2021年06月02日
芭蕉終焉の地
松尾芭蕉(まつおばしょう)は伊賀上野(いがうえの)に生まれ、30歳のころ江戸に出たのち、日本各地を旅しました。
45歳の春に江戸・深川(ふかがわ)を発ち、約5ケ月をかけて東北・北陸・美濃をめぐり、数々の俳句を詠んだ紀行文(きこうぶん)「おくのほそ道」が、特に有名です。
大阪・御堂筋(みどうすじ)の、難波別院(なんばべついん・大谷本願寺)前の緑地帯(りょくちたい)に、「芭蕉翁終焉の地」という石碑(せきひ)が建っています。
京都→伊賀上野→奈良を経た芭蕉は、大阪へ寄りましたが体調を崩し、南御堂(みなみみどう)門前の花屋仁左衛門の家で、51歳の生涯を終えました。
当時の家屋は、いまは道が拡張(かくちょう)されて、石碑は緑地帯にあります。
旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
亡くなる4日前に詠んだと、言われています。
「旅をして句を詠み旅で死ぬ〜」という芭蕉の、「辞世の句」と言って差し支えないでしょう。
難波別院の庭には、「芭蕉の句碑(くひ)」もあります。
時間に追われる「都会の出張」の合い間に、触れた世界でした。
45歳の春に江戸・深川(ふかがわ)を発ち、約5ケ月をかけて東北・北陸・美濃をめぐり、数々の俳句を詠んだ紀行文(きこうぶん)「おくのほそ道」が、特に有名です。
大阪・御堂筋(みどうすじ)の、難波別院(なんばべついん・大谷本願寺)前の緑地帯(りょくちたい)に、「芭蕉翁終焉の地」という石碑(せきひ)が建っています。
京都→伊賀上野→奈良を経た芭蕉は、大阪へ寄りましたが体調を崩し、南御堂(みなみみどう)門前の花屋仁左衛門の家で、51歳の生涯を終えました。
当時の家屋は、いまは道が拡張(かくちょう)されて、石碑は緑地帯にあります。
旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
亡くなる4日前に詠んだと、言われています。
「旅をして句を詠み旅で死ぬ〜」という芭蕉の、「辞世の句」と言って差し支えないでしょう。
難波別院の庭には、「芭蕉の句碑(くひ)」もあります。
時間に追われる「都会の出張」の合い間に、触れた世界でした。