豊橋市こども未来館ここにこでの展示、日本とベラルーシをつなぐ子ども絵画展。
17日朝からお昼過ぎまでかかって搬入。
そこから公開ですが、チラシ上では一応、18日から23日までの会期。
会期中、なるべく会場にいたいとは思いましたが、まあ家庭の事情もあり、ずっとはいられないのでおいでくださっても失礼した方もあるかと思いますが、お許しください。
それでも、午前午後、それぞれ1・2時間は会場におりましたが、大勢のご観覧をいただき、いろいろな感想をお聞かせいただき、感謝感謝!です。
こんな素人の、たった一人の企画に、大勢の方々が心を寄せてくださり、たくさんのグループが子どもたちの絵をお届けくださいました。
それも、絵画教室だけでなく、保育園や児童クラブなどなど、どの絵も力いっぱい、元気いっぱいで、見ているだけで頬がゆるむような可愛い絵でした。
本当に、ありがとうございました。
会場入り口
土曜日 会場
会場 中央から南面むき
会場中央から北面向き
































































本日、朝一番で搬出。
あんなに大変だった飾りつけも、片付ける時はあっという間。
夢から覚めた浦島太郎みたいな気分です。
まだ、この後も、関係筋にご挨拶まわりや、お預かりした絵をグループごとに返却、などなど残務があります
が、今日一日は余韻に浸ります。

青山文平   文藝春秋

図書館で目にして、この作家さんも、多くは読んでないが好印象だったなと借りだす。

やや長めの中編3作


「機織る武家」
武家、と言っても下級武士の家はわずかな扶持だけでは到底食べていけない。
そんな家に育ったわたしは、兄の嫁とりが決まった時点で、他家へ嫁ぐしか居場所がない。
嫁ぎ先は、家付き娘が亡くなり、家名をつぐため残った婿養子の後妻。つまり、全員、縁もゆかりもない者同士が、わずか20俵二人扶持の家名を継ぐためだけの家族となった。
姑は、もとは100石取りの家に育った、それだけを誇りにしている、まるで子供のように“聞き分けのない”人。
婿養子に入った先で妻を亡くし、行き場がなくなったところ、後妻を迎えることでかろうじて今の暮らしや肩書を保証できた夫は、まったく役立たずで小心の“ろくでもない”人。
そんな中、食べていくため、わたしは賃機の仕事を受けることに。結婚前に、女のたしなみとして裁縫や手織りを習っていたのだが、特に織には秀でた技術と深い思いをもっていたのだ。
やがて、わたしの賃機の稼ぎが家計の支えになっていることを、“聞き分けのない”姑も“ろくでもない”夫も認めざるを得なくなると・・・
自立した女性目線の心理小説。
やっぱり、女性も、手に技をもってると強いのね。

「沼尻新田」
父から新田の話を持ちかけられたのは、私が家督を継いですぐのころ・・・
新田開発の許可を得、開発が成功すれば・・・と言われても、財政の厳しい藩の事情を考えると、どう考えても土地をやるからその分の石高を減らす、つまり体のいい賃下げとしか思えない。
父からみれば私など、藩校出の頭でっかちと思っているに違いない。
頭でっかちではないことを証明するためにも、現地をこの目で確かめ、できればある程度の測量も・・・
縄張りどころか、どこまでいっても砂地の荒れた一帯をあてもなく歩き続けるうち、見事なクロマツ林に行きついた。
一歩足を入れると、林の中は清浄な空気がただよい地面には箒の目がついている。
そこで出会った女性の言葉とたたずまいの清らかさ。そして、密かに暮らす人々の存在を知った私は新田開発を決断した。
あれから30年余。
新田開発の功労者として一族の尊敬を集める私だが、実は、新田開発への真の思いとクロマツ林の手入れだけは誰にも譲らないひそかな喜び・務めがあった。
ああ、いいなあ、男のロマン、だなあ。

