酔遊記

密かな楽しみ、味わい深い居酒屋をめぐる。

「酔遊記」再開のご挨拶

最後の記事が2014年12月16日でしたから、実に2年3か月ぶりに「酔遊記」に戻ってきました。
ここにこのように復活できたのは、信じられないくらい嬉しいことです。

“かくも長き不在”の間に、酒にまつわることや体調のことだけでなく、いろいろな出来事がありました。
しかし、簡潔に結果だけを述べれば、円満にリタイアメントを迎えることができ、めでたく無職の身となった次第です。

この状況はずいぶん前から望んでいたことでしたが、いろいろな事情が重なり、実現には待つ時間が必要でした。その結果、七十を過ぎてしまいましたが、一番良い形で仕事から退くことができました。
今は、自分がリタイア後に望んでいた、“残りの人生を生きたいように生きてみたい”と思っています。

古代インドでは人生を、学生期、家住期、林住期、遊行期の4つに分けて考えたそうです。
「林住期」は日本で言う「退職後」にあたるようですが、遊んで暮らせという時期ではなさそうで、じっくり人生の意味を考える時という奥深い意味のようです。

やりたいことはたくさんありますが、その一つがブログを始めることでした。
そのために、「酔遊記」に一区切りを付けて、新しいネームで始めようと考えていました。
が、「酔遊記」という名前を捨てることができませんでした。

そこで、インターメディカルに「酔遊記」を自分のブログとして継続することを申し出、快く承諾していただきました。

ただ、再開するにあたって、毎日自宅にいる身としては、居酒屋のことだけ書くのではおもしろくなく、話題も尽きますので、これからは多少自分の身辺のことや旅や趣味についても記事にするつもりです。
また、記事に写真を入れたことはありませんでしたが、これからは写真や絵を入れてみたいと思っています。
その点では、今までとは趣の違った「酔遊記」になり、ご期待を裏切ることになるかもしれませんがお許しください。

そんなことで、また始めさせていただくことになりましたが、最初から“いつまで続くやら”とは言わずに、できるところまで長く続ける覚悟です。

それでは、今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。

No.20 仙台『源氏』は、やっぱりクラッシックだった

先日、念願が叶って行ってきました。
仙台駅の西口を出てまっすぐに徒歩10分、中央通りを過ぎて最初の路地を左に曲がったあたりに文化横丁という通りがあります。言わずと知れた飲み屋街です。
仙台には定禅寺通りや晩翠通りを含む国分町のような繁華な飲食街がありますが、こちらの方は寂れた昭和の駅前酒場の集まりのような大衆的空気に満ちています。
そこの一角の路地の、またさらに細い路地を入ったところに、居酒屋『源氏』はありました。

5時開店ですが、あいにく30分ほど遅れての到着。
路地を突き当たると、白いライトの中に『源氏』の文字が浮かんでいました。
典型的な縄のれんをくぐって木の引き戸を開けると店内は満員です。でも、ちらっと私に目をくれた女将さんが「こちらへ」と手のひらで入り口近くの端っこの席を指してくれました。


空いているのは、この一席だけ。開店したばかりですから出て行く人がいるわけではないので、待つことにならずにラッキー。

それにしても年季の入った、丸太を縦に切ったようなカウンターと長椅子です。
明かりといえば壁と天井に掛かる行灯の電球色がボーッと照らしているだけで、どちらかといえば昔に返ったような古くさい薄暗い酒場のようです。

片隅には横浜『武蔵』にあるのと同じ曲がりくねった長い管のついた付いた燗付け器があります。天井は船底で低く、現代的といえるようなものは皆無です。
しかし、この空間にはどこか品がある。さりげなく飾られている花や絵がいい。思った通り何ともクラッシック。なかなかやりますねぇ、女将さんのセンスでしょうね。こういうところって落ち着きます。一言で言えば、「しぶい」。

コの字のカウンターの中には着物に割烹着の女将さんひとり、七十くらいでしょうか。

客席は二十くらいですが、これを一人で仕切っているのだから大変です。とにかく動作が止むことがないので、注文するタイミングがむずかしい。

しばらく眺めていると、どうやらほかの人も同じらしい。

ちょうど隣にお通しを運んできたときに、すかさずビールを注文できました。
半紙に墨で書かれた品書きをゆっくりと眺めます。どれもこれも、酒飲みが好きそうな酒肴ばかりです。魚介の刺身に干もの、エビ味噌、ホヤの酢の物、笹かま・・・・途端に、次はお酒だなと思いました。


店の奥にある茶室の躙り口のような障子の向こうが厨房のようですが、料理が出てきたときしか見えません。先にお通しの野菜の炊き合わせが出てきました。これが6種類も野菜が入っていて、お通しとはいえない量です。つい摘まんでしまいます。

と、ほどなく女将さんが注いだ生ビールが届きました。
うまい、泡の細かさが年季を示しています。女将さんは寡黙で、極めて上品です。
おっと、場内もそれに呼応するかのように静かです。三分の一くらいはひとりで来ている人と思われますが、連れのいる人たちも大きな声では話していません。
どうやら、ここはそういう酒場で、来る人たちが雰囲気を作り出しているようにも見えます。東京でいえば、『伊勢藤』や『シンスケ』のようなものでしょうか。

