2025年07月17日
注意が必要な長期金利の上昇

参院選で、「消費税率の引き下げ」を主張する野党の優勢(ゆうせい)が、言われています。

市場は、さらなる国債相場(こくさいそうば)の下げを、予想している感があります。

円(えん)が売られて、円安も進んでいます。
誰でも、消費税などは払いたくありませんが、一度下げると引き上げは困難になるでしょう。

耳障りのいい、安易な大衆迎合の政策は、国の基盤(きばん)を危うくします

自民党の旧アベ派など保守本流の、「国債乱発(こくさいらんぱつ)の容認姿勢(ようにんしせい)」にも、責任の一端があります。
「金利の急上昇」は「消費税の負担」に劣らず、国民生活に影響を与えます。
2025年07月16日
束の間の青春に戻る


「夏の高校野球」の香川県大会が、開催されています

卒業高校は一回戦を勝ち、二回戦は雨で一日順延になりました。
時間をやり繰りして、野球好きの連れと高松市の球場に応援に行きました。


対戦相手は、県下でも強豪(きょうごう)の私立高校でした。
リズムが狂った、浮足立ったプレー内容が目立ちました。
ピッチャーの力量はじめ、「格(かく)」も違いました。
13対3の10点差がつき、大会規程の5回コールドで、敗退(はいたい)しました。


しかし、1塁側スタンドの生徒たちの応援は、素晴らしいものでした。
最後のエール交換も、礼儀(れいぎ)を尽くした内容でした。
青春(せいしゅん)という言葉を、思いました(-д-)ノ
負けましたが、行った甲斐がありました。
2025年07月15日
懐かしい光景を見ながらの朝食


5月末に私用で、二泊3日の東京でした。
2日目は、夜の予定と費用などを勘案(かんあん)して、市ヶ谷の私学会館で泊まりました。
会合やランチなどで、何度か訪れた事がありますが、宿泊は初めてでした。
駅からも近く、何かと便利です。


朝食つきのプランでした。
会場は2階で、窓から外濠(そとぼり)の土手を眺めました。
雨の朝で、濡れた緑(みどり)が綺麗でした。
人々がぞろぞろと、傘(かさ)をさして出勤していました。


学生時代は、この道を歩いて通学しました。
一限目は朝の9時開始でしたが、必修科目以外は一限(いちげん)を避けて履修(りしゅう)しました。
若い時には、こんなに朝早く歩くことは、滅多にありませんでした。
懐かしい昔を思いながらの、朝食でした。
2025年07月14日
見ごたえのあったまち長浜


6月に滋賀県の長浜市(ながはまし)を、訪れました。
名刹(めいさつ)に立ち寄り、国宝の観音立像(かんのんりゅうぞう)を観賞しました。
最後は短い時間でしたが、長浜の中心街(ちゅうしんがい)を見学しました。


記録を調べると、1999年(平成11)9月に視察で訪れていました。
26年ぶりでしたが、微(かす)かな記憶が残っていました

長浜は、豊臣秀吉が信長から領地を与えられて、築城し整備したまちです。


尾張(おわり)や近江(おうみ)から、日本海側の敦賀(つるが)に至る、主要街道の拠点でした。
古くからの建築や史跡を、活用していました。


道も、風情(ふぜい)や歴史を感じました。
平日でしたが、観光客もぼちぼち目にしました。
商店街も「生きて」いました。


見ごたえのあった、まちでした。
また機会があれば、泊まりで食事も楽しみながら、ゆっくりと巡りたい地方都市です(≡ω≡)
2025年07月13日
2025年07月12日
多様性否定の思想

そして、洪水(こうずい)やたつ巻などの大災害が、増えています。

科学的な根拠(こんきょ)のもとに、世界各国が温室効果ガスの排出削減(はいしゅつさくげん)に、取り組んでいます


思うに、「温室効果ガスが原因とする否定論者(ひていろんじゃ)」には、ほかの事象でも以下のように考えて捉える傾向があると、感じます。

※政策を改めて、移民(いみん)を規制すべき。
※1937年の「南京大虐殺」は、捏造(ねつぞう)・虚構(きょこう)である。
※石破(いしば)を毛嫌いする。

※中央銀行の低金利政策と、自国の通貨安を好む。
※女性天皇・女系天皇に反対する。
※夫婦別姓(ふうふべっせい)やジェンダー平等・LGBTQを、認めない。

「日本民族こそが最も優秀」とする、思考体型です。
かつてのアベという総理大臣が代表的な、「保守本流」の特徴だと言えます。

多様性(たようせい)を否定し、他者への気遣いや優しさに欠ける人間の増加は、世の中を住みにくくしていると考えます。
2025年07月11日
萎(しお)れるヒマワリ


今週は他人様(ひとさま)の運転で、ランチ→お茶→買い物と県内を走りました。
南部のローカルな地の、ヒマワリ畑にも寄りました。
以前から、夏には「ヒマワリが咲く地」として知られています。