「遠縁の女」
学問も剣道も、そこそこだが極めるところまではいかないでいる私、ある日突然、父から「武者修行に行け。5年だ」と言い渡される。
いまの時代、なぜ武者修行? しかも5年? 2年もあれば・・・
腑に落ちないまま、なんとなく言いくるめられ、友や遠縁の娘でひそかに気になっていた信江などに別れを告げ旅立つ。
2年で戻るつもりで出たのだが、土地によって流儀によって道具も道場も、当然、剣筋も違う。
戸惑いながら修行するうち次第に腕が上がり、ついには剣の修行者が誰もが恐れ憧れる隠里の道場に行きつく。
そこで、剣だけでなく、自分の中にある言葉にならない何かしらが、ようやくつかめるところに手が届きかけたとき、父死亡の知らせが。
故郷を出てからすでに5年たっていた。
急ぎ屋敷に戻り葬儀など済ませた後、留守の間に藩内で起きたあれこれを耳に。
なにより驚いたのは信江の父と婿になった友の切腹。なぜ、あの二人は・・・信江はいま・・・
叔父は忠告する。信江には気をつけろ。
二人の死の真相を知ろうとすることは、信江の魅力にからめとられること。・・・
わぁぁぁ・・・こわいこわい。絶対逃れられないとわかっていて、なぜ近づくかなあ。ほんとに。
ちょっと心理サスペンス風。

梓澤 要  文藝春秋社

群雄割拠の戦国時代、家康には正室築山殿や複数の側室がおり、それぞれに子どもをもうけていた。
側室といっても、ほとんどが人質だったころの話。
その中の一人、まっすぐな気性が気に入られていたお万が妊娠。
産み月が近くなったころ、ひそかに屋敷を脱け出したお万は信頼できる者の屋敷で出産。
男の双子だった。
双子が畜生腹と忌み嫌われた時代、悪くすれば二人とも殺されてしまうのを恐れての大胆な行動だった。
産まれたのは一人として、於義丸(後の秀康)はお万の手元に。
逆子で足を痛めて産まれたもう一人は、その存在を伏せたまま親戚にあたる神社に引き取られた。
その数年後、ようやく於義丸は家康との対面を果たしたが、正室には信康が、その他にも男子や女子がいる中、親しく会うことはほとんどない。
もっとも、家康も武田との戦いで忙しかった。
そんな中、信長の怒りを買った築山殿と長男信康の死 、信長暗殺、家康の山越え、そして権力は秀吉へという歴史小説でなじみの流れの中、於義丸は秀吉の養子になり秀康と改名。
豪華な御殿に住んでいても、秀吉に可愛がられても、他にもいっぱい養子はいる。
結局は人質。
その中で、どれだけ秀吉や家臣たちの信頼を得るか・・・・実父の家康との関係・・・
信長・秀吉・家康といった表舞台の武将たちの物語はさんざん読んだりドラマで見たりしてきたが、この三人の力関係であっちへ行ったりこっちへ行かされたり・・・しかも、軟弱な子ではなく、むしろ母に似て豪胆でまっすぐな気性の子が、浮き沈み激しい権力争いの中、どのように生きてきたか。
頑張って功績をあげれば、それに伴って藩替えが。
古くからの家臣団のなかに入り、いかにその藩をまとめ、民の暮らしが潤うようにできるか・・・
これは、現代でも会社や組織の配置転換や転勤のたびのあれこれ・いざこざに通じるなあ。

図書館で目について、適当に借りてきた本、しかも身辺の雑事に惑わされる中でも引き込まれて読んだ。
そういえば、秀康の息子が忠直。
ずーーーと昔、菊池寛の「忠直卿行状記」読んだ・・記憶だけはある。どんな内容だっけ・

日本とベラルーシをつなぐこども絵画展の準備終了!!!!
絵と紹介パネルの合計  268枚
ミンスク市の地図  1枚
出入り口2ヵ所に掲げる案内板  2枚
ここ数日、合計271枚の並べ順、絵の作者名確認などなどで頭がパンクしそうだったが、ようやくまとまった。
はぁぁぁ
その間、ちょっとややこしい案件が二つ三つ飛び込んで、並行してあちこち相談やら連絡やら。
はぁぁぁぁ
神経使った・・・・
でも、それらも、なんとか収まるところへ収まった。
ちょっと胸の奥がざわついたこともあったが、子どもたちの自由で生命力あふれる絵を見て、癒された。

事前に、地元紙3紙に記事にしてもらっていたが、先日、たまたま顔見知りの記者と遭遇。
仕事柄、ちゃんと展示の会期を覚えていてくれ、いつなら会場にいますか、取材に伺いますね、と。
ああ、よかった。
事前の告知もありがたいが、なんといっても子どもの絵がずらっと並んだ会場の光景を伝えてほしい。

これまで何度か見てきた、たとえば学校単位での子ども絵画展示とは一味も二味もちがう、ハズ。
なんせ、年齢もちがえば、絵のテーマも描き方もテンデバラバラ、自由でエネルギッシュ。
そのバラバラ感を味わってほしい。
はぁ。テンションがマックスです。



