昨年の美術博物館友の会旅行は奄美大島の田中一村を訪ねる旅。だったが、私は諸般の事情で、涙を飲んで見送った。
あれからも、日曜美術館などで田中一村が取り上げられ、う、ううう・・・行きたかった。
奄美にも行った仲間が、滋賀県の佐川美術館の田中一村展に行った、よかったよぉと。
う、うううう。行きたいなあ、でも、琵琶湖のほとりって、やたら遠いし、行きにくい場所だなあ・・・
そこへ、浜松出発の佐川美術館だけを目指し、昼食も車内で弁当をとることで、滞在時間2時間50分というツアーを見つけ、わーいわーい♪、と申し込み。
家のあれこれの段取りをとって、ツアーバスに。

7歳・9歳ごろの、父親から指南を受けた南画の影響の濃い植物図など。
二十歳前後の、光琳派の華やかな要素を取り入れた衝立や掛け軸など・・・まだ何者でもない若造に、こんな大作を依頼する施主って、すごい!と、へんなところで感動してしまった。
早くから周囲も認める天才だったのだな。
家庭の事情などもあり、藝大を中退後、親族の支援者を頼って千葉に移住してからの画作。
南画風から光琳風から、いろいろ試行錯誤のあとが見えるが、すでに、後の奄美時代につながる大胆な色遣い、モダンでグラフィックな構図がみえる。
画展に出品しても認められず、自信作ではないほうが入選したことなどに怒り、権威や師匠から絶縁し、奄美に。
なんであれ、文化団体、とくに日本画壇ではよきにつけ悪しきにつけ、師弟関係が大切なのだろう・・・それを拒絶するほどの自負があったのだろうが、それは孤高への道でもある。
奄美での暮らしと画作については、とくに最近、広く知られているが、本当に、一作一作、魂を込めた、圧倒的な力とオーラを発する作品群。
ただただ、すごい!
小は色紙や短冊から、大は支援者の家を飾った襖、しかも10面ほども!(どんだけ広い家なんだろう、こんな絵に囲まれて、すごい贅沢な空間だなあ)まで、全部で150点ほどの展示。
前後期で作品の入れ替えもあり、「アダンの海辺」などはレプリカだったが、それでもすごい!

佐川美術館には、他に一村と藝大で一時期一緒に学んだ同年の平山郁夫の常設展示室があり、生きている頃から認められ王道を行った国民的画家と、生きている頃は身内にしか支援が受けられず、死後、それもここ数年になってからブームになった天才画家と、もちろん比べるものではないが、なんとなく、いろいろ感じながら鑑賞。
ああ、満足満足の一日でした。

柳広司  講談社

図書館で、たまたま目についた本書。上下二巻。
え、『ジョーカーゲーム』シリーズや『虎と月』などの柳広司が時代物?と思ったが、絶対、外れはないと貸出。
いやあ、面白かった。
もう、巻を置く能わず。というか、あまりに面白い本にあたるとやらかすのだが、はやく続きを読みたい・・・と気持ちがはやる一方で、咀嚼が間に合わないので、突然、いまやらなくてもいい雑巾がけをしてみたり、しかも最初に借り出した時は下巻がなかったのでネット予約を入れたりと、クールダウンしながら読みすすめる。

醍醐の花見など派手好きな秀吉が没し、なんだかんだの後、政権は江戸に新しい町を作った徳川家康へ。
長年の戦乱が終わり、しかも、家康は禁中や公家たちに金銀をばらまいたため、京都では楽しさ美しさ華やかさを求める町人文化が一気に花開いたころ、という時代背景。
扇屋の俵屋の跡取り息子は、どこかぼんやり。
現代なら発達障害のなにかしらに分類がされるであろう、一つ事に集中すると周りが見えない聞こえない。
脳の中でバチっと像が結ばれると、一気に筆を動かし、それまでにない、しかも依頼主の想像や期待をはるかに超える絵を生み出す天才。
狩野派とも土佐派とも違う、もっと斬新でグラフィックな絵で人々の心をつかんだ宗達。
とはいえ、当時も、そしてかなり近代になるまでは、狩野派など一門を構えた絵師と違い、一介の、扇や小物に絵付けをしていた絵屋だったから、評価は低かった。
何々派、とか、だれそれ門下、なんとか大卒という看板がないと評価されにくいのは、現代も同じか。。。。
それはさておき、後世、多くの画家たちに影響を及ぼした宗達の、平家納経修復から、本阿弥光悦との書と絵のコラボ作品の数々から、晩年の傑作『風神雷神図屏風』などがどのようにして生まれたか。
時代背景や、本阿弥光悦、烏丸光弘、豪商の角倉家、出雲のお国などを絡め、描き切った大作。
さらには、後水尾天皇と徳川家の確執とか、美の優れた理解者である後水尾天皇が宗達の絵を認めていたとか・・・ここでも、文化に影響ある影の存在として後水尾天皇が・・・
やはり、すごい人なんだな。

