環境

2009年04月23日

え・・・久し振りの更新なんですが・・な・・何かやりにくい気が・・(^^;)

ずいぶん前の話ですが、ウチの工場であった実話なんですがね。生産管理の人間と現場の人間が製品を手にして、やりあってたんですよ。
「・・いや、だから私の図面が最新なワケで・・・」「え?何を言ってんのよ?オレの持ってるのが”最新”だって聞いてるぞ!!」
てな具合ですわ。別に漫才やってるんじゃぁありませんがね。どちらの図面が”最新”かってコトでして。そりゃまぁ、改訂履歴を見ればいいんですが。

どーゆーことなのかは分かりませんが、ISOをご指導くださる先生様は「文書は最新化しなくてはなりません」と仰せでしてね。審査員先生様の仰せは神のお告げと信じて疑わない無垢の民々はこうした「お告げ」を何の疑いもなく信じるんですよ。困ったことに。でもって「よいか、文章は最新化せねばならぬのだ!」と下々に下知するんですな。それがために、かような馬鹿話が起きるんでして。
ISOの9001にしても14001にしても、文書化の要求項目には何処にも「最新化」なぞとは書いてないんです。あくまで要求されているのは「適切な版」なんですね。つまり「最新版管理」ではなく「最適版管理」なんです。本来は。
ウチの品質管理が規定の改訂部分を配付してきたので、「何時までに差し替えるの?」と聞いたら「最新の文書にする必要があるから1ヶ月以内だね」と返してきましたな。
果たして1ヶ月も前の文書が「最新」なのかどーかは別としても。それって何か意味があるんでしょうか? 極端な話、1ヶ月が1年であろうと、その文書を私が在職中に1度も使用しないのであれば、全くもって無問題なワケです。しかし、逆に明日にでも使用する文書であれば、1ヶ月なんて余裕はナイんですよ。即刻差し替えないと不適合になるハズなんですよね。
そもそも”最新化”とは言うものの、完璧に最新化することなんて不可能なんですよね。文書は承認された瞬間に”最新版”が誕生するワケですから、先生様の仰せを忠実に実行しようと思ったら、上司の承認を得た、その瞬間に全ての配付されている文書が魔法の如く一斉に差し替えられないといけない事になるんです。そんなことできるハズもないし、意味もないんです。大事なのは「最適版化」を「確実にする」ことなんです。
前述の場合、生産管理が犯したミスは「最新の版を配付した」で、終わってしまった事なんです。本気で「不良を作らないようにしないといけない」と思うのであれば、担当に電話の一本も入れて「おい、形状変更が入ったから、図面を見ておいてね」と念押しをする必要があったんです。
今ではウチの会社でも、図面変更は全て会議を通すというルールになっていますから、こうした馬鹿なトラブルは無くなった・・・のかな?
何れにしろ、図面管理とかの実務を長くやっている人は、大事なのは最新化ではなく「最適な版を如何に確実に理解させることだ」ぐらいのことは当然の話でありまして。
何せ、先生様の仰せってヤツを鵜呑みにするは危険ですわな。一度よく考えないと。

ウチの会社でも「ISOでは文書は発行前に承認されなければならぬ、とある。従って文書発行書(これこれの文書を配布しますよ、というメモ紙)には、担当が捺印し、上司が承認しなくてはならぬ」という迷信が蔓延ってまして・・・アホな・・要求されているのは「(改訂された文書の内容が)適切かどうかの観点から承認」しろって話であって、単なるメモ紙に何ゆえ役員の印鑑が要るのやら・・ちったぁ考えればいいものを。

ま、“人間の言葉を喋る神様”ってのは何時の世にも胡散臭いもんではありますわな・・


2008年11月27日

実を言えば。
その昔に、私の会社で最初にISO4001の認証を受けた時には”有益な側面の抽出と評価”というモノが存在いたしましてね。今にして思えばアホな話なんですが・・

システム構築の黎明期当時、アチコチの審査を見学しているときに「有益な側面云々」という話をよく聞いていたものですから、とりあえず審査で”不適合”を出さないようにするための方便として作ったワケです。どーゆー風にしたかと言えば、所謂”有益”とされる、生産性向上や品質改善のための小集団活動や、ペーパーレス活動、TPMなんかの活動を項目ごとに並べ、それを”環境への配慮”とか”市場からの要求””経済性”などの観点から0〜2点の得点をつけ、合計点が基準を超えたら”有益な著しい環境側面”として登録する、というものでした。
それらの活動は別に「著しい環境側面」でなくとも実際にチャンと動いている内容ですから、審査の際には「・・・今年はこの部分を改善して○%の不良を減らしました」とご説明申し上げ、審査員が「おぉ、それは環境にいいですね」で○が貰える、という段取りです。

