いや~、北村さんの「母親に外戸からけり落とされた」というコメントに、思わず笑ってしまいました!私は北村さんの「子育て・社員育成セミナー」の課題を見ているので、この子育てがあの北村さんを育てたのだと思いました。(笑)
ただ、文字だけ読んだら、結構、デンジャラスな育て方にもとれますが、育った北村さんを見ていて思うのは、間違いなく愛されて育っているということです。
確かに、北村さんは眉間にシワを寄せたり、弟たちを顎で動かしたりしていますが(笑)、そこにはやさしさがあります。
そんな北村さんを見ていると、お母さんが娘をけり落とせたのは、わが子であることに絶対的な自信があるからだと思うのです。
今の親でそれができる親は少ないのではないでしょうか?
北村さんのコメントを見ながら、育った北村さんの姿を思い出して、朝から気持ちがスッキリしました!
昨日は、都田地区の教育講演会と島田のCL(建設的な生き方)を学ぶ会でした。
そこで出た事例を一緒に考えてみましょう!
(相談者:スーパーの経営者)私の会社では学校の生徒を職場研修で受け入れています。
今回も1人受け入れたのですが、その女子高生に「学校からどんな話を聞いているの?
研修のつもりで来てくれたのならいいけど、もしアルバイトのつもりで来たとしたら、今は忙しい時期ではないのでお金は払えないので、そこは理解しておいてね」と伝えました。
すると、その子が「せっかく頑張ろうと思って来たのに、私は必要がないんだ」と泣いて店員に話をしていたそうです。
そう言われてみると、確かに私の言い方がそっけなかったかもしれません。
この生徒さんに対してどのよう対処したらいいでしょうか?
(ここから先は、自分の対応を考えてから読んでくださいね!)
この事例で、一般的に一番多いと思う対応は、「さっきは言い方がきつくなってゴメンね!」と謝罪する対応です。
しかし、それでいいのでしょうか?
この子は、この社長(スーパー)に受け入れてもらっているのです!
受け入れてもらっていなければ、その社長さんとも会っていません。
それなのに、受け入れてもらっていることを忘れて、その対応にだけ目が行き、傷ついたり、不満を感じているとしたら、間違いなく不幸な人です。お金があってもなくても、健康であってもなくても、それによって幸せか不幸せかは左右されません。
お金があっても不幸な人はいるし、健康でも不幸な人がいて、貧乏でも、病気でも幸せな人はいるのです!
そうすると環境が人を幸せにしたり不幸にしているのではなく、その人がどこを見ているかによって幸・不幸が別れると思うのです!
私がこの社長なら、「私の言い方が君を傷つけたらそれは謝るよ。でも、そんなことで泣くようなら社会ではやっていけないよ!
まして、その姿を職場の人に見せて職場の雰囲気を悪くするようではこの店で働いてもらうわけにはいかない。いい勉強になったと思うから、もう帰ってください!」と言うと思います。
今の家庭は、子供の数も少なく、子供中心の生活になりがちです。
そのため、自分の意見が通らなかったり、自分の期待と異なることに過剰に反応する不幸な子供が増えています。
私はそうした育て方を「愛情」と思わないのです!
その子が、幸せに生きていくためには、どう生きたらいいかを教えることが親の愛情なのではないでしょうか?
空論で教育を語る人の中には、「教育の主体は子供だ」という人がいます。
私も子供の主体性を認めることは大事なことだと思っていますが、子供が「あの子は嫌いだから、名前を呼ばれても返事をしない!」と言っていたら、それを「子どもの主体性」と認めるでのでしょうか?
そんなことをして、不幸になるのは子供です!
仮にそれが教育なら、校則はいらないし、子どもは好きな授業だしか受けないと思うのです。
その間違いを教えるのが、親や教師の役目ではないかと私は思うのです。
きっと北村さんのお母さんなら、「教育の主体は子供だ」などと言わず、外戸から蹴り落とすでしょうね!(笑)
今日のひとこと
「宝石の原石は、磨いてこそ光るものなのです!」






