TVで放映されたニュース映像、脱線車両がグニャグニャに重なり合う大事故のシーンはショッキングだった。
直後は、運転士のミス?的な報道がされていたが、日本車両製造が設計ミスと発表。
え、えーーー
世界一安全な鉄道だったんじゃないんかい。

事故で大けがを負った運転士が、泣きながら、土下座をせんばかりに謝罪している周りで、被害者家族が、「あなたが生きていてよかった。なにがあったか知っている唯一の証人だから」と声をかけるシーン、感動した。
暖かい民族だなあ。
で、その後の報道がないので、どうなったのだろう。と気になりつつ、吉田修一『路』を再読。
もちろん、フィクションだから、この通りではないだろうが、日本で働く台湾人、台湾で働く日本人、新幹線を機にそれまでのお気楽暮らしから真面目に働きだした台湾青年、統治時代の台湾で生まれ育ちながら一度も台湾に帰省していなかった老人、などなど、新幹線建設を軸にした人間模様。
おおらかで、楽観的な台湾人。肌にまつわるような暑さと湿気。なにを食べても美味しい食べ物。
ああ、いいなあ。

日本車両製造は、隣の市に工場があるなど身近な存在だから、気になるが、その後の報道がない。
作品の中でも描写があったが、日本が台湾を見る視線と、台湾が日本を見る視線では、熱量が違うようだ。
鉄道にしろ高速道路にしろ、大開発の陰には土地収用など、犠牲になる人もいるだろうが、『路』ではそこには触れてないし。

地元の自然と文化と歴史の公園、市民の憩いの場に、大規模施設建設の動きがある。
交通渋滞、不法駐車、ごみのポイ捨て・・・公園そばに住む住民にとっては大迷惑。
という住民エゴだけでなく、どうもきな臭い気配が・・・・
新幹線事故から『路』再読から、いろいろな思考が湧いてくる。

穂の国とよはし劇場  一階K列5

脚本・演出  前川知大
出演   佐々木蔵之介  白石加代子  松雪泰子  他

タイトル通り、水木しげるへのオマージュ。水木作品の劇化ではない。
半妖怪のネズが何十年と住みついている山奥の廃神社に、駆け落ちの若い男女が迷いつく。
女は妊娠している、父親は市長。
どうやら、近未来? 
見えない存在の白石加代子と松雪泰子。
妖怪やあの世の者たちが見える、会話できる、けど、まだ死なないでこの世に居続ける半妖怪の佐々木蔵之介。
この三人を狂言回しに、貧富の差、極端な少子化、なのに、産まれる子どもは、市長と結託した製薬会社の人体実験に使われ・・
詐欺・怪しげな錬金術にはまる農民・・・
などなど、現代社会のネタを入れつつ、目に見えない世界、妖怪は存在するのか?
人の思いが感じるものなのか?
でも、ひょっとしたら、やっぱり、いるのかも。

ああ、面白かった。
主役以外も、芸達者な俳優ばかりで、劇場が湧く。
わけがわからない、キツネにつままれたような物語だが、安易な答えでも、勧善懲悪でも、妖怪の働きでめでたしめでたし、でもないのが良い。


この日は、午前中、美術館裏庭で開催された野外コンサートのお手伝いと音楽鑑賞、後片付けはご免して、市電に飛び乗り、劇場手前のベンチでコンビニサンドイッチを缶コーヒーを流し込んでから、いざ、観劇。
終了後は、夕食のおかずを買って、市電で帰宅。
普段着に着替え、夕食の支度をして、はあぁ、間に合った。
制約された時間の中での、自分だけのお楽しみ。いつまで続けられるだろうか・・・


久しぶりの小春日和、夫と近くの公園へ散歩。
緑の木々の間に点在している児童公園、野球場、テニスコートなどの横を通り過ぎ、美術館へ。
一階の展示室ではいろいろなグループ展が開催されている。
ほとんどが素人の絵とか写真だから、たいして期待はしていない。
夫が気になるのは、友人知人が出展しているかどうかだけ。。
が、一つの部屋の写真展が面白かった。
日常のなにげない光景の中で、どこを切り取るかもさりながら、つけたタイトルが絶妙。
たとえば吊り上げられた巨大なコンテナの下でヘルメット姿の作業員が打ち合わせしているシーンには「絶対的信頼」など。
目についた風景をパシャパシャ撮って、曲のないタイトルをつけてグループ展をする誰かさんとは大違い、と心の中でつぶやく私。

美術館併設のカフェでランチ。
ふと屋外のテラス席を見ると、dog free の看板と、犬の鎖を係留するための金具をつけたブロックが床に置いてある。
あら、面白い。と夫に声をかけるが、薄い反応。
私だったら、これを撮って、なにかしら面白いタイトルつけるのにな。
なにがいいだろう?

