2017年04月23日
『Management(マネジメント)』は英語ですが、元々の語源はフランス語の『マネジ』で『馬の手綱を引いて言うことを聞かせる』というニュアンスだそうですね。
企業におけるマネジメントの重要性を最初に提言したのは、フランス人のアンリ・フィヨールですから、語源がフランス語でも不思議は無いんですが。
何と言うかなぁ。
『ああ、そういうイメージなのかな』って感じはしますね。『労働者は馬と同等で、人間扱いしていない』というか。
以前にもそんな事を書いた記憶ですが、フランス語で労働を意味する『トラヴァイエ』は日本語的に意訳すると『強制労働』に近いのだそうです。なので『その価値観が常識』の世界から見ると、日本の職人が高いコメットメントを持って能動的に仕事をしているのは、とても異質なのだとか。
最近、某ネット上のアンケートで『支持政党は?』という問いに、10代・20代の60%が『自民党』と答えたそうです。また、今年の東大新入生に同様のアンケートをしたところ『支持政党なし』と『自民党』がほぼ同数の35%を獲得し、民進党の『3%』に10倍の差をつけたとか。
この結果を知ったパヨク界隈の皆様が『自分たちが搾取される側である自覚が足りない!』と騒いでいたのを見ましたが・・・『資本家による労働者からの搾取』という概念は、元々が中世欧州の『強制労働』思想から来ているものであって、江戸時代にお殿様からして借金漬けだった日本に、そのまま当てはめるのには無理があるのかも知れません。
ロボット3原則で有名なアイザック・アシモフ氏の説によると。
『西暦0年頃の欧州では、奴隷制度は当然であった。そのため、聖書にも奴隷制度に何の言及もない』とか。言っておきますが、飽くまでアシモフ氏の言ですからね!念のため。
そう言えばローマのコロッセオ(A.C60年頃)での生死をかけた闘技も、奴隷の役目でしたしね。アレは庶民に娯楽を提供するのが目的ですから、奴隷同士が戦って死んだり、虎やライオンと戦わされて食い殺される事に対して『同じ人間の生命だろう!』という感覚は『当時の常識としては』無かったのでしょう。
中世に入ってからも、そうした欧州人の差別意識、階級意識は変わりませんでした。
コロンブスが探検先から本国に送った手紙の中にも『当地の民族は奴隷として最適』と記されていたと聞いた事があります。
第二次世界大戦の頃、欧州列強は各国を一等国から三等国まで分類し、一等国は三等国に対して何をしても良い、と解釈していたそうです。当時の大日本帝国は第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約の折、こうした状況を見かねて『人種平等』を条約に盛り込むよう、訴えたそうですが『却下』されたとか。
このような歴史に育まれた『土壌』の価値観の社会では、使役する者と使役される者との上下関係は絶対と言えるでしょう。
映画『トランスフォーマー2』で、主人公がIT企業の『郵便物配達係』という職にありつく描写があります。文字とおり『メールボーイ』ですね。日本では考えにくいですが、米国ではメールボーイが専門職として認知されているワケです。
無論、郵便物の配達なんて付加価値がある仕事じゃないですし、8時間みっちりと作業があるワケでもありません。なので、日本的感覚から言えば『いい若者(しかも男性)に、させる事では無いだろう』となります。つまり『給料が勿体無い』と。
でも、彼らの社会では問題無いんです。何故なら、その分だけしか給料を払わないから。大した仕事をしないのだから、カネもそれなりにしか払わないというフェア(公平)理論ですね。ある意味、そうした人間を『同じ人間として扱わない』のでしょう。
管理の話に戻ると。
科学的管理の父である、フレデリック・テイラーの『標準作業』思想もまた、日本人的感覚から言えば、人間性を考慮していないと思います(個人的感想)。無論、だから悪いという事でもないですが。
彼の提唱した『標準作業』とは、もっとも効率よく作業を行う人間の行動を細部に至るまで分析し、それを低効率の作業者に対して忠実にコピー&ペーストしてあげる事で、最高レベルの効率に引き上げることを意図していました。いわば現代で言うところの『ロボットのティーチング』に近い感覚かと。
しかしながら人間にはロボットと違って個性があります。
何しろ、人間は筋力・筋質や体格がバラバラですし、得手・不得手とか好き嫌いがありますからね。『仕様』を定めて設計製作されるロボットとは異なるのです。
サルトルに言わせれば『人間はハサミ等と違って、機能設計されて生まれているのでは無い。逆に当人の状況に合わせて機能が付加されている』といった感じでしょうか。
なので『これがベストのHow toだ』と言われても、そのように出来るか出来ないかは別問題で。ある意味『近くはなるが、そのものではない』といった感じを持ちます。
ISOの『コミットメント』もそうですが。
規格では、経営層に対して『コミットメントを実証しろ』と要求?していますが、構成員に対しては『作業の持つ、環境(品質)上の影響に対して認識を持たせろ』というだけで、コミットメントを要求していません。
これは、日本の感覚から言うと逆ですね。
直接に『製品』を扱う作業者にコミットメント(強い職業意識)が無ければ『良いもの』は出来ないと考えるのが『普通』だと思います。QCとかでもそうですが『全員参加』とか『意識の共有』とか、好きですから。
何故ISOが構成員に『コミットメント』を要求しないのか。
それはつまり、上記のような歴史的背景が理由でしょうね。何しろ『馬車馬として鞭で打たれながら走り続けろ』と言われれば、誰だって前向きな姿勢にはならんでしょうし。
よって、欧米では作業者が仕事に対して『コミットメントしない』ので、要求事項に書けなかった、と(笑
流石、本場の『グローバル・スタンダード()』は違いますね!
submarin707jp at 06:37│コメント(2)
この記事へのコメント
1. Posted by おばQ 2017年04月28日 23:10
なるほど、そうだったのか!
我々企業人は奴隷で審査員が貴族だったのだ
そして今奴隷解放戦争が進んで平民に落ちた貴族が文句を言っていると・・・メモメモ
我々企業人は奴隷で審査員が貴族だったのだ
そして今奴隷解放戦争が進んで平民に落ちた貴族が文句を言っていると・・・メモメモ
2. Posted by 名古屋鶏 2017年04月30日 07:12
おばQ様
>平民に落ちた貴族が文句を言っていると
明治時代の廃藩置県で領地を返還した殿様は、何処も苦労をなさったようですね。そういう題材の落語(汁粉屋)があるくらいですから。
ISOも今まで散々根拠の乏しい貴族生活をしてきたのですから、これからは存分にそのツケを払って頂ければよろしいのではないでしょうか?
>平民に落ちた貴族が文句を言っていると
明治時代の廃藩置県で領地を返還した殿様は、何処も苦労をなさったようですね。そういう題材の落語(汁粉屋)があるくらいですから。
ISOも今まで散々根拠の乏しい貴族生活をしてきたのですから、これからは存分にそのツケを払って頂ければよろしいのではないでしょうか?