水彩8・道子のつれづれ日記

中国、タジキスタン、ロシアでの10年間の日本語教師を終了して早10年。 習志野、八王子から 多摩センターに終の棲家のつもりで引っ越してきました。ほどよい都会的雰囲気と美しい緑にかこまれ住みやすいところです。 ここから新しい生活情報を発信していきたいと思います。

水彩8ソフトを使って パソコン画を描いて15年、ささやかながら多摩市駅前でパソコン水彩画教室を開いています。実は最近パソコン画を描くのはお休み、若い頃にもどって紙に描く水彩画中心の生活を送っています。 夫は散歩1万歩を心がけ、書や詩作をやり、少数の若い人、シニアの方に個人的に書を教える生活です。ささやかな年金生活をしながら、夫婦それぞれにやりたいことや目的があって、人生で一番幸せな時だと思っています。その日々の暮らしをお伝えします。 2018年5月には 金婚式 喜寿祝いの 書画二人展を国立でやる予定です

パソコン水彩画同好会道展のご案内

多摩市で2回目の パソコン画のて展覧会を開催します。
お近くの方のご来場をお待ちしています。

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会員は60代70代 最高年齢は83才です。幾つになっても日々進歩していくことは皆の喜びです。だんだんオリジナル作品ができるようになりました。
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会員Mさんの作品
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水彩8作品

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たままち交流館教室
 
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tianduan/tamamati.html

道子の作った水彩8のテキスト 
http://yatumichiko.web.fc2.com/michikotekisuto.html

ネットで学ぶパソコン画通信教室
http://yatumichiko.web.fc2.com/tuusinnkyousitu22.html

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2018 都立五日市高校同期会

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東京都の一番西に五日市という街があります。
この町は甲州へ抜ける古道「五日市街道」が通り、昔は宿場があり市が立ち、古い老舗も多く栄えた街でした。
有名な「五日市憲法」を生んだ地でもあります。
そこに都立五日市高校があります。創立70年になる古い高等学校です。

私たちの新婚生活はこの五日市高校の教職員住宅から始まりました。
東京とはいえ、あまりに奥まった地なので 私はすこしがっかりしたものでしたが、美しい秋川と四季を告げる山々、そして人情、に癒され 30年以上住みました。
今も学生、教師陣はとても仲が良く、時々会うこともあります。

2月の10日、同期会がありました。その日の学生達と克敏は12才しか違わず、その頃は克敏は30代の元気な青年教師でした。今回は妻も私にも声をかけていただいたので二人揃って参加してきました。

この学生たちが学んだ45年前は都立立川高校から西にある都立高校は五日市高校だけでした。
現在は八王子高はじめ たくさんの都立校が開校しています。
その頃は立川高に滑った子も入学してきて、結構優秀な学生さんが学んでいました。
東からは電車五日市線で、西は檜原村からバスでと遠距離通学の学生も多かったようです。

その日の宴会場は 立川北口近くの 中華料理店「福心楼」。オーナーが同期会のメンバーです。
30名以上の学生に、教師3人と私も参加です。
学生たちは最近定年した人、退職まじかの人が多く、第2の人生を模索している最中に見受けられた。
1人1人、からそれぞれの近況報告がありましたが、「よく頑張たねー」と褒めてあげたいスピーチばかりでした。
男も女も、真面目に定年まで働きき続けた人が多く感心しました。

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料理も豪華で美味しくボリューム満点。後スープや粽や盛りだくさんでしたが、写真を撮るのを忘れました。
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最後は五日市高校校歌の大合唱で盛り上がりました。
五日市高校時代克敏は学生、そしていい同僚や校長に恵まれ幸せな教員生活だったと思います。

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体育の先生の指揮で校歌 合唱  
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楽しい会 でした。ごちそうになり皆さんありがとうございました。

