2017年04月23日
「リーダーシップとは何か」という話なんですが。
ハーバード大学は『世界で最も学費が高い(年間600万円とか)』と言われおり、その学生も『金持ちのボンボン』ではなく、大企業の管理職とか国家支援での留学生が『今の自分に必要なもの』を得るために、通うと言います。
さて、そうした環境でリーダーシップについて講義を行うハイフェッツ教授はリーダーシップについて、こう言いました。
『リーダーがリーダーシップを発揮するのではない。リーダーシップを発揮しているのが、リーダーなんだ』と。
すなわち、リーダーとは役職や地位を指す言葉ではなく、集団を『ある方向』に目掛けて動かすための役割を果たしている人の事を指すのだとか。
ハイフェッツ教授は、歴史的に見ても有能なリーダーとされる人は最初から『その地位』に居たのではなく、リーダーシップを発揮した結果として『その地位』に就いたのであると言います。
なるほど、ナポレオンはただの兵士からの成り上がりですし、悪名高いヒットラーも元々は『売れない絵描き』で第一次世界大戦時は『連絡兵』、戦後は『政府のスパイ』として反政府組織に入り、そこから上り詰めてドイツを仕切るまでに至ったのでして。日本でも豊臣秀吉なんかは良い例ですね。
こうした『リーダーとは地位では無い』という考え方は、むしろ日本的と言えるのかも知れません。『影の立役者』なんて言い方がありますが、No2や参謀が表に出ずして裏で根回しするってのは、日本では良くある事ですし。
逆に、そういう意味ではワザワザ『違うよ』と断りを入れる辺り、米国では『リーダーとは地位である』という概念が浸透しているのかも。
ISOの要求事項では、トップマネジメントに『コミットメント』と『リーダーシップの実証』を要求しています。なるほど、高位の役職者が有能か無能かで組織のパフォーマンスに大きな違いが出るのは民主党(民進党)政権の時に、我々は痛感しましたが。
(現民進党代表が不倫した議員に『人間のすることではない』と言ったが、震災の電気不足の折に同一人物が『病院を停電させても、バチンコ屋は停電させるな』と語ったのは、それこそ人間のセリフとは思えなかった。アレは朝■玉入れ屋の手先としては有能だったのであろう)
欧米では兵隊(現業職)と参謀(管理職)、将軍(経営層)が明確に区分されています。兵隊は兵隊として言われた通りに働く事が求められ、参謀は作戦(計画)を立案する事が求められ、将軍は戦略を決定して戦費や物資の調達に責任・・・と言う具合。
そのため、欧米では日本のように『黙って見てるだけ』タイプのリーダー(トップ)では、何も進まないワケなんですね。
しかし日本は違います。
日本の場合は中間層に当たる構成員が、ある時は『兵隊のように最前線で働き』、またある時は『将軍のように戦略を考える』と。
例えば明治維新で活躍したのは、西郷隆盛や岩倉具視、勝海舟といった『中間層』であり、実質的に彼らが新時代への移行を担ったと言っても過言ではありますまい。
このように中間層が自律的かつ遊撃的に働く(役割に明確性が無い)組織にあっては、ISOが掲げるような『トップによる環境マネジメントシステムに対する積極的関与』というのは『邪魔』でしか無いワケで。『まぁ、いーですよ。細かい事はこっちでやりますから』ってなモンでしょう。
幕末と言えば。
有能な幕臣にして攘夷派だった小栗上野介は、権力争いに負けて故郷に辞した後にあっても攘夷を思い、最悪の場合は『将軍の首をすげ替えても』と考えていた『フシがある』と言われ、斬首されたという説があるそうですね。
つまり、幕府にとって『将軍』とはそのように部下の信任があればこその権威、という位置づけだったんでしょうね。そのような組織では『オレが全部決めるから』とは行かないでしょう。
それを考えると、多くのISOコンサルタントや認証機関が『トップの関与が強化されー』というのが空虚に聞こえて仕方ありませんわ。
あ、元から空虚(バーチャル)だったか・・・
submarin707jp at 11:37│コメント(2)
この記事へのコメント
1. Posted by おばQ 2017年05月08日 22:15
うーん、確かにリーダーシップというものはそうなのかもしれませんが、ISO14001で求めているリーダーシップなるものはちょっと違うようです。
ISOでは人の上に立つものならばするのが当たり前ってのをしろと言っているだけのようです。
ISOでは人の上に立つものならばするのが当たり前ってのをしろと言っているだけのようです。
2. Posted by 名古屋鶏 2017年05月09日 19:52
おばQ様
>人の上に立つものならば
福沢諭吉の「人の上に人を造らず」は、実はアメリカ独立宣言からの引用だそうですね。
人の「差」は「学問に励んだか、励まなかったかの差である」というのが、翁の提言です。ならば、如何なる地位にあろうとも満足に至らず謙虚に前進する必要がある、という事でございましょう。
>人の上に立つものならば
福沢諭吉の「人の上に人を造らず」は、実はアメリカ独立宣言からの引用だそうですね。
人の「差」は「学問に励んだか、励まなかったかの差である」というのが、翁の提言です。ならば、如何なる地位にあろうとも満足に至らず謙虚に前進する必要がある、という事でございましょう。