玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIRなどの仕事をしています。 折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

芥川・直木賞の受賞者会見の一部始終を見る

2018年1月17日(水)

昨夜、芥川・直木賞の受賞者会見の一部始終を見る。

見るともなく、たまたまネット上で出会ったので見たのだが、

朝日新聞デジタルが、
「受賞者記者会見」を帝国ホテルからライブで
ネット中継していたのだ(選考委員の記者会見は別会場)。

受賞者二人のフォトセッション。
そして別々の記者会見。
3人の受賞だが、一人は海外在住なので2人。

テレビや新聞で受賞者会見の一部を知るだけだったのが、
今はこうして会見内容の一部始終を見ることが出来る。

会見は日本文学振興会の主催。

会見が始まるまでの会場では、
受賞作品を刊行している版元から、
作品概要などを紹介した資料が
広報を通じて配られる。

まあ、記者会見の通常の姿だ。
個人的にはなんどか、
こういう会見を仕事でやっている。

とまれ、今は、
一大文学賞フェスティバルの幕開けともなる会見の経緯を
自宅でワイングラスを傾けながら見ることが出来る。



若い頃、仲間の一人がやはり芥川賞を受賞した。

すでに文芸誌の新人賞を取っていたので、
いずれ芥川賞を取るだろうと文芸界はもとより、
周囲もそう見ていた。

でも、意外や意外、こんなに早くといえるほど、
早くに受賞するとは、本人も、
そして仲間も、その受賞に驚いた次第。

その後の彼は、文字通り人生が激変。

で、彼の半生をかえりみたエッセイ集で
数十年を経て最近知ったのだが、

やはり版元は本人には内緒で、
ノミネートされるような動きをしており、

本人は本人で、当時は仲間にはそんなそぶりは見せなかったが、
かなりの生活苦で、
生活費は夫人に負っていたということを綴っていた。

新宿のゴールデン街などで朝まで安酒を飲み、
河岸を変え、
勤め人の出勤姿をよそ眼にフリーゆえの気楽さで、
うごめいていたのだった。



くしくも今回は、二人とも岩手に縁のある受賞となった。

岩手の方言(遠野弁)による作品での芥川賞の受賞、
宮沢賢治の「銀河鉄道」ベースの直木賞作品と。

芥川賞の若竹さん。

「方言は一番自分に正直なことば。
私の思いがなんのてらいもなく言葉として、
エネルギーとしてあらわれてくる」

直木賞の門井さん。

徳川慶喜と同じ名前ですね、の質問。
父親の命名とのこと。
子供の頃、いやだった、と。

どうでも良いことだが、
ノミネートされた作家が

受賞の有無の電話を待つ場所のことを
「待ち会」と呼ぶとのこと。














地域アート展、発想・企画の立役者――越後妻有・瀬戸内の両芸術祭の仕掛け人「朝日賞」受賞

2018年1月13日(土)

元旦の朝日新聞に、

朝日が主催する今年度の「朝日賞」を
受賞する4人が紹介されていた。


作家の瀬戸内寂聴さんなどと共に
アートディレクターの北川フラムさんも受賞した。


北川さんと言えば「越後つまり 大地の芸術祭」や
「瀬戸内芸術祭」の仕掛け人として知られ、
2017年の昨年も、石川や長野でも新しい芸術祭を手掛けている。


そう、今日の日本全国での地域アートブームの
最大の功労者としての受賞である。


第1回目の大地の芸術祭の終了直後だから2000年の秋だったろうか、
代官山の北川さんの事務所に取材でうかがった事がある。


そうしたことについても過去に何度か北川さんについて、
このブログで触れている。


いまさら、北川さんの業績について触れるのも何なので、
過去の僕のブログから引き出して


北川さんらしさを象徴した箇所を
貼り付けておく。
(結果、新聞からの引用箇所になってしまったが)

