2017年07月15日

7月9日
息子の同級生のご家族と共に江戸東京博物館へ行く。この日から本格的な夏の日差しになってきた。酷暑とも猛暑ともいう東京の夏。日差しがきつい、というよりは日差しが痛い。ア・バオアクー要塞でジオン軍が味わったソーラ・レイの攻撃はこんな感じだったのだろう。人の生き方を見たければ、その子や奥さんを身近で見るとよくわかる。立派な家族と一日過ごしたのだが、向こうには我が家はどう写ったのだろうか。休みの日なので息子と共に就寝。
7月10日
倉庫整理。暑い中での肉体労働は、それが日課ならきついだろうが、たまのことなら、運動気分でこなせる。吹き出る汗は、夜味わうビールの美味さを引き立たせる。カオスのような倉庫だったのだが、いらない物をどしどしと捨て、本棚を入れ、本を仕舞い、売れる本と売れない本を選別し、棚を整え、売れ筋でない本は「大均一祭」で使って、と泥のような場所が徐々に整って行く様は、古事記を体現しているようで楽しい。今日も家で食事。食事をするために家族になったようなものだ。
7月11日
昨日整理した倉庫から本を運び出す。あちらからこちらへ、こちらからあそこへ、物と身体を動かして、場を整える、磨く。移動が整頓になる。移動が破壊になるのが戦争なら、私の今日の行為は平和への道か。厨房横の窓から入って来る風に煽られて料理をしていると、なぜか船に乗って調理をしてる気分になる。なぜ船なのか、説明はうまく出来ないけど、気分が良いことは確かだ。これからも風に吹かれて鍋を振る。
7月12日
何をしていたのだろう。何も無い日というのはないのだが、記憶の無い日というのはある。付き合っていたのに、名前さえも覚えていない女の人のような日だ。濃いお客さんが多かった日だったという記憶だけはある。記憶の残り香のように。
7月13日
人間椅子のドラマー・ナカジマノブさんと久しぶりにお会いする。好きで何かをしている人が良いのは、好きなことの対象に対してはもちろん、そこから派生する様々なこと、物、人に愛が生まれていく、その感じがとても良い。好きなことをする、それも一生懸命する。単純なことだが、中々出来ることではない。損得で生きた方が楽だかだろうか。夕方は「社会を明るくする運動」。白いポロシャツにたすきをかけて、高円寺の駅前に立つ。荻原魚雷さんを見かけたので、思わず電柱の後ろに隠れる。何をやっているのだろうか、地球に住む私。
7月14日
「あついねー」というのが挨拶になっているが、私は言うほど暑いとは思っていない。日差しはきついが、耐えられないほどではない。家でも、店でも、エアコンをほとんど使わないので、暑さに慣れたのだろう。人間は環境を変えて、過ごし易くすることで、地球環境を悪化させ、現在の状況を産み出した。この先の人類は環境を変えるのではなく、環境に慣れるように生きるべきなのではないか。楳図かずおが描いた、蟻人間のように。
7月15日
寒い日よりも、暑い日のほうが、時間が早く進むような気がする。子供といっしょに宿題をしたり、動物将棋をしたり、昼ご飯を食べたら、いつの間にか夕方で、彼は合気道の練習に出かけてしまった。思いかえせば何をしたわけでもなく、営業前の時間になっている。瀧のように時間がどっと降りていってしまったようだ。来週から夏休みが始まる。子供は夏休みを越えるごとに、背が伸びて、骨が硬くなって行く気がする。


(16:49)

