酔遊記

密かな楽しみ、味わい深い居酒屋をめぐる。

No.21 インドとお酒

先月、インドに行ってきました。
デリー、ブッダガヤ、サルナート、ベナレス(バナーラス)、カジュラホ、アーグラ、ジャイプールと主に北インドを巡る旅でしたが、特に仏教の聖地ブッダガヤ(マハボディー寺院、スジャータ)と、ヒンドゥー教の聖地ベナレスを訪れることができたのは、長年の願いが叶った思いです。

インドは初めてですが、インドの歴史、人々の生き方や考え方を知り、宗教や哲学に興味を持ち、映画を観て、音楽を聴き、若い頃からいつかはインドへと思い続けていました。
一度、インド時間という悠久の流れと混沌とした社会に触れてみたかったのです。

本当は、若ければバックパッカーもよかったのでしょうが、この歳ではそうも行かず、今回は団体ツアーに参加しての旅になりました。
短期間にたくさんの所を巡るツアーだったので、体に応えました。それでも、長い時間を掛けてでき上がった私の中のインドを、そのままの体現してくれた期待通りの旅になりました。

ほこりっぽい大地、原色で形づくられた色彩、群衆の熱気、つきまとう騒音、それでいて妙に peaceful な空気・・・・・強烈なカルチャーギャップに圧倒された9日間でした。

もう一つ私にとって良かったことを挙げておきますと、滞在を通して佛教に近づけたことと、インドの宗教について更に知ることができたことです。これを説明するのは、個人的なことでちょっとむずかしいのですが。

とにかくインドは刺激的で、魅力に満ちた国でした。できれば、もう一度行ってみたい。

今、インドは変革の時を迎えているといわれています。
BRICSといわれるようになって10年以上が経ちました。
確かに、インドの経済の指標であるムンバイSENSEXは、この10年で3倍くらい上昇しています。期待に比して順調とはいえないかもしませんが、ゆっくりと成長を遂げています。

デリーの郊外にはIT関係のビルが群れをなして並び、ジャイプールの郊外には日本企業の工業団地がある風景は、時代の流れを象徴しているのでしょう。

政治的にはカースト制度の廃止、教育の改革、産業構造の変化とインフラ整備、衛生の意識改革など大きな変革のうねりが起きています。
しかし、社会の根底には消えることのないカースト制度、法規の不整備、生き物との共存、貧富の差など、インド独特の変革を阻むファクターが多く存在しています。あるがままを受け入れるのを人生と知っている民衆は、発展とは無縁なところで、矛盾や葛藤ではなく、それで良しとして生きているように感じます。

私が観たインドは、中国のように急には変われないでしょうし、深いところではこれからも変わらないでしょう。インドには、時が止まっている姿が似合っています。


そろそろ話題をお酒の話題に移しましょう。
とはいっても、旅行中には居酒屋に立ち寄る機会が一度もありませんでした。そもそも繁華街を歩いても酒屋すら見かけません。
ホテルでも、食事の時にはインドの独占的ビール、“キングフィッシャー”以外の酒類といったらスコッチウイスキーがあるくらいで、インドの国酒ともいうべきラム酒すらどこにも置いていないのです。
ジャイプールでは、かなり大きなスーパーに行きましたが、酒の売り場をついに探すことができませんでした。

先のブッダガヤがあるビハール州は一切のアルコール類の販売・所持が禁じられているのは事前に知っていたのですが、インド人のガイド、Vikas さんによれば、禁酒が法律で決められている州がほかにもあるそうで、一般には飲酒の習慣がないのだそうです。

インドの歴史は宗教の争いそのものでした。
中世には、飲酒を禁じるイスラム勢力が全土を支配した時代がありました。
パキスタンが分離独立(1947年)し、バングラディシュが独立(1971年)するなどして、イスラム教徒は減りましたが、まだわずか5、60年前の話です。
今でも人口12億8千万人のうちイスラム教が15%(約2億人)を占めているということです。
インドの宗教の8割を占めるヒンドゥー教ですが、宗教に関係なくあまり酒を飲む習慣がないのは、歴史がつくり出してきた風土の影響が大きいのでしょう。

