杉山茂樹のBLOGマガジン

Profile
[プロフィール]
  • 静岡県出身。東京都在住。AB型
  • スポーツライター
  • 得意分野はサッカーでヨーロッパが厚め
  • W杯は82年のスペイン大会以降、10大会連続現地取材
  • 五輪も夏冬併せ9度取材
  • テーマは「サッカーらしさ」「サッカーっぽさ」の追求
  • 愛称はスギッチ。サッカー番長。スタジアム評論家
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    森保一監督に「過去を否定する余裕」は見られない。招集された代表メンバーの焦点は?

     6月に行なわれる日本代表の4試合(6月2日・パラグアイ、6日・ブラジル、10日・ガーナ、14日・チュニジアもしくはチリ)のメンバーが発表された。
    GK
    川島永嗣(ストラスブール)、権田修一(清水エスパルス)、シュミット・ダニエル(シント・トロイデン)、大迫敬介(サンフレッチェ広島)
    DF
    長友佑都(FC東京)、吉田麻也(サンプドリア)、谷口彰悟(川崎フロンターレ)、山根視来(川崎フロンターレ)、板倉滉(シャルケ)、中山雄太(ズヴォレ)、冨安健洋(アーセナル)、伊藤洋輝(シュツットガルト)、菅原由勢(AZ)
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    【有料記事】感覚的なスポーツであるサッカーと難解な日本語の親和性

     日本語は難しさにおいて、世界でも指折りの言語として知られる。音読みと訓読みがあることの厄介さに加え、語彙の多さも習得が難しい要因だとされる。一方、サッカーはデータの類が決定的に少ない感覚的なスポーツだ。指導者に問われているのは伝える力で、高い表現力が不可欠になる。言葉はおのずと重要なウエイトを占めることになる。

     サッカーと難解な日本語と相性がいいと考えるのが自然だ。外国人の指導者より日本の指導者の方が、サッカー指導に必要な言葉を潜在的に多く持っている。同義語、類義語に加え、日本語はオノマトペを含むカタカナ表記も豊富だ。その分、様々な言い回しが可能になる。細かなニュアンスを伝えやすい。よい指導者に不可欠とされる言語技術は、外国人の指導者より上達しやすい環境にある。

     だが、日本はサッカー先進国ではない。日本人の指導者で世界的な監督は誰もいない。Jリーグにおいても外国人監督の優位性が目立つ。近い将来、それぞれの関係が逆転しそうなムードもない。よく考えれば、これは不思議な現象だ。サッカーは外国文化そのものながら、言語的な親和性は日本語にある。サッカーと日本語の相性のよさを、日本人の指導者はもっと認識する必要があると考える。

     本場で使われているサッカー用語や言い回しを、日本語にどう落とし込むか。その昔、ハンス・オフトがよく使い、流行語にもなった「アイコンタクト」は、日本語に訳さなくて正解だった。「目配せ」では、訴求力は弱かった。アイコンタクトをそのまま使用した通訳氏を讃えたくなるが、「ポリバレント」はどうだろうか。イビチャ・オシムが好んで使った、複数のポジションをこなす「多機能性」を意味する言葉である。

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    鈴木優磨に見る台頭期の本田圭佑の面影。森保一監督は使いこなせるか否か

     暫定ではあるが、現在2位につけている鹿島アントラーズ。4位に終わった昨季との違いについて考えると、監督采配を除くなら、13戦連続スタメン出場を飾る2人の新加入選手に目がいく。鈴木優磨と樋口雄太だ。4−1と大勝した前節のコンサドーレ札幌戦(5月14日)でも、鈴木が2ゴールを決めるマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍をすれば、樋口はアルトゥール・カイキが頭で決めた4点目を、鮮やかなフリーキックでアシストしている。

     力量的には両者とも日本代表レベルにある。間もなく発表される6月の代表戦に選びたくなる旬の選手である。気になるのは森保一監督との相性だが、日本の現状に照らした時に、浮上してくるのは鈴木だ。下り坂にある大迫勇也(ヴィッセル神戸)以外、これだという人材が見当たらない1トップ候補として推したくなる。鹿島で鈴木と2トップを組む上田綺世も候補のひとりだが、少なくとも鹿島でいまどちらが欠かせない選手かといえば鈴木だ。プレーの幅の広さという点で、鈴木は上田に対して優位に立つ。
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    カタールW杯まであと半年。混沌状態の選考レースを抜けるのは誰だ