朝井まかて    徳間書店

木々が生い茂り、日も差さないような深い森の奥、ぽっかりとあいた草原に一本の巨大な、まるで木のように大きな草が生えていた。
草だから移動はできない。しかもなぜか枯れない。季節ごとの変化もしない。
いつからもとわからないほど長い時間、ただただ、そこに存在していた草の根元に一匹の子狐が迷い込み、
「ねえねえ、お話をしてよ」とねだる。
いやいやながら、昔々あるところに・・・と語りだす草。
やがて、山姥もやってきて・・・・

この不思議な草が、なにかしらの人物が変化したものだろうとは想像するが、それがなになのかわからないまま、いくつかの聞きおぼえのある昔話が語られていったり、草のそばを昔話の登場人物たちが通り過ぎて行ったりする。
ああ、傘こ地蔵や浦島太郎や竜神や・・・・なつかしい・・・
ん? 懐かしいけど、私は幼い頃、母や祖母に昔話を語りきかされた記憶はない。
絵本も、今から思えば「桃太郎」「かぐや姫」など一般的な、しかもごく粗末な絵本しかなかった。
子ども心に根付いたものではない。
自分の子どもを持つようになって、TVの日本昔話や絵本で知ったり、子どもたちに読み聞かせたりものだ。
大人になってからの学習によって記憶された物語たち。でも、懐かしい・・・

いくつかの昔話を語るうち、草に変化があらわれる。
自分は何者なのか、なぜ、ここにいるのか。なにかの罰があたって、こういう姿になったのか。
古い古い記憶が少しずつよみがえる。
それは、草にとって、けっして楽しい記憶ではなかった。が・・・・

最後の最後、「物語の力」を、圧倒的な、目に見えない、なんの役にも立たない(ようにみえる)が、とても大切な力を感得し、草の生き直しを祝いたい気持ちになった。

朝井まかて、直木賞の「恋歌」以降、けっこう追って読んできたが、初期の硬さがとれて、うまくなったなあ。
なんてエラソーに。
図書館で借りてきたものの、身辺のあれこれに追われて、なかなか集中して読むことができず貸出期限を更新して、ようやくラストを味わうことができた。
もっと落ち着いたとき、じっくり読み直したい。
これ、買おうかな。うん。そうしよう。
おケチな私が思うほど、揺さぶられた。

ここ数日、ちょっとややこしい、神経を使う、間違うことのできない案件、それぞれPCで丁寧なメール送受信しあう案件が重なって、ただでさえ、えーっと、今日はなにをする日だっけ? なにか忘れてはいけない予定があったっけ?状態なのが、もう能味噌がパンクしそう。
とうぜん、朝から上の空だから、夫にも(最低限のことはしているつもりだが)優しくできない。

う・・・ううう・・・・
朝食後、10時過ぎまでかかって気の遣うメールを一件送ってまず、一つ終了。
これは事後報告だし、文句をいう相手ではないから、礼を尽くした事情説明をすればOK。
やれやれと夫を遅いモーニングに連れ出し、美術館や公園を散歩し、気分転換。
そこへ、携帯に電話が入り、一番ややこしい案件に一筋の光がみえてきた。
とはいえ、まだまだ道は遠い・・・
頭を整理しながら、ファイルに問題の要点を書きこむ。
うーむ。

ベラルーシ絵画展の児童画の受け取りも、そろそろ連絡しなくては。。。
日曜日には孫が泊まりに来るので、その前に・・・
ああ、脳味噌がパンクしそう。

IMG_0219

どこからどう説明したらいいのだろう・・・
とにかく、2年ほど前、ベラルーシの絵画教室から子どもたちが描いた絵37枚が届いたことをきっかけに、遠い遠い国、それまで、えっと・・・どこだっけ?ロシアの近く?くらいしか知らなかったベラルーシとのご縁がつながった。
ベラルーシとの連絡窓口となってくださっている日本人女性が、細やかな気遣いと日本・ベラルーシ両方について正確な知識を持つ方なので、教えられることばかり。
連絡を取り合う中で、またさらに絵画教室の新しい、素晴らしい絵が届き、地元の絵画教室などの協力を得て、双方の子ども絵画展を企画。もっか、鋭意、準備中である。




