酔遊記

密かな楽しみ、味わい深い居酒屋をめぐる。

番外編:Bach Festへ

6月13日から20日まで、友人と2人でバッハ音楽祭 Bach Festに行ってきました。
あれから1ヵ月が経ちましたが、なかなか写真の整理がつかず書くのが遅れてしまいました。


さて、Bach Festはドイツのライプツィヒで、毎年6月中旬に開催されています。
今年は8-17日の10日間でした。
その間に161回のコンサートやレクチャーが行われました。
チケットは日本からネットで予約できました。

ヘルシンキ経由でフランクフルトへ。
ドイツは25年ぶりです。

14日と15日には、バッハが誕生から10歳を過ごした町アイゼナハ、少年時代を過ごしたオーアドルフ、オルガニストを務めたアルンシュタット、宮廷楽師長を務めたヴァイマールなどバッハの足跡を訪ね、ライプツィヒには、15日の夕方に入りました。

ライプツィヒは人口55万人で音楽の町として知られていますが、中世にはヨーロッパの交易の中心であり、印刷機の発明以後 長く出版の町でもありました。
ゲバントハウス管弦楽団の本拠地としても知られています。
名立たる音楽家としてはメンデルスゾーン、シューマン、ワグナー、グリークなどが挙げられます。
滝廉太郎はライプツィヒ音楽院で学びました。

ちなみに、15世紀初めの創立というライプツィヒ大学では、ゲーテ、ニーチェ、ベルツ、シューマン、ワグナーをはじめ、森鴎外、朝永振一郎らの日本人も学んでいます。

最初のコンサートは15日の夜。夕食を済ませた後、午後8時からピアノによる平均律クラヴィーア。

16日の昼間は、バッハゆかりの近隣の町、ハレとケーテンを巡りました。
ケーテン時代は宮廷音楽師長の職にあって最ものびのびと作曲した時期で、「ブランデンブルグ協奏曲」や「無伴奏チェロ組曲」などの名曲を残しています。

午後5時からは、バッハゆかりのニコライ教会でオルガンコンサート、午後8時からは同じところで「ブランデンブルグ協奏曲 No.1-3」を聴きました。

17日は日曜日で、朝9時半からバッハが眠るトーマス教会のミサに参加。
カンタータ(BWV 30)を交え90分、大教会のミサというものを初めて完全な形で体験しました。大変興味深い時間でした。

11時半からはオランダの古楽器グループによるバッハほかのバロックコンサート、午後3時からはニコライ教会で昨夜のつづき「ブランデンブルグ協奏曲 No.4-6」を聴きました。

そして午後6時からは、今年の音楽祭のクロージングコンサート、トーマス教会での「ロ短調ミサ曲」。
「ロ短調」は、亡くなる前年の1749年に完成した、バッハの宗教音楽としての集大成といえる大傑作です。
そのときの感動と興奮を少しでもおわけしたいと思い、若干の写真を掲載します。
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(左)トーマス教会の外観とバッハ像、(中)聖壇とバッハの墓、(右)教会のホール。正面にパイプオルガンがあり、その手前に楽廊(聖歌隊席)がある。ミサも、「ロ短調」もここで行われた。

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(左)トーマス教会入り口にあるBach Festのポスター。(中)開演10分くらい前のオケ合わせの様子。1階席の聴衆は楽廊に対して(ミサの時と同じく)背を向けて聴く。(右)105分に及ぶ崇高なコンサートが終わり、合奏団と合唱団に向き直って立ち上がり拍手を贈っているところ。指揮はトーマスカントールのGotthold Schwarz。

18日はマイセンを経てドレスデンへ。
19日の朝、プラハに出てヘルシンキ経由で帰ってきました。


細かいことは書きませんでしたが、どのコンサートもすばらしいものでした。
もちろんお酒も毎日。
でも、ほぼビールと白ワインを1杯ずつくらいで、温和しいものでした。

念願だったバッハゆかりの地を巡り、たくさんのコンサートを聴いた今回の旅は、私の人生で最高の旅になりました。
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                       トーマス教会の正面                                                                  ヴァルトブルグ城                                      