もう一つはお酒が高価な嗜好品であり、庶民がたやすく毎日口にできる物ではなさそうだからです。
需要がないから高い物になるともいえます。

ちなみに、高級ホテルで大瓶のビールが580ルピー(1、160円)、田舎のドライブインでも450ルピー(900円)で、日本に比べて高いと感じました。
大卒の初任給は月給で25,000ルピー(50,000円)くらいだそうです。給料は職業や学歴により想像できないくらい貧富の差がありますが、それにしてもかなり高価です。

こうしたことを背景に、一般庶民の意識として、飲酒に対する罪悪感や人生に必要なものではないという観念が根強く存在しているのではないでしょうか。


そんなことで、居酒屋に行くことはできませんでしたが、タージマハールのあるアーグラという街では、時間に余裕がありましたので、何としてもインドの酒を買い求めたいと考えました。

Vikas さんに頼み込んで、地元の人に酒屋の存在を尋ねてもらったところ、街の中心部に1軒あるとのことで、場所を教えてもらいました。私は街の地理がまったくわかりませんでしたが、とにかくリクシャーに乗れば連れて行ってくれるだろう思い、出かけることにしました。
すると、見かねた様子のVikas さんが、「心配だから一緒に行くよ」と仏様のようなことを申し出てくれました。

ホテルの前でオートリクシャーをキャッチし、二人で酒屋に向かいました。
リクシャーは猛スピードで街の中を飛ばします。
車をスレスレで避け、倒れるかのようなスピードで街角を回り、クラクションの喧騒と猛烈な廃棄ガスの中を走り抜けます。

しかし、なかなか着きません。ようやく酒屋に到着したのは15分も経ってからでした。
私はもっと近いものと思い込んでいましたが、アーグラは人口200万人もいる都会ですので、そうとう街が広かったのです。

酒屋は繁華街とはいえない、少々貧しい一帯の、ほこりっぽい道路の端に立つ小屋のような建物でした。
奥行きのない店の中には、美味くなさそうな数種類のワインとスコッチウイスキーが、写真のように殺風景に並んでいるだけです。なぜかビールはありません。

アグラの酒屋


「ラム酒はあるか」とVikas さんが尋ねると、店の人は2種類をカウンターに並べて見せてくれました。
「ラム酒はインドの代表的な酒ではないのか」とVikas さんに質すと、「これを飲む人を見かけたことはない」という意外な答えが返ってきたのです。
インドの人は酒といえばラム酒を飲んでいるものと思っていたのは、私のどこかで刷り込まれた思い違いに過ぎだったのでしょうか。

私は1本500円の小瓶を3本買い求め、ホテルに戻って、クッションのあるラップで包み、だいじに鞄に収めました。

往復30分のオートリクシャー代金は、ラム酒3本分の値段とほぼ同じでしたが、インドの酒屋でラム酒を手に入れたことで大満足でした。

帰国してからそれを飲んでみましたが、さほど甘いというわけでなく、上等とはいえなくても、なかなかイケる味でした。
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「酔遊記」再開のご挨拶

最後の記事が2014年12月16日でしたから、実に2年3か月ぶりに「酔遊記」に戻ってきました。
ここにこのように復活できたのは、信じられないくらい嬉しいことです。

“かくも長き不在”の間に、酒にまつわることや体調のことだけでなく、いろいろな出来事がありました。
しかし、簡潔に結果だけを述べれば、円満にリタイアメントを迎えることができ、めでたく無職の身となった次第です。

この状況はずいぶん前から望んでいたことでしたが、いろいろな事情が重なり、実現には待つ時間が必要でした。その結果、七十を過ぎてしまいましたが、一番良い形で仕事から退くことができました。
今は、自分がリタイア後に望んでいた、“残りの人生を生きたいように生きてみたい”と思っています。

古代インドでは人生を、学生期、家住期、林住期、遊行期の4つに分けて考えたそうです。
「林住期」は日本で言う「退職後」にあたるようですが、遊んで暮らせという時期ではなさそうで、じっくり人生の意味を考える時という奥深い意味のようです。

やりたいことはたくさんありますが、その一つがブログを始めることでした。
そのために、「酔遊記」に一区切りを付けて、新しいネームで始めようと考えていました。
が、「酔遊記」という名前を捨てることができませんでした。

そこで、インターメディカルに「酔遊記」を自分のブログとして継続することを申し出、快く承諾していただきました。

ただ、再開するにあたって、毎日自宅にいる身としては、居酒屋のことだけ書くのではおもしろくなく、話題も尽きますので、これからは多少自分の身辺のことや旅や趣味についても記事にするつもりです。
また、記事に写真を入れたことはありませんでしたが、これからは写真や絵を入れてみたいと思っています。
その点では、今までとは趣の違った「酔遊記」になり、ご期待を裏切ることになるかもしれませんがお許しください。