2017年07月08日

7月2日
妻は午前中からPTAの会合。近所の児童館が寄合の場所、子供もついていく。一人。妻も子もいないと、テレビもラジオもない我が家は、静寂がうるさく感じる。昼ご飯を食べて、子が通う小学校に投票へ行く。同級生のお父さんお母さんと会ったり、お世話になっている町内会長が選挙の立ち会い人をしていたり、この土地の故郷臭がどんどん強くなってくる。白ワインと赤ワインを開けて夜ご飯。このところ子供が嵌っているリーガルハイをプロジェクターで観る。子供と一緒に八時過ぎに就寝。
7月3日
午前中から店の改装工事。キッチンの横に窓を取り付ける難工事。サンダーという鉄を焼き切る道具を使い、アルミ板に大きな穴を開け、窓を取り付ける。私の暴力性と齋藤さんの器用な手仕事のコラボ。夕方前に商店会の会長代行、副会長二人で話をする。話をすれば、通じ合うことも多い。この商店会に入って七年、短い時間でここまで濃い話をしたのは初めてだ。夏になると白ワインが美味しい、この日も子供とともに就寝。
7月4日
長いこと火曜日が定休日だったので、働くことに違和感を感じる。営業初めなので、買い物、仕込みと忙しい。五島列島のアイナメが良いので刺身で。おかひじき、おくら、トマトなど夏になると味が濃くなってくる野菜をピクルスにしたり、出汁浸しにしたりするのは、妻の仕事。窓から吹く風を浴びながらの店番は新鮮で心地よい。これならエアコンが無くても辛くないと思う。
7月5日
怠い。ともかく怠く、布団から出るのが辛い。野菜がたっぷり入ったうどんを食べて(家での料理は全て妻がつくります)、お茶を啜り、せんべいを齧る。三遊亭円朝の牡丹灯籠を読み始める。友人の永滝さんがやっている出版社から「三遊亭円朝と世界」という本が出る http://yushisha.sakura.ne.jp/indexn11.html ので棚から出してみた。江戸を漂いながら、幸せとは何か、人間とは何か、ということを漠然と、しかしこのところの実感からそれなりにしっかりと考える。こういう問いは答えが出てはそれを壊す、スクラップビルドのようなもので、それが生きるということでは。営業仕舞いちかくになって、商店会の面倒な話が耳に入る。商店会とは加盟店の商売の底上げをする組織なはずなのに、このところマイナスの影響しか受けていない気がする。
7月6日
今日も怠い。布団とともに、地球にのめり込んで行く気がする。私という原子炉がチャイナシンドロームでも起こしたのだろうか。朝食、買い物、仕込み、昼食。昼過ぎに店の二階で、お母さん方と打ち合わせ。立派な方ばかりで、お顔を見ながら、どんな旦那さんかと想像してしまう。午後は高円寺の駅前でたすきをかけて「社会を明るくする運動」に参加。知人とすれ違っても気がつかない。荻原魚雷さんが向こうから来たので電柱の陰に隠れる。昔の私を(今も、か)知っていれば、悪い冗談としか思えない光景だろう。片付けを終えるとやたらに疲れた。店番して帰宅。交通事故の夢を観た。
7月7日
雨の振らない七夕になるようだ。早い時間から本の発送をして買い物、仕込み。昼ご飯は太陽軒。午後に本が育てる街・高円寺の会議。馬場のように、脳みそが緩慢な動きしかしない。店番。友人からいろいろな忠告を頂く。「年取ってもやってることは幼稚園と基本的に変わらないな」というのは、発言の背景を説明しないと分かりにくいが(説明はできないのです)名言だと思う。この年になってようやく、人間というものの形が分かってきたような気がする(気がする、というのも勘違いかも、とも思っている)。
7月8日
近所の中学校の公開道徳授業を観に行く。この中学校の運営評議員をしているのだ。小学校は来年から、中学校は再来年から「道徳」が「特別な教科」として授業に入ることになる。今までも「道徳」の時間はあったがあれは「教科」ではなかったのだと最近知ったばかり。終わって校長先生と道徳の担当の先生から話を伺う。私はある時期から教育というのを信じることを止めた。勉強というのを大人になってもほとんどしたことがない。私にオリジナルな何かがあるとすれば、それはオオカミに育てられた子供のような人間離れした、かなりいびつなものだと思う。ほぼ時を同じくして、子供が小学校に入り、この中学校の評議員になった。義務教育をやり直しているような気分で関わっている。高円寺アパートメントのおひらきマルシェをちょっと覗いて、当店でやっている「東アジアのお祭り」という音楽イベントへ。店でヘビーローテーションでかけているyojikとwanndaさんを初めて生で聞く。言葉が持つ音感が気持ちいい。歌詞と音が溶け合っている感じ、とでも言おうか。店番をして、私は寝るのだろう。


(18:19)