     W杯本大会は通常なら6月上旬に開幕する。いまごろは最終メンバーが発表される時期になる。ハリルホジッチ解任を受け、西野ジャパンとして臨むことになった前回ロシアW杯で言えば、最終メンバーの発表は5月31日だった。しかし今回のカタール大会はご承知の通り、通常より半年近く遅い11月21日に開幕する。強化の日程には時間的な余裕がある。

     2014年ブラジルW杯に臨んだザックジャパンは、W杯イヤーにテストマッチを4試合しか組めずに終わった。そのうちの2試合は壮行試合後、開催国ブラジルに向けて日本を発った後に行われた、本番直前のスパーリングマッチだった。選手選考などを兼ねた準備試合はわずか2試合。慌ただしく本大会を迎えたのに対し、今回は来月6月に親善試合が4試合すでに組まれている。翌7月にも東アジア選手権が日本で開催される。

     W杯最終予選から本番まで、メンバーに大きな入れ替えがなかったこれまでとは、異なる展開が予想される。選手選考はまだまだ予断を許さない状況にある。

     混沌に拍車をかけているのは、国内組と欧州組に大別される選手の優劣、善し悪しが不鮮明なことにある。森保監督はこれまで欧州組にプライオリティを与えてきた。その選手選考は、本場欧州で活躍する選手は、Jリーグでプレーする選手より優れているとの概念に基づいていた。だがそれはどこまで真実だろうか。時間がある今回は、疑ってみるいい機会になる。

     欧州に渡ったことを機にサッカーが突如、上達するわけではないのだ。欧州でやって行けそうな選手は、Jリーグでプレーしている時からほぼ予想できる。選手はあるとき急に欧州へ渡る。現地の試合にさっそく出場し、活躍する姿をこれまで多々見てきた。欧州で活躍してから代表に招集するというスタンスでは、旬な選手を見落とす可能性がある。欧州組か国内組かではなく、欧州で通用しそうな選手か否かなのである。選手の潜在的なポテンシャルを読む力が、代表監督には問われている。

     国内組か欧州組かで線を引くことは、分かりやすい物差しではあるが、それに頼ったり、すがったりする姿勢は代表監督としていささか格好悪い。思考停止の状態に陥っていることを、世間に曝け出しているようなものなのだ。

     欧州組と一口で括ることもナンセンスだ。欧州組がプレーする先にはそれぞれレベル差がある。抑えておくべきは、以下に示した各国のリーグのレベルを示すランキングだ。

     1位)イングランド、2位)スペイン、3位)イタリア、4位)ドイツ、5位)フランス、6位)ポルトガル、7位)オランダ、8位)オーストリア、9位)スコットランド、10位)ロシア、11位)セルビア、12位)ウクライナ、13位)ベルギー、14位)スイス……

     日本のJリーグを欧州に組み込めば、この中のどのあたりにランクされるか。Jリーグの世界的なレベルを考察することは、FIFAランクなどで、日本代表のレベルを考察すること以上に興味深いものになる。

     6位ポルトガル、7位のオランダを凌駕することは絶対にないが、10位台前半には滑り込めるのではないかとは、筆者の見解だ。しかし当然、同じリーグでも上位と下位とでは、レベルに大きな違いがある。2部の扱いをどうするかという問題もある。田中碧(デュッセルドルフ)、板倉滉(シャルケ04)、植田直通(ニーム)、柴崎岳(レガネス)がプレーするドイツ、フランス、スペイン各国リーグの2部を加えると、比較はさらに難題になる。

     一方で、チャンピオンズリーグ(CL)に出場したか否か、ヨーロッパリーグ(EL)に出場したか否かは、頼りになる物差しだ。CLは言うならば欧州1部で、ELは2部だ。UEFAもここでの成績を各種ランキングのベースにしている。

     だが、CLでプレーする日本人選手の数はいっこうに増える兆しがない。今季はご承知のように南野拓実(リバプール)ただ1人だ。その南野にしても、出場した試合は事実上の消化試合が中心で、国内リーグに至っては、今季僅か89分しか出場していない(編集部注:5月17日時点)。この現状をどう捉えるか。南野はどの国のリーグの何位ぐらいのチームなら、コンスタントに出場機会を得られるだろうか。イングランドはもとより、ランクキング2位のスペインでもCL級のクラブでは活躍が難しいだろう。イタリア、ドイツ、フランス、ポルトガルのトップ3でも微妙と言わざるを得ない。

