水彩8・道子のつれづれ日記

多摩センターを終の棲家のつもりで引っ越してきました。ほどよい都会的雰囲気と美しい緑にかこまれ住みやすいところです。 ここから新しい生活情報を発信していきたいと思います。

パソコン画を描いて20年、現在ささやかながら多摩市駅前でパソコン水彩画教室を開いています。実は最近は水彩画中心の生活を送っています。 夫は散歩1万歩を心がけ、書や詩作をやり、少数の若い人、シニアの方に個人的に書を教える生活です。ささやかな年金生活をしながら、夫婦それぞれ目的があって精進する日々、人生で一番幸せな時だと思っています。日々の暮らしをお伝えします。 2018年5月には 金婚式 喜寿祝いの 書画二人展を国立でやり、おかげさなで盛況でした。

2012年03月

消費増税法案

毎日毎日 消費税のことでもめていますが法案は通るのでしょうか。

私はこの法案は可決するべきだと思っています。

野田総理の熱意を組んで、一致団結し、少しでも早く可決しないと

、将来必ず後悔すると思います。

増税反対派は「マニフェスト」に違反する、党の存続を危ぶむ、

派閥争いの思惑、などもからみ反対しているようですが、もうそういう時期ではないと思います。

長い自民党政権時代に、身の丈以上のお金を国民全体で使って

、22兆円もの借金をつくり、その利子で首が回らなくなってきている現在です。

高齢者社会、少子化、経済の停滞で税の収入は減る一方、現状の福祉サービスの維持が不可能になる、

そして今度の大災害の復興に大きな財源が必要であれば、増税は仕方ないことでしょう。。

「負担が増えては困る」という国民も多いですが、長い間予算以上の生活を国民が享受してきたのです。

そのツケを返していくのは当然でしょう。

自民党時代の国庫予算組み立てがまずく、無駄な使い方が多かったとしても、国民自身も乗ってきたのです。

法案反対派の小沢さんは、消費税を上げなくても、無駄を省けば、

まだ大丈夫などと言っていますが、それは楽観すぎるのではないでしょうか。

彼は民主党が政権をとる時に、

「増税はしない」「官僚政治を変えていく」と国民に約束をしたのだから、

民主党はその約束を果たすべきだといいます。

彼の言い分は正論は正論です。

小沢さんは「自分にまかせてくれれば財政の無駄を省き、官僚まかせ政治を打破し

無駄を省き、整理し、増税しなくとも15兆円ぐらいは捻出できる」と胸をはっていいます。

しかし15億円捻出の確実性は薄いし、それに時間もかかることでしょう。

小沢さんの田中角栄さんに似た剛腕で、お金の匂いのする生き方は、

時代遅れで、現在の世論が推さなくなってきていると思います。

昔は政治家は少しぐらい灰色でも「政治を立派にやってくれればいい」という

鷹揚な考えが国民にありましたが。

今は清潔な政治が一番だと「重箱の隅をつつくような」、PTAのおばさん感覚の

潔癖至上主義がまかりどうっていて、いいのか悪いのか。

小沢さんにはもっと早い時期、油ののり切った時期に、腕を振るわせてみたかったと、今も私も思います。

私は今は、マニフェクト違反でも、どの政党でもいいから、

現実を踏まえて、国益のためになる確かなかじ取りをやってもらいたのです。

「場合によっては、自分の意見を変えられる政治家」も必要です。

ドイツのメルケル首相の脱原発宣言の勇気には頭が下がります。

彼女は科学者で原発の推進に長年携わってきた方だそうです。


野田首相は真面目で必死です。彼の決断が実り、法案が通ることを私は願います。

これをやらなければ「ギリシャ」のように国の破産がやってきます。

他の国に迷惑をかけ、援助してもらい、借金もチャラにしてもらうなんて恥ずかしいことですよね。

外国で高福祉を約束された国は納税も高く課せられ、消費税20パーセントの国もあるとか。

その代り国民はその予算分配には厳しくチエックの声を出すそうです。

消費税は買い物を多くするお金持ちがたくさん負担し、

お金使わない層は少ししか払わなくていいという公平な税です。

私みたいに、ささやかな年金暮らし、買いたいもの欲しいものもあまりない世帯は

少しの負担ですみます。私が賛成派なのはそのせいかもしれません。

一方、増税で購買力が落ちることも心配ではありますが・

それにしても、部屋で餓死する老人、仕事のないホームレスの若者、

正社員の口がなく結婚もできない若者の増える最近。これでは人口は増えません。

そして大きな資産をもち、豪華マンションに住み、高価な海外旅行に毎月飛びまわる

富裕層の高齢老人たちがワンサといる日本です。

資産持ち老人には年金は支給しなくていいとさえ思いますがどうでしょうか?

