June 16, 2017

個人主義の弊害とか・・・

保育所の充実は即効性という意味では確かなんだろうけど…今の小学校の現状を見てると、多分それで解決できそうに無いというのも自明だなぁ…

つまり、『家族を大事にしたいなら、『家族化』ではなく、子育てを『社会化』する方向に進むべきだ』の論はキリスト教的世界観の元での政策にしかみえないんだ
実はわしも暫く前はその論理になんとなく納得していたけど、良く考えてみるとそうでないんだなぁ

上の論は某教授の論なんだけど、彼は先進国での政策でしか語っていなくて、それは個人主義が成立してる社会での話だと思うんだよ
先進国だから、同じ論でいけると考えるのは、なんだかもう古臭いというか単純すぎるんだよ
やっぱり、その国毎に宗教観が違えば解決方法も多少や微妙や若しかしたら全く変えないと解決できないんだな

わしは日本での個人主義は戦後の経済政策として導入して、ここ数十年(バブル崩壊後)行き詰ってる一番の原因だと睨んでいる
それは、やはり宗教観の問題が大きく作用してるんだと思う
そろそろ、もっと現実的な問題を実際に解決する論でもって力強く言える研究が必要だと思う
けど、まぁ正直、わしの年代の大学教授にはあまり期待していないょ
だって、その当時大学教授を目指していた人たちを知ってるけど、ロクでもない人たちばかりだからサ(あくまでもわしの周辺に居た人だけどね)
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sugiura_design at 16:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ●Opinion | Political

February 24, 2017

頭でっかち

よく母にわからない漢字をたずねられ…「分らんナァ」と返すと、必ず「大学にいってもその程度か!何のために大学いかせたんだ!」と言われる
それにはなかなか言い返せない
だが、その程度でスイマセンという気持ちでもない
大卒って、その程度なんだからサw
父も母も中学卒の人だが父と一緒に仕事をすると分るが、自分と同程度かそれ以上に色々な知識をもっている
そして、多分生きる力も強い
親の世代が学歴無しでもある程度の財を成し、生活の基盤を作れたのは勿論、高度成長期に合致して生きてきたからだが、それだけか?というとそうでもないと思う
やはり生きる力が半端なく強いのだ

最近、教育ってなんだろう?と考えることがある
教育って、基本は日常的な生活に困らないことを学ぶ!だと思うのだ
だから読み書きそろばん、じゃないかな!って思う
そろばんは言いかえれば計算と言うべきかな
あとは挨拶や地域での慣わしなど
きっとそれが一番大切で、それが疎かになってるのが今だと思う
更に、個人的には自然科学の知識も大事だと思う
そこをきちんと学ぶことによってデマに騙されることが少なくなると思うからだ

ところで最近、あちこちである種の知識を刺激する催し物が行われてるけれど、何か薄ら気持悪い感じをずっと抱いていた
それは何かと言えば、ただでさえ『頭でっかち』な人が更に『頭でっかち』なことをしていたり『頭でっかち』でない人が『頭でっかち』になろうとしていることだからだ
なんだか、それ以前に生きる力や身に付ける振る舞いがあるんでないの?って思ってしまうのだ
働かなくても生きていける身分ならそれでいいのだろうけどね…

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February 17, 2017

徘徊するひとたち

真の友が居ない人は街を徘徊し、繋がりを求め徘徊する

家族や地域や社会からのしがらみから解放されたかった我々はそれらを破壊し解体したのに、今度は繋がりを求め徘徊している
そして、それは夫々が自分の都合の良い繋がりを求めて…
自分の都合の良い権利を求め、義務を果たさない人間の様な振舞いだということに気付いていない
結局、破壊して分かったのは「しがらみ」と思っていたのは自分達がその短所ばかり見ていて如何に重要なものだったかを理解していなかったことと、短所を変えていく努力をしなかっただけだからだ
破壊では無く再構築すれば良かったのだと思う

ゾンビの様に街を徘徊する人はゾンビの様にまた別の人をゾンビ化させている
個の存在感をアピールし、個を褒め称える
実は個の存在感が無く、褒め称えて欲しいからだ
そして独りをアピールし自分の力を誇示する
繋がりを切った筈の人間が繋がりを求め、繋がりをアピールする
世界を一つだと言う

世界は一つにはなれないし、だが人は独りでもない
無数の塊の集合体が世界の真の姿だと思う
その塊一つ一つは強固な塊となり、安定した生活空間を形作っている
その塊がまた別の塊と緩やかに繋がり大きな塊となっている
またその大きな塊が別の大きな塊と緩やかに繋がり更に大きな塊となって存在している
社会というのは結局、こういうカタチで存在しているのだと思う
夫々の人が先ず最小単位の家族という塊にキチンと安定して存在することがあるべき姿だと思う

