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2015年10月

成田空港の韓国語看板(JR東日本)

帰国しましたが、今日はまだ東京でお仕事です。関西に帰るのは明日になります。
さて、搭乗を待っていたホーチミン空港。
午前0時前後は成田、羽田、関西、名古屋、福岡などに日本に向けて一斉に飛行機が飛びます。にも関わらず、日本語のアナウンスは一切ありません。ベトナム語と英語、そしてなぜか韓国語の案内放送か何度も何度も流れました。隣の搭乗口に大韓航空の飛行機が停まってましたが、そんなに便数が多いとも思えません。でも、流れてくるのは韓国語ばかり。
不思議に思って帰国して、荷物を待っていた所で目にしたのがこの看板。
ここは日本の成田空港です。なのになぜ韓国語オンリーの看板?日本語や英語の併記であればまだしも、韓国語だけとは。日本人は読めません。
この看板の意図を聞きたいです。
JR東日本さん。
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遂に発見!韓国軍慰安所。

【遂に発見!韓国軍慰安所】
成田空港に到着しました。今回もとても有意義な旅となりました。
ベトナム最終日は、クチの地下要塞を見学。
その後、ホーチミン市内に戻り、今回の最大目的地へ。
アメリカの公文書に記されている韓国軍が運営していた慰安所(ベトナム戦争当時)を探し当てることができました。今は普通の洋品店になっていますが、二階はその当時のままのようでした。
先週も戦時中のベトナムでの性犯罪問題が露呈したばかりの韓国。日本の慰安婦問題を捏造するよりも、自分の国の問題に向き合う方が先ではないかと思うのですが。
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韓国軍農村襲撃〜被害者の方のお話をうかがうことができました。

おはようございます。
ベトナム最終日の朝はホーチミンです。昨夜、綺麗な満月が見えました。
昨日は、クワンガイ周辺の韓国軍による住民虐殺の傷跡が残る村をいくつか
訪問しました。
ソンミ村のように整備はされていませんが、ところどころに慰霊碑があり、殺された方々のお名前と性別、居住地が刻まれています。
のどかな田園風景が続く農村がなぜ軍事目的となったのか?全く理解できません。乳幼児を含めた多くの現地の人が何故惨たらしく殺されなければならなかったのか?殺戮の為の殺戮ではなかったのか。そう思わざるをえません。
手を合わせている私達のもとに一人の男性が近づいて来られました。
shunさん。6歳の時に村が韓国軍の襲撃にあい、お母さんと妹を殺されたそうです。
「そこです」と、すぐそばの家を指さしながら語るshunさん。背中に残る銃による傷痕も見せてくださいました。
「戦争だったから仕方なかった。今は韓国もアメリカもなんとも思いません。」と、淡々とおっしゃるのが印象的でした。
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クアンガイ陸軍中学校跡を発見!

おはようございます。
昨日はハノイからダナンへ飛行機移動。そこからバスで3時間。アメリカ軍による虐殺事件があったソンミ村を視察。あまりの惨状にただただ手を合わせることしかできませんでした。
そこから更に1時間余り。のどかな田園地帯の中にそれはありました。
クアンガイ陸軍中学校跡。
日本が降伏した後もベトナムに残り、独立戦争を現地の人々と共に戦った日本軍の方々の碑がありました。ガイドさんが、村の人々に聞きながら、探し当てました。今回の大発見です。日が沈む直前。(辺りは街灯もなく、日が暮れるとなにも見えなくなります。)日本人が訪れるのは初めてとのこと。ずっと御線香を手向けてくださっている近所の方が教えてくださいました。本当に感激しました。
6月に行ったインドネシアもそうでしたが、日本軍が撤退した後、欧米列強がアジアを再び植民地にしようと攻めて来ました。これを押し返した裏には日本の大きな力があったのです。これに負けていたなら、今の世界地図は大きく変わっていた
ことと思われます。
靖国神社の御神酒をお供えして、君が代と海行かばを斉唱しました。
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ベトナム・ハノイ1日目

昨日の夜、無事、ベトナム・ハノイには到着しました。
今日は朝早くから、タンロン皇城遺跡→軍事博物館→ホーチミン廟→航空博物館などを回って勉強しています。井上和彦先生の説明がわかりやすくてすごいです。
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