July 13, 200721:13
初夏、庭のホタルブクロが花を咲かせた時、すぐさま手折り仏様に供えた。

ホタルブクロ


ホタルブクロは 花が咲いたりその花を摘んだりすると雨が降るという
雨降り花 と呼ばれる花々のうちの一つに名を連ねていた。


なるほど、ホタルブクロを手折って以来、雨は私の目にする草木の根に手を伸ばし育て上げている。

「雨音はショパンの・・・」というタイトルの曲があったな
雨降り花、雨音はショパンの・・・
なんともしっくりとくる巧い表現だなと感心してしまう。

雨音と共に心を鎮めることを好む私であるが

小学4年生のこの雨の時期に水害に遭っている母は
災害のニュースを見るにつけ当時の記憶を手繰り寄せる。

小さくて手がかかるのと危ないこともあって、ほんの少しの間と
一つ年下の弟と二人、塀の上に乗せられていた。
大学の寮へ荷物を取りに行こうとした学生さんが、塀の上の子供たちの前を通り過ぎたが、
ほんの少しの間なのに、水の勢いは驚くほど早かった。
学生さんが寮へ行かずに舞い戻り、子供二人を前後ろに抱えてくれたことにより
命が助かったものの、その学生さんの名前もわからないままだと。

母のすぐ上の気丈な姉はその水害の日に初潮を向かえて泣いたという。
自分の初潮を迎えた日の哀しかった感情を思い出し、少女の頃の伯母をとても愛おしく思う。

大学の学生食堂を営み、学生寮の食事もまかなっていた祖母と伯母たちは
人々が着る物や貴重品を持ち出す中、
炊き上がったばかりのご飯を入れたお櫃と、肉じゃがの入った大鍋だけを抱えて逃げた。
逃げ着いた時にはそれらをすぐさま取り囲む人々に振舞うことになり、
人間の性の恐ろしさと、見かねて手を差し出してくれた人たちの人情を一度に知ったのだと
親戚一同が集う時のこの話題は私にとってはドキュメンタリー映画のようである。

生前、脳血栓を患って以降の父は、
手をさすりながら「もうすぐ雨が降る」とよく口にしていた。
雨の降る前は体がしびれると言って辛がり、娘や孫を捕まえて手足をさすらせた。
雨が降り出す前は気圧が下がり辛いが、雨が降り出すとラクになるというのだ。

雨  体験したものにしかわからない世界観がある。

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July 03, 200722:45聡明な花嫁
高校入学と同時に寮での生活を共にスタートさせた友人が先日花嫁になった。
その日の花嫁と初めて出会ったのは、十五歳の春だから、長い付き合いになる。

私は入寮初日を思い出した。
各部屋、3年生をリーダーに、2年生、1年生の3人部屋で、
上下関係はとても厳しく、2年生が1年生の教育係のようなもの。
入寮の日、荷物を運んでくれた親が帰ると、2年生は1年生を呼び出し、
寮生活の流れを話しだす。

先輩へは先に挨拶をすること。スリッパの音に気をつけて。
部屋では早く起きて、朝食であるパンと牛乳を、先輩方の分も用意すること。
部屋の掃除は先輩が席をはずした隙に。
まあ、機転を利かして先輩より早く行動することである。
書いて覚える勉強をする時は、鉛筆は音がするので、ボールペンでよろしくとなど、
細かいこともありつつ、あたりまえのことばかりだが、
話し終わる頃には、親元を離れたばかりの1年生は半泣きになる。

私達の同期は、入学式の時は二十四人いたのが、
卒業式には半分の十二人になっていて、
そう、私達はわりとガッツがあったのだ。
でもそれだけではなく、寝食を共にする中で、色んな騒動や珍話が起こる中でも、
その日の花嫁を悪く思う人はなく、当時から、気遣いと思いやり、マナーがすでに
備わっていた、聡明な女性。

寮から初めて実家へ帰省する日、同じ方角の彼女と、一緒に寮を出発し、
電車に乗り込み、途中でわかれた後、
私は家が近づくにつれて、涙が出て困ってしまった。
恥ずかしく、親に会うまでになんとか涙を止めようと思えば思うほど涙が溢れてきて大変困ったものである。

十五の時はその感情を表現できずにいたが、
親へのありがたみ、他所の釜の飯を食べる経験をさせてくれているという感謝の
気持ちを漠然と感じたのだと、今ではそのように思う。

途中で分かれた彼女も泣いたかどうかは、照れくささもあって、
お互いこの日の話をしたことはないが、
彼女と、結婚式に一緒に駆けつけた友人とは、思春期から大人へと向かう
この大切な感受性を共有してきたのだと、寮から学校への通学路の豊かな木々の緑と共に思い出した。

環境が変わり、新しい生活を始めると、不安を乗り越えるたびに感動が生まれ、
周りへの感謝を抱くことを、私達はこの寮生活で教えてもらったのだ。
卒業してからもお互いへの思いやりは増すばかりである。

聡明で美しい花嫁さんのお幸せを心よりお祈りしております。

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May 31, 200720:56今、したいこと
 「書かずにはおれない」この体験を、一度、たった一度経験したために、
私は、「書いて過ごしたい」という夢を持った。

 その背景には、現実から逃げたいばかりに湧き起こったことだと、
落ち着いてきた今なら理解できる。

 正義を振りかざし、辛辣な言葉を並べては思い通りにならぬことに固執し、
苛立ちの炎をまとっていた私は、当時一歳の娘と自らに課題を与えるかのように、
離婚した。

「結婚した責任を取れ」
父は、すなわち私に帰ってくるなと言い放ち、私を鍛えなおすべく
子育てを続けねばならなかったが、子供を抱えた私を父の自営する職場へ
入れてくれた。が、その一ヵ月後である。父が余命半年と宣告を受けたのは。

