杉山茂樹のBLOGマガジン

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  • [プロフィール]
  • 静岡県出身。東京都在住。AB型
  • スポーツライター
  • 得意分野はサッカーでヨーロッパが厚め
  • W杯は82年のスペイン大会以降、9大会連続現地取材
  • 五輪も夏冬併せ9度取材
  • テーマは「サッカーらしさ」「サッカーっぽさ」の追求
  • 愛称はスギッチ。サッカー番長。スタジアム評論家
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【メルマガ】サウール対ルーカス・バスケス。CL決勝マドリーダービーのポイントとは

 マドリーダービーとなったチャンピオンズリーグ決勝。13−14シーズンの決勝
に続く2年ぶりの戦いになるが、当時、アトレティコ側は大きな不利を抱えてい
た。右サイドで重要な役割を果たしてきたアルダ・トゥラン(現バルサ)の欠場。
同じく怪我で、出場が危ぶまれていたエースストライカー、ジエゴ・コスタは出
場に漕ぎつけたが、開始わずか9分で故障が再発。ベンチに退いた。にもかかわ
らずアトレティコは、後半のロスタイムまでマドリーに対してリードする。マド
リーはそこで同点に追いつき、延長で逆転勝利を飾ったわけだが、もしアトレテ
ィコが逃げ切っていれば、番狂わせこそが正しい表現といえた。

 2年後の今回とは異なる様相である。アトレティコが勝利を飾っても、番狂わ
せという言葉は似合わない。大手ブックメーカーの一つであるウィリアムヒル社
の予想によれば、マドリー対アトレティコの関係は、1.73倍対2.10倍。勝ち、
分け、負けの関係で言えば、マドリー勝ち2.4倍、同分け2.9倍、同敗戦3.0倍。
両者はほぼ55対45の関係にある。

 おそらくその力関係は、皮膚感覚として両軍選手たちに浸透しているだろう。
これが、キックオフと同時にどう働くか。60対40に近づけば、マドリーの選手
はノリよくプレイできるが、50対50に近づくと、居心地悪いプレイになる。ア
トレティコの場合はその逆だ。

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セビージャがEL3連覇。リバプールを一蹴した「攻撃は最大の防御」

 ヨーロッパリーグ(EL)決勝。後半25分、コケのゴールが決まりスコアは3対1に。セビージャはリバプールに対し2点リードの状況で、残り20分+ロスタイムを戦うことになった。
 逃げ切りは成功するか否か。それこそがこういう場合の一般的な見どころだ。マラソンで言えば35キロ付近。野球で言えば7回裏。しかも試合は決勝戦だ。リードしている側は逃げようとする。多くのスポーツではそれが常識だ。しかし、セビージャは前に出た。3連覇がかかるディフェンディングチャンピオンは、後ろを気にせず追加点を狙いにいった。
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選手紹介に出身地名は不可欠。日本代表的ナショナリズムではなく、郷土愛が日本のスポーツを面白くする

 一頃より、客の入りもよく、人気回復著しいように見える大相撲。様々な改革が図られているのだろうが、昔からの慣習の中にもハッとさせられるというか、改めて感心させられるものもある。
 
 十両の取り組みの後に行われる幕内力士の土俵入りだ。東西に分かれた平幕から大関までの力士たちが、土俵に上がり、拍手を打ち、右手を挙げ、化粧まわしをつまんだ後に両手を挙げるーーというこの儀式。初日から千秋楽まで15日間、毎日繰り返し行われるのだが、これは早い話が、顔見せの入場行進だ。場内アナウンスに四股名が読み上げられるや、場内から拍手が湧く。そのボルテージで、人気の程や好調さをうかがい知ることができる。と同時に、別の情報も手に入れることができる。場内アナウンスが四股名とともに読み上げる出身都道府県と所属部屋だ。「○○県出身、○○部屋」。
 
 所属部屋がそこそこの通に向けた情報であるのに対し、出身県は万人向けだ。さほど相撲に興味がないファンにも高い訴求力がある。不意に自分の出身県が読み上げられたことを機に、その力士に関心を抱くようになったという経験がある人はいるはず。
 