     ELでは鎌田大地が所属するフランクフルトが、決勝進出をはたしている。ブンデスリーガでは現在11位ながら、そこでスタメンを張る鎌田は、日本人選手の中では出世頭といって過言ではない。南野がフランクフルトで鎌田に代わってスタメンを張れるかとなると、微妙な問題になる。筆者は鎌田優勢とみるが、森保監督は南野に軍配を挙げている。直近の4試合では鎌田を招集さえしていない。

     フランクフルトがELの決勝で対戦するレンジャーズは、前田大然、古橋亨梧、旗手怜央がスタメン選手として活躍するセルティックと、永遠のライバル関係にあるチームだ。今季のスコットランドリーグを制したのは、セルティックだが、ELではグループリーグで敗退。レンジャーズに先を越されることになった。レンジャーズ対フランクフルトのEL決勝は、セルティックとフランクフルトの力関係を推し量る物差しの役目を果たす試合でもあるのだ。

     シントトロイデンを中心に数多くの日本人選手がプレーするベルギーリーグは、先述の通り、UEFAリーグランキングでは13位になる。Jリーグよりほんの少し上のレベルにあるリーグだとは筆者の見解だが、現在プレーオフを戦う上位4チーム(クラブ・ブルージュ、アンデルレヒト、アントワープ、サンジロワーズ)は、隣国のオランダリーグ(7位)に場所を移しても、上位でプレーできるとみる。

     サンジロワーズで不動のスタメンを飾る三笘薫は、オランダリーグで現在2位を行くPSVで、それなりの活躍を見せている堂安律といい勝負か、それ以上と見ていいだろう。鎌田に次ぐ存在として挙げたくなるセルティックでプレーする先述の3人に対しても、同様な関係を築けるのではないか。

     オランダリーグで言うならば、堂安に加え、森保監督からの信任が厚そうなズウォレ(現在同リーグ最下位)でプレーする中山雄太より、5位のAZアルクマールで、右SBとして出ずっぱりの活躍を見せている菅原由勢の方が、勢いという点で上にある。国内組より欧州組にプライオリティを与える森保監督だが、菅原の評価はなぜか低い。五輪代表のメンバーからも気がつけば外れていた。日本代表の右SBは酒井宏樹、山根視来とレベルの高い選手が揃っているが、菅原にはサイドならどこでもできるという多機能さがある。筆者には菅原が選ばれるべき選手に見えて仕方がない。

     昨年、欧州組から国内組に転じた酒井、長友佑都、大迫勇也のベテラン3選手が、相変わらず代表でスタメンを飾る姿も、混沌に拍車が掛かる原因だ。

     欧州組から国内組に転じても、サッカーが急に下手になるわけではない。これは事実だ。しかし、ならば、逆のことも言える。欧州に渡ったことでサッカーが突如、上達するわけではないのだ。彼ら3人がなぜスタメンで、これから欧州に羽ばたきそうな選手は選外なのか。理屈的にバランスが取れていない。

     欧州で培った経験を重視しているからなのだろうが、それを差し引いても大迫はいささか危なっかしく見える。左SBではなく主に右SBとしてプレーする長友に至っては、不自然な印象さえ受ける。

     ボールを前方に運ぶ力はすっかり失われた。プレーに関与する機会がそもそも少ない。存在が希薄なのだ。一方で、長友の代わりになる選手がいないとする声が幅を利かせているが、それを言っては、話は一歩も前進しない。筆者には思考停止の状態に自ら陥りたがっているようにしか見えないのだ。難しいことは考えようとしない姿勢、現状を疑ってみようとしない姿勢は退化に繋がる。

     まれに見る混沌だ。日本のW杯本大会出場は今回で7回目を数えるが、過去一番の激戦である。代表選考レースは今回が一番面白い。本番は半年後。時間はたっぷりある。思考停止に落ちるのは損。頭は可能な限り柔軟に保ちたい。

    価値観が一変。途中交代でベンチに下がることが恥ではなくなった時代との向き合い方

     チャンピオンズリーグ(CL)準決勝、レアル・マドリード対マンチェスター・シティは、合計スコア5-5となり、延長にもつれ込んだ。選手交代枠はそれと同時に、最大5人から6人にまで拡大された。