 そして亡くなるまでの六年間、目の前で、人は簡単には死なないのだという
命の不思議さを見せてくれ、しかも、父が人前で弱ってゆく姿と、
周りに迷惑をかけてゆくことを通して、私は心を痛めながらも、
頭を下げてゆくことを否応なしに教えられた。

 これらのことは、地球規模でみるとほんのささやかな出来事であろうけれども、
我慢が足らずに逃げ出したいと思ったこの時期にふと見た夢を叶えようと、
同じところ同じ顔ぶれの中だけで過ごしてきた私は、少しずつ外へ出てゆくようになった。
全くの世間知らずが夢を見たのだ。

 しかし、土台を無視してはいけない。人には与えられた、あるいは自分で種を蒔いてしまったことにより、乗り越えねばならぬことがあるのだ。そこから、逃げ出したままでは、おかしなことになる。地に足が着いていないのだから。私は、もう一度、与えられているものへと立ち返り、そして、夢も見続けた。

 今年父が亡くなった。私にとっての父の死は、陰ながらも守り養ってくれる男性との別れであり、再度自分の足で歩くことに目を向ける機会をもたらした。

 職も失い、不安というベールをぬぐいさるべく私は、十一年前に実際に降り立ったことのある石畳の街フィレンツェへ旅立つという空想に浸り、せめて紙の上でと、
冒険してゆく自分をイメージして書き起こしはじめた。

 自身の旺盛な好奇心と豊かな感受性を活かして
興味ある物、場所、人へと足を運び、調べ感じて「書いて過ごす」という夢を紙の中で叶えていったのだ。

 言葉の通じない所へ旅立つのに、まず飛行機の乗り方がわからずに早々と
つまずき、現地へ着くなり平和ボケしている日本人代表の私は、スリやジプシーに
萎縮し、島国で培った先祖代々の控えめと潔さをよしとする精神は、
異文化に絶えず揉まれ続けた歴史を持つ民族の感性に簡単に打ちのめされて
しまった。

 かくも甘美な花の都フィレンツェで、ルネッサンスの足取りを辿り、
知的好奇心を充たしつつ感動の出会いとときめく高揚感に満ちた滞在に酔いしれる
はずが、パスポートを首から下げて服の下に隠している旅慣れていない自分に
我に返り、こんなところで何をしたいのだろうと、紙の中で佇む私と
書く手の止まった私が突如一体となり泣いてしまった。

 それでも、ナルシストという言葉をかなぐり捨てて、
どうにかこうにか紙の中と外の二人の私は、心を通わせ、
やってみたかったことを果たしていったのであるが、
以下、その旅から帰った二人の私の感想である。

 夢を心に抱き、したいことに取り組むことは心を豊かにする。夢を叶えたい思いは人を成長させ、どんな状況にあっても卑屈になれない素晴らしいものである。

 最後に私へ。

 難しく考えずに書きたければ書けばいい。利点は、紙とペンがあればよく、
書くとスッキリとすること。したいことは頭を使って勇気を出して
沢山の経験にしていき、感謝することに包まれてみたらどうだろう。

 今回は、以前ブログにアップしたものに、現在の心境を織り交ぜて書きました。


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April 24, 200709:58マイペースに過ごしております
父の臓器の機能が、順に速度を落としてゆくのが、手足の末端の色、冷たさから、また胸の厚さがみるみるペシャンコになってゆくにつれて感じ取れ、ついに呼吸は止まり、

「お父さん、お疲れ様でした。ありがとうございました」
母の抑えながらも叫びに似た声に、その場にいた者、一斉に頭をたれた。

そのまま、身体を離れた父は、やり残したことを実行に移すべく行動を開始し
それは、広い広い空間を覆うように両腕を伸ばすがごとく、
父が、わだかまりを残したままの人との思いを、巧く、うなるような絶妙なタイミングで、解きほぐしていったのである。
他にも、人が亡くなると変わる世界がある。

身体を離れたものにしかできないことであり、これは父の仕業だと思いたいという
切ない娘心が自らに思い込ませたものではあるが、
この世のこともわからないことばかりの私に、目に見えない出来事も大切にしようと改めて思わせて、子育てとは、亡くなってからも続くのだと思わせてもくれたのである。

父の49日も過ぎて、いろんな人との再会や出来事を振り返りつつ、身内を亡くしたものとしての貴重な体験が私にも与えられたことに感謝しつつも
時々虚脱感に襲われるという感覚も覚えて、少しペースダウンして過ごしております。

ご心配を頂きまして心より感謝しております。
状況が許せば色んな人に会いに行きたいなと思うようになりました。
皆様どうぞ宜しくお願い致します。


March 15, 200720:51終わりと始まり
戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなければならない
何といっても、ひとりでに物事が
それなりに片づいてくれるわけではないのだから

1993年に出版された、
ポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカという女性の
小さな詩集「終わりと始まり」(沼野充義訳・解説、未知谷)の表題作である。


理不尽さの中にありながら、怒りを噛み砕いて生きてゆく強さと奥深さに
心打たれて、どこであったか、待合でのわずかな時間に取り出した
須賀敦子さんの本「塩一トンの読書」の中に取り上げられたこの詩に、
ふいと吸い込まれて、父を亡くしたこともあり、人ごみの中にあってもマイペースに目を潤ませた。

「終わりと始まり」
終わると始まる
しかし、終わりを考えずに、飛びついて始めることは日常的で、
そのいい加減な経過(終わり)や、まだ息づいていそうなものを拾い上げてゆくきっかけになった。