 出身都道府県。これはスポーツ観戦をする上で重要な情報だ。スポーツ観戦に限った話ではない。何かに関心を抱くきっかけとして欠かせない要素だ。先日見に行った映画で主役を演じていた若手女優さんが、実は僕と同じ出身県だったことを、後に知ることになったのだが、そう言われてみると、少し胸を張りたい気分というか、何か得した情報を得たような気分になるから不思議だ。出身県に対する愛着が希薄だと自認する僕でさえそうなのだから、潜在的に高い郷土愛を持つ一般の人は、それ以上であるに違いない。
 
 大相撲の場内アナウンスは、実際の取り組みの際に、さらに細かな情報を提供する。「○○県」に加え「○○市出身」まで告げてくる。グイグイと郷土愛の掘り下げにかかろうとするわけだ。大相撲が根強い人気を誇る理由を見る気がする。
 
 郷土愛に訴えかけようとするイベントと言えば、甲子園の高校野球の右に出る者はいない。しかし、プロ野球を伝えるメディアが、そこに気を掛けているか、こだわりながら報じているかと言えば疑問。怪しい気がする。字幕のデータに出身高校や出身県が必ず記されているかと言えば、ノーだ。字幕データではなく、実況アナと解説者のやりとりを通して、その投手の高校時代の活躍を初めて知ることはよくある話。甲子園で活躍した選手が、大卒でプロに入って来た時、字幕のデータに大学名のみを出されても、ピンと来ないのだ。一般のファンに、大学時代の活躍と高校時代の活躍を関連づけられる人は多くない。一部の通に限られる。
 
 明治大学出身とか、早稲田大学出身とか、大学名で心を動かされる人も少なからず存在するとはいえ、出身高校、出身県には絶対数で大きく劣る。
 
 サッカー界も似たり寄ったりだ。Jリーグや日本代表戦を伝えるメディアも、そうした認識に欠ける。特に求められるのはテレビになるが、煽るのは代表愛やナショナリズムばかりで、郷土愛は軽んじられている。郷土愛はJリーグの発展に不可欠な要素だというのに、だ。

 WOWOWで放送されているスペインリーグ。その交代で投入される選手の字幕データに目を凝らせば、カタルーニャ自治州、マドリード自治州など、出身地が記されている。一方、スタメン選手の紹介データにそれはない。交代選手のデータのみ現地発のフォーマットが使用されているという感じなのだが、実際にスペインに出向いてみると、出身地付きのデータをあちこちで確認することができる。新聞に目をやれば、主審の出身地まで明確に記載されている。

 カスティーリャ、カタルーニャ、ガリシア、バスク。スペインはこの4つの地域から成り立っている国だ。かつてほどではないとはいえ、それぞれ深い地域の対立感情を抱えている。スペインは言い換えれば、局所的な民族愛に支えられている国。それが、国内リーグが活性化する大きな原因になっている。

 対立感情とまではいかないが、日本にも地域間のライバル意識はある。郷土愛に基づく、局所的なナショナリズムも存在する。それをスポーツは利用しない手はない。甲子園や大相撲だけではもったいない。そこのところを喚起したり、煽ったり、上手に利用するのがスポーツメディアに課せられた使命ではないのか。

 先日、福岡で行われていた女子ゴルフの中継をテレビで見ていたら、隣県である熊本県出身のプレイヤーが、CMの前に画面に現れ、震災への思いをそれぞれ伝えていた。驚かされたのは、その数の多さだ。この選手も出身は熊本だったのかと、知らされることになった。これは、熊本の人にとっての誇りだろう。熊本の自慢と言えばゴルフ。日本を代表する同県出身のスポーツ選手の存在を通して、自らのアイデンティティを再認識する。これは、自信を回復する手立てとしてとても有効に見えた。
 
 熊本がゴルフだとすれば、他の県が誇るスポーツ、自慢すべき競技は何なのか。北海道から沖縄まで、調べてみたい気分だ。リオ五輪を2ヶ月後、東京五輪を4年後に控えたいま、方向は「日本頑張れ!」になりがちだが、その前に洗い直すべきは、各都道府県の力。局所的なナショナリズムの活性化なしに日本は頑張れない。僕はそう思うのだ。

【メルマガ】代表監督とクラブの監督と。問われる資質の違い

 マドリーダービーのチャンピオンズリーグ決勝。それが終了するとユーロ2016
が始まる。100周年を記念して米国で行われるコパアメリカも忘れてはならない
イベントだが、CLと比較したくなるのはユーロだ。