訪れたのは、たぶん3年ぶり??です。
駐車場代=協力金の300円を、箱に納めました

平日(へいじつ)の午後で、クルマも人も少なめでした。


いつもの時季には、黄色い大輪(たいりん)が幾つも花開きます。
訪れたときは、多くが萎(しお)れていました。
さいきんの高温に、ヒマワリも、打ち負かされていました。


ちょうど、JR土讃線(どさんせん)の「アンパンマン特急」が、畑の向こうを走りました。
この夏のヒマワリの、見納めでした。
異常な暑さに、いつもの夏の光景が失われています(゚`Д)゙
2025年07月10日
隠れ家カフェ


6月に、今治市の里山に登りました。
下山の後は、昼食→海岸の散策(さんさく)をして、お茶に行きました。
「飲み食い」に詳しい人の情報で、一軒のカフェを訪れました。
カーナビに行き先を入力して、クルマを走らせました。


信じられぬような細道(ほそみち)を、誘導されました。
やっとこさ〜で、到着しました。
高台(たかだい)に建つ、おしゃれで小さなお店でした。
店内も、アーティスティックな内装でした



8人で入りましたが、珈琲をオーダーした面々は、みんなカップのデザインが違っていました。
あまりに奇抜(きばつ)な器(うつわ)も、ありました。


窓からは、緑(みどり)の自然の景色が広がっていました。
「櫻2(さくらさくら)」という店名のとおり、春には一面の桜に覆われるようです。
「隠れ家のカフェ」でした。
不便な場所で営む、こだわりと個性(こせい)に満ちた店でした(´∀`)
2025年07月09日
日曜に休んでまったり過ごす


日曜日は、デスクワークに向かうのを常(つね)としています。
4ー6月の第一四半期の処理事も済み、今週は休みをいただきました。
同級生の連れと、半日を過ごしました。
昼食は、夏バテ防止に「お肉」をガッツリといただきました(´∀`)


地元の猪熊弦一郎現代美術館の、企画展の最終日でした。
けっこうな数の、観覧者でした。
チケット受付で、久しぶりに行列(ぎょうれつ)しましたズラリ~


この日は、館内のミュージアムホールで、東京在住の若手ピアニストのリサイタルがありました。
お祖母さんが丸亀市出身の関係で、猪熊美術館での開催となりました。
ベートーヴェン・ショパンなど、四曲の演奏でした。
美しい音色にひたり、心を洗いました。


最後に、ミュージアムカフェで、お茶をしました

若いときから、「日曜日は仕事をする〜」という固定観念(こていかんねん)を持っています。
滅多にない、「休みの日曜」を過ごしました。
2025年07月08日
カネへの感謝の気持ち
渋沢栄一など、新しいお札が発行されて、7月3日で一年になりました。
発行当初は、新券をなかなか目にしませんでした。

しかし報道では、流通する紙幣のなかでの新紙幣のシェアは、3割程度との事です。
前回2004年(平成16)の発行に比べて、半分の普及スピードのようです。
キャッシュレス決済の浸透(しんとう)が、大きな原因と見られています

確かに、仕事で扱う現金の内容や、自分の財布(さいふ)の少ない中身を見ても、新札割合(しんさつわりあい)は50〜60%だと感じます。

しかし、キャッシュレス化の進展は、カネの大切さ・有りがたみの感覚・感謝の気持ちを薄れさせると、古い人間は思います。
2025年07月07日
2025年07月06日
異色の存在のジジイたち


一年ほど前に、街のいっかくに、個人経営のフレンチのビストロが開店しました。
なかなか行く機会がありませんでしたが先日、同じトシのジジイたちで訪れました。

オーナーは、各地で料理経験を積んで来たようでした。
地元産(じもとさん)にこだわった、食材をつかったメニューの数々でした。

平日の夜でしたが、若い女性を中心に賑やかでした。
明らかに、場違いなジジイたちでした。
しかし、開店(かいてん)からラストオーダーまで居座りました。


酒飲みばかりでした。
お勘定は、この店の客一人の平均単価(へいきんたんか)の、たぶん3倍を超えていたと思います。
帰るときは店主から、満面(まんめん)の笑みで「またどうぞ〜」と、言われました。
2025年07月05日
選挙戦略
第27回参院選挙が公示されました。
異常な暑さのなかでの、選挙戦です。