※下記は2014年8月下旬の日経からの引用

「新潟県から話があったとき、

現地を見て、高齢化や雪といったことより、

農業などができなくなることで

誇りを失うことが人々にとって最大の問題だと感じました。

美術を通じ地域の人に誇りを取り戻してもらうことはできないか。


そう思って、叩かれても続けてきました」


「効率化で捨てられる棚田、増える空き家、織物産業の崩壊など

海外の作家にその経緯を話しました。

そこを作品づくりの出発点にしてほしいからです




美術は他人と違う事で褒められます。

美術の基盤に人は皆違うという考え方、思想があるからです。

美術には、一人ひとりの作り手と社会との〈ずれ〉が表れます。

大事なのはそうした多用性を評価すること。


美術が評価されるのは、そうした忘れられていくものや、

現代の少数者の意見をすくいあげ、未来への不安を表現するからです。

だから見る人に新しい体験を与えてくれる」



「日本の美術は明治以来、

政府主導で西洋の流れを取り入れてきました。

また、現代の美術は、都市の中の病的な要素を表現するものとして、

どんどん過激になっています。

それが〈美術は分からない〉ということになる。

二つの芸術祭はそうではなく、

美術の多様性を社会にいかし、過激さではなく楽しさを伝えたい」



「一カ所で展示すれば効率はいいが、

集中と効率という都市の価値観と正反対である点が、

この芸術祭では重要なんです」



「アートは赤ちゃんのような存在だと思うんです。

橋や道路のように役に立たない。

制作や維持に手間もかかります。

皆で心配し、家族や近所で協力して育てる中で関わった人がつながってゆくんです」

「新潟県から話があったとき、

現地を見て、高齢化や雪といったことより、

農業などができなくなることで誇りを失うことが人々にとって最大の問題だと感じました。

美術を通じ地域の人に誇りを取り戻してもらうことはできないか。

そう思って、叩かれても続けてきました」



「効率化で捨てられる棚田、増える空き家、織物産業の崩壊など

海外の作家にその経緯を話しました。

そこを作品づくりの出発点にしてほしいからです」



「芸大時代、のめり込んだのは仏像美術の研究です。

仏像は伽藍、つまり寺という建物の中にある。

伽藍という空間と仏像は一体なんです。

さらに寺には寺にふさわしい立地があり、そうした場所を選んで建てている。

美術展での土地や空間と作品は一体のものであり、

場の力が美術を支えるという感覚は、

後になって越後妻有などの

棚田や廃校を舞台に美術展を開く活動につながっていると感じています。」











享年70 友人・星野仙一が逝ったのを知った星野の友人は

2018年1月6日(土)

星野仙一が亡くなった。
享年70。

星野と同級、同年齢で、
明大受験で一緒に上京したという人を知っている。
星野と同じく倉敷の人だ。

星野はプロ野球の人気者、
それも長嶋、王に次ぐような人気者だったので、
その知人は、友人としての星野に、
それなりの思い入れもあった。
離れてはいても、
生涯の付き合いだったようだ。

星野は昨年12月、
野球殿堂入りしてのパーティを開いている。
写真で見る限り元気そうだ。
まさか、と、
その知人も、突然の訃報に驚いていることだろう。

個人的には、星野が楽天を日本一に導いたし、
副会長でもあるので、
仙台が故郷の僕には、
現役時代よりも、一層身近に感じていた次第。

70歳というと団塊の世代ということか。
僕の少し先輩にあたる世代だ。
かつてならわかるけれど、
今の70歳ならまだ若い。
いや、まだ早い。早すぎる。

でも自分を顧みれば、僕は去年、
いや年が明けたから一昨年になるが、
秋に兄を亡くしている。
71歳だった。
早いよ、と、亡骸に声をかけた。

ただ兄は難病にあり、亡くなる二か月前に会ったとき、
骨と皮だけの姿に痩せ衰えていて愕然とし、
長くはないことを悟った次第。

人生100年時代が一方で叫ばれていても、
やはり70歳という年齢は、
まちがいなく老齢で、
何らかの病とのせめぎ合いを
重い軽いはあっても、
抱えているものかもしれない。

個人差はあれども、60歳を過ぎると
それなりに肉体には何らかの衰えや変化が訪れ、
病との距離が短くなり、
うわべは元気そうでも
病と同居しつつやり過ごしているというところだろうか。

我が身のこの1、2年の急激な肉体の変化に驚きつつ、
そんなことを思った次第。

70歳前後での彼岸への旅立ちは、
今という時代、
早くもあり、早くもない、ということか。
合掌。








田舎とお歳暮――お返しのお返しのお返し

2017年12月14日(木)

田舎の嫂からお歳暮へのお礼の電話が入る。

母が生きていた当時同様、
今でも新米だ、リンゴだ、イチゴだとあれこれ田舎から送ってくれる。

実家は農家ではないけど、
地元で実る農産物を、母は贈ってくれていた。
それをそのまま引き継いでくれている。

そして嫂はこれから、
お歳暮を持参して親戚に車で出向くとのこと。

田舎だから周辺には親戚の数はそれなりにあるけど、
親戚同士のお歳暮はもう数を絞ってのやり取りになっているとのこと。

儀礼でしかないからと、お互い了解の上で
お歳暮などの「贈り、贈られ」は取りやめにしたところもあるよ、とも。

これって、言葉にはしなかったが、
親から受け継いだ子の第二世代ではあれど
シニアという年齢になっての相応の判断らしい。

それとは異なるが、田舎での日常の隣近所の付き合いシーンを、
作家柳美里のツイッターで懐かしく思い出した。――そういえばそうだった、と。

彼女は今、福島県浜通りの南相馬在住。

そこで、近所の方からいつもお新香をいただくのでお歳暮を持参したところ、
今度はそのお返しが来て、
この地ではいつも「お返しのお返しのお返しが途切れなく続きます。
次は、何を持って行こうかなぁ。」
とある。

福島の相馬は、僕の田舎とも近くて、
日常の生活感覚が分かるから、
その「お返しのお返しのお返し」云々には、とても納得。








ビジネス志向の若者組織に関わる!

2017年11月22日(水)

知人が関与している
ビジネス志向の若者組織の法人化が決まった。

もっとも大学生が軸になる組織なので
合同会社名義での法人化。

〈アドバイザー〉として一枚噛んでほしいとのこと。

応援している立場として承諾。

若者たちとの新たな動きが始まることになりそう。









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