ランチを終えて、いつも通り、花壇や噴水のある一画へ。
花壇には、真っ赤なサルビアが今を盛りと咲き誇っている。
いつも通り、夫はあっちを見上げ、こっちを向いてパシャパシャ。
同じような景色のデータ、いったい何万枚あるだろう・・・
ふと横を見ると、サラリーマン風の男性が、夫のカメラフレームとは離れた場所を選んでいる気配。
ランチタイムのカメラマン? と思っていたら、縦長の黒いバッグを開け始める。
あら、望遠レンズ?
夫も、その男性を気にしつつ、その場から離れる。
ふと振り向くと、男性が手にしているのは大きめのリカちゃん人形。
髪の毛をきれいになでそろえ、スカートを整え、足を折り曲げて、花壇の縁に座らせてから、おもむろに別のバッグからカメラを取り出す。
え、えー・・・

いろいろな視点があるんだなあ。
人それぞれ。
私がいいと思うものを、必ずしも万人が好むわけではない。
その人その人の世界観があるのだなあ。


藤沢周平    文春文庫

下級武士の次男という、武家の階級社会では最下層の立場から、農政・難しい開墾事業を足掛かりに筆頭家老まで上り詰めた桑山又左衛門のもとへ、若い頃の仲間、野瀬市之丞から果たし状が届く。
五日後の決闘を受けるか、回避することはできないか、そもそも市之丞はなぜ?

あれから幾星霜、いろいろなことがあったなぁ。
大身の長男として将来が約束されている杉山鹿之助を中心に、隼太(のちの又左衛門)・市之丞・庄六・一蔵ら五人は同じ剣道場で切磋琢磨するいい仲間だった。
剣の腕前は、隼太と市之丞が双璧。その少し下に鹿之助、いくら頑張っても上達しないのが庄六と一蔵。
そんな仲間も、鹿之助の結婚を機にバラバラになっていく。
そもそも、鹿之助とそれ以外の者は身分が違いすぎる、友人として付き合っていられたのは青春時代の期間限定だったのだ。
貧しい家の長男・庄六は、静かに仲間から去っていく。
それ以外の三人は次男だから、好条件の婿入り先を見つけるしか将来はない。
年上女の婿になった一蔵は・・・
鋭い太刀筋、狷介で物事を斜めから見ている市之丞は・・・

果たし状から当日までの五日間、又左衛門の日々の仕事や暮らしの合間に若い頃の回想が挟まれる。
それがまあ、絶妙の配分と情報。
五人それぞれの友情と歩む道の違い、藩上層部の権力争い、御用商人、百姓や下級武士の貧しい暮らし。
なんとか石高を増やし、借金まみれの財政を立て直したいという純粋な思い。
若い、まだ世の中がわかってない頃の、甘さ、青さ。
そこから、婿入り婚の苦労や、仕事の苦労、藩中の裏表の事情、時に感じる達成感などなど、青二才隼太から重臣又左衛門へと成長、成熟、変化していく経過・・・
約束の期日を前に、又左衛門の胸に去来するのは少しの悔悟、自負と誇り、老いを前にしたさまざまな思い。
ああ、わかるなあ。
あのとき、あんなことを言ってよかったのだろうか。あの判断でよかったのだろうか。
時間を巻き戻せるなら、やり直したいことも・・・
でも、でも、私にはこういう道しかなかった。と、だれしもが思うことだろう。

やっぱ、藤沢、いいなあ。
ずいぶん読んできたつもりだったが、まだまだ宝は残っているなあ。

友人を誘って、隣市の美術館で開催中の「蜷川実花展」に。
のっけの3室は、まあ、どぎつい、ハレーションを起こしそうな極色彩の花・花・花・・・・
二階の展示室には、芸能人、モデル、歌舞伎役者、さらには草間彌生など数々の有名人の写真。
もちろん、蜷川ワールドだから、化粧や衣装で、一見誰だかわからない写真も。
入り口で手渡された紙に、あいうえお順で名前一覧があるが、掲示の順番通りではないので、まるで神経衰弱ゲームのように、これがアノ人?
えーー、目元は似てるけど・・・
他に、芸能人の名前にくわしいお客さんがいて、あ、これ、あの人!と次々当てていく。
こっちは7割方しか、判明できなかった。ちょっと悔しい(笑)