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January 01, 2015

【2015年 元旦】

謹賀新年

今年も穏やかでこころよい一年となりますように

s-年賀状2015

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December 18, 2014

スマホの操作はどちらの手で行うか・・・

勿論、これは『利き手』の問題であるが、それだけでもないな!と思う
わしは右利きなのだがスマホの操作は全て左手で行う
これはなぜかといえば携帯電話を左手で持っていた名残だと思う
もっと言えば、固定電話は右利きの人は一般的に左手ででるものだからだ
だから、その左手で入力操作その他全て行う
アプリの配置もそれに合わせて最適に配置している

だが、これは年齢層によって違う!というのをグーグル先生に聞いてみたら明らかになった!
20代より若い世代は右利きでも右手操作が多いようだ
つまり、スマホが最初の世代には利き手でスマホを操作するわけだ
確かに我が家の子供らも右手操作だった気がする…

ところで、彼らは電話に右手で出た場合、メモはどうやってとるのだろうか?
きっと、その時は左手に持ち替えて右手でメモをするのだろうと想像する
または、わしもそうなのだが、長電話する場合はイヤホンマイクを繋いで喋るので、そもそも持っている必要はないのだ

話は変わるが、先月iPhone6に変えたのだが…処理速度やUIを含めブラシュアップされたが、やはり画面の大型化は老眼が入りつつある目にはいいのだが、やはり最適な大きさとは言えない
大きすぎて操作がし難いのだ
そういう意味で根本的には4sのサイズで薄くなってくれたら良かったのに!と思うのだ…
または、言えば劇的な変化がしなくなったスマホ…そろそろ首の後ろに埋め込んで使えるようなって欲しいな!と思う(攻殻機動隊の世界ね)
そういうと、みな怖がって「それは嫌だわ」と言う人が多いけれど、わしは発売されたら即埋め込みますょ!
ハード的には実現可能だと思うので、早く発売して欲しいなぁ、と願っている

そうなれば右手・左手の問題は過去の問題となる…(笑)


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December 09, 2014

昔と今・・・

昔の若者と今の若者とどちらが優れてるか?
という命題に対する答えを
『昔の若者の方が気骨があった』とか
『昔の若者の方が優秀だった』という主に年長者から発せられる言葉がある…
それを論理的に考えると…
人間が発生した時点が一番気骨のある、優秀な状態であったとなる
どうもそれは違う…
実は、この命題は『昔の方が幸せだった』という命題にも当てはまる

ヒトは『過去に対して美化しがちなもの』という性質がある
ヒトは今現在の状態を俯瞰して見ることに長けていないのだ
故に歴史に学ぶということに大きな意味がある訳だ

さて、歴史に学びつつ…果たしてどうなのか?判断してみよう(笑)

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June 11, 2014

森の図書室・・・


卒業設計の時の施設に私設の図書館というか読書Barみたいなコンセプトのものを計画しました!(僕の計画は音楽と読書を仕事帰りにパーソナルに楽しめる棟とトレーニングジムを中心とした運動を楽しめる棟の併設でした)

この『森の図書室』は読書を楽しむことと、読書好きは一人を好むけど、その本について語りたい仲間が欲しい!ということをリアルに実現することをコンセプトにしているので、何かその当時自分が考えたことに近くて思い出しました

話は少し飛躍しますが…今、都市部だけでなく地方でも『オルタナティヴ・スペース』が出来てきていますね
それはかつて公民館が担ってきたことを包含しつつ、より多様性をもって進化しているように感じます
この森の図書室はそれとは違いますが『本』をコンセプトに従来の公共の図書館の進化といえそうです

ここ10年で公共性の高い民間企業が多く生まれています
単に利益を求めるのが主ではなく、皆に喜ばれるサービスを主に据えた企業活動が増えてきています
より難易度が高い活動にチャレンジしている若い力を応援していきたい!そんな気持ちになります
かつて行政が関わってきた施設が上手くこうして公共性の高い民間に移っていくのは良い進化だ思うのです
継続性を含めなかなかに難しいチャレンジだけど、各地に生まれているこの胎動に注目です


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May 01, 2014

幼稚化・・・

自分自身、もう40代も後半に差し掛かるけれど、時々「ああ、なんだか幼稚な考えだったな」とか「大人気ない態度だったな」と反省することがある
また、他人のそういう場面もよく見掛けることがある
人の振り見て…ということかもしれないが、やはり見苦しいし幼稚にみえるそういった場面を思い出すと、「自分がそれと同じ行動態度をとったこと」に関して凄く情けなく思い反省するのだと思う