交流サイト(SNS)やYouTubeが、票数に大きな影響を与えます。
しかしネット情報には、偽(にせ)の内容・印象操作(いんしょうそうさ)が溢れています。

しかも、ネット以外の情報には触れない人間が増えています。


ネットこそが絶体(ぜったい)とする考えが、蔓延(まんえん)しています。

「選挙に勝つ」ためには、「ネットを上手く繰る」ことが重要になっています。
政策よりも大切な戦略が、出現しています(`ε´)
2025年07月04日
可愛そうなクルマ

いまのクルマは5台めですが、新車で買い替えてちょうど一年になります。
走行距離は、3,406kmでした。
ほぼ毎日乗りますが、一日平均して10km走らない計算です


先日も、買い物と通院(つういん)で、自分のクルマを近所に住む同級生に運転してもらいました。
自ら遠方(えんぽう)へ行くときは、列車など公共交通を使います。

人には、いろいろな生き様があります。
しかし、いまのクルマは県外にも行ったことがありません。
可愛そうなクルマだと、思います(´Д⊂)
2025年07月03日
都心のドライブ
2025年07月02日
池上本門寺という寺


東京大田区に、池上本門寺(いけがみほんもんじ)があります。
日蓮宗の七大本山の一つで、日蓮聖人(にちれんしょうにん)が亡くなった地です。
以前から行きたかった場所で、上京時に連れがクルマを出してくれて、訪れました。


小高い丘の上に広がる、大きな境内でした。
巨大な伽藍(がらん)・山門・五重塔など、立派なものでした('д` )
江戸時代には、徳川将軍家や諸大名が信仰し、巨大な寺院になりました。
仁王門まで歩いてみましたが、急な石段が下に延びていました。
電車で来ると、この階段を昇らなければいけませんでした。


メインの大堂(だいどう)の裏に駐車場があり、クルマで訪れて正解でした。
駐車場のそばの休み処で、お茶をしてくつろぎました

いい参拝でした。
2025年07月01日
2025年06月30日
2025年06月29日
2025年06月28日
国家間の怨念
「泥沼(どろぬま)の交戦状態」になっていた、イランとイスラエルですが、アメリカが「真夜中の鉄つい作戦」を実行しました。
イランの3ヵ所の核施設(かくしせつ)を、ステルス爆撃機で破壊しました。

その後、トランプ流のおどしを混ぜた強権的な恫喝(どうかつ)で、両者は鞘(さや)を納めています。
トランプは、「戦争終結(せんそうしゅうけつ)」だと言っています。
金融市場には、安心感が広がりました。

しかし、イランとイスラエルの対立と怨念(おんねん)は、半端(はんぱ)ではありません。
また、何かが起こるような気がします

2025年06月27日
低山登りのあとの時間


先週は、今治市の標高300メートルすこしの低山に登りました。
午前中には下山しました。
登山では、コンビニ飯など食べ物は必携です。
が、時間が読める里山の場合は、下りてからの昼メシも楽しみの一つです。


ちかくの「国民休暇村」に、行きました。
お昼時でしたが、8人全員が一緒に座れました。
ご当地のB級グルメで、「B−1グランプリ」でも優勝した、「今治焼き豚たまご飯」をいただきました。
いいお味でした



瀬戸内海が一望できました。
海(うみ)と、名も知らない数々の無人島(むじんとう)を眺めながらの、贅沢(ぜいたく)な昼食でした。
平日でしたが、お客で賑わっていました。


食後は、下に見えていた浜辺(はまべ)にクルマで降りました。
波打ち際を、歩きました。
綺麗な砂浜と、海の水でした。
平和でのどかな時間を、過ごしました (´▽`)
2025年06月26日
2025年06月25日
2025年06月24日
人のトシの捉え方

高温(こうおん)・高湿度(こうしつど)でバテました。
夜帰宅して、異変(いへん)が起こりました。
右の足腰に、痛みと痺(しび)れが走り続きました。
痛さで、時おり声が出ましワァオッ~

翌日、登山のストックを突いて、かかりつけの整形医に行きました。
「坐骨神経痛(ざこつしんけいつう)でないか??」と言われ、痛み止め注射と点滴(てんてき)を受けました。

