SugaBlog

PCの設定等のメモを残してあります。

2008年07月

学会発表の原稿を書く

書いてます学会発表用のアブストラクト(概要)。一通り出来上がって指導教員のチェックも受けたので、あとは細かい直しと、共同研究者の職場のボスに見てもらう予定。

まあ、A4で2ページで、これに共同研究者の名前とか書いていくと、本編がなーんにも書けなくなっていきます。でも、この条件できちんとまとめなくては。

指導教員からはそろそろ論文を書くことを考えるようにといわれて・・・。う〜〜んそろそろ多少なりとも成果を出していかないといけないなあと考えています。そろそろ本腰を入れて研究を進めたいです。


滞在してチェック作業

んーーーと、なんというか開発チームの足を引っ張りかねない感じなので「滞在」して、ちょっと作業してます。

この前のミーティングでは「今月中に終わらせます!!」と行ってしまったので、というかリリースを考えるとそれが限界なので、ここが正念場です。

商用ソフトウェア開発(ゲームとか)で「もうだめ〜〜〜」と言いながら開発したいと言ってたのが現実になってちょっとうれしいのだけど、基本的に私の担当は言語チェックやらバグ出しがメインだから、華やかじゃないのです。一度でいいからTVゲームの開発のような華やかなことをやってみたいです。(ぜんぜん華やかでないのは知ってます。けど、やってみたい。ただし1回で十分(笑))


ヱヴァンゲリヲン新劇場版DVD

買ってしまいました。で、見ました。1年ぶりですが、じっくり見るとしっかり作りこんであるなあと改めて実感します。

特典の映画フィルムはシンジとミサトが映っているのでした。たぶんヤシマ作戦のあたりかな。どのシーンか確信しながら見るというのも面白そうです。

08年に「破」の公開はできるのでしょうか?このままいくと冬に並べということか、それとも08年度末で来春か・・・。うーーんちょっと待たせすぎかも。

モバイルノートPCを見比べる

モバイルノートPCがほしいので、仕事帰りにHP 2133 Mini-Note PCEeePC901をさわってきた。

店員ちょっとうるさいと思いつつ、両者の重さとかキータッチをチェックすると、確かにEeePCの方が軽いのですが、あきらかにHPの方がキーが押しやすい。文字がさくさく入力できる感じでした。EeePCは間違って違うキーを押してしまうことが多々起きたのですが、HPはそんなことはなく、きちんと入力できました。

ただ、バッテリーの持ちや重量を考えるとEeePCが圧倒的に優秀で、キー入力を考えるとHPといったところでした。

とっても迷うところではあるのですが、とはいえどちらも品切れなので、もうしばらく考える時間はありそうです。

学ぶことは人間関係を壊すこと

東大の中原先生が面白いことをブログで書いていたので、ちょっと紹介。
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/06/post_1277.html
から一部引用

「「学ぶこと」とは、自分につながる人々との関係を「壊すこと」でもあり、「葛藤を抱えること」でもあります。「学ぶこと」を「みんな仲良しハッピーハッピーのような社会状況」の中で起こるものと捉えたりすると、「学ぶこと」の本質を、ひとつ見逃してしまうのではないでしょうか」

「学ぶことは「キレイゴト」ではありません。学ぶことには、既存の社会的関係に「葛藤」を感じたり、場合によっては「壊したり」、「再構築」するとといったことが必然的に含まれます。そして、だからこそ、学ぶことは「人間らしい」ことでもあるように思うのです。

「「教えること」とは、そうした葛藤や別離を「いつかはくるもの」としてとらえ、むしろ「喜び」にかえて、生きていくことなのかもしれません。」



どうしても「教育」はみんながハッピーになれるものととらえてしまいそうになるのですが、学ぶことは関係を壊すことであり、破壊によって世界を再構築する営みと考えると、それはとっても大変で、でもだからこそ人間らしいことなのでしょう。

「悩み」「葛藤」「別離」「訣別」「再構築」・・・そんな日がくるのを楽しみに人を育てる、それが教育なのかもしれません。

そういえば心理学の先生が、弟子は師匠の理論を否定して、分かれて、そして踏み越えていかなくてはいけない、そうしなければ一人前になれないということを言っていたのを思い出しましたが、「教える」「学ぶ」ということは本当に奥が深いことなんだと考えてしまいます。

とは書いたものの、最近は、この葛藤や別離から教える側も学ぶ側も逃げている(恐れている)という構造があるのではないのかなと考えてしまいました。そして、その先にあるのはお互いに決してハッピーになれない世界なのかもしれません。