 ユーロの方がCLより番狂わせが起きやすい。欧州の国別対抗戦の方が、その
都市対抗戦よりどこが勝つか分からないという意味で面白い。

 近年のCLの傾向は明確だ。バルサ、マドリー、バイエルンの三つ巴。これに
アトレティコ、パリSG、チェルシー等が絡む展開だ。マドリー対アトレティコ
の決勝は、いわば横綱対大関の対戦。バルサ、バイエルンを倒して決勝に進出し
たアトレティコも、もはや伏兵ではない。正直言って、どこが勝つか分からない
面白さはない。

 それに引き替え、ユーロはミステリアスだ。ブックメーカーの予想を見れば、
フランス、ドイツ、スペインの第1グループを、イングランド、ベルギーが追走。
3番手にイタリア、ポルトガル、クロアチアが控える展開だが、3大ブックメー
カーの1つであるウィリアムヒル社の予想によれば、8番手のクロアチアでさえ
27倍。筆頭のフランス(4倍)から僅差で続いている。

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内にも外にも気概を感じられなかった3年ぶりの“黄金カード”

 先日、NHKBS1で放送されていた磐田対鹿島。解説席に座っていたのは、磐田OBの福西氏と鹿島OBの名良橋氏で「Jリーグの黄金カードが3年ぶりに戻ってきました」と実況アナ氏と煽る中、両者は時に解説を忘れ、言葉にならない奇声を発し、対決ムードに浸っていた。2人を専門に写す小型カメラを通して、その喜怒哀楽の様子はお茶の間に届けられたのだが、打ち合わせ通りというか、テレ朝になりきれない中途半端さを思わずにはいられなかった。

 品行方正。相手のサッカーに異を唱えたり、意見したり、丁々発止、舌戦を繰り広げたわけではない。2人はやり合う感じではなく、厳しめな意見を、むしろ身内に対して述べていた。公の場で他人を悪く言えない気質。そこに美学を見いだせない気質。NHK的なとも言いたくなる気質が、ナチュラルなサッカー気質を大きく凌駕した状態にあった。

 この日の両者の間には、決定的な対立軸、分水嶺というか、舌戦を展開するに相応しい議題が用意されていたにもかかわらず、だ。

 一方、ハーフタイムに名波監督に対してマイクを向けたインタビュアーは、サイドが数的不利に陥る現象を指摘し、詰め寄った。「我々は挑戦者。もっと前に出て攻めなければいけない。選手にそこのところを伝えなければならない」とのコメントを拾っていた。

 名波監督がこの試合に採用した布陣は従来とは異なる3バック。しかも世界的には、守備的な布陣にカテゴライズされる3−4−2−1だ。相手にサイドを有効に使われれば5バック必至。鹿島という強者を前に、前ではなく後方に人を並べる作戦をとったわけだ。そして試合展開は、ほぼその通りになった。

 意図したのは監督。にもかかわらず、インタビュアーに突っ込まれた名波監督は、それは選手がチャレンジ精神を失った結果であり、選手の意志でそうなってしまったと解釈したくなる言い方をした。

 伝統の対戦とはいえ、鹿島と磐田では立場が違う。鹿島は強者で磐田は弱者だ。普通に戦えば、鹿島有利。そこで弱者の監督が対策を講じようとした時、大きく分けて手は2つ。前から行くか。後ろを固めるか。

 ここは目を凝らすべきポイントになる。いわば究極の2択。白か黒。踏み絵でもあるので、生き様、大袈裟に言えば、人生哲学がいかほどのものか鮮明になる瞬間だ。選択の岐路に立たされた時、監督はどう出るか。

 5バックで守るサッカーについて「チームを守るというより、監督自身を守る作戦。相手を怖がっているのは他ならぬ監督自身だ」と、一刀両断したのはオシムだが、日本には、そこのところを見て見ぬ振りをする強い傾向がある。後ろで固める作戦を敷いても揶揄する人はほぼ皆無。その道を頓着なく歩くことができる。以下の台詞は、実況アナ氏か、福西氏かどちらだったか判別できなかったが「名波監督はこの3バック(5バック)の方が、むしろ高い位置からプレスがかかりやすいと言ってました」と、助け船を出す始末。

 後ろで守るサッカーについて、時代遅れだからやめましょう! とハッキリ口にする人はなかなか現れない。J2、J3を含めたJリーグで、この手の3バック(3−4−2−1)を見かける確率が、他国のリーグより圧倒的に高い理由は、分かりやすい。甘くて緩い世界にしておいた方が何かと楽。監督予備軍であるテレビ解説者及び評論家が、そう考えたとしても不思議はない。