同級生からは、「ええトシして、このクソ暑い中あそこへ行く、ここへ行くと動きまくって、気をつけろ!と言う警告(けいこく)や〜」と、説教(せっきょう)されました。


ところが、業務で会った同年代の女性からは、「それではイカン。60台や70台はまだまだ若い。これからの人生や!」と言われました。
人には、さまざまなトシの捉え方があります。
しかし、80・90歳の人間の言葉なら解りますが、当事者が「60歳70歳はまだ若い!」とする思考は立派で、見上げたものです。
見習うべきかも知れません(´・ω・)
このような人は、何歳まで生きるのだろう??とも、考えました。
2025年06月23日
ガッツリと焼き肉を


5月末に2泊の、完全な私用(しよう)の東京でした。
一泊目は、羽田空港で泊まりました


国際線ターミナルの、新しい施設「エアポートガーデン」に行きました。
あれこれ探して、一軒の焼肉屋に入りました。
暑さが日々、募っています。

お肉も酒も、美味でした(′∀`)
第3ターミナルの「羽田エアポートガーデン」は、住友不動産が運営する複合商業施設です。

羽田発着の国際線の路線は、次々に増えています。
夜も遅い時間に、到着した外国人が大きな荷物を引いて、わんさか歩いていました。
ビルテナントの、需要と供給のバランスは、どんな状況なのでしょうか??
2025年06月22日
工場地帯のアートスペース


中は、アート作品の観賞スペース、アーティストの制作活動のアトリエなどで構成されています。
子どもを対象にした、ワークショップなども行われているそうです。
場所が不便で、運行数の少ない路線バスかタクシーでなければ、行けません。
以前から訪れたい場所の一つでしたが、5月下旬の上京の折に東京の連れがクルマを出してくれて、寄ることができました



三島喜美代(みしまきみよ)さんと、彫刻家の藤原彩人(ふじわらあやと)さん・写真映像作家の大坪晶(おおつぼあきら)さんの作品が、展示されていました。
三島喜美代さん(1932年・昭和7―2024年6月19日没・91歳)は、世界でも高く評価された、現代日本のアーティストです。


新聞やダンボール・空き缶などを、陶器(とうき)でつくった表現で知られています。
大量消費社会を批判し、環境保護と循環型社会(じゅんかんがたしゃかい)の構築を、訴えました。


香川県直島(なおしま)の、安藤忠雄(あんどうただお)氏が監修した「桜の迷宮広場」のそばにも、「巨大ゴミ箱」をモチーフにした作品を制作しています。
城南島では、本物さながらの新聞紙の束(たば)を、陶器で積み上げた「NewsPaper08」を、展示していました(つд⊂)


5階は、屋上庭園(おくじょうていえん)でした。
北からの風で、羽田空港の34R滑走路を離陸した飛行機が、上昇しライトターンして行きました。
南からの風のときの午後3時からは、飛行機が頭上(ずしょう)をかすめて着陸するそうです。


城南島は、埋め立てて造成された人工島です。
中小工場の工業団地や残土処理の施設、海浜公園などがあります。
工場地帯にある「異色のアートスペース」と、言えます。
この「穴場感(あなばかん)」も、魅力の一つと言えるのかも知れません。
2025年06月21日
山林火災の恐怖

いったいは、今年3月末に起こった、大規模な「山林火災(さんりんかさい)」に巻き込まれました。
火元(ひもと)は、山から遠く離れた山林(さんりん)でした。

空気の乾燥(かんそう)も影響して、延焼が拡大しました。
22棟の建物が、燃える被害を受けました(`ε´)
JRや高速道路も、ストップしました。
一時は、「今治市全域の停電(ていでん)」の恐れが、言われました。


火災発生の5日目に、まとまった雨が降り、9日目に「鎮圧宣言(ちんあつせんげん)」が出されました。
焼失面積(しょうしつめんせき)は442ヘクタールに及び、「東京ドーム94個分」に当たります。


登山道の一部は、黒い炭(すみ)と化した樹木のなかに延びていました。
山肌(やまはだ)も、焦げていました。
寺のお堂にも、近くまで火がせまったようです。


お地蔵さんも、熱かったと思います。
山火事(やまかじ)の恐ろしさを、目(ま)の当たりにしました。
山ではいかなる場合も、「火気厳禁(かきげんきん)」です

2025年06月20日
社会保障制度の今後を思う


今週は、全員が年金受給者(ねんきんじゅきゅうしゃ)という8人の男女で、愛媛県の今治市(いまばりし)と西条市(さいじょうし)の境界に延びる、低山に登りました。
麓(ふもと)の薬師如来(やくしにょらい)を安置するお寺に参拝して、山道に入りました卍卍


猛暑日(もうしょび)が予想されていました。
飲み物はじめ、冷却(れいきゃく)・日よけグッズなど熱中症(ねっちゅうしょう)対策を、念入りに行いました。
一帯は今年3月に、大規模な山火事(やまかじ)に巻き込まれました。
焼け跡を、黙々と歩きました