March 08, 200721:02新たな冒険
私の父は、個性が強く、父にはいつも振り回されてきました。

振り回されるたびに、嫌いだと叫び、
嫌いだと叫ぶたび、嫌いだと叫んだことを後悔した。

父には、人を惹きつける圧倒的な魅力があり、私は、父のことが好きでしかたがなかったのです。

その父が亡くなり、私に乗り越えねばならぬことを、いくつか遺してくれました。

そして、
思うように生きた父だけれども、やり残したことが一つあるのだと
遺影の強い視線を受けて、そう思うようになりました。

それは、私に遺してくれたものの一つにほかなりません。
もちろん引き継ぎたいと思います。
私にとって新しい冒険の始まりです。



父の世界から逃げ出したかった時に、さまよい出会ったもののひとつが
この かりんとうブログ です。

わがまま きまま そのまま に続けてきまして、更新もきままでしたのに、
更新の間隔があき、ご心配を頂きました。
心よりお礼申し上げます。

今後とも きままな更新ではありますが、何卒宜しくお願いします。




February 12, 200711:59潮の流れ
ふと、
「新潮日本古典集成 平家物語」
を手に取り、パラパラとめくりつつ、

音読をしてみたくなった。

原文を読み、日本語を体に入れていき、体で理解する。
流麗な文章を読むと気持ちが良くなり
血の流れも良くなる。
声を出して読み、全身で知り、全身で感じること。

このように想いながら、声を出してみる。

平家物語はリズミカルなものなのに、
私の音読はあまりにもたどたどしく、それが、子どもには面白がられ、しかも久しぶりにかなり喜ばれた。

壇ノ浦の最後の文章
「源平の国のあらそひ、今日をかぎりと見えたりけり。水手、梶取ども、うち殺され、斬りふせられ、船底に倒れふためき、叫ぶ声こそかなしけれ」

内容はえらいことになっているのだけれども、美しいと思い、少し読みふける。



いるかという魚一二千、平家の船に向かうてはみければ、大臣殿、都より召し具したる晴延といふ陰陽師を召されて、「きつと勘へ申せ」と仰せければ、晴延勘へて、「このいるか、はみ通り候はば、御方のいくさ危う候ふべし。はみかへり候はば、源氏滅び候ふべし」と申しもはてねば、いるか平家の船の下をはうでぞ通りける。


読みもさることながら、訳もたどたどしいけれど、
私なりに 感じて語ってみます。

時は1185年3月24日、場所は壇ノ浦。

何千頭ものイルカの群れがあらわれ、平家の船に向かって口をパクパクと呼吸をするためなのか、開閉しながら来たので、都より召した安倍晴明(あべのせいめい)より
9代の子孫、晴延(はるのぶ)に、前例や文献によって判断し報告させる。

「このイルカ、このまま通り過ぎましたら御方の戦は危ういでしょう。もとの方へ泳ぎ戻りましたら、源氏方滅びるでしょう」

この予言の直後、イルカは、平家敗北を予感させる動きで口を動かしながら通り過ぎた。

阿波の民部成能(あわのみんぶしげよし)は、平家都落ちよりこのあいだ、平家に忠を尽くしたけれども、嫡子を源氏方に生け捕られ
その親子の情愛にかられる心の悲しさから
「もう一度会いたい」
と、たちまち心変わりして、源氏方へ寝返る。

立派な唐船には一段身分の低い者を乗せ、兵船には身分ある人々を乗せていた。
源氏方が、大物が乗っているであろう唐船を攻めてきたところを、小船に乗った精鋭が
取り囲んで討つという当初の計画が、阿波の民部成能によって知られてしまい、
平家総崩れとなり、

今まで平家に味方していたはずの四国、西国の兵、君(安徳帝)に向かって弓を引き、
主人にむかって太刀を抜く。

平家、岸へ着こうとしても波高く叶わず、浦に寄れば敵が待って討とうとする。
天下分け目の合戦は、今日が最後と見えたのであった。

源氏方に、非戦闘員の武装していない、(渡航能力である)漕ぎ手の水夫や梶を操作する船頭をも、容赦なく射殺され斬り伏せられて、

・ ・・船底に倒れふためき、叫ぶ声こそかなしけれ


干潮で下がった内海へ外洋が次第に速く流れ込み、低潮に最も急に速くなる。
平家の軍勢は、潮流に乗って、西から東へ船を漕ぐことなく、前へ前へ押し寄せていき優勢であったが、

正午を過ぎたあたりで潮流が逆に変わり、形勢が逆転してしまった。

潮流の関係で平家が負けたという学説が有力ですが、
壇ノ浦の潮の流れについては、それほど急激に流れが変わるようなことはなく、
戦う前から平家の旗色は悪かったのだという学説も広まっているようです。

阿波の民部成能の決断も、潮の流れを読んでのことだったのか、旗色を読んでのことだったのか。

イルカの動きは、まさに運命の潮の流れの暗示でした。

平家物語は軍記であるから、この潮の流れの上を漂う女性達にはほとんど触れてはいない。
戦いの醜さも渦巻きつつ、男同士の気高さ、武士の美学が随所に散りばめられていて、その美しさに心を打たれる。
しかし、平家の中心となる男達は死に、二位尼時子は幼い安徳帝を抱き海の中へ飛び込んだ。
この潮の流れの上を漂う女性達は、この後どうなっていくのか。

都を離れて1年8ヶ月。
物も食料も不足し、身の回りのものも手放していき、
背水の陣である壇ノ浦の戦いのための船に乗り込む時には、すでに潮風に疲れ果ててはいなかったか。
高貴な女性は人目に触れぬものであったはず。
実際、庶民という観客は、どこからか戦を見物していたことでしょうし、
着物も長い髪も、船に打ち寄せる水しぶきを浴びてひどく濡れ、
海に飛び込んだ、国母であられる建礼門院にいたっては、
死ぬつもりであったのに熊手で引き寄せられてしまった。
女達は冷え切った体をどのように温め、ずぶ濡れの着物はどのように乾かしたのか。
もともと身支度を自らしてきた方々とは思えない。
源義経の率いる東男(あずまおとこ)とともに過ごす京までの時間は、限りなく心を冷やしていったのではなかろうか。

わずかな音読のあと、しばし読みふけり、情景をイメージしてみた。
そして、

「生き抜くこと」
「世界平和」

テレビのニュースに耳を傾けながら、心の中でつぶやく。



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February 10, 200717:04気付きのサイン
仕事の勤務時間を減らしてもらったというのに、
そのうえ連日仕事を休ませていただいています。