2016 檜原村 人里市   http://blog.livedoor.jp/suisaim/archives/52041165.html
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五日市の祭り https://plaza.rakuten.co.jp/pasokonnga/diary/201104200000/
五日市の頃  https://plaza.rakuten.co.jp/pasokonnga/diary/201005260000/
私働きます  https://plaza.rakuten.co.jp/pasokonnga/diary/201007120000/

道子と克敏のギャラリー

春節のお客さん ヤンヤン一家

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15年前に厦門大学で知り合った中国人ヤンヤン君の家族が お父さんの春節休みを利用して何年ぶりかで来日されました。
長男ヤンヤンくんは今、日本の外資系会社の東京勤務ですから、久しぶりに息子の成長ぶりを見れてうれしかったことでしょう。
私たちはヤンヤンくんとは時々会っていますが、御家族と会うのは7,8年ぶりです。

初めてこの家族に会ったのは二人の子供さんが小学生と保育園の時でしたから早15年のつきあいです。
妹のHちゃんはもう大学生 早いものです。
ご両親は私たち夫婦に
「日本のおじいちゃん、おばあちゃんのおかげで、ヤンヤンは日本語を忘れずに、レベルを落とさず、ここまでこれて本当に、ありがとうございました」とお礼を言っていただきました。
私たちは大したことは何もしていません。たまにくる日本語のメールに返事を書くぐらいでした。
妹のMちゃんもう大学1年生、二人とも学部は理科系です。日本語学科ではないのですか本当にたいしたものです。Mちゃんも今「漫画」やドラマなどで日本語を見、聞き、勉強中とのこと。 日常会話はどうにかできます。
頭がいいんだと思います。
二人とも立派に育って ご夫婦の素晴らしい子育てぶりに感嘆します。
とうてい私らにはできなことです。
横浜に宿をとっておられるとかで 我が家では一時間ぐらいの団欒でしたが 嬉しい再会でした。
昨日は広島、宮島にいってきたとか、明日からは東京見物でしょうか。

わたしたちは 情のある誠実な 素晴らしい中国人家族に巡り合えて、長いお付き合いができて本当に幸せだったと思っています。
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2016年 ヤンヤン君との再会 http://blog.livedoor.jp/suisaim/archives/52033249.html

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道子とKのギャラリー

ありがとう!ありがとう!

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羽生さん 宇野さん 本当におめでとうございます。
ありがとうございました。
今日は TVにくぎ付けで何もできなかった・・・  嬉しい日でした。
道子とKのギャラリー

私と鶯温泉 その2

人吉はの銭湯は全て温泉である。全てかけ流しである。
それぞれが源泉をもっているから湯の質がそれぞれ違い、人吉市街には、日帰り入浴できる旅館の湯、共同湯など合わせて27もあるというから人吉は「銭湯の聖地」なのだ。

紺屋町には「鶯温泉」がある。
ここは私の親戚であり、私が少女時代を過ごした場所でもある。

満州引揚げで戦争未亡人になった母は 戦死した父の故郷人吉で子供を育てることを決心をした。
亡き父が「人吉は美しい球磨川のある城下町。子供は人吉で育ててほしい]
と言い残して出征したからである。
しかし人吉に帰っても、紺屋町で材木商であった父の実家は没落してなんの援助もうけられない。
その実家の真ん前で鶯温泉(銭湯)を開業していた母方の叔母(母の岐阜の実家の父の妹)一家を頼ることとなる。
叔父の厚意で母はこの鶯温泉の番台で働かせてもらい、行商をし、私と弟は昼間の脱衣室の掃除をして小遣いをもらい、なんとか生きていくことができたのである。
遺族年金が整うのは 戦後何年もしてからである。

母は女学校時代、胸の病気の療養のため、南国小林の叔父、叔母の家に2年間あづけられ女学校に通ってる。従妹たちとは家族のように暮らしているので、叔父一家は母を娘のように思ってくれたのだろう。