     シティのグアルディオラ監督が5人で止めたのに対し、レアル・マドリードのアンチェロッティ監督は6人の枠をすべて使い切った。フィールドプレーヤーとして先発した10人中6人、つまりその半分以上の選手がベンチに下がったことになる。

     これは何を意味するか。ご承知の通り交代枠はコロナ禍以前3人だった。延長に突入した場合、最大4人まで認められたのも2017-18シーズン以降になる。これまで、ピッチに最後まで立ち続ける選手と、交代でベンチに下がる選手の割合は、前者の方が高かった。途中交代は怪我以外では、好ましくない理由に起因していた。ベンチに下がる姿はダメ出しをされたようで、哀れを誘ったものだ。

     それが5人制に変わるや概念は一変した。前線のアタッカーが交代でベンチに下がることは当たり前になった。ベンチに下がる選手が不満を露わにする機会も減った。延長に入り交代枠が6人になると、交代する人数の方が勝るわけで、ピッチにスタメン選手が4人しか残されていない姿を見ると隔世の感を抱く。最後までピッチに立った選手は、罰ゲームを強いられているようにさえ見て取れるほどだ。

     CL準決勝。レアル・マドリードでは実際、モドリッチ、ベンゼマといった看板選手が、途中でベンチに退いていた。彼らのような一流選手を途中で下げても、交代枠5人制の下では、プライドは傷つきにくくなっている。

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    ネット記事では表現できない、サッカーの本当の魅力

     主流が紙からネットに変わり、書く機会が激減したのが紀行文だ。何かと体験することが多いサッカー観戦と、紀行文は本来、いい関係にあるはずだが、見出しを立てにくいという大きな問題がある。見出しを生命線とするネットとの相性はよくない。

     ニュース的ではない記事すべてにあてはまる。筆者にとっては大ニュースでも世の中の常識に従えば、そうではないものだ。たとえば、面白かったか否かもそこに含まれる。この試合は面白かったのか、つまらなかったか。試合の勝ち負けに、最も関心があるのは当事者だ。ホーム、アウェーそれぞれのファンは、なにより結果に一喜一憂する。

     チャンピオンズリーグ(CL)準決勝で対戦したレアル・マドリード対マンチェスター・シティのファンがそれに該当する。大逆転勝利を飾り決勝進出を果たしたレアル・マドリードのファンは、歓喜を爆発させただろうし、まさかの敗退を喫したマンチェスター・シティのファンは、悲嘆に暮れているに違いない。

     他方、両チームに縁もゆかりもないこちらは、面白かったが1番の感想になる。もちろん、サッカーにそれなりに詳しいとの自負があるので、レアル・マドリードの勝因について、あるいはマンチェスター・シティの敗因について考察したり、分析したりしたくなるが、読者に一番伝えたいことは何かと言えば、試合そのものの面白さにある。

     こんな面白い試合はそうそうない。そのうえレベルも高い。過去最高と言いたくなる超ハイレベルの一戦だった。史上最大のエンターテインメントといっても過言ではなかった。

     サッカーが長年にわたり、他の競技の追随を許さない世界で断トツナンバーワン人気を誇ってきた理由を、リバプール対ビジャレアル戦を含む今回のCL準決勝に見た気がした。サッカー競技の面白さ、娯楽性のマックス値を更新した試合といって過言ではない。これこそが筆者にとって最大の事件でありニュースだった。

     だが、ネットのニュースは、マンチェスター・シティ側に立つか、レアル・マドリード側に立つかに二分されていた。イングランド発、スペイン発のニュースなら分かる。前で述べたように当事者には、こちらのような引いた目線を傾けている余裕はない。言いたいことは、日本在住者である筆者とは別のところにあるはずだ。それが普通だ。しかし日本に在住するごく普通の日本人には、本来そこに普通はない。
     
     確かに、海外サッカーをどこかのチームのファンになりきって観戦している人はかなりいる。プレミア好き、セリエ好き、リーガ好きを自認する人は少なくない。サッカーとの向き合い方は自由なので、それを否定するつもりはないが、それが他国のサッカーへの好奇心を閉ざすことになるとすれば、それはどうかと疑問に思う。
     
     好き、嫌いをハッキリさせ、その間に境界を作れば、カバーする範囲も好奇心の対象も自ずと狭まる。知らない世界より知ってる世界と向き合った方が、混沌とした状況から逃れることができる。ある意味で楽になる。

