今日が平成最後の日になりますね。私は昭和の人間なので平成が終わると聞くと、随分歳をとった気になります。
先日行ったベルギーも戦後復興する際に合理的な建物をたくさん建てましたが、最近では昔のアールヌーヴォー様式の建築物が見直されています。
アールヌーヴォーの建物にはものすごく手がかかるのですが、その手間や無駄の価値がここにきて見直されてきているのです。日本も平成に入ってずいぶん変わった気がします。
今の日本ではプラスティックでできた箸も、職人が何度も手をかけて作った箸も、食べられれば同じという人が増えてきた気がしますが、本当に同じなのでしょうか?若い頃の私なら「食べられれば同じじゃん!」と思ったかもしれませんが、今の私はまったく違うものだと思っています。
そうした違いが判らないようになったら、人間が機械になってきている気がするのです。ここでもう一度手をかけたものの価値を見直すときがきている気がするのです。
昨日は島田CL(建設的な生き方)を学ぶ会でした。

連休中だというのに多くの方が参加してくれてうれしかったです。
そこで出た事例は明日以降に紹介することにして、今日は平成を振り返りながらプラスティックの箸と職人が作った箸の違いについて書いておきたいと思います。
CL(建設的な生き方)を作ったレイノルズ博士は文化人類学の教授ですし、私がその前に勉強していたアドラー心理学は「場の心理学」と言われるくらい「場(文化)」というものの影響を考えています。そのため私は「文化」というものをとても大切にしています。
会社を作るときも、一人一人の人間を変えようとするのではなく、その場(会社の文化)を作ろうとしています。そこが私と他の経営者やコンサルタントとの一番の違いだと思っています。
そうした「場(文化)」の影響力がわかってくると、プラスティックの箸と職人が作り上げた箸とは全く違うものになるのです。先日のブログにも書いたように、人は無抵抗で環境の影響を受けます。
そのよい例がニューヨークの地下鉄の落書きで知られた「割れ窓理論」です。
「割れ窓理論」というのは、一枚の割れた窓をそのままにしておくと、その一枚の割れた窓がその地域に住んでいる人の心理にわずかな影響を与え、そこの住民のモラルが低下して、やがて地域の治安にも悪影響を及ぼしていくという理論です。

ですから、雑然とした部屋の中で暮らす人と、整理された部屋で暮らす人とでは、心理的に違いが生じ、考え方や行動の仕方にも違いが出てくると思うのです。
私が「さかえや」さんのコンサルタントに入ったときに、社員さんに対して研修をしたりせずに館内の飾りつけや掃除、従業員の食事の提供の仕方を変えていったのは、「食べてしまえば同じ」という考え方を直すことが先だと思ったからです。
部屋が散らかっているところで、子供たちに「きれいに食べなさい!」「静かにしなさい!」という方が無理だと思うのです。しかし、自分の物を散らかしたまま、社員を変えようとしている経営者がどれほどいることでしょう?
それはまったく環境の影響を気にしていないか、もの凄く鈍感(無神経)な人だと思うのです。私たちの使う言葉や積み上げる努力の一つ一つはとても小さな影響力しかありません。
しかし、それを一貫して積み上げると、その人の文化となり複利で影響力を増していきます。CL楽習会に参加していた伊村さんが「ゴールデンウィーク中に施工したお宅の床下の掃除に行って来る」と言っていたので、「どんな営業をするよりも、そうしたことを一貫することの方が大きな営業になるよ」とアドバイスしましたが、ハガキでも掃除でも一つのことを一貫すると「複利」で利息がついてくるのです。

そうした「複利」の力を知らないから、プラスティックの箸も職人が手をかけた箸も同じだと思ってしまうと思うのです。
皆さんの人生はプラスティックの人生ですか、それとも職人が手をかけて作り上げた人生ですか?
どちらも生活できれば同じなのでしょうか?
もし同じだとしたら、人のありがたみや夕焼けや雪景色の美しさが本当にはわかっていないと思うのです。
私はそうした人間に自分の子供を育したくないと思っているのです。そんな意味もあって海外の良いものを見て見分を広げてほしいと思うのです。
しかし、五重塔はベルギーに限りますね!(笑)
今日のひとこと
「プラスティックの箸と職人が手をかけて作った箸は、同じでしょうか?」
















































