しがらみ

February 17, 2017

徘徊するひとたち

真の友が居ない人は街を徘徊し、繋がりを求め徘徊する

家族や地域や社会からのしがらみから解放されたかった我々はそれらを破壊し解体したのに、今度は繋がりを求め徘徊している
そして、それは夫々が自分の都合の良い繋がりを求めて…
自分の都合の良い権利を求め、義務を果たさない人間の様な振舞いだということに気付いていない
結局、破壊して分かったのは「しがらみ」と思っていたのは自分達がその短所ばかり見ていて如何に重要なものだったかを理解していなかったことと、短所を変えていく努力をしなかっただけだからだ
破壊では無く再構築すれば良かったのだと思う

ゾンビの様に街を徘徊する人はゾンビの様にまた別の人をゾンビ化させている
個の存在感をアピールし、個を褒め称える
実は個の存在感が無く、褒め称えて欲しいからだ
そして独りをアピールし自分の力を誇示する
繋がりを切った筈の人間が繋がりを求め、繋がりをアピールする
世界を一つだと言う

世界は一つにはなれないし、だが人は独りでもない
無数の塊の集合体が世界の真の姿だと思う
その塊一つ一つは強固な塊となり、安定した生活空間を形作っている
その塊がまた別の塊と緩やかに繋がり大きな塊となっている
またその大きな塊が別の大きな塊と緩やかに繋がり更に大きな塊となって存在している
社会というのは結局、こういうカタチで存在しているのだと思う
夫々の人が先ず最小単位の家族という塊にキチンと安定して存在することがあるべき姿だと思う

sugiura_design at 16:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)