     かつて日本代表やJリーグのサッカーがもっと魅力的に映っていた頃、サッカーがブームに乗っていた頃、世の中には初心者向けの指南書が出回っていて、そこにはサッカーファンになるためには、どこかのチームのファンになること、目当ての選手、お気に入りの選手を作ることが手っ取り早い方法だと記されていた。

     筆者はそれを見て、半分懐疑的になった。他の競技ならいざ知らず、これはサッカーだ。そんなことより、まず試合を見ることが一番だと思った。早い段階で、当たりの試合に出くわすことができればしめたもの。そのエンタメ性の虜になることは間違いなしだと。

     筆者の場合は1982年スペインW杯のブラジル対イタリアが、その試合になるが、先述したレアル・マドリード対マンチェスター・シティにもそうした価値は十分だと思う。この準決勝のホーム&アウェー戦を2試合セットで観戦すれば、サッカーファンは止められなくなる。わざわざプレミアファン、リーガファンにならなくて済む。

     変にどちらかに入れ込まず、中立的な視点で眺めた方がサッカーは面白く観戦できる。とはいえ、いまどちらのチームに肩入れした方が、試合は面白くなるかという視点ぐらいは不可欠になる。

     例の準決勝、レアル・マドリードが劣勢の間は、筆者もレアル・マドリードに肩入れしたが、延長に入り、ベンゼマのPKでレアル・マドリードがリードするや、その後、散見された、同チームの時間稼ぎのプレーに苛ついたものである。2点リードで終盤を迎えても、時間稼ぎのプレーをしなかったマンチェスター・シティを見習えと、レアル・マドリードに喝を入れていた。試合が面白くなることを最後までひたすら祈ったのだった。

     W杯の取材観戦にも、毎度そうした視点で臨んでいる。お茶の間観戦者の多くも、筆者と同じスタンスではないだろうか。日本戦以外は試合が面白くなることを念じながら見ているはずで、当たりの試合に出くわすほどサッカーの虜になっていく。

     日本代表の試合でも日本の勝利のみならず、好試合を期待する余裕を持てる人は少なくないと思う。そうした意味で前回のベルギー戦などは、文句なしの試合だった。日本代表戦史上、最もエンタメ性に優れた試合だった。劇的な敗戦を喫した瞬間、無念さがこみ上げたが、それと同じぐらい、面白いものを見た満足感に酔いしれたものだ。

     評論文というより、現場感をふんだんに取り入れた紀行文として書きたい試合でもあった。サッカーには勝ち負けだけでは語れないものがある。CL準決勝とそのネット報道を見ていると、その中身、すなわちサッカーの魅力を表現することが簡単ではないことに気付かされる。相性はいいのか悪いのかと言われれば、けっしてよくないと答えたくなるのである。 

    横浜F・マリノスの22歳DFが多機能型選手に変容。日本代表入りも近いと見る

     J1リーグ第12節。3位の横浜F・マリノスが、14位に低迷する名古屋グランパスをホームに迎えた一戦は、後半40分を過ぎても1−1と競った展開になった。マテウス・カストロ(名古屋)のCKから生まれたゴールが、VARの5分以上の長考の末にオフサイドで覆る幸運や、同じくマテウスに30メートル近いバー直撃のFK弾を見舞われるシーンがあるなど、苦戦を強いられていたのは横浜FMのほうだった。
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    レアルの前に美しく散ったマンチェスター・シティ。バルササッカーの神髄を見た

     スポーツは筋書きのないドラマだと言われるが、今回のチャンピオンズリーグ(CL)準決勝は、サッカーの面白さを再認識することになったエンタメ性抜群の2試合だった。

     初戦(リバプールホーム)を2−0で折り返したビジャレアル対リバプール戦の第2戦は、前半を終了して2−0。合計スコア2−2で並んだ。

     スペインリーグ7位の伏兵ビジャレアルが、準々決勝のバイエルンに続き、2試合連続で優勝候補を慌てさせる姿は痛快そのものだった。リバプールは後半、地力を発揮。合計スコア5−2で勝利したが、決勝戦を考えると、ここで苦戦しておいてよかったと捉えるべきだろう。すんなり順当勝ちを収めれば、チームのムードは決勝に向けて上昇しない。対戦相手に遅れを取ることは明らかだったからだ。
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    異端派に見えるか、正統派に見えるか。イビチャ・オシムの我々へのメッセージ