よく整備された道でした。
お地蔵さんやお堂が、佇んでいました。
巨大な石の不動明王が、山肌(やまはだ)に彫られていました。
信仰(しんこう)の山でした。


約一時間で、最初のピークの世田山(せたやま・339メートル)に着きました。
山登りは、二か月ぶりでした。
暑さと湿度(しつど)と不摂生(ふせっせい)が障(さわ)り、自分はここで打ち切りました(´Д⊂)


あとのメンバーが2座目を往復する間、「荷物の見張り番」をしながら、ゆっくりしました。
待つ間、見知らぬ6人が登って来ました。
地元の人も居て、色々おしゃべりしましたペチャクチャ~


多くが年配者でした。
猛暑(もうしょ)のなか、とにかく元気な人たちでした。
年金(ねんきん)の財源が危惧(きぐ)されますが、医療費は少なくて済むかも知れません。
2025年06月19日
加齢の特徴の一つ
2025年06月18日
軽井沢の今とむかし


4月末に、群馬・長野県を旅しました。
レンタカーで走り、最後は軽井沢に寄りました。
標高(ひょうこう)が高いのか、サクラが綺麗に花開いていました。
昼食をとり、旧軽井沢のかいわいを少し歩きました。


5年前の秋にも訪れましたが、どちらも平日ながら、相変わらず人で賑わっていましたワイワイ~
5月末に上京して、学生時代のサークルの面々と会いました。
当時の写真が自宅にあったので、持っていきました。


いろいろな想い出話しに、花が咲きました。
一枚は、軽井沢駅のホームで撮っていました

1977年(昭和52)9月に、長野県の飯山(いいやま)へ合宿に行ったときのものでした。


当時は、横川(よこかわ)と軽井沢には、長い時間停車しました。
急こう配の碓氷峠(うすいとうげ)の昇り降りで、機関車の連結(れんけつ)・切り離しの作業が、行われました。
それから48年が、経ちました。
鉄道も、新幹線になりました。
まちも駅も変わりました。
そして人間も、大きく変貌(へんぼう)しました(゚o゚)
2025年06月17日
中東発の世界経済混乱の懸念
イスラエル軍が、イランの各地を空爆(くうばく)しました。
核関連施設や石油基地など、100ヵ所以上が攻撃された模様です。
一方、イラン革命防衛隊もイスラエルのテルアビブをミサイル攻撃し、イスラエル軍が迎撃(げいげき)しました。

交戦状態(こうせんじょうたい)になっています。
イスラエルは、パレスチナ自治区ガザとも戦闘(せんとう)を続けています。

イラン・イスラエル・インド・パキスタンは、核保有国(かくほゆうこく)と見られています。
中東の緊迫は、脅威的な状態になっています。

しかし、今週の日経平均株価は、上がっています

市場(しじょう)は、「大事にならない」と見ているのでしょうか??
2025年06月16日
十割蕎麦をいただく


滋賀県・長浜市に行き、「国宝の十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりゅうぞう)」を安置する「渡岸寺(とがんじ)」を、訪れました。
到着が昼時(ひるどき)になり、参拝の前に腹ごしらえをしました。
寺のちかくの、駅前の蕎麦屋さんに寄りました。


運よく、座席も空きがあり、食材(しょくざい)も大丈夫との事でした。
食事を待つ間、ちかくのJRの高月駅(たかつきえき)を、探検(たんけん)しました

北陸線の、長浜から敦賀方面への三つ目の駅でした。
けっこう立派な駅舎(えきしゃ)でした。


昼休みの間は、無人状態(むじんじょうたい)になっていました。
観光案内所や、地場産品のショップもありました。
蕎麦屋さんは、我々が入ったあとに、「本日は売り切れ、準備中」の立て札に変わりました。


少し待って、「鴨肉そば」をいただきました。
「つなぎ」のない、本格的な十割蕎麦で、たいそう美味でした (´▽`)
年配のご夫婦で、営んでいました。
店内も、「お地蔵さんの絵」などを展示していました。


もらった名刺を見ると、「十割蕎麦・坊主Bar」「法務のため、臨時休業の場合が〜」と、書かれていました。
名刺の裏には、「阿弥陀さんの絵と南無阿弥陀仏」が、印刷されていました。
店主は、浄土真宗の僧侶のようです。
しかし、美味しい蕎麦と鴨肉(かもにく)でした(合掌)
2025年06月15日
国宝指定の十一面観世音菩薩


