なぜ問題にしようとしないのか。日本代表に入るべき選手が入っていないことに。田中マルクス闘莉王は現在31歳。4月で32歳になる。ブラジルW杯時には33歳になっている。年齢的な問題を抱えていることは事実ながら、実際のパフォーマンスが低下したという印象はまるでない。昨季のJリーグでも堂々、ベストイレブンに輝いている。

 しかもだ。このJリーグのベストイレブンの座に、彼は9年連続で輝いている。世界各国のリーグをすべて調べたわけではないけれど、9年連続ベスト11に選ばれた選手を見つけ出すことは簡単ではないはず。ギネスブックに載っていても不思議はない、これは驚異的な実績というべきである。
 
 さらに、基本的にディフェンダーでありながら、昨季まで43ゴールをマークした決定力も光る。確かに、持ち場(最終ライン)を離れ、前線に出て行くプレイスタイルを、好ましく思わない人はいるだろう。しかし、それが彼の存在感、スター性に繋がっていることも事実。Jリーグが発足して20年。その間、いろいろな選手が活躍してきたが、ここまで派手な活躍を、長期間に渡り演じた選手は存在しなかった。カズ、中山でさえ及ばない。
 
 ところが、彼が代表から外れていることに異を唱える声は、どこからも聞こえてこない。話題にさえのぼっていない。どんな期待の若手より、即戦力になることはわかりきっているというのに、だ。
 
 不思議である。しかもブラジルは彼の出身地。誰よりもW杯本大会に出場したがっている選手であることに疑いの余地はない。そのあたりについて触ろうとしないのは、冷たい態度だといわざるを得ない。
 
 これまでは、選ばなくてよかったのかもしれない。ブラジルW杯時に33歳になる選手を、4年周期で回る代表チームのサイクルに最初から組み込み、スタメンで使い続ければ、チームの新陳代謝は悪くなる。新たな選手は生まれてこない。たとえば吉田は、現在のような選手に育っていなかった可能性がある。
 
 これまでの2年数か月を準備期間とすれば、これからの1年数ヶ月は仕上の期間。闘莉王のような実績のあるベテランは本来、いままさに、このタイミングで投入すべき選手だといえる。ザッケローニの選手起用には、4年間という時間を意識した計画性というものが感じられないが、一般論ではそうなる。
  
 実際、闘莉王にはユーティリティ性がある。最終ラインのみならず、守備的MFもこなせそうな能力がある。ともすると気まぐれに見えるその攻め上がりを、ある約束事の中に組み込むことができれば、チームの可能性は大幅に広がる。
 
 長谷部と遠藤。今野と吉田。現在の日本代表のスタメンで、ベンチにいる控え選手と替えににくいのはこの4人。守備的MFとセンターバックだ。固定メンバーで戦ってきた弊害が目立つポイントだが、闘莉王が加われば、そこのところの問題は大幅に改善される。選択肢はグッと広がる。3バックへの移行もしやすい。
 
 闘莉王が最後に出場した代表戦の国際試合は、南アW杯直後に行われたパラグアイ戦。少なくとも、監督代行を務めた原博実技術委員長は、従来通り彼を代表に呼んだ。それが、ザッケローニが監督に就任するや一変。以降、彼は1試合もピッチに立っていない。
 
 そこに、ザッケローニの強い意志を感じる。
 
「嫌いなんだよ、きっと」。その話を周囲に振ると、多くの人はそう答える。「選手選考は、私の趣味のようなモノ。あなたたちが意見するのは自由だが、私の趣味は簡単には変わらない」とはオシムの言葉だが、とはいえ、Jリーグのベスト11に9年連続輝いている選手を選ばないなら、その理由を述べる必要がある。それが義務。筋というモノだ。

 ザッケローニと協会に限った問題ではない。メディアやファンにも責任はある。そのJリーグでの活躍を、見て見ぬふりをする行為はあまりにも不自然。その実績を踏まえれば、礼に反する行為だとさえいいたくなる。

 闘莉王問題に何も触れないメディア。そして、話題にさえしようとしないファンを、自分が生まれた国で開催されるW杯を1年数か月後に控えたいま、闘莉王はどう見ているだろうか。

 その落胆たるや、ただ事ではないはずだと僕は思う。