IMG_1023昨日は島田CL(建設的な生き方)を学ぶ会でした。

その中で、私が写真を撮る訳を話させてもらいました。

歳をとった母の話を聞いていると、最近のことは忘れているのに、過去の悔しかったことや残念だった話が何度も出てきます。

聞いている私にすると「その話はもう聞いたよ!」「今更言ってどうなるの!」と思うのですが、母にするとつい最近起きたことのように何度も同じ話をするのです。

そんな母を見ていて、私は母を「可哀想な人だなぁ」と思ってしまいます。

だって、楽しかったことや嬉しかったこともあったはずなのに、辛かった時のことや悔しかった時のことばかり思い出して生きているのですから、とても幸せそうには思えないのです。

私の知り合いの脳科学者によると、人間の脳は危険から身を守るために、自分に害を及ぼすものや自分を不快にする可能性のあるものを探すように出来ているそうです。

確かに、何千年もの人間の歴史から考えると、今のように食べ物にも困らず安心して生活ができる時間はほんの一瞬のことです。

だから人間の脳は、自分に危害を及ぼすものや自分を不快にするものを見つけるように出来ているのです。

しかし、不快なものや危害を及ぼすもののことばかり見て生きていても楽しくありません。

どうせなら美しいものや楽しいこと、人の素敵なところを見て暮らした方がいいと私は思うのです。

人間の脳は筋肉と同じで、使っているところが鍛えられて、信号の伝達が良くなるそうです。

だから、辛かったことや悔しかった事ばかり考えていると、不幸や悔しかったことを思い出しやすい脳になってしまうというのです。

そう言われて見てみると、会社に不満を持つ人は違う会社に行ってもその会社の問題点をすぐに見つけますし、損得勘定をする人はちょっとしたことでも損か得かと考えています。

きっと脳のその部分が鍛えられて、そういう脳になっているのでしょう。

とは言え私も母の子なので、つい不満なことや不快だったことを思い出しがちです。

発達障害の人は、他の人以上に不快だったことや腹が立ったことを強く記憶して、フラッシュバックを起こす人が多いようです。

だから私は、歳をとる前に楽しかったことや嬉しかったことを思い出し、人の素敵なところを見つける脳を作っておきたいと思っているのです。

写真を撮ろうと思って公園に行ったとしましょう。

芝生はきれいに刈り揃えられ、花が咲き、空は青空です。

それなのに落ちていた犬の糞ばかり見ているとしたらどうでしょう?

しかも家に帰ってまで犬の糞のことを思い出して、「あのウン〇はひどかった!」と思い出しているとしたら、すご~く不幸な人生だと思うのです。

でも、今から準備しておかないと私はそんな生き方をしてしまう恐れがあると思うのです。

色々な人を見ていると、色々なことがあるはずなのに、いつも元気で楽しそうな人がいます。

その一方で、その時の出来事によって楽しそうになったり不快になる人もいます。

また、色々なことがあるはずなのに、なぜかいつも不機嫌そうな人もいます。

だとすると、その人が楽しそうに生きているか不機嫌そうに生きているかは、起こった出来事の問題ではなくその人の問題ということです。

私がハガキを書くのも、人の素敵なところや美しい生き方を見つける人生にしたくて書き続けているのです。

皆さんは美しいものを見て生きますか?

それとも犬のウン〇を見続けて生きますか?

今日のひとこと
「不幸な人は不幸である理由を探し、幸せな人は幸せな理由を探す」


人気ブログランキングへ
ブログランキング参加中です。クリック応援をお願いします!