 3バックと一口にいっても、5バックになりにくいものもある。にもかかわらず、3バックが3−4−2−1とほぼ同義語になっている日本。オシムが採用した3バックをもう一度、見直して欲しいが、例のNHKの中継の中で、名良橋氏はさすがに「3バックの両側に空いたスペースは狙い目です」と、幾度か述べていた。それを聞く度にこちらは救われた気になったが、残念ながら、溜飲を下げるまでには至らなかった。

 名良橋氏はいい人なのだろう。王道を行くサッカーをする鹿島のOB兼ファンとして、それこそ、磐田を腐すいい機会だったにも関わらず、それ以上の言及を避けた。

 だが、結果至上主義的視点で言えば、それでよかったと言い表すこともできる。試合は1−1。鹿島は終始、試合を支配しながら決定打を奪えず、引き分けてしまった。もし、大きな口を叩いていたら、頭をボリボリと掻くしかない、辻褄が合わない結果に終わった。サッカーは結果に対して運が3割を占めるスポーツ。後ろで守るサッカーが奏功する場合もある。それが原因で、見事な勝利を収める場合もある。だが、それはあくまでも例外。世界のサッカー史には、動かしがたいものとしてそう記されている。

 それ以前に、後ろで守るサッカーに対して、サッカー王国・静岡のファンはどう思うのか。試合内容が面白くなくても、鹿島に対して何とか引き分ければ、それでオッケーなのだろうか。名波監督にカリスマを抱いてしまうのだろうか。だとすれば、そこに低迷する現在の姿を見る気がする。

 名良橋氏にはライバルに対し、それくらいのことを言って欲しかったし、福西氏には、名波さんは救世主にあらず。私が磐田の監督なら、あのような守備的なサッカーはしていないと、その座を奪おうとするぐらいの気概を見せて欲しかった。でないと、Jリーグは盛り上がらない。3年ぶりに実現した黄金カードをテレビで見ながら、僕はそう思ってしまった。

【メルマガ】2度あることは3度あるか、3度目の正直か。マドリード・ダービーとなったCL決勝戦の見どころ

 名勝負と言っていい。アトレティコ・マドリーが勝利したチャンピオンズリー
グ準決勝、バイエルン戦。ビッグクラブが敗れた時、どこかに問題がある場合が
ほとんどだが、この試合は違った。バイエルンは悪くなかった。両者ともよかっ
た。バイエルンは「美しい敗者」となったわけだが、これは一般的に、善戦虚し
く敗れた弱者を讃える言い回しだ。強者が美しい敗者となるケースは希。名勝負
に推したくなる理由だ。
 
 ブリュッセルのヘーゼルスタジアム(現ボードワンスタジアム)で行われた73
〜74のチャンピオンズカップ決勝、バイエルン対アトレティコは、どうだったの
だろうか。映像で見たことはないが、出場した選手から、詳しく聞かされたこと
はある。アトレティコの攻撃的MFとして出場したハビエル・イルレッタ(元デ
ポルティーボ監督)だ。
 
 PK戦はまだ存在しなかった時代。試合は、15分ハーフの延長戦を経て再試合
にもつれ込んだ。
 
 決勝戦の1戦目。90分の戦いを終えてスコアは0−0だった。15分ハーフの延
長戦で、両者1点ずつ取り合い1−1で再試合にもつれ込むことになったが、試
合は終了直前までアトレティコがリードしていた。114分、エース、ルイス・ア
ラゴネスが奪ったゴールで、勝利を手中に収めかけていた。
 
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CL決勝はマドリードダービーに。 バイエルンとマンCが敗れた理由

 チャンピオンズリーグ(CL)準決勝第2戦。バイエルン・ミュンヘン対アトレティコ・マドリード(3日・火曜日)と、レアル・マドリード対マンチェスター・シティ(4日・水曜日)。単純にどちらが面白かったかと言えば、3日の試合になる。
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攻撃はリスクなのか? 現実論が幅を利かせる日本は“サッカーらしくない”

 議論し始めたら止まらないスポーツ。意見や視点が豊富な点こそが、サッカーの一番の特殊性だと僕は思っている。人の意見に安易に同調せず、アーでもないコーでもないと、突っ込んだり、突っ込まれたりを繰り返すことがサッカーに適した向き合い方だ、と。