この前、知り合いの事務局が「その仕組みのフォーマットと関連規定が欲しい」と言ってきたので、一式揃えて渡したんですが・・・

しかしねぇ・・・

以前に書いたんですが、そもそも環境側面に「有益」とか「有害」なんて概念は存在しないんですよ。そもそもソレが大きな間違い。
審査員さんは「有益か有害かを問わず」とあるでしょ?とか言いますがね。「それ」は”環境影響”の定義であって”環境側面”の定義じゃぁナイですよね?あくまでも「影響=結果」「側面=原因」ですから、影響=側面なんて図式は有り得ないんですよ。
何も環境に限らず、何かひとつ行動を起すと、それらよって色んな影響が出てくるんですよ。例えば乾燥炉の燃焼改善(環境側面)をして、その結果燃料の使用量が半減したとします。確かに環境的には非常に良い、誉められた行為ですし、会社経営にも貢献したと言っていいでしょう。しかし、それがために燃料を納入している業者の売上は突然に半分になるんですよ。業者にしてみれば、これは大事件ですよね。冗談じゃない!って思いますよ。地球環境を守るために、オレだけがホサれるのか!って。

どんな側面であろーとも、有益な影響と有害な影響は同時に発生します。
有益だけ、なんて都合のいい側面は有り得ないんですわ。
「え〜・・・有益な側面が・・・」
なんてホザいている審査員サマは、人生経験とゆーか、自分の人生に哲学ってぇモンが決定的に欠落している唯の日和見主義者でしかナイ、と私は思ってます。


2008年10月18日

むか〜しの歌に「眼と眼で通じ合う・・」というのか゜ありましたがね。
でも実際には、組織としてチャンと仕事をするためには、会話か文章で"コミュニケーション"をとる必要がありましして。

随分前に、某リネン(洗濯)業者さん(ISO14001取得済み)の工場に出掛けたことがあります。結構、立派な大きなトコロでしたが。
そこでは、引き受けてきた洗物を巨大な洗濯機にかけ、排水は自社処理して下水に流しておりました。
で、ですが。
とーぜんですが、下水に水を流すには「下水道法」による排水基準をクリアする必要があるワケです。
排水処理を実務として経験したコトがあるヒトなら分かると思うんですが、排水の処理ってヤツは、「原水の性質は"多分こーゆー風だろう"」という仮定というか想像を前提にしてるんですよね。従って、突拍子もないよーな成分が含有されてたり、濃度が想定を超えていたりするともう、完全にお手上げなんすよ。実際には。
この会社の場合、原水の性質を左右する要因とは何か、と言えばこれはもう間違いなく、洗物についた汚れ、汚濁物質の質と量ですわ。なので、排水の水質を管理するためには、自社の設備管理だけでなく、ユーザーに対して「妙なモノを付けたり、大量に付着させたりして、いつもと違う洗濯物を混ぜないでください」という確約をとりつけないとダメなんですよね。
排水処理施設とゆーヤツには「得て不得手」ってモノがありまして、その種類によって簡単に落ちる(分離できる)汚れとそーでない種類があります。なので、ユーザー側から"不得手"な汚れが付いた洗物が返却されると、排水基準を外れることだって、不思議じゃぁないんです。

と、ゆーコトで当然ながら、そこの会社からも「コレとコレはダメです」という事前協議がもたらされるものだ、と(ISO14001認証工場だし)思ってましたが、最初はなーにんも無かったですね・・・ヘンだな、と思っていたら、後になって問題になったらしく、「コレはダメです」という一覧を持ってきましてね。・・・それが、何と「下水道法の基準値一覧」を書き換えたモノなんですよ。そんなんを貰って、どーせーちゅうねん!って話ですよ。第一、こっちは「汚れたから」洗濯を依頼するワケで、キレイな状態のままなハズがないんですよ。油は2mg/Lとかって言われても、元々、機械油を拭き取る作業なんだし・・そんなコトしてたら仕事になんないですよ。それに、仮に、そーでないと排水基準を守れないとするならば、アンタのトコの排水処理施設は何のためにあるの?って。スルーパスかいっ!

