平谷村 cafe sue is fine

長野県平谷村のcafe sue is fineのブログ。 地元の食材や、こだわりの食材を使った生パスタ、手作りピッツァ、焼きたてワッフルのお店です。 長野県下伊那郡平谷村443-1 09034432682 営業時間:11時~日暮れor売り切れまで 定休日:金曜日

2014年04月

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粉を変えて、予想以上に良くなりました。

画像は試作品、「マルゲリータ・ツナと生しらすのせ」。

生地に自信が持てる様になりましたので、マルゲリータからはベーコン外します。

もはや邪魔でしかありませんから。

代わりにチーズ増量致します。

あとはクリアランスをどう出すか、ですね。

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GWに間に合いました。

ピッツァの生地、リニューアルです。

だいぶ軽く、ふんわり焼ける様な生地だと思います。

あとやっぱり、00番は香りが良いです。

出来るだけ近い産地で良い粉が見付かるまではこれで行きます。

GWに向けて、少し店のまわりをいじりました。

と、言っても、ほんとに少しだけですが…。

まず先日、知り合いから不要になった椅子とテーブルをたくさんいただきました。

椅子は若干耐久性に不安があった(つまり、壊れてた)やつや、重くて移動が不便だった切り株と入れ替え、テーブルは置き場に困り、壊れてる椅子と一緒に外に置きました。

実用的な席としてでなく、オブジェ的な意味合い(つまり、座ると壊れるかもしれない)だというアピールの為、飯田のリサイクルショップにいたゴリラを座らせとこうと思いたち、定休日だった昨日、いざ出陣。

しかし、そこにゴリラの姿はなく、代わりに売り物ではなかった若干壊れた黒板付きイーゼルを300円でせしめて、意気揚々と帰宅。

よく、「何屋かわからない」とか「いつやってるかわからない」とお叱りを受けますので、表にはもちもち生パスタ・手作りピッツァ各850円(+500円で前菜・ドリンク付きセットに)と、裏側には営業時間とかを書いて目立つ場所に設置。

一応GWに向けては、何かしら集客努力をしなきゃまずいな、とは思ってたんで、安上がりにウチとしては開店以来もっともちゃんとした看板らしきものが設置できて良かったです。

ほんとはゴリラも欲しかったですが…。


あ、GWは普通に金曜日定休でやらせていただきます。

金曜日も可能な限りはご予約等対応させていただきたいと思っております。

かつて、Jim morisson(doors)は、「break on through to the other side」と、sonic boom(spacemen3)は、「take me to the other side」とうたいました。

「あちら側に突き抜けろ」、あるいは「あちら側に連れてって」。

たとえば、太宰治なんかも、「あちら側」を見据えて生きた人だと思います。

そういうひとたちの多くは、やはり不自然なかたちで、所謂「あちら側」へ行ってしまった。

sonic boom(ストⅡじゃないっすよ、因みに)はまだ生きてるけど。

ストⅡと云えば、あの流行り方は凄くて、僕は20代前半だったと思いますが、ダルシムが好きでした。

なんかで小学生の卒業制作を見た時に、なんか木工だったと思いますが、男の子たちはみな一様に「ストⅡ」って装飾が施してあって、最初なんの事やら判らず、あのゲームの名前を卒業記念のたいせつな作品に、みんなが書き込んでる事実に気づいた時には、戦慄をおぼえました。

しかし、今やストⅡなぞ、記憶の片隅に追いやられ、ともすれば忘れ去られている。

それはたとえば、戦争とかでもそうだし、少し語弊があるかもしれませんが、流行とはかくも儚いモノです。

多くのひとたちが熱狂する程に、その寿命は驚く程短くなる。

多分、「あちら側」に魅了されるのは、自分が暮らす「こちら側」に不満があるからでしょう。

人間は、時間軸の把握がきわめて主観に影響されやすいので、自分が生まれる前と生きてる間、死んだあと、と相対的にバランスを取る事が出来にくい。

だからこそ、安易に「あちら側」に頼る事なく、「こちら側」にしっかり立脚したうえで、ほっといても世の中が良くなりそうか、そうで無かったとしたら、自分がどう変われば、少しずつ世の中に良い影響を与えられるか、考えるべきだと思います。

そんなに魅力的な「あちら側」ならば、自分がその恩恵に与れないとしても、自分が死んだあとにでも少しずつそのように変わっていく様に努力する事は価値ある事だと思います。

現実逃避としての「あちら側」と云うのは、多くの場合「死」を意味してしまう事は、それでも彼らなりに戦って散って行ったジムくんや治ちゃんが教えてくれてます。

今生きてる僕らが彼ら以上に「見込みのある戦い」を体現出来なければ、彼らの生と死は無駄になるし、僕らの子供たちの未来も暗くなるばかりです。

因みに僕の「あちら側」は、お金の無い世界です。

それでも、格差は無くならないでしょうが、取り敢えず。

ひとそれぞれ、何でも良いと思います。

「こうでなきゃいけない」って、固定観念の打破、とまではいかなくても、「生き方」の多様性の認知と、その拡大への努力、くらいが生きてる間に出来る事かな。

そんなわけで、もっともっと「変な事」をしていきたいです。


今日の本日のパスタは「山うどのペペロンチーノ」です。

すごい普通…。


どうもまた、画像付きで更新しようとするとエラーになってしまいます。

仕方ないのでまたつまらない話を長々と書きます。

ウチの屋号はsue is fineだったかと思いますが、これは奥さんに却下されまくった末の妥協の産物です。

まあ、「誰かが居てくれるから、僕も居られる」をポリシーのひとつとしてる店なんで、他ならぬ奥さんに対して妥協するのは寧ろいいことだし、特に気に入ってもいませんが、それなりに愛着は持ってます。

しかし、「名は体を為す」の言葉がある様に、本音を言えばもっと意味のある屋号にしたかったわけです。

で、いちばん僕がこの店につけたかったのは「pebbles + weeds(ペブルスアンドウィーズ)」、「石ころと雑草」みたいな意味合いかな。

即座に浮かぶイメージは「荒涼」、でしょうか?

一般的なイメージの「荒涼」たる土地。

それは、人の息づかいが感じられない場所、なのかな?

しかし、文明に毒された視点を少しずらして見てみると、僕は都会にこそその「荒涼」を感じます。

どこもかしこもヒトの手により整備されつくし、そこに押し合い圧し合い暮らすヒトたち。

ヒトが押しのけるべき、石ころも、ペンペン草も、見あたらない場所で感じる僕らの「安心感」は、果たしてホンモノなんだろうか?

そんな漠然とした疑問が、僕らのIターンや、経済サイクルからの離脱(あくまで志向ですが…)の一因となってます。

つまり、逆説としての豊かさが、石ころや、雑草だらけの荒れ地にはあるんじゃないか、と。

それは「開発余剰地」って意味合いでも良いし、この言葉はなかなか安易に口に出せませんが、所謂「自然」って意味合いでも良いし。

そんな場所を運良く手に入れて、生業を始めるにあたって、僕は僕なりの「気遣い」を保ちたい、と、考えました。

すごくわかりづらい考え方であり、それは店構えや運営に表れてて、それ故に苦戦してるところもありますが、今の苦労(とは思ってませんが、適切な表現が見あたらず…)も楽しいですし、意固地になりすぎない程度に、ヒトはもちろん、小石や草も存在し続けられる様な店であり続け、そんな感覚を「良さ」として味わっていただき、ひとつの価値観として世の中の隅っこにぽつんと置いて置きたい。

いやあ、まったく意味わからない文章でしたね!

書いた僕も解読不能ですw

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