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                                       マイセンの街                                          マイセンの田舎の風景

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                          ドレスデンとエルベ川


                           





No.40 『八幡屋』さん、ありがとう。そしてさようなら。

だいぶ間が空いてしまい申し訳ございません。
今年は思いがけなくも3月中旬から花粉症に悩まされ、しかも桜の開花が早すぎて春の計画が総崩れになりました。
そんな中で、地元熊谷堤(左)と隣町の行田市埼玉古墳(右)に出かけることができました。

熊谷堤古墳公園

もちろん、熊谷堤では友人たちと酒宴、酔いが回って一句。

 寝転びて降り来る桜の薫り吸う

さて、私が東京で一番好きな店といえば、御徒町の『八幡屋』さんです。
その店が3月末をもってのれんを下ろしました。
いつかこういう日が来るとは思っていましたが、なんとも残念というほかありません。

『八幡屋』さんは正確にいうと、居酒屋ではありません。
ふぐと鰻が専門、ということでしょうか。
でも、私は一年を通してこの店の酒肴で飲むのがこの上なく好きでした。
店はアメ横と反対側のガード下より一本昭和通り寄りの路地を秋葉原方向に百メートルほど行ったところにあります。

八幡屋1八幡屋2

私が友人に連れられて初めて訪れたのはもう25年近く前のことになるでしょうか。
『八幡屋』さんがいつ頃創業したのかは知りません。
なぜだか、ご主人とも女将さんとも、お店の歴史や経営について話題にしたことがありませんでした。
そのころはカウンター席の前に「横浜/武蔵屋」のような循環させる真鍮製のお燗器があって、ご主人がその前に立って酒の加減をみていました。
いつの間にかお燗器はなくなりましたが、あの風景がなつかしいですねぇ。

『八幡屋』さんのふぐは、10月の下旬あたりから始まって4月上旬までの間食べることができました。
この写真を見てください。
ふぐちりの身の厚さといったら、他店ではとても味わえません。
八幡屋のふぐ


店に行き始めた頃、ご主人から、
「だめだめそんなに長く鍋に入れてちゃ。10秒からせいぜい15秒、箸でさっと茹でる感じでいいの。」と叱られたのを思い出します。

私はふぐの白子が格別好きです。
ふぐの白子はなかなか貴重で、12月頃には割り当てがきません。
2月頃になると、「今日はありますよ」と女将さんから言ってくれました。
ちり鍋では、口に入れるとツルッととろけるようにして広がります。
白子は最後におじやの上にのせても贅沢に味わえます。
また、とくに白子豆腐は抜群の美味しさでした。
あれがもう味わえないのは残念というしかありません。

『八幡屋』さんのふぐはとにかく安かった。
そのわけは、自社ビルで家賃にあたるものを料金に乗せてないからだということでした。

ふぐの季節が終わると、鰻が供せられます。
甘すぎず辛すぎず、絶妙のタレでした。
最後に鰻重を頼むのですが、売り切れのこともしばしば。

春から秋にかけての鱧しゃぶも楽しみでした。

秋口には松茸です。

しかし、一品料理が実に美味しかった。
刺身、締め鯖、鮎の煮浸し、海鼠、サラダ、鮟肝・・・・・・。
品数は多くはないのですが、季節のものを『八幡屋』さんらしく提供してくれたのです。

ふぐが始まると、店は急に混み始めます。
何時の年だったか、12月の忘年会を3回も『八幡屋』さんでやったことがありました。
近年は忘年会時期には2ヵ月前くらいに予約をしておかないと、とても取れない状況になっていました。

思い出は限りなくあります。
なぜなら、友人、同僚、著者たちなど、実にたくさんの人たちとこの店を訪れて一緒に酒を酌み交わしたからです。

思い出す酒は「酒一筋」という銘柄です。ここ数年は置かれなくなっていましたが、ズッと長い間、ビールのあとにはこの四合瓶をとるのが決まりでした。

なぜいままで『八幡屋』さんのことを書かなかったのかと問われれば、「酔遊記」を辞めるときの最後の記事としてとっておきたかったからです。
ところがおもいがけなく,その時期が早くやってきてしまいました。
あとを継ぐ人がいなかったようです。