ベラルーシ側は、紹介ぺネルもいれて約50枚。
日本側は、地元絵画教室や口コミの協力を得て、約220枚。
会場いっぱい、両側の壁面いっぱい、埋め尽くされる予定。
ベラルーシの絵は、やはり色遣いやとりあげるモチーフに日本にはない魅力がある。
日本側の絵は、まだ全部そろってはいないが、それぞれの年齢らしく自由で生き生きしている。
絵の巧拙、珍しさではなく、文化や風土の違いも感じ取ってほしい。
そうだ、せっかくの機会なので、わたしみたいに、ベラルーシってどこだっけ?の人たちにもわかるよう、簡単な紹介パネルも何枚か作成しようと思い立ち、間違った情報を伝えてはいけないと、あれこれあれこれ、ベラルーシ窓口女性とメールのやり取りを重ねて準備した。
ベラルーシ側も、遠い東の国、日本で自分たちの絵を展示してくれる♪と大喜びのようで、窓口女性とのメールのやりとりにも互いのうれしさ、感謝が溢れてくる。
以下に、ベラルーシで日本文化を伝える活動をしている女性のブログから、今回の展示についての記事を紹介します。
興味のある方はこちらをどうぞ。

※※※※※※※※※※※※※
ベラルーシの部屋  https://blog.goo.ne.jp/nbjc 5月22日記事 

すでに簡単にお知らせしていましたが、6月18日から23日まで豊橋市こども未来館ココニコで「日本とベラルーシをつなぐこども絵画展」が開催されます。

この絵画展開催のために「日本とベラルーシを子どもの絵でつなぐ会」が立ち上げられました。
代表は△野〇子さん。絵本「おりづるの旅」の作者でもあります。
おかげさまで素晴らしいご縁がベラルーシと豊橋の間にできました。二つの民族の心をつなげてくれました。

ほかにも豊橋在住の方々のご協力のおかげで、今着々と絵画展の準備が進んでいます。
ベラルーシのことについてよく知らない日本人が多いので、ベラルーシについての説明パネルまで展示してくれるそうで、絵画だけではなく、国際的な理解を深める場にもなる予定です。
ベラルーシについての日本語による情報提供、そしてベラルーシの子どもたちの作品を日本語教室の生徒3名が、豊橋まで持参して手渡したということで、日本文化情報センターが協賛となっております。後援してくださっている豊橋市にも感謝申し上げます。
開催が今から待ち遠しいです。豊橋市民の皆様はベラルーシの子どもの絵を見てどんな感想を持つかな・・・マイナー国のベラルーシが豊橋で急に知名度の高い国になりそう・・・などと想像ばかりしています。
作品を描いたベラルーシのハーモニー絵画教室の生徒さん、そしてエレーナ先生も絵画展が始まる前から大喜びで、豊橋の皆様に感謝の言葉でいっぱいで、あることをここでお伝えしておきます。
このポスターの絵にはハーモニー絵画教室の生徒の皆さんが描いた絵が使われています。

豊橋市、そしてお近くにお住いの皆様、ぜひ絵画展にお越しください!
 

美術館日帰りツアーで、碧南市藤井達吉美術館の「魯山人展」と、豊田市民藝館を鑑賞。
どちらも、当地からそれほど遠方というわけではないが、機会がないとちょっと行きにくい場所なので、こういう企画は有り難い。

母方の実家が陶器を扱う商売をしていた関係で、荒川豊蔵、加藤陶九郎などの陶芸家は耳馴染みがあるし、手びねりの陶器、特に志野の風合いは好きだ。
民藝館に展示してある骨とう品も、ああ、どこかで見たような・・・母方実家や、うちの祖父母が使っていたような・・・と懐かしい。
たぶん、実家の兄は、私同様なんでも処分してしまう人なので、ほとんど残ってはないだろうが・・・

と、懐古気分にとらわれつつも、でもなあ、こんな厚くて重くて不定形な器、使いにくいわ。
お皿や食器は重ねられて、和洋中、いろいろに使えるものに限る。
これらは見るもの。鑑賞するもの。うちでの実用にはむかないと無粋な実感。