仕事へ行くのにわが子の健康にはいつも感謝していましたが、
子どものクラスで発熱と咳の症状が出ていたところ、
うちの子も咳とともに熱を出し、診断の結果、肺炎。(お蔭様であとは日にち薬です)

周りに恵まれ、子どもについて看ていられる。
しかし症状も峠を越えると、つい、仕事の復帰について不安のよぎるときがあります。

私には、仕事だけをしていればよかった時期があり
実家の母が何でもカバーしてくれていた若い時期があったのです。

当時、仕事を休む可能性のある人とは組みたくないものだと思っていて
妊婦、小さな子どもを抱えているとか、・・・私も女であるのに、
自分がそんな小さな人間だったものだから、
その時の自分の視線を感じて不安になるのです。
人に甘えるのも中途半端で、相手の思いやりを受け取るのもヘタでした。

離婚をしてからというもの私は迷惑をかけることばかり。
(それまでは、迷惑をかけていることにすら気付かなかった)
迷惑をかけることは良いことだとはいえませんが、ある効果をもたらせてくれます。
迷惑をかけて頭を下げていくことで知る想いがある。
迷惑をかけるのに、
謙虚さを与えられ、想いのひだを増やしてもらう。
人の優しさに心をうたれること。
そして、自分の持つ傲慢さに恥じ入る。

日常の中にも気付きのサインは溢れているのに、
気付きに鈍いと
日常と違うことが起きるのでしょうか。

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January 19, 200722:34時空を超えた旅
昨年の秋、奈良国立博物館にて催されていた
正倉院展に行きそびれたのをきっかけに、

私の奈良時代への旅が始まった。

といっても、気になる本をかたっぱしから読んでいくだけで、
足を運ばなくても旅ができるのですから、大いに楽しみました。
奈良への旅ではなく、奈良時代への旅。
時空を超えた旅なのです。

正倉院宝物は、
光明皇后が聖武天皇亡き後、冥福を祈って宝物を献納されたものが始まりであります。
夫が亡くなったのを大変悲しまれた奥様が、夫の大事にしていたものを仏様に捧げようと
献納したということですが、

シングルマザーの妬みなのか?
「夫婦愛ねぇ〜」
疑った目で、本を読み進んでいったのです。

奈良時代から飛鳥時代へと系図をさかのぼりしては、また下っていき
この夫婦の存在した背景を読み解いていく。
当時の書物の言葉を読み取る専門家の解釈の違いに揺れ動き、
幾通りもの物語が浮かんでは消えしていく。




715年、あたりの空気が秋を感じ始めさせた頃、元正天皇は即位した。

名は氷高皇女(ひだかのひめみこ)。
24歳の若さで亡くなった文武天皇の同母の姉であり、父は草壁皇太子。
壬申の乱を乗り切った天武天皇と持統天皇の孫である。
母は、持統天皇と異母腹ではあるが、苦難を共にした妹、元明天皇であり、
母方の祖父は、大化の改新をなした天智天皇である。

血統としては申し分ない。他の皇族をも圧倒するものである。
そのうえ資質も優れていた。

元正天皇の即位、それは、
文武天皇と自分の娘、宮子との間に生まれた首皇子の即位のために、
文武天皇の血を引く他の皇子たちの皇族の資格を奪い、元明天皇の退位にじりじりとにじりよっていった、藤原不比等の足をすくった、元明天皇から娘である元正天皇への電撃的譲位であった。

藤原不比等は、首皇子と同年に生まれた我が娘に、
「そなたの母にも、我が藤原一族にもまだない、尊貴な一族の血を伝える強さを学ぶのだ」
人をはらい、二人だけになると、そう、語ることが増えていった。

その娘の名は安宿媛、聖武天皇となる首皇子の夫人となり、後の光明皇后となるそのひとである。

当時の結婚は、通い婚である。
男が女の家に通い、生まれた子供は母方の家族が育てる。
一族の中心は自然と女性になる。大黒柱的存在の女性を大家(おおとじ)といった。

蘇我氏は遡ること蘇我稲目の娘たち、小姉君、堅塩媛の姉妹の時代より、
天皇を家に引き入れ、蘇我の娘たちは、
天皇の后であり、天皇の母であり、また自らも天皇となった。
それは、約150年のあいだ引き継がれてきたのである。
蘇我氏を討った天智天皇にも流れていた蘇我の血。
天皇になるためには蘇我の血がまとわりつかねばならならず、
すなわち天皇は蘇我一族であったのだ。

藤原不比等が近くで従い、いや、心の底で敵対してきた、
持統天皇、元明天皇、元正天皇は、蘇我一族の大家(おおとじ)たちであった。

その血に挑む藤原不比等は、物腰柔らかく、耐え忍ぶことを知り尽くした者である。
また、その耐え忍ぶことは、持統、元明、元正、それぞれの女たちにも同じように持ち合わせたものであった。



このように浮かぶ物語がだんだん心の中で動き出した頃、
永井路子さんの「美貌の女帝」という小説を手にして読んだ。

驚いたことに、物語は上記の内容とほぼ同じである。

内容は全く覚えていない。
私の思い描いたストーリーかどうか、確かめるように読み進んだ。
二ヶ月の間、本を乱読して出来上がりつつあったストーリーをそのまま読むことになったのです。

読んだ覚えはないけれども、きっと私は読んでいる。

盗作とはこのようなことなのだろうか。
と思ったのは少しの時間だけ。

時空を超えて、前世の記憶とは、このようなことなのだろうかと、
大胆にも思いが大きく方向を転換してまた旅をはじめたのです。

全く覚えていないのだけれど、実は知っていること。
気付けばすっきりすること。
体は限りがあるけれども、魂には続きがあるのではないか。

歴史を読んだからなのか。
歴史は、何代もかけて成し遂げている事例をわかりやすく教えてくれます。

歴史は、命と、想いや志を、次世代へとつなげていくことの大切さをも教えてくれるものの一つです。


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January 06, 200722:4510年日記
今年も宜しくお願いします。