『八幡屋』さん、長いこと楽しませてくれてありがとう。

私もこれを最後に、居酒屋と酒にまつわる話に一区切り付けたいと思います。
暇つぶしのように書き連ねてきた駄文にお付き合いくださりありがとうございました。

少し時間をおいて、なにかを始めたいと思っていますが、これも確かなことではありません。
でも、またここでお目にかかれるよう努力する所存です。

なんとも言えず寂しいけれども、とりあえずさようなら。
ブログ静物


No.39 Sun Peace Whisky

下の写真の右側のボトル『Sun Peace WHISKY EXTRA GOLD』、このいかにも気楽そうな名前のウイスキーをご存じでしょうか。

今宮焼酎
左の何となく女性っぽい、可憐な感じのラベルのボトルは、ご存じの方も多いかもしれません。
ホッピーと相性が良いとされ、居酒屋でよく見かける『キンミヤ焼酎』です。
亀甲の中に宮の字、これがトレードマークです。

『キンミヤ焼酎』は三重県四日市市の(株)宮崎本店の製品です。
このボトルは600ml詰めです。4合瓶というのならわかりますが、3.3合とはちょっと変わっていませんか。
なんと、焼酎なのにほかにも200(180ではない)、300、720、900、1,800mlという大きさが揃っているのです。
ちなみに『キンミヤ焼酎 600ml』の上代は、税込み538円と廉価です。

弘化3年(1846年)創業の宮崎本店は、とにかくユニークな醸造元なのです。
右の『Sun Peace Whisky』に戻りますが、これも宮崎本店の製品です。
日本酒の蔵元なのにウイスキーも作っているのです。

やや脳天気かと思えるブランド名ですが、戦後の混乱期に、「太陽の恵み」と「平和への願い」という2つの祈りを込めて発売されたという歴史を持っています。
ここにも宮崎本店らしい、酒に希望を託すような明るさが感じられます。

どうして私がこのウイスキーを飲むことになったのかをちょっとお話しします。
毎週月曜日に酒屋さんが近所の御用聞きに回ってくるのですが、ある日、『キンミヤ焼酎 600ml』を2本注文しました。
1週間も経ってから「取り寄せていたので時間がかかってしまいました」と言って、『Sun Peace Whisky』を2本持ってきたのです。

「キンミヤ焼酎を頼んだのですけれど・・・・・・」と言うと、
「これキンミヤですよ」と言うのです。
「これウイスキーですが・・・・・・」
「あれ、焼酎じゃない!?」
どこでどう間違ったのかわかりませんが、値段も安い。
「せっかくだし、めずらしいものだからそのままいただいておきます」と言って引き取りました。
こんな次第で『Sun Peace Whisky』を知ることになりました。

肝心のお味はといいますと、まずストレートでひとくち飲んだ印象は“甘い”です。
リキュールのようなドロッとした甘ったるさです。
二番目は、スモーキーな臭いとスパイシーな味わいです。
三番目はキレがなく平坦な味です。
結論として、およそウイスキーらしくないけれど、酒としては非常に飲みやすいと思います。

この甘ったるさはどこから来ているのか。
原材料を見ると、モルトとグレーンスピリッツとあります。
グレーンスピリッツとは、weblio辞典によりますと、〔トウモロコシなどの穀類を原料に、酵素剤(麦芽や糖化酵素)を用いて糖化・発酵させ、連続式蒸溜機でアルコール濃度95%以上に蒸留したもの〕ということであります。

熟成5年とありますから、グレーンスピリッツによる甘さが浅いままであるということなのでしょうか。

そういえば、『キンミヤ焼酎』の原材料はサトウキビの糖蜜です。
こちらも少し甘い味と臭いがします。

もちろん日本酒も造っています。ブランド名は『宮の雪』。
創業から170年経った今、宮崎本店の業績は絶好調のようです。

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