車中、当地美術館学芸員が出した『三河吉田藩・お国入り道中記』をみなさんに紹介し、持参した本を回覧した。
私のセールストークがうまかったのか?(笑)、何人かが興味をもってくれたらしい。
それを察知した仲間が、希望者を募って帰着する頃に届けてもらいましょう、と、館近くの書店と交渉。
え、ええ? いいの? というか、その手があったか。
なんと、車中の半数ほどの注文。ご夫婦参加もあるから、ほとんどと言ってもいい購入率。
ツアーに同行している学芸員(車中で、魯山人などの解説)が館に電話連絡。
バス到着と同時に、本人を引っ張り出す。
本人の目の前で、自著がどんどん手渡されていく。
サインまで求められて、本人、大テレ( ´艸`)

でもね、みんな、お国自慢、地元愛があるんだよ。
そして、学芸員を応援、育てるのも、館に出入りする私たちの仕事。
これからも、頑張れ>若手学芸員。

昭和→平成の喪に服した中での御代替わりと違い、今回は、まあ、めでたいというか、祝賀ムード満載というか、一部お祭り騒ぎの御代替わり。
連日、皇室関係の報道や記事。(ちょっと、なにかしら空気を醸成されて???)
そして、10連休。
職種によっては休めない方も多いだろうに、うちの子ども家族は(一時的に出勤の婿もいたが)、それぞれの実家に帰省したり、我が家に帰省したりと、休日を満喫したようだ。
我が家には、結局、4月29日から5月4日まで、だれかしらが滞在。
孫同士、いとこ同士で仲良く遊べるようになったので、ばぁばの出番はもっぱら給食のおばさん。
えっと・・・煮しめにサラダにウナギ、すき焼き、天ぷら、唐揚げ、肉野菜炒め・・・・もう、なにがなんだか・・・・
疾風怒涛の六日間が過ぎ、ぽっかり穴があいたような、寂しいような、ようやく日常に戻ったような、ほっとしたような・・・

また、二人だけの生活が始まる⤵

美術館だ、ベラルーシだと、いろいろ関わっていることに、「忙しいのに、よくやるわねぇ」と言われることがあるが、いえいえ、現実逃避でもあるのです。

久住祐一郎  インターナショナル新書

当市の美術博物館学芸員が収蔵古文書を読み解き『三河吉田藩・お国入り道中記』なる本を出版したとのことで、さっそく手に取ってみる。
磯田道史氏 推薦! の文字が躍る帯には  宿・食事はチケット制! 集合時間は真夜中0時! 道中で殿様が死んだら? といった惹句が。

天保年間、というからかなり幕末にちかい時期、吉田藩の若殿さまの初のお国入りのすべてを統括した家臣・大嶋左源太が残した、まあ克明な、几帳面な記録を現代人にわかりやすく、ところどころ若者言葉も交じえて書かれた参勤交代道中記。
若殿と大嶋左源太の関係から病気療養中の殿に代わり初めてのお国入りをする、ということになった説明。
そして事前の準備、予算や人数の手配、宿泊する本陣の予約などなど、まるで旅行社のプランニングとツアーコンダクターまで一人何役も兼ねて切り盛りするさま、若殿様の旅の感想から、その後のお家騒動など・・・・。
それまでの慣例を引き比べながらの旅程の組み方、参加人数と予算のやりくりなどが続き、いつになったら出発するの?と思いつつ読んでいたが、ようやく出発してみると、あれだけ練りに練った旅程でも、やはり、なにかしら予定にないこと(それは小さなことではあっても)が起きたり、それぞれの宿で、関係者の贈答儀礼、支払い方法(何種類もの通貨があり、それぞれの換算が違うなど)への判断や気配りなどに、なるほど〜 やっぱり、事前の準備が大切なのね、と納得。

最後につけくわえられた若殿の日記によると、あれだけ大騒ぎをしてお国入りし、国元の暮らしを見聞きしていても、一年たって江戸にもどるときは、ああ、ふるさとに戻る♪と心浮き立つって・・・お殿様や妻子は、基本的に江戸藩邸で暮らしているから、やっぱり生まれ育った江戸が故郷なのね。
どの時代小説でも、歴史小説でも、江戸詰めと国元との意識の違い、金銭感覚や民心への意識の違いがいざこざやお家騒動の元になっているが、やはりまだ江戸に近いとはいえ、そうなんだなあ。これが東北とか九州とか遠方だったらなおさら、なんだなあとあらためて理解できた。
どこにも、どの世にも、メモ魔、記録魔がいて、しかもそれを捨てずにとっておく子孫がいたのだなあ、と、なんでもすぐ捨ててしまう私など、ただただ尊敬。そのうえ、のたくった解読不明な古文書を読み解き、行間まで想像できるって、学芸員さんってすごいね。と尊敬。

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