     2007年11月、イビチャ・オシムが脳梗塞で倒れていなかったら、日本のサッカーはその後、どのような展開になっていただろうか。オシムが亡くなったいま、ふと思う。

     同年翌12月、後任監督の座に就いた岡田武史氏は、2010年南アフリカW杯まで指揮を執った。日本はベスト16に進出したわけだが、オシムがそのまま続投していたらどんな結果が待っていただろうか。

     ベスト16は、考えられる限りにおいて最高の成績だったとは筆者の感想だ。結果を残した監督として岡田さんが評価されるのは当然である。しかし、オシムがさらに2年半、代表監督を続けていたら、日本のサッカー界には従来とは異なる価値観がより浸透していたはずで、その影響も見てみたかったと言うのが正直な感想だ。

     1年半の間、日本サッカー界にオシムが吹き込んだ従来とは異なる気質、感性や感覚、そして常識は、岡田さんの監督就任を機に、日本のサッカー界から徐々に消えていくことになった。ベスト16という結果と引き替えに、大きなものを失った、そうした見方もできる。

     筆者は日本代表監督のオシムに一度、インタビューしたことがある。オシムの故郷であるサラエボの、スタジアム脇のカフェで、小一時間、オシムはこちらの問いかけに答えてくれたのだが、ひとしきりサッカーの話をした後、オシムは「ところで、キミたち日本人は」と、真顔で迫ってきたのである。

    「なぜ私のやり方を批判しないのか。私は侮辱されてもまったく構わないのに、誰も詰め寄ってこない。それはダメだ。ここサラエボのジャーナリストなどは酷いもんだよ。私のことをボロカスのように言う。でもそれが普通のことなんだ。日本人のジャーナリストはどうしてそんなに大人しいんだ」

     だが、その一方でオシムは、日本で行われた試合後の会見で、こうも述べた。

    「あの選手ではなくこの選手を選ぶべきだとか、キミたちはなぜ、私に意見しないのだ」と、言った後で、こう付け加えた。「もっとも、キミたちからどんなに批判を浴びようとも、それが選手選考に影響することはないけれどね。これは趣味の問題なんだ。キミたちは自由に意見して構わないが、私は他人からどう言われようとも、自身の趣味を変えるつもりはないのだよ」

     ボケとツッコミを1人で行う話術もさることながら、確かにと納得したくなる、説得力の高い言い回しにも感心せずにはいられなかった。選手選考を趣味の問題だと言い切るところに、切れのよさがあった。その通りと頷きたくなった。選手選考は趣味の問題とは、言い得て妙なのだ。サッカーの本質を知らされた気になった。オシムの言い回しは哲学的だと言われるが、サッカーの競技性と哲学が良好な関係にあると言うべきなのだ。オシムはサッカーの本質を熟知している。だから言葉が哲学的な言い回しになるのである。まさしくサッカー的な監督と言い換えることもできる。王道を行く監督であるにもかかわらず、いま「哲学的な思考をする監督でした」とするコメントを耳にすると、勝手に脇に追いやるなと言いたくなる。オシムが異端派に見えるか、正統派に見えるか。それは自分自身を映す鏡ではないかと考える。

     オシムは日本代表監督就任当初、3バックを積極的に使用した。3バックと言えば、守備的サッカーを実践するための布陣というイメージが日本には、当時もいまも強くある。5バックと紙一重の関係にある3バックが主流を占めるが、オシムの3バックは違った。インタビューの際に、そのあたりを尋ねれば、オシムは5バックになりやすい3バックについて、手厳しくこう斬り捨てた。

    「それはいったい誰を守るサッカーなのか。チームというより監督自らの立場ではないのか。保身のためのサッカーだと言いたい」

     オシムが実践した3バックを現在のJリーグで見かけることはない。3バックの概念に変化なしだ。サウジアラビア戦(2006年11月)で使用した3-3-2-2、ガーナ戦(2006年10月)で使用した3-3-3-1など、オシムが実践した3バックは多くの人の記憶から忘れ去られている状態だ。Jリーグで見かける3バック、森保ジャパンでも使用された3-4-2-1とは何が違うのか。それらは、保身のためのサッカーではないのかと、オシムに代わって追及したくなる。