先週は、日帰りの強行軍で、滋賀県の長浜市に行きました。
市街地から、少し離れた「高月(たかつき)地区」は、「観音の里」と呼ばれています。
初めて訪れた地でした。
東に伊吹山系(いぶきさんけい)が居並び、西の琵琶湖(びわこ)に向かって、緩(ゆる)やかな傾きの平地が広がっています。


山からのせせらぎが、流れています。
一帯には、数々の寺院やお堂があります。
中のひとつの「光源寺(こうげんじ)」を、訪れました。
聖武天皇(しょうむてんのう)の治世の、天平時代(てんぴょうじだい)に創建されたといわれる、古刹(こさつ)です。


その後、比叡山の最澄(さいちょう)が多くの伽藍(がらん)を建て仏像を安置し、天台宗(てんだいしゅう)の寺院として隆盛(りゅうせい)を極めました。
寺は元亀(げんき)の年代に、浅井・織田の戦火に巻き込まれ焼失(しょうしつ)しましたが、明治時代に浄土真宗(じょうどしんしゅう)の門徒によって再建されました。


大正時代には、真宗大谷派(しんしゅうおおたには)の寺院として本堂が建立(けんりつ)され、今に至っています。

国内に八体だけの、国宝指定の十一面観音像の一つです。
天平時代に彫られた、菩薩像(ぼさつぞう)です。

観音堂のなかに、静かに佇んでいました。
写真撮影は禁止でしたが、ガラスの覆いの仕切りは、ありませんでした。
四方(しほう)から、間近で拝観できました。
十一の、それぞれの仏の表情に向き合いました。
貴重な、非日常のひと時でした。
緑があふれた、自然に包まれたすばらしい境内(けいだい)でした。
身と心を、洗いました(´∀`)
2025年06月14日
99歳の逆走事故
中央自動車道の恵那山(えなさん)トンネル(岐阜県)下り線で、「逆走事故(ぎゃくそうじこ)」が起こりました(`□´)
軽自動車が逆走し、40代男性が運転する乗用車と、正面衝突しました。
双方のドライバーの命(いのち)は無事でしたが、恐ろしい話しです。

御トシ99で運転するとは、立派なものです。
しかし、クルマという殺傷力(さっしょうりょく)を持つ凶器(きょうき)を扱うのには、責任(せきにん)が伴います。
「高齢だから〜」という理由は、通用(つうよう)しません

しかし、年齢や能力に個人差があるとは云え、「99歳が運転できる社会の制度」にも、問題があると思います。
2025年06月13日
「KITTE(キッテ)大阪」という商業施設

昨年7月にオープンした、商業施設です。
日本郵便・JR西日本・JTBがデベロッパーになり、大阪中央郵便局の跡地を再開発して、地上39階建ての高層ビルを建てました。

先週の大阪出張の折に、見物に寄りました

物販や飲食店が、入居していました。

他の商業施設にはない、特色だと思いました。


日本郵便で、「法定点呼(ほうていてんこ)の怠(おこた)り」が発覚しました。

ゆうパックの配送などに、影響が出ると見られています。
民営化された郵政ですが、「稼(かせ)ぐ事業」に一層チカラを入れねば、なりません(・д・)
しかし、大阪の梅田地区(うめだちく)は、あちこちで再開発がおこなわれています。
街はどこまで変貌(へんぼう)するのか??と、思います。
2025年06月12日
日帰りの強行軍


熟女4人・おっさん3人の合計7人の所帯(しょたい)で、滋賀県の長浜市(ながはまし)を日帰りで訪れました。

クルマ一台に乗り合わせて、早朝に出発しました。
雨もようで、本州に渡ると強く降りましたザァッ~
しかも、彦根市(ひこねし)近辺で「名神高速道路の大規模な補修工事(ほしゅうこうじ)」が、おこなわれていました。
ノロノロの渋滞に、巻き込まれました。
けっきょく長浜市の目的地まで、30分の休憩を入れて6時間を要しました。


長浜で、昼食を終えたころに雨が上がりました。
お寺や市街地などを、歩きめぐりました

滞在時間は、約3時間30分ほどでした。


夕方には、帰途につきました。
行きのような渋滞はありませんでしたが、八日市(ようかいち)まではときおり、低速走行(ていそくそうこう)を強いられました。
淡路島のSAでは、西の空が茜色(あかねいろ)に染まっていました。
家に戻ると夜でした。


帰りは、40分の休憩を含んで5時間30分でした。
移動距離は、750キロメートルほどで東京→岡山に当たります。
これまでの「クルマの日帰り旅行」では、三指に入る強行軍(きょうこうぐん)でした。
10時間20分を運転し続けたドライバーには、敬服します(゚д゚)
2025年06月11日
火山噴火の恐怖