これが時代小説かと言われると・・・イベント、ファン、コーディネーター,プロデューサーなどなど平気でカタカナが出てくるし、筆者の解説や視点も挿入しているし・・・ところどころルビが違っているし(これは編集者の責任でもある)、藤沢周平、葉室麟などのようないわゆる正統派ではない。
が、面白いし、力強い。宗達が目に浮かぶ。
もっとも、他の絵師同様、作品はたくさん残っていても、宗達本人の記録はほとんど残っていないのだから、自由に想像・創造できたのだろうが、その想像に、そりゃ、あの大胆な構図、発想、豊かな色彩感覚は並みの絵描きではできないよな、と読み手も心地よく乗っかることができた。
作品名を画像検索し、おお、これか!と、一粒で二度美味しく味わった。

ああ、京都行きたい!
三年前までは、気が向いたとき、ふらっと一人、京都のお寺を歩き回ったのだが・・・
養源院、醍醐寺、相国寺・・・行きたい!

東山彰良   講談社

いやあ、面白かった。
二流(?)大学の一年生、有象無象のコンビを中心にした6編構成。

この年齢の、もてない男の子特有、女の子のことばかり考えている。
頭の中は、ひたすらひたすら女の子のことばかり・・・もう、気の毒なほど・・・でも、こうなんだろうなあ。
ずっと昔、私にも花の女子大生だったことがある。
男子大学生との合同コンパに行ったことも、鼻息荒くむふむふ擦り寄ってくる男子の手を振り払って、トイレで「気持ち悪い」と友人に泣いて訴えたことも・・・いまでは遠い遠い思い出。
ま、男の子も女の子も、おおいなる勘違いと、苦い涙と、ゲラゲラ笑いを経て、大人になるのさ。

有象くん、無象くん、イケメンくん、本命ちゃん、ダンベル先輩、温厚教授、抜け目なっちゃん・・・すべての登場人物が記号化されているのが、可笑しくもわかりやすい。
ドタバタではあるが、永遠のテーマ。
そして、ただのエンタメではないぞ、とばかり、ところどころ、いろいろな文学作品から箴言が引用されてもいる。

『流』や『僕が殺した人と僕を殺した人』といった骨太の作品とは一味違う。が、どこかしら現代の『坊ちゃん』・・と言ったら褒めすぎか・・

葉室麟   角川文庫

絵師(芸術)と権力、時代との関係を絡めた短編5編。


表題作「乾山晩愁」
華やかな絵を描く尾形光琳に比べ、地味な存在の弟・乾山。
非情だけど美しい光琳の後姿を追っていた乾山にスポットをあて、なぜか?赤穂浪士との関係を絡めた一篇。

「永徳翔天」
新しい権力者が次々台頭する安土桃山時代、大和絵の土佐家を追い越し、後ろから迫りくる長谷川等伯に危機感を感じつつ、命を削って画作にうちこむ永徳。

「等伯慕影」
永徳にいどみ、「松林図」などの傑作を残した等伯は、佐渡から京に上るまでの足跡や経歴が残っていないため、自由に?創作・描写されている。
あれれ、安部龍太郎の『等伯』とも荻こう介の『松林図屏風』ともちがうぞ。後追いで別の筋立てを・・・と一瞬思ったが、ごめんなさい。葉室さんのほうが先に書いているね。

「雪信花匂」 
永徳歿後、江戸に移った狩野家一族は、三家に別れてそれぞれに御用絵師として活動していた。
探幽の高弟、久隅守景の長女・雪が、同門の弟子との恋を貫き、女流画家雪信となるまでの物語。
と簡単に書いたが、探幽が率いる鍜治橋狩野家はじめ、総領家である中橋狩野家・木挽町狩野家だの、それぞれの弟子だのと、登場人物がわんさか、しかも、本名と画号と通称と、それぞれの関係性・・・ああ、ややこしいったらありゃしない。