ギラギラの花写真、大勢の有名人が化けた、あるいは、本人の思いがけない姿を写し取った写真群にすっかりエネルギーを吸い取られた感じで、最後に向かった部屋は一転して、父親の病気・末期を知ってからの、それでも仕事をこなさなければならない日常で写し取った景色の写真と言葉。
シンと気持ちが静まる。

私自身も、日常をまったく離れた世界に遊び、そして、心が静まった。

いい展示だった。




本友に回していた『国宝』が戻ってきた。
普段それほど速読ではない、感情をあらわにしない彼女が、
「すごかった! ぐいぐい引き込まれて、次はどうなる、次はって、あっという間に読んだ。喜久雄とか俊平とか徳治とか、目に浮かぶ」と興奮気味に語る。
でしょでしょ。読んだら語りたくなる本だよね。
設定といいストーリー展開といい、一歩間違えば通俗的になるところ、ギリギリ、文学性にとどまっている。
登場人物たちが抱える闇と、表舞台の輝きと・・・と。
映画化してほしいけど、「散り椿」みたいにがっかりしたくないしね。
あれはダメ映画だったね。
主役二人は、だれがいいだろう。イケメンで演技力があって、所作も踊りも・・・岡田将生なんてどう。
なんて、おばちゃんしゃべりを楽しんだ。

その夕方、たまたまお菓子のおすそ分けに来てくださった別の友人に『国宝』を押し付ける。
先日私が話題にした京極夏彦の『嗤う伊右衛門』を読み始めたところだとか。
すいませんねえ。私の趣味を押し付けて(笑)

藤沢周平全集一巻。
どの作品も暗い暗い。博打に狂って人生をダメにした男。女と男。貧しさ。
どれもどれも救いがない。
解説にも、この時期、売れるためには明るい話も書かねばとわかっているが、暗い話しか書けなかった。という意味のことが書いてあった。
結核にかかって教職を離れ、回復後は家族を養うためにも心ならずも小さな業界紙で働きながら、先の見えない暮らしをしていた鬱屈が、登場人物たちに投影されているのがひしひしと伝わる。
のちの人情味あふれる市井ものとか「蝉しぐれ」など、成長・救い・光のある作品を生み出すまでは、中に抱えていた闇を全部吐き出す必要があったのだろう。
吉田修一も、「悪人」「怒り」のように、あきらかに闇をテーマにした作品以外にも、ほんとうに驚くほど多彩な作品を書いているが、どこかしら闇が見える。気がする。
『国宝』は、その闇と光の対比がすごかった。


そして、藤沢周平の文章力!
無駄のない、そぎ落とした文章で、情景や心情がすーっと胸に入ってきて、読後、余韻が残る。
そして、吉田も、上下二巻の長い長い小説を、一度も中だるみなく、大勢の登場人物一人一人が鮮やかに立ち上がっている。
やっぱ、作家って、すごいなあ。
やっぱ、本を抱えてずぶずぶと・・・・

山登りだのスポーツだのといったアウトドアにはまったく無縁。
美味しいものは食べたいがグルメだの自然食品などにはこだわらない。
人と会う時、失礼のない程度の服があれば、流行を追ってまでお洒落をする意識はない。
読書と美術鑑賞、時々映画、が唯一?の楽しみ、ストレス解消法。
図書館と美術館があれば生きていける(は、おおげさか)というヘビーユーザーのためか、ときどき、地元図書館や美術館の評議員会、運営委員会などにお声がかかる。

今回は、図書館の中に併設されている司文庫(洋書専門店丸善の創立者司氏が、故郷の為に寄せてくださった基金をもとに、洋書や高価な美術書を購入し、貸出、観覧に供している)の運営委員会。
出席者は六名の委員と館の職員数名。
参加者名簿を見ると、私は教師でも自営業でもなんでもない主婦なので、肩書に困るらしいが( ´艸`)。
せっかくの機会だから、利用者としての提言や感想、質問など(さて、我々の提言がどれだけ実行されるのか??と思いつつ)活発に会話が交わされる。
一時間超の会合の後、一階の図書棚から藤沢周平全集1を借りだす。

帰宅後、さっそく巻をひらく。
1巻だから初期の、デビュー当時の作品21編が収載され、すべて未読。
まず「溟い海」
大達磨を描いたり、外連味の強い富獄三十六景を描いたりと、名声と評価を得ている北斎が、最近東海道の浮世絵で評判になっている広重に激しく嫉妬する話。
二人の絵の違い、景色のどこをどう切り取るか、どこを強調するかしないか、を北斎が見抜くあたりはさすが。