しかし自分がその年になってみて、 困った親戚の母子4人を温泉があったとはいえ 援助できるだろうかと、改めてその情けに感謝する。そして 私の母には愛してもらえるだけの 人間の魅力があったのではないかと今になって思う。

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この「鶯温泉」は創業85年、叔母の夫が掘り当てた温泉である。
実は母も温泉の家族も岐阜県の出であるが。叔父は宮崎県の小林中学で英語教師をしていた。
山師的気性の人で、中学教師時代に 人吉に温泉が出るらしいとの情報を聞き、一山あてようと給料をほとんどつぎ込み、借金を重ねて 温泉を掘ったのである。
そして苦節何年か知らないけれど運よく温泉を掘り当てることができたのである。。
叔父は窮屈な教師生活を早々に辞め、自由で気ままな人生を送りたいと思ってのカケだったのだろうか。
その賭けが見事当たったのである。温泉掘りの頃の家計の苦しさを叔母の「みほさん」はよく話してくれたものである。

叔父はなかなかのインテリでありながら夏は、ふんどし一つ暮らし、そとの畑にもふんどしで行くといった一風変りもので奇人で有名だったという。銭湯の業務はほとんどやらず、家族まかせ。
早速、念願の釣り船舟を買い、鮎の網打ち三昧の生活をはじめた。船に焼酎を持ち込んで鮎を獲りをするので家族の心配のもとだった。
しかし、球磨川の盆花火は叔父が船を出してくれ、家族で最高の花火見物をしたのも懐かしい思い出である。

もう一つの道楽は鶯を飼うこと。天井からぶら下がる いくつもの鳥篭。緑色の練り餌を作るすり鉢群、そして棚には膨大な書籍と蓄音機の情景が今も目に浮かぶ。その頃、蓄音機で「エジソン」の本当の声を聴かせてもらった記憶がある。分厚い講談本をもずらりとあり、兄たちは借りて夢中で読んでいた。

昔から鶯の糞と美肌の関係は知られていたらしく、それからヒントを得て鶯を飼ったわけではないとは思うのだけれど。温泉の名は「うぐいす温泉」とついた。
家庭では大変なワンマン親父だったし、鮎網の修理は二人の息子のまかせであった。しかし優しく情にもろいところもある典型的な明治男だった。
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南方熊楠像・・・・・・私の頭のなかでは叔父はこの南方氏そっくりの人。
この叔父は アユの夜釣りで船中で脳卒中で倒れ 下流のさつまぜ橋まで流され帰らぬ人となった。みな本望だったろうと話していた。私が1年生のころだっただろうか。

私の母はその後、この鶯温泉の手伝いから 卒業して、奮起して化粧品セールスの仕事で生計をたてはじめた。やがてその仕事は成功し支店事務所も構えた。そして 3人の子を大学まで出した。
その頃温泉は2代目になっていたが、月末決算の金のたて替えなど助けてくれていたのを覚えている。

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2代目になって新築。その時代にしては洋式キッチンのあるモダンな設計の大きな家だった。
私たち一家も写っている。


あとを継いだ二代目は長男であるし、家族のため仕方なく父の跡を継いだふしがある。
大学を出ているから他の仕事をしたかったかもしれない。番台にはもったいないハンサムな人だった。しかし40年、コツコツと誠実に温泉稼業をこなし二代目を全うした。
晩年「この温泉のおかげで何人も大学に出すことができた」と言っていた。私たちもその恩恵をうけているのだと思う。。

しかし、だんだん自宅に風呂が普及してくるとお客は減るばかり、

今でも湯質の良さを求めて来る鶯温泉ファンもあり、ぼちぼちと営業は続けられてきた。

人吉 うぐいす温泉

http://www.kumagary.com/onsen/kumamoto/hitoyosi_uguisu.html

今の浴槽は20年前の改築だが、改築以前の温泉の湯殿は明るく素敵だった。
中庭で美しいつつじの花が咲くころは本当に素晴らしいながめだった。
冬の木漏れ日がゆらゆら影をおとす美しく浴槽が大好きだったが、改修後はその風情もなくなってしまった。

