2017年05月10日
つい先日『最新のヴァイオリンとストラディバリウスを聴き比べたら、最新の方が評判が良かった』というニュースがありました。
実は。
現存する全てのヴァイオリンは『ストラディバリウスの究極コピー』を目指して作られているんですね。形状、寸法、材質等々・・・ストラディバリウスは徹底的に研究されています。なので、音質に『違い』が聞き取れくても不思議は無いのです。
ストラディバリウス以前のヴァイオリンは、今とは違ってバラエティに富んだものでした。しかし、ストラディバリウス以降、それがあまりに素晴らしかったが故に『それが唯一無二の正しい形である』として、その全てがストラディバリウスに向かってしまったと。
実際、音だけでストラディバリウスを判断するのはプロでも難しいとされ、高級品との聴き比べでは、その正答率は6割程度に留まるとか。
今回の『聴き比べ』では、ひとつの事がハッキリしました。
それは、ストラディバリウスは美術的・学術的・骨董的・希少的価値を充分兼ね備えているものの『至高の音源』とは言い切れなく成っているという現実です。つまりヴァイオリンの『正しさ』が揺らいできたワケです。
これは仕方の無い事と言えるでしょう。
何しろ、技術の進歩のみならず『何の音が好まれるか』は時代と共に変化するものですし。いつまでも王者ではいられない宿命かと。
このように『唯一無二の絶対的正しさ』というモノが『有る』と考えるか『無い』と考えるのか。鶏は、この違いこそが民主主義と社会主義の違いだと思います。
中国や旧ソ連のような社会主義国家では『絶対的正しさ』を『有る』と考えます。何しろ『社会』という集合体は『ひとつ』ですからね。故に政党も共産党ただひとつですし、政府に歯向かう人民は戦車の下敷きにして粛清するワケです。何しろ『正しさ』の敵は『悪』なのですから。
逆に、民主主義国家は『絶対的正しさ』を『無い』と考えます。何しろ『民』は国民の数だけ存在するわけですから個々の主観もまた、民の数だけ存在しますんで。
このように『絶対的正しさ』が無い社会では、集団の方向性を決める際に『合議と評決』という手段が用いられます。何しろ指標となる『正しさ』が無いので『幸福量(納得)の最大化』を図るしかないのです。
今、国会では民進党などが何かと言うと『審議拒否!』を振り回して『何が何でも絶対反対!』という戦術をとっています。別に好きして貰えば結構ですが(棒)。
本来の野党の仕事は少数意見を国会に持ち込むことで多数派だけの意見に飲まれず、少数派に配慮する部分を審議することにあるハズです。それこそが『幸福の最大化』だと思うんですけどね。
現状では、彼らは党首の二重国籍問題とかガソリンプリカとか3000億円の行方とかは別にしても、与党どころか野党の役目すら満足に出来てないように思えてなりませんわ。役目を果たさないのであれば、野党としても国会に送り出す意味は無いでしょう。
韓国では新たな大統領が選出されました。彼の公約は『親日派の一掃』だとか。
何しろ彼の国では『先祖が日帝に加担した』事で、子孫から財産を没収する親日罪なる罪がある国ですから不思議は無いかも知れませんが。ほとんど、やっている事は中世の魔女狩りと大差無いようにも思えますけどね。
何故、彼の国では『それ』が人権問題にならないのか。それは、親日派を一掃することが『正しい行い』だからです。
韓国は儒教、とりわけ『正しい行いをしましょう』と教える朱子学の教えが色濃く残る文化です。そのため世間的に『正しい』とされる事は、法理も道理も歴史的事実も関係なく『正しい』のです。
しかしながら、環境側面に『有益』と『有害』の両方の環境影響が出るのと同様に『正しい』とされる行いからも『いい影響』と『悪い影響』が出てくるものです。慰安婦合意を破棄することが、国民情緒的に『正しい』事であったとしても、そんな事をすれば日本政府はもう二度とこの協議には応じないでしょう。
それどころか、あらゆる二国間協定において多大な影響が出るのは間違いありません。何しろ『後からいくらでも引っくり返される』と分かっていて素直に契約する馬鹿は居ないからです。
どのような政策(policy)を持っていようと、それは内政ですから勝手にすれば良い事です。問題は、それによって生じるリスクを制御出来るかどうかに掛かっています。まともな神経をしていれば、制御不能なリスクを放置してまで政策を進めることは怖くて出来ないと思うんですが。
おっと、彼の国では人民そのものが『火病』という制御不能なリス(以下略
submarin707jp at 19:57│コメント(2)
この記事へのコメント
1. Posted by おばQ 2017年05月10日 22:05
なるほど、そう言われるとよくわかります。
朝日新聞は絶対的な正しさを追い求めているように思えます。それがあるかないかはともかくとして
読売新聞は常識的にこんなものだろうってことをものさしにしているように感じます。
人間生きていくには清濁併せ呑む必要があり読売でなくちゃならんわけですね。
朝日新聞は絶対的な正しさを追い求めているように思えます。それがあるかないかはともかくとして
読売新聞は常識的にこんなものだろうってことをものさしにしているように感じます。
人間生きていくには清濁併せ呑む必要があり読売でなくちゃならんわけですね。
2. Posted by 名古屋鶏 2017年05月11日 07:15
おばQ様
>読売でなくちゃならんわけですね
鶏は竜党ですから「読売」には賛意しかねますが(笑
ただ、親会社の中θ新聞も最近は赤端と大差無い電波ですからねぇ。「自分たちの見方・考え方のみが正しいのだ」と 言わんばかりです。もっとも、これはある意味間違ってないかと。何しろ「正しい意見」とは、すなわち「自分の意見」の事ですから。
「地獄とは他人の事である」byサルトル
>読売でなくちゃならんわけですね
鶏は竜党ですから「読売」には賛意しかねますが(笑
ただ、親会社の中θ新聞も最近は赤端と大差無い電波ですからねぇ。「自分たちの見方・考え方のみが正しいのだ」と 言わんばかりです。もっとも、これはある意味間違ってないかと。何しろ「正しい意見」とは、すなわち「自分の意見」の事ですから。
「地獄とは他人の事である」byサルトル