20191209_135618馬渕君は42歳でガンで亡くなりましたが、病院に通いながら会社に行き続けました。

10年間も1人でリハビリをしていた彼にすると、「お金がもらえること」よりも「仲間と働けること」がうれしかったのです。

私だったら「どうして俺ばかりにこんなことが起きるんだ!」と人に八つ当たりしたくなると思いますが、彼は一言も愚痴を言わないばかりか、トイレに連れて行ってくれた母親に対して手を合わせていました。

20191209_135633(0)私よりも10歳も若かったのに、スゴイ人間だと頭が下がりました。

私たちは健康なのに、彼よりも人生を味わえていない気がします。

さて、昨日の沼津経営塾のブログに「認知行動療法」のことを書いてくれました。

認知行動療法は、私が学んでいるCL(建設的な生き方)ととても似ていて、自分の考え方や行動の癖を把握して、その癖を整えていくことによって人生を良くしていくものです。

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関内さんは、幼稚園の先生から

「普通級を選択したなら、それに向けてもっとお母さんも頑張ってください」

「昨日教育相談を受けて、○○先生(同席した保育士)は朝、長女ちゃんのことを想って泣きました。心配だと。本当にこのままで学校でやっていけるのかと」

20191209_135757「8月から保育園で個別に私たちは長女ちゃんのために頑張ってきました。それでも進歩があまりないんです。私たちだけでは無理だと思うんです。」

「毎日5分でも10分でも、長女ちゃんと向き合う時間をつくってくれませんか?」

「ここのところ、お母さんは違う方向をみていませんか?」

20191209_135844と言われて、「まるで頑張っていないような言い方でとても悲しい」と思ってしまいました。

心が思ってしまうことは仕方のないことですが、これは関内さんの見方の癖です。

だって、自分の娘のことを思って泣いてくれる人がどれだけいるでしょう?

その先生にも生活があるので、仕事を終えて家に戻ったら仕事のことなどなかなか考えるゆとりはないと思います。

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それなのに自分の子供のことを考えて、泣いてくれたのです。

きっと馬渕君だったら先生のお話を聞いて「ありがたいなぁ」と思ったと思うのです。

つまり同じ事実を見ても「辛くなる人」と「ありがたいと思う人」に分かれるのです。

20191209_194803先日、ある奥さんが「私が仕事で遅くなったら、義母が勝手に夕食を作り始めていました!」「夕食は私の仕事で、私なりに献立だって考えているのです! おかげで私の立てていた献立が滅茶苦茶です!」と怒っていました。

本当に失礼かもしれませんが、私はその方の話を聞いていて「この人は不幸な人だなぁ」と思ってしまいました。

確かに私たちの理想と違うことは起きますが、私たちだって人の期待通りに生きていないのです。
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それなのに自分の期待と違うところを見つけて被害者になっていたら、誰とも良い関係になれないと思うのです。

しかし、若い頃の私はこの奥さんとまったく同じ見方をしていたと思うのです。

当時の私は、仕事がきついから不幸だったのではありません。

20191209_230921給料が少なかったから不幸だったのでもありません。

私の見方が偏っていた(貧しかった)から不幸だったと思うのです。

CLでそのことに気づかせてもらってから、私は一日を振り返る時間をとって「人にしてもらったこと」や「人に迷惑をかけたこと」を考えるようにしてきました。

そうした努力を続けていくと、少しずつ見える世界が変わってきたと思うのです。

20191209_231023CLを提唱したレイノルズ博士の本の中に「水の中にいるのに喉が渇いている人」という言葉が出てきますが、私は幸せの中にいても不幸な人がたくさんいると思うのです。

今日の沼津経営塾のブログを見てもらうと関内さんはそうした自分の認知の癖に気づき、上手に対処しています。

こうしたスキルを身に着けていくことで、人生は変わっていくと思うのです。

今日のひとこと
「障害を負い、ガンになってもいい人生を生きる人がいるのです!」

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