 2代目の長男も83歳で亡くなり、今では、その妻が一人で細々と続けている。もう彼女も93歳。
だが長年のお客さんがいるから 簡単にはやめられないらしい。
客が一日あたり十数人という日もあり、電気や水道の維持費も出ない状態。
体力もなくなった最近では奇数日だけ、それも午前中だけの営業という。

三代目の子どもたちは、みな都会に出てそれぞれの仕事を持ち、温泉を継ぐ気持ちはないようだ。
彼女は、「まあ、私が動けるうちはこのままやるしかない・・」なんて、けなげだが・・・・

私と鶯温泉1 http://blog.livedoor.jp/suisaim/archives/51300955.html 

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道子とKのギャラリー

 私と鶯温泉 1

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 最近は全国の レトロな温泉を訪ね歩く温泉マニアが多くなったとか.
私に縁のある熊本県人吉の「鶯温泉」もネットに出ているらしいと聞いたので検索してみると出てる出てる。
創業85年で廃業寸前の「鶯温泉」もけっこう人気のようである。
カウントが10000にもなる ページもある。
鶯温泉 http://iousen.pro.tok2.com/hitoyoshi-uguisu.html

現在は2代目の奥さん(私の父方の従姉)93才が 1人暮らしをしながら ささやかな営業を続けている。奇数日の午前中だけの週3日営業である。
彼女の子供たちも、母にやめるよう言っているらしいが、仕事は彼女の生活のリズムであり元気の元でもあるので今のところ、見守ることにしているらしい。
掃除などは人に頼んでいるのでその経費がかかり、営業は赤字とか。
それでも 朝ぶろの常連が楽しみにしているのでやめるわけにはいかないらしい。
93才でこの気概 頭が下がる。

この秋は 人吉高校の最後の同窓会があるので私と克敏そろって 彼女に会って、うぐいす温泉にも入ってくるつもり。それまで生きいてねと祈る思いである。

実は先日、孫からのラインで 熊本単身赴任の父親を訪ね 父子二人で 人吉温泉に行って 彼女にも会ってきてくれたらしい。
「会いに行ってくれてれてありがとう、ありがとう」と孫に感謝。
93才の彼女の元気な姿にほっとしたことである。

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私と鶯温泉 2 http://blog.livedoor.jp/suisaim/archives/52080755.html
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動画 うぐいす良く鳴く   https://www.youtube.com/watch?v=FhXfQrKvokU                                  

2013 民さんの米寿祝い http://blog.livedoor.jp/suisaim/archives/51917788.html
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横浜デート5 中華街は春節ムード

中華街は春節ムードでにぎわっていました。
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関帝廟のお犬様
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人間にとって子供と大金を得ることが 一番の願いなのかな。
それにしても、左側の狛犬の顔、赤ちゃんも母親もすごい迫力があって圧倒されました。でもなんか可愛い。
右の狛犬はお金をがっちりつかんで離さない覚悟のようです。中国の狛犬は元気げんき!

最後に中華街で遅い昼食をとりました。高いコース料理は食べず中国粥にしました。
以前テレビ放送され、有名になり行列のできたお店らしいですが、今日は表で5分並んだら中にはいれました。
エビ入り御粥が とても美味しかった。
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中華街を散策しながらお互いの思う人?にお土産を買って、石川町まで歩いて 息子と別れました。
息子は今回は多摩の実家には帰らず都心の安ホテルに泊まって、明日東京で友達と合流し、夕方新幹線で愛知に帰るとか。今回は楽しいデートでした。サンキュー!!
今日は2万歩も歩いていました。
Sのイラスト http://yatumichiko.web.fc2.com/sirasuto.html
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横浜デート4  企画展 銭湯と横浜