2017年07月05日

6月25日
息子は自由が丘の先生のご自宅で狂言の稽古。ここ一年は息子の狂言の稽古についていくのが何よりの楽しみだ。なにせ、プロの狂言師が目の前で演じてくれるのだから、この上のない喜びだ。先生が型を演じ、息子がそれを真似る。言葉と体で修正しながら、先生の型に息子も動けるようになっていく。近代の教育には見られない、伝え方は見ていて心が動く。師を持てた幸せ。
6月26日
午前中から寄合。出来上がった印刷物を学校ごとに分けて配布。午後は商店会の会長、副会長が集まっての会議。この小さな商店会の副会長になって早六年。六年でこのような顔ぶれで話をしたのが初めて。何かがおかしい、というかおかしいだろう、定期的に話をしようよ。人事の話で三時間。とにかく疲れた。定休日の使い方としてどうなんだろう。夕飯は家。このところ定休日は毎晩家。子供とともに就寝。
6月27日
午前中から買い出し、仕込み、本の発送。夜は商店会の総会。人事でもめる。なんのための前日の話合いかと途方に暮れながらも取り成したり、話をしたり。この世の出来事の多くが、感情を取り払うと、すっきりと見えてくるものだが、そうは行かないのが人間世界。ともかく収まり、しゃんしゃんしゃん。
6月28日
前日の総会の余韻が全身を満たしている。そう、倦怠感という余韻。地位というのは、自らつかみ取るのではなく、落ちてくるものだと悟る。地位がほしければ、そのように動き、生き、振る舞い、仕事をすればいい。私は、この先、すべての場面で権力闘争をしないことを誓う。五島列島でとれたいさきが美味しそう。自然はいつでもやさいい、と思いながら包丁でいさきの首を落とす。
6月29日
木曜、何をしていたのだろうか。買い物をして、仕込みをして、本の発送をして、店番をした、はず。
6月30日
一年の半分が終わる。生まれてから45年と五か月が経った、ということでもある。ほんの数年前まで、生きているのが嫌で、酒を呑んでは憂さを晴らしていた。時間をゴミ箱に入れ、唾を吐きかけるようにして過ごしてきた。あの膨大な無駄、ごみのような時から、私は何かを拾い上げ、磨き、自らの糧、武器にして生きていかなくてはいけない。
7月1日
今月が夏休みが始まる。子供とオセロ。ちょっと前まで、本を読みながらでも勝てていたのがうそのよう強さ。先日は妻にも負けたようだ。辛勝。息子は本当に悔しそうだ。なんだろう、彼は私を対等、もしくは格下に見ている気配がある。これは物心ついたとき、そう、二歳くらいからそんな雰囲気を醸し出している。というか露骨に言葉にもしている。判断力はあるようで、親としては喜ぶことなのだろう。

(12:02)

2017年06月27日

 手を動かさなくては。毎日文章を打ち、包丁を握り、鍋を振り、妻を愛する。これを毎日繰り返すことで、何かが開くのかもしれない。在るストック、溜めこんできた言葉を、大事に外に出していく。奇妙な光景が見えてくる。ユースケッチャ、という食べ物をご存知だろうか。戦争という言葉がなかった時代、人はそれを「争い」「殺しあい」と呼んでいた時代からそれは食べられてきた。それを食べることで、人は幸せになり、笑顔が湧き出る。それどころか、怒りに震えながら剣を持った人も、その食べ者の匂いを嗅げば怒りが弱まり、姿を見れば剣を放りだしフォークを手にする。そのためだろう「ユースケッチャ」は古には「幸せ」を意味する言葉として使われ、土地によっては「平和」の意味にもなった。
 残念なことにユースケッチャの作り方、レシピは残っていない。口伝で、いくつか残されているが、それもあまりにも作り方がまちまちなので、正解はわからない。私たちは、「幸せ」や「平和」の作り方を知らないのだ。だからこそ、私は今日も手を動かす。残されていないユースケッチャを探しても無駄なら、手を動かして新しいユースケッチャを作るしかないのだ。人の心の底にるのは、とんでもなく恐ろしいものだったり、汚いものだったり、崇高なものだったり、する。ふだんの生活に隠されたそんな面をふと覗いてしまうと、ひどく疲れてしまう。しかし、それも人の本当の姿なのだ。それを鑑みれることで、人生の深遠に触れる、ということでもある。しかし、それと対峙するには、体力がいるので、美味しいものを食べたり、美しい言葉を耳にしたり、心地よい音を耳にしたり、と、強くならなくてはいけない。手を動かし、新しいユースケッチャを生みだす努力をして、人生の深遠に触れる体と心を作りだす、というのが料理をするということなのだろう。

