
被葬者:伊予親王(桓武天皇皇子)
墓 名:巨幡墓(こわたのはか)
墓 形:五輪塔
所在地:京都府京都市伏見区桃山町遠山
最寄駅:六地蔵駅(JR奈良線、京都地下鉄東西線)、六地蔵駅(京阪宇治線)
探訪日:平成15年(2003年)12月13日
JR及び地下鉄の六地蔵駅、もしくは京阪の六地蔵駅の北西にあり、どの駅からでもさほど距離は変わりません。
住宅街の中で、墓自体が小さいためかなりわかりにくく、陵墓めぐりに慣れていないと少し苦労します。
一応目印としては桃山学園の裏山ということでしょうか。
なお、墓の入り口には鉄の門があって直接参道には入れないのですが、門から続く生垣が途中で途切れているためそこから墓前まで行けます。
伊予親王
・生没年:延暦2(783)年~大同2(807)年
・続 柄:(父)桓武天皇、(母)夫人藤原吉子
父桓武天皇から寵愛されており、父帝崩御後に即位した異母兄平城天皇の御世には23歳で中務卿に任じられた。これは兄帝とも関係が良好であったことによるものであり、当時の皇族の重鎮となっていた。
しかし、俄かに藤原宗成が伊予親王に謀反を進めているという情報を親王の叔父藤原雄友が察知し、これに対し親王もことの経緯を兄帝に説明した。だが、宗成が伊予親王こそが謀反の張本人と自白したため、平城天皇によって親王と母の吉子は逮捕され大和川原寺に幽閉された。
二人は身の潔白を主張し続けたが受け入れられず、毒を飲んで自害した。
享年24歳。
薨去後は怨霊化されたとされ平城天皇の病気等は親王の怨霊の仕業とされた。後に無罪が発覚し、仁明天皇の御世に一品を追贈された。
マップ
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墓 名:巨幡墓(こわたのはか)
墓 形:五輪塔
所在地:京都府京都市伏見区桃山町遠山
最寄駅:六地蔵駅(JR奈良線、京都地下鉄東西線)、六地蔵駅(京阪宇治線)
探訪日:平成15年(2003年)12月13日
JR及び地下鉄の六地蔵駅、もしくは京阪の六地蔵駅の北西にあり、どの駅からでもさほど距離は変わりません。
住宅街の中で、墓自体が小さいためかなりわかりにくく、陵墓めぐりに慣れていないと少し苦労します。
一応目印としては桃山学園の裏山ということでしょうか。
なお、墓の入り口には鉄の門があって直接参道には入れないのですが、門から続く生垣が途中で途切れているためそこから墓前まで行けます。
伊予親王
・生没年:延暦2(783)年~大同2(807)年
・続 柄:(父)桓武天皇、(母)夫人藤原吉子
父桓武天皇から寵愛されており、父帝崩御後に即位した異母兄平城天皇の御世には23歳で中務卿に任じられた。これは兄帝とも関係が良好であったことによるものであり、当時の皇族の重鎮となっていた。
しかし、俄かに藤原宗成が伊予親王に謀反を進めているという情報を親王の叔父藤原雄友が察知し、これに対し親王もことの経緯を兄帝に説明した。だが、宗成が伊予親王こそが謀反の張本人と自白したため、平城天皇によって親王と母の吉子は逮捕され大和川原寺に幽閉された。
二人は身の潔白を主張し続けたが受け入れられず、毒を飲んで自害した。
享年24歳。
薨去後は怨霊化されたとされ平城天皇の病気等は親王の怨霊の仕業とされた。後に無罪が発覚し、仁明天皇の御世に一品を追贈された。
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