でも、これが仮に日本だったら『じゃぁ私はスプライトで』とか『オレはペプシが良い』という具合に『好み』が分かれることでしょう。
似たようなモノが溢れる資本主義社会においては『微妙な差』が決定打になる可能性がありますが、永く共産圏で計画経済国家だった東欧では『微妙な差』は『微妙な差』でしか無い・・・という事ですね。
その点、資本主義社会は違います。
競争相手や敵を出し抜かないと自分が飢え死んでしまうという点において、野生のジャングルと本質的に何も変わりありません。だから何としてもライバルとの間に『差』が欲しいところです。
もっと言えば『価格』以外で勝負が出来ないと、安売りをして自分で自分の首を締めることになりかねません。これがつまり『ブランド価値』ってヤツですね。
しかし、このブランド価値ってヤツはあくまで消費者が勝手に抱く『イメージ』です。
ですから、企業側がコレをコントロールするのは困難を極めます。何にどう価値を見出すのかという価値観は人それぞれの個性だからです。
例えばパナソニックやトヨタのような誰でも知っているブランドが、それでも巨額の費用を掛けてスポーツの後援をしたりスポンサーになるのは、そうしたスポーツに興味のある人達に『親近感』を持ってもらう為だそうですね。それもひとつの『ブランド・イメージ』というものでしょう。
最近、とある『環境の講演会』の案内が来てまして。
そこには誰でも名前を知っているような中部の大企業が数社、発表者として名を連ねておりました。
鶏にとって『環境』とはつまり『公害防止』であり『省エネ』であり『経費削減』であり『順法の維持』です。
しかし講演の表題を読む限り、彼ら大企業の『環境部門』が考えている『環境』とは、ずばり『ブランドイメージの向上』なんですよ。
要するに彼らは『排水の水質を維持するためにどうするか』とか『廃プラの分別をどうしていくのか』といった瑣末な話はどうでも良くって『環境に良い企業というイメージを持ってもらい、それを企業イメージの向上につなげることで、他社より高くても当社の商品を買って欲しい』という事にしか興味が無いんです。
しかしなぁ、と鶏は思うんですよ。
ホントに『それら』は企業のブランドイメージ向上に対して、効果的に寄与するんでしょうか?
何故かそう思うかと言うと。
鶏は昔、社用で某サ▲ヨーの研究所の前を往復していた時期がありました。その研究所は『鳥がハネを広げたような』ハデな外観で、屋上には太陽光パネルが全面にズラリと並んでおり、如何にも『環境先進企業でござい!』という出で立ちでした。
しかし、ご存知の通りサ▲ヨーは露と消え去る運命を辿りました。
理由は色々あるでしょうが、鶏は、サ▲ヨーのトースターが『電源コードが20cmくらいしかなく、延長コードを買わないと使えない』事にキレて以来、2度と使ったことがありません。
逆のパターンもあります。
名古屋で有名なB級グルメのひとつに『天むす』があります。海老天を具にしたオムスビですね。これを最初に作った惣菜屋さんは、全くTVやメディアに露出しません。理由は『今でも充分に客は来ている。宣伝は必要ない』からとか。
クルマの世界ですが。
アメリカでは今、スバル・ブランドが急激にブランドイメージを高めているそうです。中古車のリセール価格も高く、新車インセンティブ(販売店のマージン※米国では1つの店舗で複数のブランドを扱う)も、他ブランドより2割以上安い(それでも数が売れるから販売店が欲しがるという意味)とか。
何故でしょうか。スバルは今、かつて席巻したWRC(世界ラリー選手権・欧州で人気がある)からも手を引いています(ルールの関係で出せるクルマが無い)。
その理由はやはり『現物の良さ』なんですよ。
日本では大きな意味をもつ燃費(スバル車の弱点)の話は、ガソリンが安い米国では問題視されませんし、あらゆる場面で安定した動力性能を発揮する事が評価されているようです。
スバルが東北電力からの『雪の山間部を安心して走りたい』という要望を受け、悪路でも安定して走れる4WD車を作りだしたのは1970年の事だそうですから、これがブランド・イメージとして米国で結実するのに半世紀近くかかったことになります。
ですから。
そんなね、言っちゃぁ何ですが『途上国に木を数本植えました』なんてぇ話で、ブランドイメージがどーのなんて・・・お気楽に過ぎるんじゃ無いでしょうかね。顧客を馬鹿にしてはいけません。
そんな処に投資する金があれば、もっと現場に使って品質や性能を上げることに専念した方が『実入り』があると思いますよ?
・・・聞いてます?『ブランドの環境価値』()を語る川中サマ?