(15:19)

2016年12月16日

 酒は旅に似ている、と詩人田村隆一は書いている。小説を書くことと、旅は似ている、と村上春樹は言っていた。去年の秋にパリとロンドンに行っていらい、旅が好きになった。寂しすぎる奴は、極端な旅好きか旅が嫌いか、どちらかに偏るような気がするのは、私の偏見か。
 古本の買い取りに赤帽さんの軽トラックに乗って、関東近郊によく行く旅も楽しい。電話で買い取りの依頼を受け、声だけのやりとりで、その人の風体を想像し、持っている本に期待を膨らませる旅。エンリケ航海王子を始め、大航海時代の船乗りのわくわくも、大小の違いはあれど、同じようなものだと思う。
 今年の夏に行った名古屋と伊勢の旅も忘れがたい。伊勢神宮は朝五時から参拝することが出来る。朝参りは人も少なく、神々しいことこのうえないと本に書いてある。西行も「何事のおわしますかは知らぬども、かたじけなさに涙こぼるる」と詠んでいた。まだ暗い中、宿で借りた自転車に二人乗りをして、私と息子は内宮を目指した。二人とも朝はそんなに強くないのだが、なぜか目覚ましのなる前に飛び起きることができた。「ちちー、本当に神様いるかなあ。コンビニでなんかおかし買ってよ」と話す息子の声を聴いて「こいつと出会えて良かったなあ」という思いがふいに沸き上がり、胸にどっと広がった。まさに「かたじけなさに涙こぼるる」。参拝をしても「何事のおわす」ことは感じられなかったけど、あの朝の思いは、長いこと忘れないだろう。
 一昨日の夜に台湾から来たという二人組の若い女性と話す。片言の英語と、筆談で。なんとなくだが、通じるものだ。彼女たちは私を「深夜食堂」のマスターに似ているという。「映画、漫画、どっち」と聞くと「漫画」と言って笑う。ははは。漫画ですか。小林薫を期待する私もなんぼの物だが、堂々と漫画、という彼女たちもなかなか頼もしい。外国からのお客さんが本当に多くなった。身と心が揺さぶられるのが旅なら、店番も旅のひとつなのかもしれない。

(10:55)

2016年11月26日

 捨て去った夢。大いに、いろんな人に、夢を吹き込んだなあ。今は、その夢の言葉に痛い目に遭わされている。言葉をどう実現するか。ヒトラーはある時期、ある時代、それを達成した。私は、私の言葉をどう実現するのか、させるのか。課題だ。重い課題だ。そうしないと、私はこの先にずっと独り言をつぶやき続ける、寂しいオトコになってしまう。

(15:30)

2016年11月23日

 良くて三年ですね。その女の人は「年老いた僧侶」と名のラム酒を飲みながらとうとつに話しかけて来た。え、とか、は、とか短い声を発して見やると笑みを浮かべながら今度もはっきりと「良くて三年ですよ」と。笛吹き峠のトンネルを潜るときに、右手にある笹一酒造を見ていると、息子が「三年峠って知ってる?その峠で転ぶと三年で死んじゃうんだって」「三年坂は知っているけど、三年峠は知らない」という話をしたのを思い出し「三年で死んでしまうということですか」とゆっくりと、ことさら余裕を持って返す。オカルト好きはこんな時でもどきどきするものだな、とも感じた。良く磨かれた爪を立てながら「死ぬなんて幸せが三年で来る訳ないじゃないですか。渡り鳥が向こうに帰って一年。白山に白雲が湧いて二年。あなたがその先に進んで三年。その頃は平泉が焼かれてちょうど千年の時が経つ頃」言われて私も思い出して来る。あれは昭和六十四年の一月だった。昭和の終わるときに、私は母に頼まれてお使いに行った。「ならしを買って来て」。どの店に行っても「ならしは聞いたことが無いねえ」と言われ、途方にくれるように、いささか腹もたち「どこにもならしなんてないよ」というと「ならしじゃないよ、芥子だ、馬鹿」あの時の母親の顔と、この女性の顔が似ていることに気がついた。
 「ならし」と「芥子」で昭和は終わり、数日前に味わった大晦日のような感じを抱きながら平成を迎えた。テレビでは阿川弘之が目を赤くし、隣に座る娘の佐和子がそっとハンカチを差し出していた。コロッケも下さい、芥子をたっぷり付けて。ラムからレモンサワー酒を変え、隣に座るカウンターの番人と名乗る常連と楽しそうに話す彼女に、先ほど感じた鬼気迫る狂気はどこにもなかった。時代は変わる。時代の変化を人々は感じることなく、しかしいつの間にか変わったしまった時代に途方に暮れたり、愚痴ったり、または平気な顔で過ごしたり。そして人は老い、やがて死ぬ。何も変わらないのは死ぬということだけ。さて、ストーブに石油を入れなくては。炭を熾さなくては。何も変えたくないなら、早く向こうに行くことですよ、と帰り際に女性は呟いた。