年末に10年日記を頂き
早速元旦から記入しております。

10年日記を頂いたのは
昨年、一歩一歩 歩くたびに、あちこちにぶつかりしながら、
取材をさせてもらい、語らい、教えをもらうようになった方からです。

「いつか私が かりんとうちゃんに 10年日記をプレゼントしましょう」

初めてのお客様に10年日記を頂いたその方は
日記を手にすると、そのお客様をはじめ色んな顔が浮かぶこと
幼かった子供さんたちからの
「お仕事してるお母さんが好き」
「お母さんがんばってね」
と書かれた手紙をも沢山日記に挿まれていて、
実際、私の目の前でパラパラと落ちた手紙を拾い
顔を上げられたときには涙をにじませて
今までの経験がよみがえる旨の話を交えながら、

「誰でもはじめは あなたと同じ、何でもが初めてだったのよ」
「私にもはじめがあって、この日記を頂いた頃の気持ちを思い出した。
今度は、いつか私が かりんとうちゃんに 10年日記をプレゼントしましょう」

今年で10年目に突入されるその方から、年末に10年日記を頂きました。

不思議なことですが、
頂いた方は、私の名刺小冊子の初めてのお客さまでした。

一日一日書きとめるわずかな作業は、一歩一歩できることをすることと重なります。

正月を共に過ごした小学低学年の甥っ子達は
「一緒にお風呂に入ろう」
と言った。もちろん書きとめている。もう来年はそんなこと言わないかもしれない。

妹ではなく義弟が
「かりんとうねえさん、今年はもっとうちに来てよ」
と、ありがたさも書きとめた。

親の体の動きも年々変わるはず。これから直面していく親の老い。
親への感謝も書き綴りたい。

わが子の成長は如何なるものかと。

私自身の歩みは、この10年日記と一緒に宝物になるのだと、
このようなご縁に感謝したお正月でした。

どうぞ今年も宜しくお願い致します。


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December 29, 200622:29今年もお世話になりました
今年もお世話になりました。

心に灯った夢を膨らませて育て叶えていくためには
大人になることを学ぶ必要を実感し、
遅ればせながら、今年は、まったく社会人一年生の気分でした。

夢を抱く前の私、行動しないでいた私は、
何て、
ひねくれて、無気力で心が固く、子供じみていたのだろうと、思います。
今も充分にその名残はありますので、
これは、歩き、走って振り落としていけるよう、来年への抱負にしたいと思います。


そして、このブログを通して頂いてきた交流に感謝しております。

大人になる不安と乗り越える楽しみを(勇気を出す不安と楽しみを)
共感できたら、応援できたら、懐かしく思っていただけたら
という思いでおります。

立ち寄ってくださる方がいるかしら、それはどんな方かしら、と素朴に思う中、
交流を頂き、わざわざランキングにもクリックしてもくださり、励まされてきました。

思いを持ち寄り、わかち合う幸せを本当にありがとうございます。


皆様どうぞ良い年をお迎えくださいませ。

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December 14, 200612:29はたらくお母さん
職場で仕事仲間と
「仕事できるって素晴らしい」
という会話は表に出にくい。

「もう、休みたいわ。休み増やして欲しいわ」
「この人と一緒はいややわ」
「あの人が・・・」
と様々な言葉が飛び交うが、

「私は稼ぎに来ているのです」
という本音は聞かれない。

「私は稼ぎにこの職場へ来ていて、夢と生活を支える土台である」
と自覚してからは、とっても仕事がし易くなり、ありがたいものとなった。
仕事と家庭とそして夢への実現への作業と勉強と、一日24時間しかないことを切実に感じるようになりました。

すると、あれもこれもと、欲張りになり、

周りの私への言葉も
「リラックスして、ゆるゆるゆっくりと」
へ、変わってきた。

わかってはいるけれど。

何か、を、手放せば、いいのだろうか?
ただ要領が悪いだけなのか?

そんな中、
突然、仕事を減らしてみては、と声がかかる。
理由は、
「子供の下校時にそばにいてあげたら」
というもの。

一人だけなら、聞き流していた。
一人、二人、三人、四人・・各人、全く同じセリフ

仕事に意欲的な人の
「子供のそばに」
に対して、私は、仕事を渡すものかと身構える。
心配する人の
「子供のそばに」
に対して、私は、誰が生活させてくれるのと肩肘を張る。
尊敬する人の
「子供のそばに」
に対して、私は、私だってあれもこれも乗り越えたい、私にもできると訴える。

固まって頭を縦にも横にも振らない私に、その中の一人が私に声をかける。
「離れている妹さんにでも久しぶりに話をしてみたら」
そうしたら、偶然にも次の日妹がやってきて、
「子供のそばに」
と言った。

なんだか こわいし、 なんだか おかしい。
でも、ここを簡単に通り過ぎてはいけないと思った。
必ず意味があると。

今まで、同じ言葉をかけてもらいながら、気が付かずに、耳に入らなかったのか。
私や子供がそのように発しているのか。

私は離婚したくても離婚出来ない女性が多いこと、
子供を抱えて仕事を得ることがいかに難しいかを知った。

私は幸いにも、離婚できて、(できることなら、離婚はしないほうがよい)
仕事に恵まれて、子供と離れずに過ごせている。
本当に恵まれていると感謝しています。

だからこそ仕事を減らすこと、ゆっくりすること、現状を変えることに抵抗があるのです。

でも、仕事を少し手放しました。
週にたった数時間とは思えなかった。月に何十時間にもなると思ったけれど、
押し寄せてきた流れに乗っかって手放してみました。

私が仕事を減らすことで、職場では、現状が変わります。
現状の変化に過敏になる人へ、
勝手を許してくださる人へ、
励ましてくださる人へ、
頭を下げることの大切さも学べました。

