リードした状態で終盤を迎えると布陣をオーソドックスな4バックから5バックに変え、守りを固めようとするサッカーと言えば、いの一番に森保采配を想起する。前戦のブラジル戦では、その逆のパターン(前半守りを固めて後半プレッシング)が奏功。逆転勝利の原動力となったが、後半見せたプレッシングを最大の拠り所に、W杯に向けた戦いに臨むとは思えない。
森保監督はいろいろな戦いができることが大切だとし、それこそが「賢くしたたかな戦い」だと言って自らの采配を肯定する。しかし、後ろに重心を置く5バックを敷きながら、一方でハイプレスを掛ければ選手の配置に矛盾が生じる。前方の選手には必然、重労働が待ち構える。選手に精神論、根性論を求めるサッカーといっても言い過ぎではない。なによりW杯本大会のような連戦には不向きと言うべき、非論理的なサッカーである。
さらに言えば、後ろを固めることは前からプレッシングに出ることとは真反対の作戦だ。切り替えは簡単ではない。サッカーで守備と言えば、かつては後ろを固めることを意味していた。人間の本能に由来する考え方と言ってもいい。そうした意味で1980年代末に登場したプレッシングは、サッカーの概念や常識をひっくり返す画期的なサッカーだった。
「後ろに下がるのではなく前に追いかける守備とは、本能に逆らうサッカーなので訓練が必要。試合で実践するまでに時間が掛かる」とは、発案者であるアリゴ・サッキの言葉である。
とすれば、試合後半、リードを守り切ろうとしたときプレッシングから後ろに守るサッカーに切り替えれば、後ろで守る方が効果的だと言ったも同然になる。「プレスだー!」と叫んでいた指導者が土壇場になると、突然「後ろで守れー!」と言って、プレッシングを否定する。
ブレたわけだ。プレッシングに対する信用度は瞬間、激減する。次回、監督に「プレスだー!」と叫ばれても選手は半信半疑になる。人間の本能とは異なる集団的な動きに対し、前向きに取り組むことができにくくなる。
作戦が失敗したときは悲惨だ。敗戦のショックは尾を引く。直近では終盤、後ろを固めたにもかかわらず、失点を許し、優勝争いから脱落することになった京都サンガだ。
4試合を残して首位鹿島アントラーズを勝ち点5差で追走していた京都。34節はホームにその鹿島を迎えての一戦だった。勝てば残り3試合で勝ち点差2位。初優勝の可能性は大きく膨らむところだった。
続きをYahoo有料記事で読む
続きをTHEORYメルマガで読む
続きをnote有料記事で読む
続きをタグマ有料記事て読む
森保監督はいろいろな戦いができることが大切だとし、それこそが「賢くしたたかな戦い」だと言って自らの采配を肯定する。しかし、後ろに重心を置く5バックを敷きながら、一方でハイプレスを掛ければ選手の配置に矛盾が生じる。前方の選手には必然、重労働が待ち構える。選手に精神論、根性論を求めるサッカーといっても言い過ぎではない。なによりW杯本大会のような連戦には不向きと言うべき、非論理的なサッカーである。
さらに言えば、後ろを固めることは前からプレッシングに出ることとは真反対の作戦だ。切り替えは簡単ではない。サッカーで守備と言えば、かつては後ろを固めることを意味していた。人間の本能に由来する考え方と言ってもいい。そうした意味で1980年代末に登場したプレッシングは、サッカーの概念や常識をひっくり返す画期的なサッカーだった。
「後ろに下がるのではなく前に追いかける守備とは、本能に逆らうサッカーなので訓練が必要。試合で実践するまでに時間が掛かる」とは、発案者であるアリゴ・サッキの言葉である。
とすれば、試合後半、リードを守り切ろうとしたときプレッシングから後ろに守るサッカーに切り替えれば、後ろで守る方が効果的だと言ったも同然になる。「プレスだー!」と叫んでいた指導者が土壇場になると、突然「後ろで守れー!」と言って、プレッシングを否定する。
ブレたわけだ。プレッシングに対する信用度は瞬間、激減する。次回、監督に「プレスだー!」と叫ばれても選手は半信半疑になる。人間の本能とは異なる集団的な動きに対し、前向きに取り組むことができにくくなる。
作戦が失敗したときは悲惨だ。敗戦のショックは尾を引く。直近では終盤、後ろを固めたにもかかわらず、失点を許し、優勝争いから脱落することになった京都サンガだ。
4試合を残して首位鹿島アントラーズを勝ち点5差で追走していた京都。34節はホームにその鹿島を迎えての一戦だった。勝てば残り3試合で勝ち点差2位。初優勝の可能性は大きく膨らむところだった。
続きをYahoo有料記事で読む
続きをTHEORYメルマガで読む
続きをnote有料記事で読む
続きをタグマ有料記事て読む