さて、ISOの規格では、「著しい環境側面について、外部コミュニケーションを行うかどうか、決定する」とありましてね。つまり、上のよーな事態についての話なんです。
「その側面」が自社だけの管理で対処できるのであれば、何ら問題は無いんです。でも、上記のよーに、「洗濯の排水を処理して下水に流す」という自社だけでは管理できない「著しい環境側面」については、"外部"である、ユーザーと協議しないとダメなんです。これが"外部コミュニケーション"ってヤツですわ。
コミュニケーションは、飽くまで"双方向"です。つまり、上記のよーに「コレはダメです」と一方的に突き放すのではなく、サンプルを処理して結果をみたり、その会社で使用される物質について、ヘンなものが入る危険性がないかどーか、話し合いをする必要があるんです。でないと、いきなり排水が基準をオーバーしていた、という事態になりかねませんから。

それから、著しい環境側面のデータ。つまり、排水や騒音の測定値とか、エネルギーの使用量なんかについて何処まで公開するのか、とか。対行政であっても、法的義務の無い、所謂「参考資料」程度のモノなんか山ほど来ますしね。 後は環境報告書に載せるデータとかもそうですね。

「環境事故に関してはコミュニケーションをとります」って、それはコミュニケーションなんかじゃぁなくって、立派な法的義務でっせ。
それと、環境事故は「側面(原因)」でなくって、「影響(結果)」ですわ。原因と結果を混同しとったらアカンのです。

2008年10月01日

何処かの審査の指摘で「環境方針に対する自覚を確実にしていない」というのがありましたが・・まずもって、「自覚を確実にしろ」という要求事項は存在しません。規格の条項は「自覚させるための手順を確立し、実施し、維持すること」であり、何処にも「確実にしろ」とは書いてナイですね。それと、規格の要求事項は「環境方針・・・に適合することの重要性」です。

世間的に「自覚」とされる事項については、「環境一般教育」と呼ばれるのが常のよーです。外部から講師を招いたりして「北極は氷が解けていて・・」とかをやるヤツですね。
私らの住む地球は、人間の営み自身によって、人間の住みにくい世界になってきつつあります。なので如何に、この負の連鎖に歯止めをかけるかが課題なワケです。てか、前にも書いたとおり「使わない」のは無理なんです。私たちに求められているのは「目的を超える使用」つまり「無駄」の部分の排除なんです。
この「無駄」を如何に、構成員その他に「認識」させるか。まず、私たちの周りにはこーした「無駄」が隠れていることを「教えて」やる必要があります。そしてそーした無駄を省く行為が如何に重要か、それを放置することが如何に問題なのかを、教える必要があります。まずはそこがスタートですわ。組織の構成員に強い目的意識とモチベーションを持ってもらうためには、それが重要なんですわ。
なので、「組織のトップは、こうした目的で、こういう方針を立てている。これに適合することは、組織全体の目的・理念に叶うことなのだ」というコトを、知って貰えればいいんです。環境方針の全文を暗記したり、承諾書を貰うことが大事なんじゃぁありません。「認識させるための手段」としてアピールをすればいいんです。

それから、構成員が自分の仕事内容と「著しい環境側面」とのつながり、つまり「自分の仕事は重要な作業である」という「認識」がないのは、大問題でしょう。それもただ単に「いや、大事な仕事だ」とゆーだけでなく、「それによって、これこれ、こーゆー影響が環境に対して発生するから」という理由付けも必要です。それから、その反対に「自分の能力(パフォーマンス)の向上(インプローブ)によって、どういう環境的効果があるのか」を認識してもらうことも必要です。こーしたコトを認識してもらうことで、「強い目的意識」を保持してもらう、一助とするワケです。あくまで「方法論としては」ですが。従って、「確実にする」といワケにゃあいきません。「確実にする」とは「誰かが保証する」という意味ですから、部下の誰かひとりでも「何それ?」と答えたら上司は、ソイツが完全にそれを覚えるまで、何日掛かっても「教育」せんとアカンくなりますからね。