(12:43)

2016年11月11日

 ブログを始めて十年になります。いろんなことを書いて来た。嘘も本当のことも、私の指先がキーボドを叩き、文字を打ち、言葉を吐き、文字を連ねた。DNAの螺旋配列のようなものか。ここに書いた言葉が、私の十年の内面だ。ブログに書くようなちょっと長い文章をを、Facebookに書きました。 https://www.facebook.com/cocktail2013/ どういう反応になるのかなど、デジタル世代(この言い方も古い)のようなことを試しにします。フェイスブックというのもあるんだ、ということを知る為にも、飛んでみてください。飛べなきゃ、どこにも行けませんぜ。

(08:58)

2016年10月05日

 羊水を欲していたのか、と思うほどに、銭湯に、湯船に浮かんでいた時代があった。散歩をすれば、煙突をさがし、それらしいのを見つけると、いそいそとのれんをくぐる。平日も、買い物と仕込みの合間を縫うように、近所の銭湯に飛び込む。湯に入らあ、とは聞こえがいいが、振り返ればいささかの寂しさ、もう少しで吹くだろう、秋風が、つねに胸の内に、巣をつくっていたように感じる。
 寂しさは湯で溶けたのか。湯で暖めていないと、寂しく遣り切れなかったのか。さらば銭湯よ、というわけではないが、ここ数年足が遠のいている。先日、久しぶりに子供と、大好きだった小杉湯に行く。昔付き合っていた女の人の部屋を訪れる、というのは大げさだが、そんな感じは隅っこにあったな。君無しでも、生きているよ、オレ、みたいな。
 運動会の汗を流し、ミルク風呂に水風呂、マッサージ湯に漢方薬湯に、満足げに入る息子。そしてそれを見て喜ぶ私。十年くらい前に、ちょうど同じような年頃の子供を連れたお父さんを見て、唐突に「子供が欲しい」と思ったことがあった。あれはなんだったのだろう。傍らに女性はいたが、子供を作ろうという気もなく、酒と薔薇を謳歌するほど辛くなっていったあの日々、そしてあの親子を見て感じたあの思い。
 更正とは甦るという意味になると最近知った。あの頃の私を知る人に、今の私を見せたら、まさに別人、甦りと言っても過言ではなかろう。湯船で見たあの親子の姿に、私の中の何かを揺さぶるものがあったのだろう。甦りの種は、湯船で生まれ、長いと後月を経て、今になって小さな木になったのかもしれない。上手い締めくくりもなく、この文章を終えようと思う。まだ、途中の話だから。

(09:57)

2016年09月25日

 物語を書いている。それも手書きで。息子が使っている3Bの鉛筆で。浮上した私小説。このところ、辛いことが続き、なによりも自分が安定せず、ちょっとしたことで心を崩し、その崩落でかけたものを得るように物語に浸っていた日々に嫌気がさし、物語ることを選んだのです。
 作る、ということは楽しく、手で書くということも久しぶりなので新鮮で、紙を重ねるごとに、身のうちにある澱が一枚一枚めくれるような、そんな気分です。
 物語る、というのも神に近づくひとつの道なんだろうなと思います。とりあえず、細かいことは後回しにして、言葉を積み重ね、物語を先に進め、書き終えようと思っています。そして、書き文字を打ち直しながら推敲し、綺麗に仕上げようと。伊坂幸太郎の「モダンタイムズ」で教えてもらった言葉が胸にある。「原稿は燃えないんだ」そう、本当の物語は、なくならない。

(13:28)