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被葬者:皇后温子(宇多天皇中宮)
     皇后穏子(醍醐天皇皇后)
     皇后安子(村上天皇皇后)
     皇后遵子(円融天皇皇后)
     皇后媓子(円融天皇皇后)
     贈皇太后懐子(花山天皇御母)
     尊称皇太后詮子(一条天皇御母)
     皇后彰子(一条天皇皇后)
     贈皇太后超子(三条天皇御母)
     皇后媙子(三条天皇皇后)
     皇后妍子(三条天皇皇后)
     皇后威子(後一条天皇皇后)
     贈皇太后嬉子(後冷泉天皇御母)
     皇后寛子(後冷泉天皇皇后)
     皇后歓子(後冷泉天皇皇后)
     贈皇太后茂子(白河天皇御母)
     贈皇太后苡子(鳥羽天皇御母)
陵  名:宇治陵(うじのみささぎ)
陵  形:円墳等
同  域:敦実親王墓(宇多天皇皇子)
     敦道親王墓(冷泉天皇皇子)
     准后藤原生子墓(朱雀天皇女御)
所在地:京都府宇治市木幡
最寄駅:木幡駅(JR宇治線)
探訪日:平成15年(2003年)12月13日、16年(2004年)6月9日

この陵墓、全陵墓の中でもかなり特殊な陵墓でして、「宇治陵」と名のつくものが37ヵ所に点在しています。
その37ヵ所すべてを合わせて「宇治陵」というのです。

被葬者が皇后17名、皇族3名の計20名なので37ヵ所というのとは合わないのですが、これにはわけがありまして、平安時代の藤原氏の墓所と思われる場所を全部まとめて「宇治陵」としているためです。

これは、藤原氏の墓所が宇治にあり、藤原氏出身の皇后も宇治に葬られたことによります。
ただ、『延喜式』等の史料をみても「宇治陵」、「後宇治陵」、「次宇治陵」、「又宇治陵」等々、陵名は記載されているけど、宇治に点在する陵墓のどれがどれに当てはまるのかは不明なのです。

そのため、皇族の陵墓と、非皇族(道長や頼通等)の墓所を分けて治定することは不可能であり、宮内庁は宇治に点在する陵墓と思われる墳丘を一括して「宇治陵」という名前で治定し管理しているのです。

で、どのように点在しているかというと、下の図の通り。
宇治陵配置図

このように宇治市の北方の木幡地区に37ヵ所バラバラに点在しています。
そのため、総拝所の1号陵以外を回ろうとするとかなり大変で、陵墓めぐりになれてなければ1日で回るのは難しいかもしれません。
実際私も1回目の時は30号、31号がどうしても見つけられず、2回巡ってようやく37ヵ所全制覇しました。

ということで、場所があまりにも多く、また被葬者も多いため陵墓の場所編と埋葬されている人物編に分けて記します。

人物編はこちらから。

1号(総拝所)
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木幡駅の南にあります。
全宇治陵の総拝所でありここだけ鳥居があります。

2号
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3号
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1号から県道を挟んだ東側。

2号の東隣。

4号
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5号
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3号の南側。

4号の南東。ちょっと離れてます。

6号
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7号
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5号の南側。

6号の北東。

8号
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9号
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7号の北東隣。

8号の東隣。

10号
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11号
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9号の東側。

10号の南隣。小さい。

12号
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13号
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11号の南側。

12号の南側。

14号
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15号
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6号から県道を挟んだ南側。

14号のかなり東方。高台にあり。

16号
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17号
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15号の北西。

16号の東側。

18号
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19号
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17号の北東隣。

19号の南東。

20号
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21号
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19号の北東。

20号の東南。少し離れてます。

22号
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23号
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21号の東方。

22号の北隣。ただし、陵域が最大であり、拝所はかなり離れた北側にあるため分かりにくいです。

24号
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25号
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23号拝所の南方。

24号の西方。

26号
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27号
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24号の北東。

26号の北方。

28号
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29号
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27号の北方。23号拝所の向かい側です。

28号の西隣。

30号
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31号
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29号の北東。だいぶ離れており、一旦松殿山荘の敷地に入り、少し行った場所に参道が伸びています。
一番わかりにくい場所。

30号に行く途中にあります。

32号
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33号
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31号の北方。これ以降は再び松殿山荘の敷地外にでます。

32号の西隣。

34号
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35号
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33号のかなり北方。他の宇治陵とはだいぶ離れた場所にあります。

34号の北西。これも33号以前の集団とは離れた場所にあります。

36号
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37号
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木幡駅の北西。許波多神社の境内にあります。

木幡駅の西方。宇治陵の中で最小規模で住宅街の中にあります。