そこから数編飛んで、「旅の誘い」
こちらは、広重
北斎は、小説や映画に度々取り上げられ、奇矯な生活や性格、ほとんど物狂いのような画業への取り組みなど、よく知られているが、そういえば、普遍的で、派手さはないが飽きの来ない風景画を描く広重については、あまり知られていないな。
その広重の人となり、穏やかにみえて、やはり、中に秘めた暗い思いを静かに描き出している。

なるほど〜
もちろん、小説だからフィクションではあるが、二人の絵師の生きざま、人となりが絵に表れているのだなと、腑に落ちる。
絵と小説の融合が、また、いい。

こういう良い作品を読むと、とても幸せ。
頭の隅にあるストレス、屈託を、いったん、忘れることができる。
このまま、毎日、せんべいやクッキーをポリポリとつまみながら、冷えた煎茶を飲みながら、好きな本を朝起きてから夜寝るまで、ずーーーーっと読んでいられたらなあ。
太る? 健康に悪い? いいじゃない、もう充分生きた。このまま、ぬくぬくと座り込んで、太りに太って、本を抱えたまま死ねたら、最高だよね。
と、現実逃避的な誘惑にかられる。



吉田修一    新潮社

吉田修一の『国宝』は、ジェットコースターに乗ったかのような浮遊感、美酒に酔ったような気分が続き、続けて二度読んだ。
こんな経験はちょっと久しぶり。
で、近くの市民館の図書コーナーで目についた吉田本を借り出した。

長崎は坂の町。すぐそこに見えている家も、いったん坂を下り、迂回してまた坂道を上らなければ辿りつけない。
そんな家に住む一家は、別に家を構えるヤクザ長男の下っ端的次男、夫を工場事故で失い、駿と悠太、二人の息子を連れて出戻った長女、その亭主気取りの男などなど。雑多な男女が入り混じって毎日がどんちゃん騒ぎ。
ボケがはじまった祖父と祖母が住む部屋の先にある離れには、若くして自殺した叔父の絵(一度は捨てられかけたのを駿が拾い出してしまってある)があり、さらに、駿にだけは叔父の声が聞こえる。
そして、その離れは、常に誰かしら男が次々と女を誘い込み・・・その間、子どもは近づくことができない。
酒、暴力、女・・・猥雑な、文字通り反社会的集団の中で育つ、その社会しか知らない、入れ墨に憧れながら、どこかしら嫌悪感も抱きつつ、背伸びをする駿を主人公とし、数年ごとに時間を飛んでの短編連作。
高校卒業後、一度はその家を離れようとする駿に、少しの明かりを見るのだが・・・

最終章は、弟・悠太からの目線。
結局、母親や家を捨てることができず家にとどまった駿と東京の大学に進学した悠太とでは、会話が続かない。
昔の多くの男女が出入りしていた、ある意味、賑やかだった頃の名残りなど欠片もないほどさびれ、朽ちていくだけのこの家。
そして同様に、ただ朽ちていくだけの駿・・・
うわあ、すごい閉塞感、希望も展望もない日々。土地の呪縛か、家族の重さか・・・
ラスト、火事のシーンが象徴的。

芥川賞など数々の賞を受けた後の、初期の終わりごろの作品。
永遠の美を求めて物狂う『国宝』とはまったく真逆の世界。
しかし、まあ、ほんとうに作品ごとに違う世界、違う文体で、魅せてくれるなあ。

吉田修一   朝日新聞社

新聞(うちは朝日はとってない)の新刊PR部分で目にし、検索かけて、ピピピ。
即、購入。
上下二巻、上巻は白地に赤の柄、下巻は真っ赤に白抜きの表紙。合計700頁の厚さ。
華やかさと重量感。
わくわく、わくわく。

時は昭和39年、東京オリンピックを迎える年、場所は長崎、被爆者、引揚者、丸山遊郭とまだ戦後の混沌が残る長崎。
土地を束ねるヤクザ一家の、料亭を貸し切っての新年会、一番の目玉は会長の息子、喜久雄少年演じる歌舞伎の一幕。
芸事好きの母親の影響とはいえ、生来の色気はたまたま来合わせた関西歌舞伎・女形役者の花井半次郎も驚くほど。
そこへ突然の襲撃・・・
組同士の出入りで父親を亡くした喜久雄は、数年後、半次郎の部屋子として引き取られることに。
極道の息子ながら踊りとなると役が憑依する天才肌の喜久雄と、半次郎の息子・血統書付き正統派の俊介との芸道修業が始まる。
生まれ育ちの違う少年同士のライバル心と反発心は、互いの芸を磨きあい、やがて奇妙な友情が・・・
ところが次から次へと事態が動き・・・
と、まあ、芸道の厳しさと歌舞伎界の裏面、興行界のシビアさ、狭い世界独特の仲間意識、男女のあれこれ、親子の情、スキャンダル、人気の浮き沈みなどなど、これは東映映画か?!(いや、当時の東映映画、リアルには見てないが)、近年でいえば橋田寿賀子、いや菊田一雄の世界か・・・
というような波乱万丈の物語が、大阪万博、バブル期、テレビのワイドショー、週刊誌など社会背景をうまく生かしながら、進んでいく。
読み始め、どうも文体に違和感が・・と思ったら、地の文が語り口調。
つまり、ドラマか映画のナレーション、いや、子どもの頃ラジオから流れていた朗読の時間を聞いているような不思議な感覚だが、これが、通俗的大衆小説的な展開には、とても効果的。