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次は横浜市歴史博物館企展「銭湯と横浜」を見に行きました。
市が銭湯を企画するなんて面白い。
温泉を開業したり、 その労働に就く人は石川県の人が多かったそうで、大金持ちになった人も多くいたとか。財を成した人は横浜に寄付したり、公共施設を作ったりしたそうです。
これも息子が コースに入れておいてくれました。彼は昭和時代が大好きでマニアです。
内容が面白くて資料の本まで買っちゃった。

横浜は安政6年の開港以来、干拓地の上に新しい町ができ、港の労働者も多かったことから、銭湯が次々に開業されました。
昭和40年のピーク時には320軒もの銭湯があったそうです。人口も300万を越しています。
銭湯は庶民の衛生の為だけでなく、療養や娯楽のためにも発展していきました。
が家庭風呂の普及などからだんだんすたれていき、現在は70軒近くになってしまったそうです。
しかし、今も富士山のペンキ絵の残る銭湯などは懐かしさを求める客に愛され、また災害時には入浴機械を与えてくれる施設としても市民に貢献しているそうです。

私は幼い頃、温泉の町熊本県人吉市で、銭湯をやっている親戚にお世話になった経験があるので、銭湯には深い思い入れがあります。

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銭湯と横浜 https://twitter.com/1010toyokohama

横浜開港資料館 http://www.kaikou.city.yokohama.jp/
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息子のデートの最後に 横浜中華街のど真ん中にある 恵比寿温泉に入ってきました。
シャンプーも石鹸もなしの昔ながらの銭湯。
清潔で湯の量も多く いい感じで疲れも取れましした。
流石横浜の銭湯、 番台のおばさんがすごくおしゃれでした。髪もカラーでした。
私はその日髪を洗ったので 首にタオルをまいたまま街に出ました。
そのまま忘れて巻きっぱなだったようで、あとで写真を見て大笑いでした。
 それにしても今日は本当に面白いデートでした。
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横浜デート3 氷川丸見学その2

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船からの眺め
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氷川丸の名物献立 ドライカレー、その時代はおしゃれな料理だったらしい。
1930年の就航以来 氷川丸の食堂で多くの人を魅了した伝統の味。
お土産に買ってみた。今夜は克敏と食べてみようかな。二人前860円。
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道子とKのギャラリー

横浜デート3 氷川丸見学その1



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リニューアル後
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日本郵船が1930年にシアトル航路用に建造した豪華貨客船。
戦時中は海軍特別病院船として活躍。
戦後貨客船に戻り、1953年にシアトル航路に復帰。
太平洋横断254回、延べ2万5千人余を運ぶ。
1960年に引退後、山下公園の前に係留保存され多くの人に親しまれる。
2008年、「日本郵船氷川丸」としてリニュ−アルオープン。
2016年重要文化財に指定。
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私はリニューアルしてからは初めてなので、中も見学することに。混雑もなくゆっくり豪華船乗船気分を味わうことができた。 アガサクリスティーやタイタニック号をかいま観る感じ。世の中にはお金持ちがいるもんだ。
1930年代 これだけの船を創ったとは 日本もたいしたものだと見直す気持ちも沸いてくる。
現在は金持ちのシニアさん達が 豪華客船で海外にでかけるけれど、氷川丸の時代と ステイタス度や品格が全然違う気がする。 チャップリンや皇族さまも利用されたとか・・

この時代私だったら、3等でいいから 若い夢をいだいてシアトルまで行ってみたかったな。
1等室は、シングルとダブルがあり、リビングとの2室からなる。
3等室は4人部屋。1・2等フロアには出入り禁止。3等の食事は和食でめざしや味噌汁だったそうな。
長い航海中 上の客と仲良くなり ごちそうを食べるチャンスもあったとか。
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一等室は ベッドルームと居間の二部屋
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3等室は4人部屋
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1等食堂など
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豪華な装飾
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ピアノもある くつろぎの場
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続く・・・


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