「一蝶幻景」
江戸中期、狩野派の画業、芭蕉派の俳人、そして吉原の幇間と、さまざまな顔をもち、たびたびお上のお咎めを受け、島流しにもあったという謎の多い人物らしい。
だからこそ自由に想像・創造できたのだな。
でも、乾山にしろ一蝶にしろ、赤穂浪士と絡めるって、なんかちょっと牽強付会な印象が・・・・

それぞれ作中に出てくる「絵」を画像検索しては、なるほど〜と楽しめた。

『カメラを止めるな!』が話題になりだしたころ、田舎にはかからないかなあ・・・検索しても名古屋とか岡崎とか・・・
ようやく当地での上映が決まってからも、なんだかんだ野暮用続きで、3週目の今日になってようやく映画館へ。
土曜日ということもあってか、3〜4割の入り。
孫と一緒に見るお子様映画以外、ガラガラの映画館に慣れているから、ちょっとびっくり。
しかも、話題の、出だしのゾンビ部分で、クスクス笑い声が・・・ああ、これはネタがわかっている2度目3度目の観客だな。
37分間ワンカットのゾンビ部分が終わり、クレジットが流れると、画面は一ヵ月前に戻る。
いくら低予算でも、あのグダグダ感は・・・と思っていた、その仕掛けが後半に明かされる。
業界裏話、そして家族・・・なるほど〜
ネットのレビューで、「最後に笑って泣いて」とあったが、まあ、泣きはしないが全部がうまく収まった大団円だった。
制作側は、まさかこんなにヒットするとは想定外だろうが、この作り・構成・ファミリー感もあり・・・これだけ話題になると、たしかにハリウッドなどでリメイク、なんてことにならないとも限らない。
原作原案問題が起こるのも無理はない。
このグダグダ感も捨てがたいが、より洗練された作りも見てみたい気がする。
実現したら面白いな。


名古屋の機械メイカーヤマザキマザックビル4・5階にあるヤマザキマザック美術館は、ロココ・新古典から印象派前期など19・20世紀の絵画やアールヌーボーのガラス器、寄木家具などにしぼった収蔵品を展示してある、小規模だが私のお気に入り。
企画展示をチェックすると、今回は「尾州徳川の花相撲 帝もサムライも熱中! いとしの植物たち」の惹句に、え? ここって西洋画が専門では?
検索によると美術館斜め向かいの園芸店のご隠居が収集している植物図譜を中心に、尾張徳川家と後水尾天皇の花競い、日本から影響を受けたアールヌーボーガラス器との関係などをからめて、草花の図譜や工芸品などを展示すると。
ふむー。
後水尾天皇についてはいろいろな作品に取り上げられているし、つい先日も『嵯峨野花譜』で寺の花務という職責を知ったばかり。
草花に関して知識も関心も薄いが、これは見逃せない。と思いつつ、命に関わる暑さにすくんでいたが、ようやく出かける気になったのは、もう明日で最終日というギリギリのタイミング・・・
いやあ。面白かった。

4階から見てくださいと案内。
4階はアールヌーボーの、ラリックやガレのガラス器や、寄木造りの家具などが展示してあるのだが・・・と思いつつ入室。
入ってすぐのガラスケースに椿の図譜。
保存のため照度を落としてあるが、草花にうとい私でも、描写の精密さがわかる。すごい!
孫の和子姫を後水尾天皇に入内させた家光は、後水尾天皇の関心をひくため? 天皇の好きな椿の図譜を贈ったところ、天皇から「われは、もっと知っておるぞ」と、さらに詳細な図譜が贈られたとか。あはは。
後水尾天皇は、思い通りにいかない日々の鬱屈をはらすため、和歌や茶会、活花や作庭など、文化活動に傾倒したからね。
そりゃあ、専門家ハダシだろうよ。

次には、活花の図。
東大寺大仏の開眼供養に合わせて、高さ2メートルもの花器に松など高さ12メートルもの活花を飾ったのが池坊家。
え? 大仏開眼? 高さ12メートルって、3階4階建てくらい? 
検索によると、戦国時代(その前にも何度かあったらしいが)大仏殿が燃え、大仏も頭部が損傷。むき出しのまま、ン十年。
元禄時代になって、ようやく修復されたのだそうだ。へええ。
さらには、武士の趣味(実は内職)として大流行した変種朝顔の膨大な図譜。
植物学者でもあるガレが、朝顔・百合・葵などなど日本からの影響を受けて制作したガラス器の数々。
植物図譜と解説文に合わせて、フラワーデザインやボタニカルアートが展示してあり、理解と興味を助けてくれる。
いやあ、期待以上に面白い、内容の濃い展示だった。