仕事を減らしたとたん、
「おいで、抱っこしよう」
と子供に言っても、もう、抱っこは恥ずかしいと嫌がるようになっていたことに
気付かされ、
寝食をともにいつも一緒にいながら、私は子供に気がいっていなかったことに改めて気付かされました。

あれもこれも才覚と努力と継続で成しえていく人は沢山おられます。

自分の器は、急には広がらないことを受け入れて
子供と過ごす時間、当たり前のことをして過ごしました。

学校から帰ると、塾やお稽古事へ行かせるわけでもなく、
台所で宿題をさせながら、夕食を作って、そのまま夕食を頂き、
お風呂に入ると就寝時間になっている。
たったこれだけ。
今まで、この時間にどれだけのことを詰め込んできていたのか。

子供は、宿題だけはする。
それでいいと思った。
夕食の準備から食するまで、とても楽しいと感じ始めると、
いつしか、朝から、その日の夕食は何にするか話をするようになり、
どんどん思わぬ幸せが舞い込んできました。

子供と過ごすことがこんなに楽しいものだとは、知らなかった。

夕食の準備からの約2時間、今まで、心ここにあらずで過ごしてきて
共に時間を過ごす相手に大変な失礼をしてきたことを思い知ったのです。

私ははたらくお母さんです。

これからも、何らかの形で、はたらきます。
今この時期に、子供としっかりと信頼関係を築くチャンスを頂いたことに感謝します。

「子供のそばに」
と声をかけてくださり感謝します。

「子供のそばに」
物理的にそばに という意味ではないことも、
「子供のそばに」
の言葉がきっかけで、子供を持つ持たない、仕事を持つ持たない、関係なく、
インタビューをさせてもらい、言葉にはないものを感じて知ることができました。



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December 03, 200620:30スイングしています
空気の澄んだ夜空を見上げながら
ディズニー映画のピノキオで流れる
「星に願いを」
を口ずさむ。

そのまま
ナットキング・コールの「LOVE」
その次はクリスマスメドレーをつい、ハミングしてしまう。

まだ暑かった頃に予約購入していた 小林桂さんのコンサートが今日だったのです。

ジャズはよくわからなかったのですが、
昔観た映画から流れてきた ビリー・ホリデイ の音楽を覚えていたことがきっかけで、
ビリー・ホリデイ等のCDを頂き、
ジャズを聴く回数が増えていき、
染み入る感じが良くなり始めた頃に
スタンダードジャズの「小林桂さん」が目に入り、チケットの予約購入をしていたのです。

何もない空間から、(実際はホールにいるのですが)
ピアノが流れ、声を出す体もすばらしい楽器のように感じ、歌詞が色をそえて、客席に伝わり響いていく。
曲の紹介の時のうんちくが、初心者の私には面白く興味深い。

ステージのすぐ近くまで行って、踊りたかった。
客席を見渡して、なんでじっと座っているのだろうなんて、体をスイングしながら思っていたら、周りも拍手する手がだんだん、膝上から、目の高さより高くなっていく。

このようなお出かけが久しぶりだったので嬉しかったのか、
いや、音楽を創り出す側の想いが素晴らしいのでしょう。
本当に良かったなぁ。

遊んで、感性を養える。
良いことばかりです。

本当に幸せだ。
と音楽の中で思うと同時に、
ふと、ユニセフから家に届いていた封書が気になっていました。




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November 16, 200613:52奈良への旅
奈良の正倉院展の期間中、年々、行ってみたくてソワソワするようになってきた。
もともと歴史が好き。
でも歴史好きだからだけではない、
年を重ねるごとに芽生えつつる、あらゆるものに対する畏敬の念も、ソワソワを引き出す一因になっている。

当時の創り出すという高い技術と独特のタイムカプセルとを保存し復元してゆく新たな技術
1250年もの年月とその年月に関わった人から人へと伝えられてきた想い
宝物の状態を記した「点検記録」はすでに桓武天皇の時代に作られており、
その後も調査は続き、その文書自体も宝物。
未来の研究者が“合致”するものを見つけだすその日のために保存し続ける 粉 や 塵 も全て宝物。

年々、
「正倉院展」の文字が目に入るようになり、
気になるようになり、
是非行って見たいと思うようになり。

カレンダーを指でなぞりつつ、
結局は奈良国立博物館へ馳せ参じることなく期間は終了してしまった。

新聞に寄せられる著名な方が語る正倉院の宝物の記事などを切り抜きスクラップをして、
そのスクラップをもとに本を集めては、紙の上の活字や写真に目を走らせ思いをめぐらす。

足を運んで、実際に自分の目で見て、手にとってみなければ、という想いは否めないが、行かずしても、
「正倉院」
この一つの単語が
私に楽しい時間を連れてきてくれたのです。

実は一ヶ月ほど体調を崩し、寝込むことはないものの、日常生活を維持するためにも、周りからは、余分なことは何もしないようにと、ありがたくも心配頂く中、
雄弁に私の不摂生を告げ口する子供の目を盗み、
隠れるようにして、資料を集め目を走らす。

追いかけていくと見えてくるものがある。

史実に忠実でないことがあること、その史実というものを理解していない私などは、どの情報が正しいのかわからなくなる。
正否ではなく、奥の深い記事に出会うこともある。
歴史というものは、時代によって考察が変化しているので、短的に話を結び付けられないこと。

世界から集まる高い技術や文化を、和風に咀嚼していった時間の流れ
創り出すために労働や犠牲を強いられた民衆、才能を開花させていった職人たち
身にまとい世にだして活かしていった人たちの吐息とともに蔵に戻った今年陳列された宝物。
今度目にかかれるのは早くても10年後です。


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October 12, 200622:31コスモス
コスモスピンク