それから、「自分とこの社内ルールを守るために、自分が何をしなくてはいけないか」という各人の役割と「自分が受け持つ責任の範囲」を認識していないと、「環境マネジメントシステム」という社内ルールが完全に形骸化してしまうんですね。そりゃ、アカンでしょう。誰が何を、でなくて「自分が何を」するべきなのかは、しっかりと認識しておいてもらわんと。

そして、もうひとつ。「ルールを外れた際の影響」です。
これは結構、重要です。今は知りませんが、昔、東京に「パン職人を教育する学校」というのがあったと聞きます。「パン職人になる教育」ではなく、すでに一人前の職人になっているヒトを、更に「教育」するのです。何をするのか、というと、只管、「食べられないパン」を作り続けるんだそうです。酵母を入れる量を増やしたり、減らしたり、または発酵させる時間を変化させたり・・・と、様々な条件で作ってみることで、パンを作る条件の限界を見極めるのが目的なんだそーです。そーして実践することで、「条件を外れたらどーなるのか」を実体験として理解できるのです。
同じように、環境の世界でも「ルールを逸脱すると、どーなるのか」を認識することが、「まぁ、外れてもいいか」という安直な姿勢に流れることへのリミットになり得るんですな。

・・・しかしながら、「認識を促す方法」というのは、中々と困難な話でしてね。「え?何か言ってたっけ」と言われれば、それまでなんですよ。それをちゃんと聞いて貰えるか否かは、話し手の"力量"が問われるとこではありますね。
これは細かいテクニックとかの問題でなくて、その人の「人間力」が問われるんです。例えば、名人の演じる落語は、何度同じ話を聴いても笑えるモノです。同じネタを演じたとしても、素人じゃぁ、誰も聴いちゃぁくれませんからね。

2008年09月28日

昔、ウチの会社でもやってましたが、環境方針を書いた紙を納入業者に送りつけ、「承諾書」を返送してもらう、というヤツがありましてね。
アレは何のためにか、というと、ひとつは「環境方針に対する周知」で、もうひとつが「環境方針の自覚のため」なんだそーです。まぁ、一種の儀式ですよね、儀式。だって「だからと云って自覚したという証左にはならない」からです。
どうあったって、他人の心の中に何かを植えつけることが完璧に出来る方法、なんて便利なモノはありゃしません。こっちからできるのは、アプローチすることだけです。もし、出来たとすればそれは単なる「洗脳」です。それはアカンでしょう。そもそも、自分と他人がまったく同じ価値観である、というハズはなく、また信念・信条にも各人の自由があって当然なのです。なので、「こう考えろ」という強制は意味がないのです。

14001の規格でも、「自覚させる」ことを強制していません。「自覚させるための手順を確立し、実施し、維持すること」です。つまり、自覚したか否かではなく、「(自覚させるための)方法を確立させろ」という要求なんです。更に云えば、「自覚」の原典での表記"awareness"は、どちらかと言うと「認識する」という意味に近いんです。自覚、と聞くとメチャクチャ重たい感じですよね。元々「自覚」とは仏教用語で「迷いを断って悟りを開くこと」だそうですから。しかし、「認識する」となると、かなり意味としてライトになります。

では、「認識させるための方法」とは何か。そのひとつが「教育」です。今度の教育はTeach(ティーチ)です。つまり、「まぁ、聞いてなさい」ってヤツですわ。「意識」させるためだけなら、コレでいいんです。または「広告」という手もあります。HPや印刷物で紹介する、という方法もアリなんです。但し、「喋っただけ」というのはNGですわな。人間、耳というのは意外とアテに出来ませんので。人間はその情報認識の80%以上を目に頼っているそーです。これが犬なら、その80%を嗅覚に頼っているんですが。
中世の宗教画や仏教美術などは、識字率の低い時代に庶民に対して、神様の偉大さや、その教えについて、色や形を工夫することで伝えるために発展したものです。それくらい、目から入る情報のインパクトは大きいんです。従って、教育に関しても規格の原典にもあるよーな、何らかのimplement(インプリメント)、つまり目につく"道具"が必要なんですよね。

もうひとつ。JIS訳では「組織のために働く人々」とされている部分について、原典ではon its behalf aware ofとあります。awareは「意識」ですから、つまり、組織のために"働く"とは限らないんです。「何らかの関わりをもつ」って意味でしょうね。

さて、今回はココで一旦切って、次回は「認識」させる事項について。