そんなことで、また始めさせていただくことになりましたが、最初から“いつまで続くやら”とは言わずに、できるところまで長く続ける覚悟です。

それでは、今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。

No.20 仙台『源氏』は、やっぱりクラッシックだった

先日、念願が叶って行ってきました。
仙台駅の西口を出てまっすぐに徒歩10分、中央通りを過ぎて最初の路地を左に曲がったあたりに文化横丁という通りがあります。言わずと知れた飲み屋街です。
仙台には定禅寺通りや晩翠通りを含む国分町のような繁華な飲食街がありますが、こちらの方は寂れた昭和の駅前酒場の集まりのような大衆的空気に満ちています。
そこの一角の路地の、またさらに細い路地を入ったところに、居酒屋『源氏』はありました。

5時開店ですが、あいにく30分ほど遅れての到着。
路地を突き当たると、白いライトの中に『源氏』の文字が浮かんでいました。
典型的な縄のれんをくぐって木の引き戸を開けると店内は満員です。でも、ちらっと私に目をくれた女将さんが「こちらへ」と手のひらで入り口近くの端っこの席を指してくれました。


空いているのは、この一席だけ。開店したばかりですから出て行く人がいるわけではないので、待つことにならずにラッキー。

それにしても年季の入った、丸太を縦に切ったようなカウンターと長椅子です。
明かりといえば壁と天井に掛かる行灯の電球色がボーッと照らしているだけで、どちらかといえば昔に返ったような古くさい薄暗い酒場のようです。

片隅には横浜『武蔵』にあるのと同じ曲がりくねった長い管のついた付いた燗付け器があります。天井は船底で低く、現代的といえるようなものは皆無です。
しかし、この空間にはどこか品がある。さりげなく飾られている花や絵がいい。思った通り何ともクラッシック。なかなかやりますねぇ、女将さんのセンスでしょうね。こういうところって落ち着きます。一言で言えば、「しぶい」。

コの字のカウンターの中には着物に割烹着の女将さんひとり、七十くらいでしょうか。

客席は二十くらいですが、これを一人で仕切っているのだから大変です。とにかく動作が止むことがないので、注文するタイミングがむずかしい。

しばらく眺めていると、どうやらほかの人も同じらしい。

ちょうど隣にお通しを運んできたときに、すかさずビールを注文できました。
半紙に墨で書かれた品書きをゆっくりと眺めます。どれもこれも、酒飲みが好きそうな酒肴ばかりです。魚介の刺身に干もの、エビ味噌、ホヤの酢の物、笹かま・・・・途端に、次はお酒だなと思いました。


店の奥にある茶室の躙り口のような障子の向こうが厨房のようですが、料理が出てきたときしか見えません。先にお通しの野菜の炊き合わせが出てきました。これが6種類も野菜が入っていて、お通しとはいえない量です。つい摘まんでしまいます。

と、ほどなく女将さんが注いだ生ビールが届きました。
うまい、泡の細かさが年季を示しています。女将さんは寡黙で、極めて上品です。
おっと、場内もそれに呼応するかのように静かです。三分の一くらいはひとりで来ている人と思われますが、連れのいる人たちも大きな声では話していません。
どうやら、ここはそういう酒場で、来る人たちが雰囲気を作り出しているようにも見えます。東京でいえば、『伊勢藤』や『シンスケ』のようなものでしょうか。

ここまで言えば、どんな店かはだいたい想像がついたことでしょう。

肴にハゼの刺身と漠来を頼みました。ビールの後には高清水の三年もの古酒を燗で2杯追加したのですが、そのたびにお通しがつくのです。2杯目はお新香、3杯目は湯豆腐でした。

ちなみに、お新香を褒めた客がいました。女将さんからは、すかさず「昭和25年から使っている糠床です」と答えが返ってきました。

今の私には3杯は飲み過ぎです。
1時間くらいでほどよい加減。何だかすごく満たされた気持ちで仙台を後にしました。牛タンなんか食べるよりずっとよかった。

  なかなかに 人とあらずは
     酒壺に なりにてしかも 酒に染みなむ
                               ――――大伴旅人