5階は、何度も見た収蔵品展示。でも、ここのラインナップは、わかりやすくて親近感が持てる。
簡単なランチをすませて、金山の名古屋ボストン美術館へはしご。
閉鎖まえの最後の展示はハピネスと銘打って、収蔵品のうち、見る人を幸せにする作品を展示、と。
美人画のイメージが強い歌麿の微笑ましい母子図と西洋画の母子像を並べてあったりと、たしかに、ニコッとする絵ばかりだが、ちょっと脈絡が・・・・
ま、いっか。と、こちらはささっと観覧して、帰宅。
食卓には、留守の間に息子が届けてくれた団子が(ニコッ)
幸せな一日を楽しんだ。


孫預かりで、ものすごーく久しぶりにDVDを借りにツタヤに行った。
考えてみれば、3年ぶりくらい? 当然、カードは無効になっているので新規更新。
しかし、今どきはアプリをダウンロードすれば携帯やPCからも映画が見られる時代だから、もうレンタルなんて業態としては古いのだろうか。
迷子の2歳児を発見したスーパーボランティアは、記事によると父親が下駄職人で時代と共に生活が苦しくなり、農家へ養子に出されたとか。
そうだよねえ、下駄・傘・タバコ屋、味噌を量り売りする酒屋、豆腐の引き売り・・・どこを見回しても、無いもんねえ。

母を見送った後の遺品整理を思い出した。
うちは本家ではないから、先祖伝来の骨とう品や古美術的なものはなにもない。
せいぜい、母が嫁入りの時持ってきた、縫い糸がボロボロになった着物や、その後の贈答でいただいた皿・置時計・花瓶など・・・もう、なんの価値もないものばかり。
骨董屋に相談しても、今の人が欲しいかどうか、ですよ。とそっけない返事。
せいぜい、衣類は目方で100円単位。
それでも、うちにおいても邪魔になるし、そもそも私は思い出に執着しない人なので、とっとと処分したが、いまなら、メルカリとかに出せば、もっと上手にやり取りできたのだろうか。
そう思うと、骨董屋、古着屋もなくなるのだろうか。
時々思いついたように、押し入れや棚にしまいっぱなしだったものを片付け始めるのだら、メルカリとやらにチャレンジしてみようかしらん。

話がそれた。
レンタル屋で手続きをしているとき、カウンター横にある100円DVDに目がとまった。
版権の切れた初期のディズニーアニメは時々買っていたが、おお! 懐かしいファンタジア!
小学生の時、学校からの映画鑑賞で見たとき、ものすごい衝撃を受けた。
以来、魔法使いの弟子といえば、ミッキーが箒に魔法をかけて水汲みをさせるシーンを連想していた。
が、今回、ン十年ぶりに見て、あ、こんなシーンもあったっけ、懐かしい、とか、へえ、こんな映像初めてみるよーな、とか、思い出と映像美と音楽のコラボの見事さへの衝撃とで忙しい忙しい。

検索によるとアメリカでの公開は1940年と。
日本で竹槍とか防空壕とかバケツリレーとか言っている頃、アメリカでは、こんな美しい、夢のような、しかも、当然ながらすべて手作業で制作されていたなんて・・・勝てるわけないよねえ・・・

松岡圭祐  講談社文庫

兄から回ってきた。男性好みの本だよ、とのコメントつきで本友から回ってきた本。

商社マン櫻井が売り込み相手の中国人大物に「あなたの高祖父櫻井隆一が信頼できる人物なので契約する」と言われて戸惑う、という導入にまず戸惑う。
えっと、高祖父って、曽祖父の上だよね。
三代前の曽祖父なら、私も親や周囲から人となりを聞かされてはいるが、その上の代までは・・・

時は1900年の春、舞台は清国・北京。
弱体化した清国に進出している日欧米の列強11か国の公館区域が、武装化した義和団に襲撃される。
軍人・外交官・医師・使用人など居留外国人に、途中から漢人クリスチャンも合流したため、避難民は4千人にも膨れ上がった。
しかも、西太后が義和団を清国軍に取り込む決定をしたため、周囲を囲む軍勢は膨大な数量に。
そんな絶体絶命の中、援軍が到着するまでの二か月間! わずかな兵力だけで籠城を続ける。