ところで、昔はどうだったのだろうか?と漫然と考えることがある
高齢化して大人になることが求められる年齢も遅くなった!だろうと想像すると、きっと『大人気ない人』も高齢化しているのではないかと思う
だから、いい年した人達のそういった場面に出会うのかもしれない…

また、それとは別のことも考える
子供から見れば大人は凄く節度を持っている存在だけれど、実際に大人の年齢になって、実は大して精神的には変わらない!と感じることはあるだろう
そして、頑固な年寄りから「大人気ないな」と感じる場面も一度や二度ではないだろう

そういったことを考えるにつけ、人の精神的な成長や成熟度は年齢に比例するわけでもないな!と考える…
そして、それどころか成熟したのに、また青臭くなる!
まぁ、青臭くなるというか腐るというべきか(笑)とも変遷していくようにも思う

公共空間で言えば、ITによって仮想空間での公共空間が生み出された
ツイッターやフェイスブックなどのSNSは殆ど公共空間などだが、そこでの節度を失った発言は大勢の前で叫んでいるのに等しいことが意識されていない
会社の携帯やメールアドレスに私的なメールを送るなどもそうだ
そういった新たな公共空間での節度を失った発言行動はある意味、本音の発露かもしれないが、幼稚化した発露が正しいのだと思う
何故ならば大抵は、炎上の後は節度を持った対処がされる場合が多いからだ
仮想空間での公共性については思うことがあるので、また別の機会に書くことにする

最初に戻るが、果たして現代の日本が『総幼稚化』してるかどうか?それは判断できない
各時代と比較しようがないから
だけど、少なくとも大人気ない態度や行動は迷惑でしかないし、随分見苦しい
個人的には公共でない私的な空間ではそれこそ好きにすればいいと思うし、より自由であればいいと思う
けれど、公的な空間や場所では節度を失った行動が蔓延すれば、暮らし難い社会になるだろう
そして、当然だけれどそれに関しては人に求めようとは思っていない
大人気ないかどうかなんて、その人自身のことだから、好きにすればいい
幼稚でみっともないことをする人を私は呆れたりはするが…

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March 27, 2014

破壊と再生・・・

破壊と再生
再生は破壊の後に起こる…
先ず破壊
そして再生
破壊によって新たな価値観が生まれる
破壊によって新たなものが芽吹く

だが、新たな価値観によって色々なものが破壊される!
悪いものも、そして良いものも

そして時が経ち…

破壊の先に、また再生が始まる
一緒に破壊された良いものを取り戻すために
本当の再生が始まるのだ

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March 06, 2014

社会貢献欲・・・

長い不況のせいも関係あると思うが、金銭に対する欲求を求め自分の生活を豊にすることよりも社会に貢献し、それで自分の存在意義を満たす風潮がここ数年高まってきていると感じる
NPO法人を設立し社会貢献活動を自ら実践する人もいれば、ボランティアで働く人もいる
それは良い事だと思うし、それに生き甲斐を感じる人も多いのだろう
ただ、それによって社会に貢献が出来ない人が自分の存在意義を失い、生きる意味を見出せないでいる人も生まれている

でも、社会貢献活動だけが本当に社会貢献になっているかといえば、そうではない
或る会社で働く、それだって充分社会に役立っていることだ
また起業して何かのビジネスを始め、それでお金儲けすることだって、儲かることは人々のニーズに応えているわけだから、社会貢献している
何故か『無報酬』又はそれに近いことをしなければ社会貢献したことになっていない!という風潮を感じるときがある
それは間違いだと思う

先ず、社会に出たら自分の力で生活していく力を身につける!それが具体的な社会貢献以上にしなければいけないことだと思う
別にボランティアを否定しているわけではない
先ず自分の身近なところから始めよう!と言いたいのだ
そうして段階を踏んで自分のフィールドを広げていけばいい!
そして、生活の継続無くして社会貢献も続かない

自分の存在意義を人の世話を焼くことで満たしているとしたら、それは間違いだ
それは単なるお節介に近い
物凄くエゴイスティックな行いだからだ
大きなことなんかしなくて、その存在意義は大きい
自分の力で稼ぎ生活を成立させる事だって、容易ではない

そして遠くに出かけることだけが貢献ではない
大抵の田舎は高齢化してコミュニティが弱体化している
長く住んでいる自分の周りにだってやるべきことは多い
それを上手く繋げていくことをやってみたらどうだろう
住んでいる町から出来ることを探していく
地味だけどそれこそが社会貢献の第一歩じゃないかな?って思う

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