満開に咲いたと思っていた、家の周り一帯のコスモス畑が、
まだまだ花を開かせている。

どんどん咲き続けている。

こんなに咲くとは知らなかった。

振り返って咲き始めから思い出していくと、

はじめは白いコスモスの割合が多く、
その白色に、ピンクと赤が色を添えて咲いていて、
白色の特徴そのままに、爽やかで清々しさ振りまいていた。

それが、ピンクがググッと花開き、あたり一面、白色を飲み込んでいき
その中から赤色(赤紫)が顔を出してきた。

コスモス畑に色気が増してきたのである。
その増してゆく色気に誘われるかのごとく、立ち止まる人、訪れる人が急に増えだした。

人の集まりは、人を呼ぶ。

目に見えないものは信じにくいものだが、
エネルギー・気というものを、感じずにはいられない。

清々しいころのコスモスを、毎朝、楽しみにしていたが、

色気の揺れるコスモスは、夕日を迎えるころがよく映える。

沢山の人を迎えて、帰した後、秋の美しい月夜をまとうコスモス。

「色気」
をコスモスから感じて、ドキリとした。
「色気」
をコスモスから教わるとは思いもしなかった。


コスモス満開


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October 01, 200622:09足元を見る
正直に書きます。

私はフリーランスのライターを名乗っています。
名刺には「夢を叶えるライター」の言葉を自分の名前に添えています。
あなたの夢と自分の夢を叶えるという意味で
「夢を叶えるライター」です。

文章を特に学んだことも習ったこともない。
それらしきところで働いたこともなし。
学生のころの宿題の読書感想文等の賞をもらった記憶も全くなし!

文章が上手いと自分でも思うこともない。
アドバイスを頂くことはあるが、褒められてもいない。

表現したい欲求が根底にながれ、
表現の方法は、料理でも、音楽でも、絵でも写真でもなく
ビジネスや教職でもない。
書くことが一番納得のいく楽しい作業であった。

周りの人に、わたしの良いところは何?
と訊ねていったこともあるが、「ライターとしての資質」という類はなかったように思う。

それでも、
ライターになりたかったので、自分から名乗ることにしました。

先日も何かの媒体で目にしました。
「ネットでも勝手にライターと名乗っているのがいる」
と。

そうです。
そのうちの一人に入るのです。

ライターを名乗る前は、私に依頼の話は皆無だった。
しかし、ライターを名乗るようになって、
楽しい時間が増えていった。

ライターを名乗るという勇気が私に楽しい時間を増やしてくれた。

胸の奥でくすぶっていた夢が大きく広がってゆく。

しかしそれが、なにかしっくりとこない。

ライターを名乗り始めて
イメージは大切であるが、私はそれよりももっと大切なことを教えてもらっています。

「足元を見る」
ことと
「やってみる」
こと。

かりんとうに
「この仕事をしてもらえますか?」

果てしなく広がっていく夢とは違う仕事。
今の私に出来るかもしれないことであり、やってみて初めて私の現実になること。

そして、今を歩くこと。

果てしなく広がっていった夢よりも、本当は現実的にやってみたいことであり、
その現実を歩かなければ、広がる夢へは進めないこと。
大きな夢は、あまり相手にされないので、話をしやすいけれども、
実際にやってみたいことは、
断られたり、無理だと言われた時に受けるであろうショックから事前にかばうために、
結構口にすることができないものでありました。

まず、私に声をかけてくださるなんて!
と正直に喜びがフツフツと湧く。

今の私にあるのは
書きたいという気持ちと
「かりんとうの言葉が好き」
と言ってくださる方の、その言葉を信じる、素直さ?
夢をあきらめたくないという、わがままさです。



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September 30, 200620:55上弦の月
上弦の月




今夜は上弦の月。

しかも、月がよく見える。

風もあり、鈴虫の声も聞こえる。

よし!今夜は早く寝よう!

窓からの明るい月明かりを楽しむために、早く寝る用意を今からサササッのサッです。

早く寝る。

寝てはしまわないけれど、夜の静けさを楽しめる今夜の状況に感謝しつつ、

満月に向かって、気を養おうって訳なのです。

ゆっくりすることを楽しめるなんて!

自然を感じていたい欲求があることも素直に嬉しい。


年の離れた妹が生まれる前夜、普段一緒に時間を過ごせなかった父と月を仰ぎ

「生まれてくる赤ちゃんの名前をお月さんにしよう」と話したシーンを思い出す。

月の女という意味の名を持つ離れて暮らす妹に、連絡してみようか。

月を見ると、思い出す妹。良い名前だなぁ。

「お姉ちゃんは、名前の由来に深く関わっているのよ」

と言われるのは、もうさすがに嫌だろうなぁ。


こちらで、月のことが書かれていました。


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September 28, 200621:10コスモス畑
コスモス白




コスモスが咲いた。

それもたくさん咲いている。

家の周りの田畑がコスモス畑になっている。



私はこの片田舎に家を建てるとき、何も考えていなかった。

同じ名字の多い、いわゆる「村」に越してきた、よそ者です。

離婚した時、もちろんここから逃げ出したかったが、色々な理由で、
今現在もこの土地にいて、引越しの可能性は今のところない。

全てを置いて出てゆくことをしたことがないので、置いてゆく気持ちはわからないが、
残った方は残った方で、色々とあった。

なにしろ、「村」である。

ただでさえ、毛色の違う夫婦がやってきて、気付いたら、片方いない。

明るく挨拶する私に、村の人は、問いたいが、問えない様子。
私に手を引かれた小さな子供に
「あんたのお父さんはちゃんと帰ってきてるのか」
と言う人もあったが、それでも、私には問わなかった。
私も子供も黙して何も言うことなく、いつの間にか、5年と数ヶ月過ぎている。


このコスモスは、休耕の土地をコスモス畑にしようと、「村」で今年始めたものである。

お隣のご主人が、コスモスの種を蒔くときに、
「かりんとうジュニアの誕生日の頃に、満開になるよ」
と言ったとおりにあたり一面コスモス畑になっている。
「今年の誕生日プレゼント、何にしたらいいかわからなくて、コスモスにしたよ」