その資産は本人の努力もあるでしょうが、一搬国民から搾取したお金でもあるのですから。

日本は資本主義国家だが、国民生活は共産主義だといわれた時代は終わったのでしょうか。

政治家は消費税と並行して、格差の是正、経済の復興発展、無駄予算の廃止、官僚政治の改良、

そして外交にも力を入れ、日本の再建に頑張ってもらいたいものです。

ところで「大阪維新の会」はどう思われますか。

彼のやり方は独裁政治になる予感がしてちょっとコワイ気がします。

いい大人が橋下塾に2000人も集まったとか。

国会議員になれるチャンスを求めてなのでしょうか。

橋下氏の自信満々ぶりはどうも好きになれません。

私は世の中にフイバー旋風を起こしている「時の人」に対しては、

「待てよ」と冷静に眺め、それに近づかないことにしています。

流行の文化、流行の食べ物、脚光を浴びている時のスターや芸術家に対しては、

胡散臭さを感じるように自分にしむけて、近づかないことにしています。

昨日の新聞に「郵政民営化の見直し」の記事が大きく載っていましたが、

数年前の「あの小泉フィバー」は一体なんだったのでしょう。

・・・・・・

久しぶりにまじめなことを長々と書いたら疲れました。

家族にネットに書く時は「内容に充分用心して!」と注意されています。

しかし、私は私自身のブログですから、私の本音を、

それも潔く本名で書くことにしています。

名を隠して書いた文章は、本当の説得力はないと私は思います。

世の中にはいろいろな考えがあるからこそ面白いのだと思います。

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夫の書斎の北窓から見える梅の花

陣馬街道沿いの町の屋根屋根が見えます

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・道子のパソコン水彩画三昧

お墓参り

お彼岸の3月20日、見事に晴れわたり暖かい日になりました。

朝、夫が「たまには墓参りにいこうか」と声がかかり、直ぐ車に乗りました。

夫の号令がかかると、いつも20分以内に車に乗らなければなりません。

私たちは、行事や習わしをかたく考えない性質で、

気分の向いた時に墓参りも実行しています。

お彼岸の中日に墓参りしたのは久しぶりです。

お彼岸は霊園への道路は猛烈な車の渋滞なのですが、朝9時前にでたのがよかった。

40分で西多摩霊園につきました。。

この広大な霊園は明るくて四季折々の花が咲き、手入れもいきとどいていて

私たちは気に入っています。ハイキング気分で行ける霊園です。

今年の梅は遅く2分咲きといったところ。

ここには私と主人の両家の墓が並んで眠っています。私の強引?な発案で弟と続き地を一緒に求めたのがよかった。

夫は長男なので、田舎の墓を整理してこちらに移しました。義母の育ての親たちも、眠っています。

いろんな人が同居しているので「風」と墓標に書きました。

この墓には「早い者勝ち」でだれでも入居していいことにしています。

墓につくと、もう新しいお花が供えてありました。

前日兄か弟かが来てくれたのでしょう。お花も両方の墓に備えてありました。

「来てくれてよかったね。おかあさん!」と声をかけ 我が家の005家族の近況を伝えて、お参りしました。

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このお墓の字は夫が書きました。周りと見比べても、なかなかこんな風格のあるいい字のお墓はありません。 

私が夫に「あなたの死後、何年も残る書は このお墓の字だけね」というと

夫も「そうだそうだ。ほかにも3度ほど墓の字を頼まれて書いたのがあるよ」と苦笑していました。

お墓の字、ご注文承りわりますよ。002””

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お墓詣りの後はいつも清々しい気分になって帰ってきます。

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道子のパソコン水彩画三昧

                         

3月は別れの季節2・コシンベックくん

タジキスタン留学生のコシンベク君が3月9日帰国しました。

昨年の9月に来て6か月の日本の生活でした。

日本に来ることが夢でしたから、素晴らしい6か月だったようです。

彼の日本語も格段の上達を示し、担任の先生からも褒められたようです。

彼は6ケ月懸命に勉強しました。

お別れの宴は夫が立川の焼肉屋牛角を予約してくれました。

コシンベック君は豚肉はだめなので牛肉食べ放題コースを頼み充分食べることができたと思います。

牛角!2たっぷり食べて大満足のようでした。

 