     かく言うオシムも、一度だけ、5バックになりやすい守備的な3バックを披露したことがある。日本代表監督として最後の試合となったエジプト戦だ。

     試合の終盤、メンバー交代を機に布陣は3-4-1-2的になった。こちらが違和感を持って、試合後の会見に臨むと、その件についてオシムは自らこう切り出した。

    「メンバー交代をしたら、選手たちは守備固めのイメージで捉えたのか、自分たちであのような並びにしてしまった」
     その言い訳がましい台詞を聞かされたこちらは、ニヤリせずにはいられなかった。オシムの人間臭さを垣間見た瞬間になるが、それは誠実さの表れでもあった。普通の監督は、可能な限り誤魔化そうとする。記者から突っ込まれない限り、自ら進んでこの手の話をしたがらないものだ。オシムの好感度がさらに上昇した瞬間だった。守備的サッカーは避けたいとの強いこだわりが、そのバツの悪そうな表情にハッキリと現れていた。合掌。ご冥福をお祈りします。

    横浜F・マリノスがACLを勝ち抜いた”非森保的”選手起用法。日本代表にも「先を見越した戦い」が必要だ

     5月1日に行なわれたアジアチャンピオンズリーグ(ACL)グループリーグの最終戦で、横浜F・マリノスは全北現代(韓国)に1−1と引き分け、ヴィッセル神戸、浦和レッズに続きベスト16入りを決めた。

     また、同日には、決勝トーナメント1回戦(8月)の抽選も行なわれ、Jリーグ勢では、横浜FM対ヴィッセル神戸の直接対決と、浦和レッズとジョホール・ダルル・タクジム(マレーシア)の対戦が決まった。

     Jリーグ勢で唯一、グループリーグで敗退した川崎フロンターレは、所属するグループIで2位になりながら、3つ巴となった展開と、出場辞退チーム(上海海港/中国)が出たことで急遽変更になったベスト16進出を巡るレギュレーションに泣いた格好だ。


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    【有料記事】スタジアムがこだわるべきは傾斜角。「ピッチとスタンドの距離」が一番ではない

     FC東京対ガンバ大阪。昨日(4月29日)国立競技場で初めてJリーグの試合が開催された。天皇杯、ルヴァンカップ、高校選手権など、これまで行われた試合はいずれも日中で、ナイターとして行われるのは初だった。夜の国立競技場がサッカー場として、どんな表情を示すかも関心事の一つだった。

     そもそも国立競技場は、東京五輪後、球技場に改装される予定だった。トラックを撤去し、その4コースあたりまで客席を延ばす計画になっていた。それがどういうわけか頓挫した。球技場専用でなくなったことを問題視する人は多くいる。筆者ももちろんその1人だが、球技場に変更するその当初の計画案を目にした瞬間、そのあまりの酷さに、ならばトラック付きの方がまだましかと、スタジアムへの注文は失せることになった。

     ピッチ部分を深く掘り下げることなく現在の構造のまま、客席をトラックの4コース付近まで伸ばせば、スタンドの傾斜角は20度を大きく下回る。伸ばした箇所はほぼ平らだ。そこに座りサッカーを観戦して、楽しいだろうか。子供や観戦の初心者はともかく、サッカーに少々うるさい人が観戦する場所として相応しいだろうか。少なくとも筆者は、そこからサッカーを見る気はしない。たまに気分転換で、座るならいいが、そこに年間シートを買い求める気にはとてもならない。

    「スタンドとピッチの距離が近い」。サッカー専用スタジアムの魅力を語る時、必ず出てくるのが、この言葉だ。国立競技場の問題点を語る場合も、必ず登場する。しかし、スタジアム評論家を自負する筆者としては、その声に必ずしも同意しない。近さより重要視したくなるのは角度。スタンドの傾斜角であり視角だ。

     ピッチ脇のベンチで構えるある日本人の有名監督がかつて、記者席から観戦するこちらに、言い訳混じりにこぼしたことがあった。「ピッチ脇からだとよく見えない」。その話を、欧州のある監督にしたところ、以下のような厳しい答えが返ってきた。「それは監督としての資質がない証だ。ピッチ脇にいても、俯瞰する目を持てないと、よい監督にはなれない」と。有名監督ではあるが、よい監督とは必ずしも言い切れないその日本人監督に「それではよい監督になれませんよ」と、伝えることは避けたが、それはサッカー観戦する場所として、ピッチ脇が適当でない場所であることを物語る言葉でもあった。
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