 長いものに簡単に巻かれるわけにいかない。最近そう思ったのが、アトレティコ・マドリーに対する見解だ。チャンピオンズリーグ準決勝第1戦。アトレティコはホームで、前評判の高いバイエルンに1−0で先勝。その堅守ぶりを讃える報道が世の中の大勢を占めた。

 バイエルンがその堅い守りに手を焼いたことは確かだった。しかし、それは試合前から分かりきっていたこと。もっと言えば2011年12月、シメオネが監督に就任して以来の定説だ。13〜14シーズン、アトレティコはリスボンで行われたファイナルに進出。惜しくもCL優勝を逃しているが、その際も、堅守ぶりは話題を集めていた。
 
 棲み分けを図る方が楽であることは確かだ。アトレティコ=堅守と整理整頓した方が、混乱はない。話を次に進めやすい。人間、楽な方向につい流れがちだが、それが毎度繰り返されると、それ以外の魅力について語られる機会が減る。本質を見失う可能性がある。
 
 前回のコラム「身長と巧さのギャップ……」でも述べたことだが、実は巧いのだ、アトレティコは。バイエルンの各選手も巧いが、彼らもまた巧い。CL準決勝第1戦の決勝ゴールを叩き出したサウールなどはその筆頭格。そこでバイエルンDFを翻弄したドリブルと切り返しは、バイエルンの選手顔負けのスーパープレイと呼ぶべく圧倒的な技巧だった。
 
 この一戦、確かに、時間が深まるにつれ、アトレティコの堅守ぶりは目立っていったが、バイエルンをゼロ封できた一番の理由は、アトレティコがキチンと攻めたことにある。攻撃の終わり方がよかったのだ、と。攻撃の終わり方とは、ボールの奪われ方を指すが、圧倒的な戦力を誇るバイエルンを敵に回しながらも、不意な反撃を食う機会が少なかった。その結果、パニックに陥ることがなかった。

 テレビの中継を見ていると、攻撃にまつわるリスクを口にする解説者、評論家にかなりの頻度で遭遇する。前に出て行くとその裏を狙われやすいとか、攻撃は危ないという概念が浸透しているように感じる。それを真っ向から完全否定するつもりはないが、サッカーには180度異なる見解もしっかり用意されている。

 攻撃は最大の防御である。守ることは危ない。引いて構えることの危なさを謳った格言になるが、どちらがサッカー的か、サッカーならではの考察かと言えば、攻撃は最大の防御だ。サッカーの特性を言い表したモノになる。

 あるセオリーに従いキチンと攻撃すれば、それがそのままディフェンスに繋がる。攻撃をしながらも守備はできる。守備をしながらも攻撃ができる。アトレティコのみならず、バイエルンも同じ方向を指すチームだが、そうした中、時を同じくして、攻撃することに対して慎重あるいは臆病な解説を聞かされると、つい一言いいたくなってしまうのだ。自分を正当化するわけではないが、サッカー的な行為として間違っているとは思っていない。

 攻撃は最大の防御。できるだけ高い位置でボールを奪い、相手の守備陣が整わぬ前に攻めきろうとするプレッシングサッカーと、これは相性がいい。その一方で、攻撃は危ないという概念は、守備的サッカーに直結する。後ろに引いて構えてカウンターを仕掛けるサッカーだ。

 前回のメルマガでも触れたが、日本は世界に比べて、引いて構えるサッカーを見かける頻度が高い国だ。攻撃的サッカー全盛の時代において、守備的サッカーを普通に見かける。テレビ解説者、評論家にも、その傾向を後押しするような発言が目立つ。90年代後半の欧州のように、両者が議論を戦わせる機会もない。何気に、守備的な3バックが幅を利かせている。 

 サッカーらしくない状態に置かれている日本。サッカーならではのものを文化と捉えれば、そのサッカー文化は決して高くないことになる。

 攻撃は危ないを現実論とすれば、攻撃は最大の守備は理想論だ。実際、それが完璧にできているチームは数少ない。理想論は悪く言えば綺麗事になるが、トップのサッカーがそちらを向いていることもまた事実。目指すべき方向性になっている。理想論や綺麗事を平気で語り合える環境がある上に、それらが現実論に対して優勢な状況にもある。