ここまで言えば、どんな店かはだいたい想像がついたことでしょう。

肴にハゼの刺身と漠来を頼みました。ビールの後には高清水の三年もの古酒を燗で2杯追加したのですが、そのたびにお通しがつくのです。2杯目はお新香、3杯目は湯豆腐でした。

ちなみに、お新香を褒めた客がいました。女将さんからは、すかさず「昭和25年から使っている糠床です」と答えが返ってきました。

今の私には3杯は飲み過ぎです。
1時間くらいでほどよい加減。何だかすごく満たされた気持ちで仙台を後にしました。牛タンなんか食べるよりずっとよかった。

  なかなかに 人とあらずは
     酒壺に なりにてしかも 酒に染みなむ
                               ――――大伴旅人

No.19 ご無沙汰しております

長らくのご無沙汰を心よりお詫び申し上げます。

 

最後の掲載が20121126日でしたから、2年近くの空白となってしまいました。

きっと、いつも読んでいただいていた方も、更新されないのでもうやめたのかと思われているかもしれません。

 

中断していた理由のひとつは、昨年6月の健康診断で、膵臓がんの腫瘍マーカーであるCA19-9の値が80mg/dLと異常を示し、10月まで検査が続いていたことです。

「酔遊記」を続けなければいけないと焦りはあったのですが、なんといっても疑われたのが膵臓がんですので、気持ちがついていけませんでした。

 

CA19-9が高値を示すときは末期であることが多い(初期ではあまり反応しない)と知ったときには、「まあ、これで終わりだな。あと半年かな」と思いました。意外と恐ろしさとか、焦りとか、心配とかはなく、「酒を十分過ぎるほどに飲んできたのだから、こういう結果になることもあるだろう。ここまで十分よく生きたし、死ぬことになってもそれほど思い残すことはない。いい人生だった」といった、淡々とした気持ちでした。

 

膵臓がんである場合には、手術も化学療法も選ばず疼痛緩和療法だけを受けることにしようと決めました。できるところまで普段と同じ生活をし、動けなくなったら徐々に衰えていくのに任せ、なるべく自然に死にたいと思ったからです。

 

今回は、この間の経過を少し報告させていただきます。

 

20136月、健康診断でCA19-9の異常値を指摘され、総合病院を受診しました。肝胆膵の超音波検査では所見はありませんでしたが、CT撮影により膵管の膵頭部に辺縁不明瞭な個所があると診断されました。そこで、さらに7月になり、同病院でMRCPを実施。これでも同個所に不明瞭な陰影があり、膵臓がんが疑われる結果になりました。

 

しかし、その総合病院ではそれ以上の検査ができないということで、8月に大学病院のお世話になることになりました。

 

大学病院の専門家による判定も総合病院とほぼ同じものでしたが、その時行った血液検査でCA19-9300mg/dL4倍近くに上昇、「これは何かあるかもしれない」と疑いは強まり、もう一段精細な検査として超音波内視鏡をすることになりました。そのとき、医師から「飲んでいるサプリメントがあればやめてみてください」と言われました。

 

超音波内視鏡検査でも膵臓にはっきりとした病変は見当たりませんでした。CA19-9はほかの臓器のがんでも上昇することがあるというので、頭部・肺のCT、大腸内視鏡検査も行いましたが、何も出ません。

 

9月になり、最後の方法として体内に入れた放射性物質の分布により全身のがんを調べるPETという検査を行うことになり、同時に血液検査も行いました。

 

10月になり、PETの結果を聞くために外来を訪れると、PETでの所見は何もなく、CA19-925mg/dLとまったく正常値に戻っていたのでした。

医師からは「サプリメントをやめたのでしたら、それに反応した可能性が高いですね」と言われました。

 

実は、去年の4月頃から妻の薦めるサプリメントを飲み始めたのですが、膵臓がんが疑われてから、免疫力を高める効果があるというので、量を倍に増やしていたのでした。だから数値が上昇したわけです。

悟ったようなことを言っておきながら、あさましい話です。

 

しかし、医師は疑いを無にしたわけではありません。一応、膵臓がんの疑いは晴れたものの、膵頭部の辺縁不明瞭な陰影は経過観察を要するとのことで、もちろん禁酒令を仰せつかり、半年後に再検査をすることになりました。

 

その頃には、6月から節酒していたものの、禁酒にまでいたっておらず、肝機能も改善していたもので、がんの疑いが薄れて行くに従って飲酒量も復活し、それなりに充実した飲酒生活を送っておりました。

 

そして、今年の3月、再検査が行われ、膵管の辺縁不明陰影は慢性膵炎によるものとの診断がくだされ、肝機能も元に戻って悪化、飲酒がばれてしまいました。慢性膵炎の癌のリスクファクターは普通の人の8倍だそうです。

 

背痛はないものの、ときどき軽度の腹痛、悪心、脂肪便、下痢といった慢性膵炎の症状があり、節度をもって暮らす毎日です。

 

そういうことで、この2年間、ほとんど新しい居酒屋の開拓をしていません。しかし、何といっても過去の経験が豊富です。折に触れて居酒屋にまつわる「酔遊記」を書いていけたらいいなと思っております。

 

さて、今夜は下弦の月かな。それではちょっとだけ、寄っていきますか。

 

  白玉の歯にしみとほる秋の夜の 

     酒はしづかに飲むべかりけれ     若山牧水