 

 

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彼はこの6か月、「私たちに本当にお世話になりました」とお礼を言いました。

私たちにとってもコシンベックとの再会はうれしいものでした。

友人の伊藤さんもお別れ会に参加してくださいました。伊藤さんは彼の3歳の息子さんにピューマの靴を買ってくださいました。

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彼はうれしそうでした。

大震災の影響で予算が減らされ、今年から国際交流基金・日本語センターからの研修生のお手当が例年の半額になったそうです。

研修生はお土産もあまり買えない状態のようでした。

日本は大災害を受けた上、経済状態も非常に悪いので、仕方ないことだともおもいますが・・

でも日本に来れただけで本当にラッキーでした。

タジキスタンから来た私たちの人は

シェラーリ、ジャホンギル、マッフィラッド、ヤヒヨ、コシンベク、それにルスタム先生の6人です。

「タジク人学生はもうコシンベックくんでお終いよね」というと

「いえ、まだまだ来ますよ」とのこと。

一度日本に来るとその魅力は忘れられないらしく、学生たちは再度の来日を狙っているようです。あらゆる手をつくして 日本に再入国したい様子。

シェラリーは筑波大学の院生の国費留学が決まったそうです。

3か月ビザで再来日しているヤヒヨはタジキスタン大使館で週3日のアルバイトが口が見つかり

日本語学校で漢字の習得に励むことに決まったようです。

私たちもまだまだタジク人学生から解放してもらえそうにありません。

道子のパソコン水彩画三昧

タジキスタン言語大学

http://www5e.biglobe.ne.jp/~tianduan/genngodaigaku.htm

 

 

 

一周年

東日本大震災から一周年、いまだ復興が進まず、本当に残念です。

例年よりも雪多く春の遅い災害地の方たちがお気の毒でなりません。

私たち老人には時々募金するぐらいで、なにも動けないのが申し訳ない気がします。

思えば去年のこの日3月11日2時にタジクの留学生ヤヒヨ君が成田を発ちました。

 それから46分後にあの大地震があり、彼はイスタンブールでニュースを聞きました。

その後たくさんの外国人や留学生たちも帰国しましたが、また日本に帰ってきています。

そのヤヒヨ君もまた再来日しています。

彼らにとって日本は実にすばらしい国のようです。

あれから一年本当に早いものです。

あの日から何の進展もないという被災者の方々の声を聴くと、心がふさぎます。

さまざまの意見が寄せられる中、より良い復興ができる日をお祈りするのみです。

春よ来い来い!

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道子のパソコン水彩画三昧

3月は別れの季節1・呂くん

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(伊藤女史のワード作品)

 

 

桜の前の3月はお別れの季節でもあります。

4月になれば満開の日本の桜を見せてやれるのにといつも残念に思います。

北京外国学院時代(12年前の私の初めての教え子)呂君は

北京の日本企業のキャノンに勤めていて、

一年間の研修で日本に来ていましたが3月5日に帰国しました。

彼は、会社や友人など、多くの日本人の厚い友情に感謝して、

素晴らしい一年でしたといって、何度もお礼を言って帰国しました。

仕事も日本人のこと、たくさんのことを勉強し一年間の収穫は大きかったようです。

彼は政治にも関心が深く、現在の政治のあり方を嘆いていました。

この一年の間ににマレーシア勤務の新妻を夏休みに呼び、北海道を車で一週間旅行しました。

奥さんから、帰国後、北海道ベビーができたと連絡あり,

「日本の記念」と呂君は 大喜びです。

夏には彼もお父さんです。男の子とわかっているそうです。

暮れから正月にかけて 雲南省のご両親も日本に来られ、親子3人で西日本一周の10日間レンタカー旅行もしました。

ご両親も大喜びで彼は親孝行しました。

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銀座の書展で

ご両親と

 

 

 

 