群馬県の長野県境ちかくの嬬恋村(つまごいむら)に、「鬼押出し園(おにおしだしえん)」という景勝地があります。



鬼(おに)が暴れて、岩を押し出したような光景から、この名がつけられたとの事です。

ゴツゴツと居ならぶ岩(いわ)の間に、舗装した遊歩道が延びていました。
緩い傾斜があり、運動になりました。
30分ほど歩いたところに、浅間山観音堂がありました。
噴火の犠牲者を弔うために、勧請(かんじょう)された寺院でした卍卍


いい天気でした。
南にそびえる浅間山(あさまやま)は、雪を被っていました。
北方向には、草津白根山(くさつしらねさん)など上毛(じょうもう)の山々を望みました。


長野・群馬県境にそびえる浅間山(あさまやま・2568メートル)は、日本でも最大級の活火山(かつかざん)です。
古くから何度も火を噴き、天武天皇(てんむてんのう)のときの685年に噴火があったと、日本書紀に記されています。


江戸時代の「天明の大噴火」は、1783年(天明3)に起こりました。
第10代将軍・徳川家治(とくがわいえはる)の治世でした。
NHK大河ドラマの蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)が、日本橋に出店し「耕書堂」を開業した年です。


北側の山麓(さんろく)の村は、火砕流(かさいりゅう)で壊滅しました。
大規模な火砕泥流(かさいでいりゅう)は、吾妻川(あがつまがわ)から利根川(とねがわ)に流れ込み、太平洋や江戸湾に到達したと言われています。
死者は1千600人を越える、激甚災害(げきじんさいがい)でした。
「鬼押出し園」にも、山が崩壊(ほうかい)した、解説看板がありました。


関東一円に、大量の軽石や火山灰が降り注ぎました。
太陽の照射(しょうしゃ)を妨げ、天候不順を起こしました(#`Д´)ノ
米相場は高騰し、「天明の大飢饉(だいききん)」につながりました。
幕府の実権を握っていた、老中の田沼意次(たぬまおきつぐ)は、飢饉と百姓一揆(ひゃくしょういっき)が原因で失脚しました。


噴煙(ふんえん)は成層圏(せいそうけん)にまで達し、世界の気象に影響を与えました。
グリーンランドの氷河からも、浅間山の火山灰が確認されているそうです。
北半球は、低温の異常気象になりました。
ヨーロッパでは、作物が不作(ふさく)になりました。
1789年のフランス革命の発生につながったと、言われています。
世界を変えた、大災害となりました。


火山噴火とは、恐ろしいものです。
来るべき南海トラフ巨大地震では、「富士山の噴火」が言われています。
自分たちの生存(せいぞん)に、甚大な影響が及ぶことを、覚悟しておかねばなりません。
2025年06月10日
東京の斎場の事情
6月3日(火曜)早朝に、巨人の終身名誉監督の長嶋茂雄氏が、89歳で亡くなりました。
7日(土曜)に通夜が、8日(日曜)に告別式が、執り行われました。


「錚々(そうそう)たる顔ぶれ」が、これだけ一堂に会するのは、どのテレビ局の特集番組でも出来ないと思いました。
式場は、品川区五反田にある「桐ケ谷斎場(きりがやさいじょう)」でした。

三島由紀夫・美空ひばり・アントニオ猪木も、ここで葬儀と火葬がおこなわれました。

民間会社の経営で、この会社は東京都内で6ヶ所の斎場を運営しています。
23区における、約7割の火葬を担っています。

行けませんでしたが、弔電を送りました。
去年(2024)の正月に、ちかくの「龍泉寺(りゅうせんじ・目黒不動尊)」に初もうでに行きました。

「あいつはここで葬式をしたのか・・・」と、眺めました。
住宅地の真ん中にあり、周辺道路も狭い所でした。
エラ者や人気スターの葬式と分かれば、周りはごった返すかも知れません。

長嶋監督の遺体は、田園調布(でんえんちょうふ)の自宅を出て、思い出深い後楽園の横を通り、葬祭場へ向かったそうです。
事前の報道は、一切ありませんでした。
2025年06月09日
新聞の戸別宅配
2025年06月08日
2025年06月07日
相続なるもの

皇室ほどではなくても、弔いの儀式が続きます。
そして、諸々の社会的な処置事が発生します。
資産があれば、相続手続きが必要です(`□´)