当時の歌舞伎界、特に関西歌舞伎は、いまの隆盛ぶりからは想像もつかないほど停滞していた。
(だから、中村錦之助、坂東妻三郎など梨園の若者が映画に転身。しかも、一度歌舞伎から離れたら二度と戻れなかった)
そこから、なぜか、嫡男をさしおいて半次郎の名跡を継ぐことになった喜久雄と、半弥(俊介)二人の奮闘ぶり。
それを支える、というか、儲けるかどうか、客が入るかどうかがすべての価値基準の興行会社・三友(社名はみえみえ。だって、出てくる社員の名前が、松浪、竹野、梅木 ( ´艸`)…)
せっかくの上り調子の最中、俊介の出奔、ヒール扱いされ出番が激減する喜久雄・・・互いに違う場所で頑張った結果・・・
とまあ、あまりのこてこて、ジェットコースター的浮き沈み、光と影、運命のいたずらに、途中途中でたじろぎながらも、ついつい喜久雄と俊介、さらに家族や周囲の人物たちのその後が気になって読みすすめてしまう。

はぁぁぁ・長かった。面白かった。
しかし、さすが吉田修一、ただの芸道もの、大衆文学には終わらせない。
ラストには想像を超えるシーンが待っていた。
うん。あえて言うなら、舟橋聖一の世界、かな。ずいぶん昔読んだままなので、記憶は定かではないが。

当然、歌舞伎や舞踊の演目や梨園独特の文化も、手際よくわかりやすく解説されている。
本書に登場する多くの演目の中で、私が実際に見たことがある(つまりポピュラーな演目)は数点。
長年、板にかかってなかった演目を取り上げる、というシーンも多くあり、作家の勉強ぶりが伝わる。

これまで読んだ葉室麟作品からは、清冽、背筋が伸びる、という読後感があったが、先日『川あかり』を読んだときは、ストーリーや人物造形は面白かったが、文章の感触は、あれ?あれれ? 週刊誌掲載だから読者レベルにあわせた? というのが率直な感想。
では、と藤沢周平の初期の短編集と、TVドラマにもなった『用心棒日月抄』をサラッと読み返す。
うーむ、やっぱりうまい!
過不足ない情報、人物描写、暗い話は重厚に、エンタメはエンタメなりに軽い筆致ながらも、いずれも行間に余情がある。
なんてね、むろん、素人の勝手な比較などおこがましいが、やっぱり、藤沢周平、好きだなあ。
こうなったら、ごく初期の作品も図書館で捜して読んでみようかなあ。
で、その前に、男性本友から回ってきた黒川博行作品をスパイスドリンク代わりに?読む。
相変わらず、半ヤクザの主人公が本物のヤクザの抗争に巻き込まれる話。
独特の、漫才のノリ突っ込みのような会話でテンポよく状況や心理を描写。
そういえば、町田康は独特のスタイルを貫いているし、それぞれに、独特で特徴的な文体だなぁ。
文体・スタイルと言えば、吉田修一が極道と歌舞伎界をリンクさせた新作を出したというので、早速、購入。
しかし、吉田が歌舞伎界??? 
そういえば、これまで読んだ吉田作品って、(読んだ点数は少ないからエラソー言えないが)、すべて作品ごとにスタイルや内容が違う。
時代小説といえば××、青春小説といえば○○、ピカレスクといえば△△。という分類わけがしにくい。
この人はどこを目指しているのだ?
記事によると、吉田は、常に、違う世界、違う作品を目指しているのだとか。
だから、歌舞伎も、それまではまったくの無知無関心だったが、取り上げると決まってから歌舞伎座や劇場に通い、今まで遠かった関連本に目を通し。。。したのだそうだ。
ふむ。と読み始める。
え、えええ? この文体って・・・・
レトロというか、語り口調、それも二昔も前にラジオから流れたいたような・・・
うーむ。吉田修一は吉田修一なりに、違う世界違う世界を極めようとしているのか。

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