彼のバイタリテイーと行動力は大したものです。

彼に会うたびにいまどき珍しい好青年だという思いが強く残りました。

最後に、いつも紹介している、呂君のペンフレンドの伊藤さんが、お別れ記念バ河津桜見学バスツワーに私と呂君を招待してくださいました。

呂くんに日本の桜を見せたかったのです。

今年は寒く、2月26日のその日は河津桜が一分咲きで残念でした。でも3人でおしゃべりが充分にできて、楽しく思い出深い旅行になりました。

昼食はバイキングで、ビールは別料金でした。最初800円出せば飲み放題というので、呂君は自分で800円払いました。

なんとなんと短い時間の間に彼は大ジョッキ9杯も平らげました。充分元をとりました。

焼肉はじめ料理も食べていましたから、いったいどこへ9杯のビールが入ったのでしょう。最近、食の細くなった私たち二人には驚きでした。

若さとはいいものですね。彼は酔いも見せず実に楽しそうでした。

花は残念でしたが月ケ瀬梅林まつりで見た和太鼓の迫力には感動していました。静岡全域から集まった和太鼓組の演奏がありました。

今ごろ、彼は北京に落ちき、仕事も始まったことでしょう。。

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道子のパソコン水彩画三昧

娘のパンダひな

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娘は子育てと仕事の間に 息抜きにやり始めた趣味の切り絵が最近だんだん腕を上げてきました。

中国煎紙ではなく、すべてオリジナルだから・・!! 親ばかながら「うーーん」と 唸っています。

こういうファニー系のデザイン感覚は私には無いものです。

両左側の凝ったデザインになると4時間もかかるそうです。

切り絵をやっているときは、何も考えない時間で、ストレス解消になるそうです。

なかないい作品なので彼女の了解を得て公開してみました。

 

劇団四季のキャッツを見に行き感動して作った作品

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道子のパソコン水彩画三昧

3月の水崎町ひだまり喫茶

hidamari33月はそうそう1日に ひだまり喫茶があったようです。

私 すっかり忘れていて行きませんでした。

講師の方が経験豊かで、話し上手、

とても勉強になった会だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ポスター制作はスタッフの A.Tさん

雛まつり

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35年前、私が作った陶雛 高さ21センチ

 

 

 

今日はひな祭り。

女性にとっては3月3日と、ひな祭り前の2週間ぐらいは、商店街も華やぎ、なにか幸せな女らしい気分になる季節です。

男性にはわからない感覚だと思います。

そして子供時代や子育て時代のひな祭りの光景を懐かしく思い出すのです。

私たちは合理的な考えをするほうで、若い頃は節句や七五三などの折々の行事を見栄に感じる気持ちが強かったと思います。

だから、私たちは子育て中の節句や表示は我が家流のオリジナテイーに勤めて鯉のぼりなどもて手作りでした。

習わしどうり行事をやりたい同居の義母と、いつももめたものです。

長女の初節句は「狭い家には雛段飾りはいらない」という私たちに、義母は「私が買いたいんだから」と強引に7段かざりを買ってきました。

娘を持たなかった義母の夢だったのでしょう。

それから毎年雛段を飾りをました。幼い息子のほうが熱心に飾ったのを思い出します。

義母手作りの赤いおべべを着た長女のしぐさ、幼い日の子供たちの姿、甘酒やお寿司をいそいそとつくる元気だった義母の姿を今、懐かしく思い出します。

この年になって、昔からの習わしや行事、面倒な人間関係が、とても大切なものだったのだと、思えるになりました。

その時々の思い出は宝ものなのです。

私の子供時代の雛は家付きの内裏雛でした。

今はあまり見ませんが昔は宮殿にでんと座っている内裏雛がありました。

それに雪洞や橘などの付属品付きです。

小学校6年のころ、「やっと買えるようになったから」と無理して小さな内裏雛を買ってくれました。

いつも忙しい母にかまってもらえなかった私が、母の愛情を身近に感じた内裏雛です。

雛の日、雪洞の光の中、母手作りの 豆菓子の味を今も思いだします。

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                                       「私の孫たち」

この陶人形も雛と同じころ私が作ったもの。長女が小1ぐらいがったかな。

そのころ故郷に一人住み、めったに孫たちに会えない 母のため私が作ってプレゼントしたものです。

この人形たちは母が亡くなってからわが家に戻ってきました。

左の長女の足が行方不明になったのが残念!

その頃の母の孫は6人でした。それから2人増え孫8人になりました。

そして母のひ孫は現在7人です。

義母の方の孫は7人、ひ孫は5人。それぞれまだ増えることでしょう。

こうして若くして逝った父たちのDNAがひ孫に続くことの不思議さを改めて感じています。

両方の母たちが懸命に私たち兄弟を育ててくれたおかげです。

お雛様の日、いろんな思いにかられました。

道子のパソコン水彩画三昧

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