去年から「相続登記(そうぞくとうき)の申請」が、義務化(ぎむか)されました。

被相続人(ひそうぞくにん)が亡くなって、10か月以内に申告して納税せねばなりません。

役所へ行かねば、いけません。
なかには、相続をめぐって揉(も)める場合もあるようです。


人はそれぞれで、家庭も様々です。
一概に論じることは出来ません。

最初は24歳で、父親が亡くなった時でした。
「代襲相続(だいしゅうそうぞく)」になったケースも、ありました。

しかし、揉めることは一度もありませんでした。
揉めるほどのモノが無かったのが大きな一因(いちいん)ですが、幸せなことだと思っています。
2025年06月06日
2025年06月05日
好天の初夏の風景


自身の休日に、高松市で会合でした。
お役目なので、仕方ありません(´Д⊂)
JRの電車で行きました。


車窓からの景色を、眺めました。
雲ひとつない青空の下に、見知った里山がたたずんでいました。
好天(こうてん)でした。
アウトドアをすれば、いい気持ちだろうなぁ・・・と、思いました。


高松駅から会場のホテルまで、時間もあったので散歩がてらに歩きました。
いろいろと、見物気分でした。
メインストリートの中央通りのクスノキ並木は、初夏の緑色でした

陽の光を反射していました。


時おり、乾いた涼しい風が抜けました。
いい季節です。
うっすらと汗ばみました。
これ以上の暑さになると、歩くのは危なくなります。
2025年06月04日
長嶋茂雄氏が卒業した高校


ミスタープロ野球の長嶋茂雄さんが、6月3日早朝に亡くなりました。(享年89)
各方面で、追悼(ついとう)の声が出ています(´Д`)

地元の佐倉第一高校(いまの佐倉高校)から立教大学に進学し、巨人軍に入団しました。

雨模様の一日で、帰りはタクシーを呼びました。
京成佐倉駅へ行くとちゅうに、佐倉市内を案内してもらいました。

校内の敷地に、クルマで入ってくれました

伝統のある学校で、明治時代に建設された木造校舎が保存され、記念館(きねんかん)になっていました。

中には展示室があり、長嶋茂雄氏の写真などの展示コーナーがあるそうですが、内部は非公開(ひこうかい)で入れませんでした。

JRと京成の駅前にも、長嶋氏にまつわるモノは目にしませんでした。
タクシーの運転手さんに聞くと、「記念の野球場はあるけどねぇ〜」という話しでした。
名所や建物・著名人などは、地元の人間よりも他所(よそ)の者の方が、その値打ちに敏感(びんかん)です。
2025年06月03日
資源再生の見本


地元のミニギャラリー(こちら)で、「絵手紙展」が開かれています。
一つひとつ描かれた作品には、ほのぼのとした温かさを感じます (´▽`)
素朴な風合いです。


額(がく)も、一見の価値があります。
店の包装紙(ほうそうし)を、使っています。
地元の菓子店や、三越(みつこし)・虎屋(とらや)・赤福(あかふく)・文明堂(ぶんめいどう)など、有名どころがあります。


段ボール箱を使った額も、展示しています。
資源を再生、有効活用(ゆうこうかつよう)しています。
「持続可能社会(じぞくかのうしゃかい)」の見本だと、思います

2025年06月02日
いい運動になる羽田空港


5月下旬に、高松→羽田のANA便に搭乗しました。
上空の気流(きりゅう)が悪く、ベルト着用サインが消えたのは、10分ほどの束の間でした。
暖かい飲み物のサービスは、NOTHINGでした。


羽田には定刻に着き、「50番Aスポットに入ります〜」というアナウンスがありました。
ボーディングブリッジで降機(こうき)しましたが、エスカレーターでいったん上(うえ)に登りました。
「あれれ??」と、思いました。


そして、そこからが大変でした

ひたすら、歩きに歩きました。
再びエスカレーターで、下りました。


「どこを移動しているのだ??」と、思いました。
かなり歩きましたが、「到着出口まで190m」という表示がありました。
疲れ果てて、やっとこさで出口にたどり着きました。


帰りの羽田→高松の搭乗ゲートは、「51番Bスポット」でした。
これ又、ひたすら歩きましたテクテク~
到着に比べて、上下移動(じょうげいどう)がないのがマシでした。

50Aから52番スポットは、羽田の第2ターミナルに、3月に新設(しんせつ)されたものでした。
バス移動していた、「サテライトの40番台のスポット」と本館を、長〜い通路で結んだところに出来ました。


これまでのバス移動から、「歩いて行ける」ようになりました(-ε-)
しかし、あまりに歩きに歩きます。
羽田空港というところは、実にいい運動をさせてくれます。