 理想論や綺麗事の方が今日的。ダメなチームほど現実論に走ろうとする。サッカーがエンタメ性においても、ゲーム性においても、また選手の技巧面においても常に進化を遂げている理由だ。10年前より、5年前より現在のサッカーの方が確実に右肩上がりを示すのは、目指すべき方向が示されているからだ。激論を戦わせてきた末に。

 一方、日本には、理想論や綺麗事を唱える文化がない。対抗軸として現実論を前にすると簡単に白旗を挙げる習性がある。佳境にさしかかった欧州サッカーと、日本サッカーと。両者を比較して見れば、日本に足りてない要素は自ずと浮かび上がってくるのだ。 

【メルマガ】ガラパゴス化する日本サッカー。「フロンターレ、お前もか」

Jリーグ。先週の話で恐縮だが、川崎フロンターレがホームで浦和レッズに敗れ、
首位の座を奪われることになった。スコアは0−1ながら、惜しいと思わせるシー
ンが2、3度しかない完敗。ホーム戦であることを加味すれば、川崎ファンにとっ
ては限界を見せられたような、救いがない一戦というべきかも知れない。

 浦和とサンフレッチェ広島。人気面はともかく、両者はスタイル的には同じグ
ループに属する。攻撃的とは言えない後方に重心を置くサッカー。いずれも3−
4−2−1を採用する。佳境を迎えている欧州サッカーに、この手の布陣を採用
するチームが登場することはほぼ一切ない。いわばガラケーだ。

 対する川崎と同じグループに属するのはガンバ大阪。概念的には攻撃的で、パス
がよく繋がる目に優しいサッカーだ。もし浦和、広島を悪役と位置づければ、川崎、
G大阪は善玉。時代の流れにも後押しされている。にもかかわらず、川崎は浦和に
敗れた。多くのサッカーファンの願いに川崎は応えることができなかったのだ。

 川崎は、大久保と小林を2トップに据えた中盤フラット型4−4−2で、3−4−
2−1の浦和に臨んだ。

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身長と巧さのギャップ。サッカーの懐の深さは、イメージを打破できるか否か

 メッシの身長170センチには驚かないが、ルイス・スアレスの182センチには驚く。クリスティアーノ・ロナウドの185センチにも驚くし、レアル・マドリーの現監督、ジダンの185センチにも驚く。

 その選手を実際に間近で見ると、映像で見てきたイメージと、大きく異なる場合がある。かつてオサスナで、「パンプローナ(オサスナの本拠地)のジダン」の異名を取ったラウール・ガルシア(現ビルバオ・183センチ)が活躍する姿を先日テレビで見て“実は大きい選手”の存在について想起することになったのだが、このちょっとしたギャップにサッカーの本質が隠されていると僕は思う。
 
 実は大きいは、裏を返せば、実は巧いだ。大きさに対する驚きは、巧さへの驚きでもある。あんなに巧いのに、実はこんなに大きかった。もっと小さいかと思った。これが、正直な感想だ。大きいと巧いは、釣り合いが取れない関係にある。とりわけ大きな選手に巧い選手が少ない日本では。
 
 だが本場には、そうしたイメージを打破する選手が多々存在する。そして彼らを目の前にすると「こんなに大きかったんだ……」と言葉を失う。いかんともしがたい差であることを痛感する。
 
 日本でよく耳にするのは、それとは逆の話だ。何年か前、バルサが欧州で確固たる地位を築くと、テレビ解説者や元選手の評論家は、イニエスタ、チャビ等、その小柄な選手の活躍を、日本人に結びつけようとした。小柄な日本人でも大丈夫、十分世界でやっていける。自信を持てと述べたわけだが、その対極に位置する話については、積極的に語ろうとしなかった。レアル・マドリーのラウールが180センチもあることは、本来、驚くべき事例であるはずにもかかわらず、それを避け、日本に取って都合がいいバルサ話ばかりをしたがった。
 
 一見、巧そうに見えないが実は巧い。いかにも巧そうな雰囲気を前面に醸し出しながらプレイする日本の技巧派とは一線を画す選手に、こちらの目はつい奪われる。
 
 先述のラウール・ガルシアが昨季まで所属したアトレティコ・マドリーの選手に多く存在するタイプだが、彼らは、巧さを見せる前に激しくプレイする。懸命になってボール奪取に励む。身体と身体を平気でぶつけ合う。そうしたアスリート的な要素を前面に出してプレイするので、その技巧は表に現れにくい。うっかりすると見過ごされがちな要素と言えるが、それだけに奥の深さを感じさせる。隠しているわけではないが、安売りはしない。安易には披露しない。
 