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私なんか毎日一人で、この「悩み」→「葛藤」→「再構築」の繰り返しです。・・・トホホ。成長しているんでなくて毎日ただ循環しているだけに思えます・・・。

職場の飲み会で滞在

職場の飲み会に参加してきました。(ただ酒が飲めるところには顔を出す)

で、酔ったのはいいものの、家に帰るのが面倒&やることが終わらないので、そのまま大学院で滞在。

今日は、大学院へは昼休みの忘れ物を取りに、夕方研究室を訪ねて、そして飲み会の後と3回も通ってます。社会人学生は週に1日通えば多いほうといわれている中、私はほぼ毎日通っています。大学院に通う頻度は普通の大学生にも負けません。

理系と文系の大学院生の違い

なんとなくだけど私が知っている範囲では、理系の院生は

「学会発表しなければいけない」「というか発表して当然」

という、当たり前といえば当たり前のことがきちんと共通の認識として共有されていると感じている。

何でこんなことを書いたのかというと、比較的近い分野(だと私が勝手に思っている)ような分野でも文科系の大学院生は、学会は発表しないのが当たり前という認識でいるように思えてならないのです。

たぶんそういう風に指導されているからなのでしょうけど、私が修士課程でお世話になった先生は「学会発表しないで取得した修士は、社会から修士として認められない」ということをおっしゃってました。

博士課程を受験しようとしたときに、学会発表したことがない学生は受け入れられないということを今の指導教員に言われて、修士課程のときの一言の意味を改めて実感したのですが、学会という場で発表することが、ひとつの重要な社会的ステータスのひとつとなることをきちんと指導してあげなくちゃいけないのではないのかなと思ってしまいます。

で、当然研究室の院生がきちんと学会発表しているのか、指導教員や研究室の院生は1年で何本の査読つき論文(<これ非常に重要)を書いているのか、きちんとチェックして大学院・研究室選択をすべきなのでしょう。

そういった研究成果の一覧表や研究業績リストが公式WEBで公開されているか?大学院を選ぶときはそういったところをチェックしなきゃいけないと思うのです。

大学院スケジュール

学位をとるまでのこれからの道のりを調べてみた(普通こういうのって入学まえに確認しておくべきことです。入学して1年位して調べているってありえないことです)。そしたら結構ピンチなことが判明。

そもそも2010年の秋に学位をとることを目指すとすると、学内スケジュールは

2009年05月 中間発表1
2009年12月 中間発表2

2010年5月 予備審査出願+審査
2010年6月 本審査出願
2010年7月 発表会+審査
2010年9月 教授会議決=学位取得

の流れになっていることを、いまさら知ったのですが、これって結構ハードスケジュールではないですか!?

予備審査の段階では、博士論文の形で出来上がっていることと、論文(当然査読つき)があることが要求されるとのこと。・・・・・ということは、来年の秋には国際会議で発表しておかないとやばくないってことで、さらにその申込期間とか考えると・・・・・現在の進捗では絶望的です。

国際会議は通訳をつけて乗り切りたいです。となると、もういっそのこと国際会議に参加するのではなく、国際会議を開催することを考えたほうが早いかもしれません。

ほかの選択肢としては、入会している学会を増やして国内学会の査読論文の数を数本用意して、国際会議をぎりぎりまで引っ張るという選択肢のほうがベターかな。ベターと書いちゃったけどこれはこれで茨の道です。

う〜〜んと唸りながら今日も終わる。

授業の最適人数

よく大学案内や大学ランキングでは教員一人当たり何人の学生がいるのかということが記載されている。

今いるところは学生一人当たり教員2人くらいの高密度なところですが、私立文系の場合は学生40人につき教員一人くらいの割合で、100人単位の大教室での授業が多くなってしまう。専門の授業やゼミといっても20人も30人もいたりする。

で、いったい高等期間の授業では何人の受講生が最適なのかということについてはあんまり研究がされていない。ただ私の学部・修士・博士と授業を受けてきて確信を持っているのは「5人」。これはゼミに限らず、講義形式の普通の授業であってもいえることで、この人数なら講義形式のはずの授業で輪読・プレゼンテーションもできるし、議論も進む。この人数なので休めないし、発言をしないわけにはいかない雰囲気(強制感)もよい。受講生が10人をこすと、もう授業を受ける気力が半減してしまいます。

授業が終わったときに、勉強になったなと思えるのも、メンバー間で何かがしっかりできるのもこの人数。ただこの人数では、学生と教員のレベルがある程度以上でないと、逆効果になってしまう危険があるのかもしれない。
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