通常の日記に戻して。
 この日は荒尾競馬最後の日。以前このブログに書いたとおり「打ち納め」は済ませたので、最後の瞬間は事務所でネットで見ていた。
 ひとつの競馬がなくなったことについてはいろいろな思いがあるが、なにかを書くとしたら残っている競馬にとって参考になる話にすべきか、と考える。

 荒尾競馬が廃止になることについて、私は必ずしも荒尾市を全面的に非難したいというわけではない。環境の変化が経営努力でどうにかなる範囲を超える、ということもあるだろう。

 ただ、それでもいくつか割り切れない点はある。
 ひとつは、私がさんざん書いている内厩制放棄のような、いままで無かった発想を選択肢に加えることが無かった点である。
 一方で、業務寄りの専門的なテクニックとして三セク債の活用という知恵は出てきた。潰す側の独創性は出てくる、というあたりが競馬の切ない立場を表している。

 割り切れないふたつめの点は、潰すまでの流れだ。
 三セク債という発想はいきなり今年出てきたものではない。振り返れば、「潰すための段取りとしての人事」が何年か前に行われていたことも、事情を知る方にはご理解いただけるだろう。
 そしてその間に、賞典費の削減が行われて現場は激しく疲弊してきた。馬主や厩舎が削減を飲むというのは、「それで競馬が続くなら」という思いがあってのことである。しかし、今にして思えばその時点で市は潰すつもりで腹を決めていたわけだ。2010年度の黒字化も、最終的に馬主や厩舎関係者にとっては無意味な黒字化だった。悪い言い方で言えば、主催者は現場を騙したということだろうし、現場は主催者に騙されたことになる。
 このやり方がアリということになると、今後他の競馬において主催者と現場の間に不信感が生ずることにもなりかねない。賞典費削減は根治療法になりえない、というのが私の意見だが、一方で対症療法として用いなければならない場面はある。そのときに、「どのみち廃止にされるんじゃ」という疑念が生まれ、まとまるものもまとまらない、結果として廃止が前倒しになるという可能性はある。

 みっつめは、競馬に無関心な市民に対して、競馬側から見たプラス面は広報されなかったということだ。
廃止決定時、市長は
http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2011/09/05/kiji/K20110905001560510.html
このようにコメントした。
「今後も経営改善が見通せない」とのことだが、例えば2012年度以降はJRAへの委託販売がある。
 私の手元に、NARが作成した「仮に2011年度にJRAが(PATで)地方競馬を売ってくれていたら」という想定資料がある。それによると、JRAが売ることによる売上の増加割合は2010年度に対してプラス11.4%となっている。
 私個人はNARの見積もりは甘いと思っている(さらに、実際にJRA顧客に対する販売が始まったら、付加価値の高い地区が優先して売れる)が、それでもJRAが売ることがマイナスに働くことはありえない。にもかかわらず、市民に対してこの変数は示されなかった。
 「売れるかどうか分からないものに期待して存続するより、3セク債でケリ付けたほうが安全」というのが市の結論だったか、それ以前に廃止の腹を決めていてそれを動かす気にはならなかったかのどちらかということになるが、それならそれで、そのような意思を示すべきだろう。

 いずれにしても、荒尾が廃止に迎うまでの道のりは、残った競馬場が将来も残るのかいずれ無くなるのか、という問題に対する多くのヒントを含んでいる。

 主催者に競馬愛を期待することはできないし、ほとんどの市民・国民においてもそうである。潰すための手段は積極的に追求されるが、残すための手段は探されずに終わる。
 シビアだが、それが現実である。競馬を好きな人ほど情緒論で競馬を残そうとするが、その戦い方は絶対に負けに繋がる。「敵」がどう攻めてくるのか、それに対してどう戦いうるのか、理詰めの戦略論で立ち向かわないといけない。