読み始めは、義和団の乱とか、西太后、日清戦争、欧米の清国進出などなど、世界史で字面だけは見ていたが、なにがなにやらさっぱりわからないまま通り過ぎた単語が躍り、えっと〜・・・だったが、
堪能な語学力を買われ、各国との交渉の場に立ち会う機会がおおい櫻井隆一伍長を主人公に、11ヶ国それぞれ国民性や文民と軍人の意識の違い、さまざまな人間模様、内通者?などミステリー仕立てもあり、長編だが最後まで引っ張って読まされた。
会津藩出身という当時の薩長中心の陸軍からは異端的存在の柴五郎中佐、その謙虚な物腰にはじめのうち反発していた櫻井は、次第に思慮深さ、洞察力、判断力、交渉力に尊敬の念を抱く。そして柴の人間力は、イギリス・ロシアなどの異国の人々をも動かしていく。
その他、公館区域防衛のため民間人にも義勇兵を募ると、日本人が多数応募、しかも、みな忠誠心と惜しみない働き・・・とか、ロシア人兵士に「親切で真面目で勤勉で信頼できて気配りがきいて低姿勢だ」と言わしめるほどの深い交流があった、など、帯に書かれた「石破茂氏推薦」も納得の愛国心をくすぐられる。
でもなあ・・・だったらなぜ、このあと、日露戦争、そしてシナ事変へずるずる・・・・
柴や櫻井のような国際派とか公平な知識人を、なぜ生かせなかった・・・
たまたまだが、今日は終戦の日。

明治維新で、人間や社会がきっぱり変わったわけではない。慶応。明治、大正・・と年号は変わっても、世の流れは全部つながっている。
などなどいろいろ感ずること多く読了したが、最後、現代に戻らずに話が終わるのはなんとなく消化不良。

物語としてのフィクション部分は多いだろうが、柴五郎氏は実在の人物で、この事件への功績により欧米各国から勲章を授与されているそうだ。


先日の台風12号で、屋根のてっぺんの瓦が落下。
きっと、あちこちから電話がかかっているだろうなと思いつつ、工務店に連絡。
さっそく、瓦屋さんが下見にきてくれ、落下した以外にも、複数の瓦が割れたりズレたりしていると。
修理にいくらくらいかかるのか見当がつかないが、保険屋にも連絡。

今日、補修用の瓦と梯子を軽トラに積んだ職人さんが屋根修理に来てくれた。
ガタイの良い職人さんが長い梯子をギシギシと上り下りしたり、ボルトで止めたりする音が、家の中にいても響く。
音がやんでいる間は休憩をとっているらしい。
それにしてもこの暑さ。熱中症にならないでね、とスポーツドリンクやらアイスやら栄養ゼリーやらを差し入れする。
いつもなら、台風後の瓦修理は、九月。台風一過の涼しさがあるけど、これだけ暑いと瓦が焼けそうに熱い、と。
そうだよね・・・
ん? 熱い屋根。。。
夕方近くになりようやく修理完了。
汗びっしょりの職人さんが帰るのを見送ってから、ふと思い出した。
ずっと昔、熱いトタン屋根の猫とかいう映画があったな。
検索する。
そうそう。
エリザベス・テイラーとポール・ニューマン・・・・
わたしはまだ子どもだったから、この映画はリアルには見てないが、懐かしい名前。
両親はよく子どもたちを映画に連れて行ってくれたが、ま、この内容では連れてってくれなかったな。
台風⇒瓦⇒熱い屋根からの連想。

昨日、ナガサキの日は孫たちがわちゃわちゃしていて、中継を見損なった。
代わりに、ニュースや新聞で、国連事務総長の場面、スピーチなど見る。
今朝の朝刊一面に、3発目を新潟に使用する用意をしていた、と。

最近、子どもたちに広島の話をする機会があるが、私自身、戦争を知らないし、当地は色々な意味で広島・長崎から遠い。
まして、平和と豊かさしか知らない子どもたちにどう伝えるか・・・なるべく、イメージしやすいよう、当地の地図と重ねたり、同じ年齢の子たちがどんな目にあったか、例をひいて語るようにしているが・・・
原爆投下の候補地として、広島・小倉(代わりに長崎)・新潟などが挙げられていたことは資料として知ってはいたが、これほど具体的に、日程まで決めて計画されていたとは・・・
わちゃわちゃ遊んでいる孫たち、父方のルーツは新潟。
ということは、もし新潟に原爆を投下されていたら・・・・ぞっ



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