ありがたかった。

このところ、朝日と一緒に、コスモス畑を目にして一日が始まる。

子供が小学校に上がるまでには、引越ししたい。
そう思っていたのが、小学校に入り、次はいつがタイミングかしらと思う時があったのだが、

夕日に揺れるコスモス畑を子供と散歩しながら、
コスモス




「あれもこれも、まぁ、いっか」
といつの間に固かった心がだいぶほぐれていることに気付く。
私って、固いんだ、と改めて気付く。

そして
「時間が解決する」
という言葉を思い出しました。




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September 28, 200600:20ふえてゆく夢
興味あるところへ足を運んで、感じ取る、学ぶ、知る、そして、知らせる(書く)ことが私の喜びの一つです。

このことにやっと気付いたのは、すでに、30代。
旅行して、そこでの交流を楽しみ、帰宅してからは、その歴史を調べたり、しばらくの間、感じたことを親しい人に話していること。

これは、ただの道楽でしかないと、思っていました。
遊んでばかりではいけない、と思い込んでいたので、
それを自宅での「かなえ出版」に結び付けるまでには、さらに数年かかっています。
今現在も、まだまだ試行錯誤の状態です。

自分の書く童話や小説をどのようにしたら、本になるのか。
「よし!自分で作ってみよう!」
と、思いたったのが「かなえ出版」のもともとの経緯ですが、
それだけでは満足できずに、子供の頃から、学生時代を経て、大人になっても好きなことのあれこれを、「かなえ出版」に、少しずつ加えています。

その中で、取材させていただき、それを名刺小冊子にしていますが、
このハートtoハートの交流は、私を大いに喜ばせてくれます。

そこで、その先に、もっと目に見える形で、私に喜びと学びと楽しい時間をくださる方々のお役に立てないものかと、ワクワク感をもっと味わっていただきたいと、思っていました。

私の取材で書いて依頼主を表現したものが、もっと大きなところへ目にとまればいいと。
私に関わる方々が、私の目の前でより大きく羽ばたかれるところを間近で見たい、応援したい、と思うようになってきたのです。


そう、たとえば、マスコミに。


私の知り合いが、マスコミへのプレスリリースのやり方
考え方を無料で公開しているのを知って、
私も読んでみましたが、プレスリリースは、一般の人でも
出そうと思えば出せるんだなという感想を持ちました。

机上の空論ではない、実践した体験を基に書かれて
いますので説得力のあるレポートです。
もっと読み込んで、私に役に立てることはないか、ヒントを得ようと思っています。

口コミアドバイザーの有田さんが提供しているレポートは
「マスコミレポート希望」と件名を入れてメールすると、PDFファイルで送ってくれますので、興味ある方、よければ取り寄せてみてください。


仲間が自分達の得意を持ち寄り、自分達の想いを成し得ていければいいなという私の思いが、
有田さんのレポートに出会いましたので、有田さんの紹介を兼ねて、私の夢の一つを書かせて頂きました。


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September 22, 200622:32不思議バトン
バトンを受け取りました

「不思議バトン」


回してくれたのは

いつも暖かく励ましコメントをくださる
今生さんです。


<不思議バトンのルールは>

   1.2.3. で回してくれた人の質問に答えます

   4.   次の人への質問を3つ。

   5.   バトンを回してくれた人にメッセージ。

   6.   バトンを回す人3人。


ではバトンを始めます。



Q.-1 お部屋のアレンジで凝っていることは何ですか

過ごしやすく機能的にすること。

我が家は
一つのスペースに、キッチン、リビング、ダイニングがあります。

お客様のある時は、全て丸見えで困りますが、
主婦としては、一つのスペースで全てまかなえるので、ラクです。
子供が小さかったこともあり、
別の部屋に作業場や書斎をつくって、こもることができなかったため、

一つのスペースに、キッチン、ダイニング、リビングがあり・・・
そのうえ、
パソコンと複合機を置いて作業場も兼ねてしまっています。
いかに物を増やさないようにするか、が、大変です。
リビング


リビング2



Q.-2 一番凝っているお部屋のデコレーションのカラーは何ですか

日に焼けて今ではベージュになってしまった、元は白色の家具をメインに
色と物を選ぶようにしています。

色は、白やベージュなので、何でも合わせやすいですが、
このところは、ブルーグリーン、パープルを少し添えています。


Q.-3 一人で居る時間はどんな風に過ごしていますか

一人で食事に観光、
お一人様が大好きです。

家で一人で居る時間は、香りの良い紅茶を入れて、
紙に書くこと、描くことが好きです。
それが、かなえ出版につながり、
パソコンで作業する時間も増えました。

一人で過ごす時間は、一人で過ごさなければ見過ごすようなことを気付かせてくれます。
そして、友人と過ごす時間のありがたみも教えてくれます。


Q.-4.次の人への質問3つは

  同じ質問でお願いします。


Q.-5 バトンを回してくれた、今生さんにメッセージ

あるセミナーの懇親会でお会いした今生さん。
当時は正体不明の今生さんでありました。

「何故?どうして?これはどういうこと?」

私は、いつも今生さんに不思議をたずねてきました。
今生さんの正体不明のところはさておき、「今を生きる」ことを問うてきました。
これからも教えを請うことでしょう。

交流のなかで、若い者へ、惜しまずに経験から得た知恵をわかち合う、懐の深い大人の方です。
何よりも、大人になる楽しみを教えて下さいました。

今生さんのおかげで当ブログを始め、そして、かりんとうの名付け親でもあります。

今生さんのブログでは、社会を窓口に、お肌についての丁寧な説明に続き、
心や生き方の哲学を素直に取り入れられるような語り口で書かれていて、
一つの記事で、沢山のことを学ばせて頂いております。
ちなみに、私は、今生さんのブログでレギュラー出演の「角質のかくちゃん」のファンです。

今生さん今後とも何卒宜しくお願い致します。


Q-.6 次にバトンを回すブロガーさん

今回は、受け取りだけで申し訳ありません。

よければ、誰か受け取っていただけたら嬉しいです。




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