 肝心な場面で気付かせてくれる選手。アトレティコの選手に限った話ではない。最近のスペイン人選手に多く見かける傾向だ。見るからに巧そうに見える選手より、実は巧いと後から気付くことになる、いわゆる好選手が目立っている。誰にも分かるスター性はないが、何気にしれっと巧い選手。
 
 繰り返すが、それこそが日本との違いだと思う。何気に巧い選手、実は巧い選手の数が、まだまだ足りていない日本。巧い選手の定義は、見るからに巧そうな選手に限られている。
 
 香川もその1人だ。小さくて俊敏なので、確かに局面的には巧い選手に見える。だが、よくも悪くも分かりやすい。実は巧いと後から思わせる選手が持っている奥の深さに欠ける。何より泥臭くない。ボールを奪うことができない。相手に身体を接触させることが得意ではない。マイボール時においても、サイドでプレイできない上に、相手のディフェンダーを背にしてのポストプレイも得意にしない。1トップ下の選手であるにもかかわらず、だ。使い勝手のよい選手と悪い選手がいるとすれば、香川は完全に後者。非オールラウンダーだ。
 
 以前、その香川に対し、アトレティコが興味を示しているとの報道が流れたが、こちらには実現性の低い、よくあるうわさ話にしか聞こえなかった。むしろ、最も対極に位置する選手だ。ドルトムントで大一番になるほど、出場機会が減る一番の理由でもあると思う。
 
 香川の身長は175センチ(もう少し小さいように見えるが)。対する本田は182センチ。180センチを越えると巧い選手の数が途端に減る日本にあって、本田は貴重な選手に見えた。フィジカルでもありテクニカルでもあるバランスのよさが魅力だった。実は巧い選手として成立していた。09〜10シーズンのチャンピオンズリーグから2010年W杯を挟み、2011年のアジアカップぐらいまでは、日本にかつてない選手、今日的な光る選手として通っていた。リーグランキングナンバーワンのスペインでも、十分やって行けそうな気配を感じたが、その後、失速。怪我の影響だと思われるが、少なくともフィジカル面で大きく後退した。
 
 現在、実は……という奥ゆかしいプレイを見せることができている日本人選手は岡崎。先月行われたアフガニスタン戦のゴールは、まさに実は……を見せつけられた瞬間と言えた。得点に繋がったそのステップとターンは、相手が弱かったとはいえ、特筆に値した。

 表には現れにくい奥に潜む魅力がどれほどあるか。つまり、懐がどれほど深いか。語られていること、知られていること以外の魅力が、日本には不足している。思わぬ発見、驚きが少ない国。外国人にはいまの日本がそう見えているのではないかと僕は思う。

【メルマガ】バルサは“両刃のメッシ”とどう向き合うべきか

 バルセロナがユベントスを3−1で下し、4年ぶり5度目の欧州一に輝いたの
は昨年6月6日だった。その時、ベルリン五輪スタジアムの現場で、翌シーズン
の準々決勝でアトレティコの軍門に下り、敗れ去る姿をどれほどの人が予想した
だろうか。

 つい1か月ほど前まで独走していた国内リーグでも急降下。レアル・マドリー、
アトレティコと3すくみの状態にある。栄華は思いのほか短期間で終焉を迎えた。

 88〜89、89〜90シーズンのミラン以来、欧州一のタイトルを連覇したチーム
はいない。欧州サッカー界を四半世紀にわたり支配する呪縛とも対峙していた今
季のバルサ。アトレティコ戦の敗戦は、番狂わせが起きたというより、世の常が
繰り返されたという印象の方が強い。「まさか」より「またか」の思いが勝るの
だ。

 CL史において、「まさか」が「またか」に勝ったケースは数少ない。94〜9
5、95〜96のアヤックスと、95〜96、96〜97のユベントスぐらいだ。アヤッ
クスの場合は決勝でのPK負け。ユーベは偶然性の高い番狂わせに泣いた。その
他には2連覇できないそれなりの理由があった。今回のバルサもしかり。本当に
惜しかったかといえばノーだ。

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