壇林皇后陵

被葬者:皇后嘉智子(嵯峨天皇皇后)
陵  名:嵯峨陵(さがのみささぎ)
陵  形:方形
所在地:京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町
最寄駅:嵯峨嵐山駅(JR山陰本線)
探訪日:平成16年(2004年)4月25日

嵯峨嵐山駅の北西にあるんですが、方向が北西というだけで非常に遠いです。
嵯峨野の北西端にある化野念仏寺からさらに県道50号を登って行くと、参道が見えるんですが、この参道がまた長い。
この長い直線の参道を突き進むとやっと御陵にたどり着きます。
車があるなら車で、そうでなくても自転車で行った方が楽だと思います。


橘嘉智子(カチコ)
・生没年:延暦5(786)年~嘉祥3(850)年
・異  称:檀林皇后
・続  柄:嵯峨天皇皇后/(父)橘清友、(母)田口三千媛
嵯峨天皇に入内したが、はじめのうちは数多い夫人の一人でしかなかった。しかし妃の高津内親王が廃されると、姻族の藤原冬嗣の後押しもあり橘氏としては初めて皇后に立てられた。
嵯峨天皇との間には正良親王(後の仁明天皇)等3男6女を儲けた。仏教に深く帰依しており檀林寺を創建した。(このことから檀林皇后とも称される。)
夫帝の譲位後には皇太后に立てられ、夫帝崩御後には太皇太后に立てられた。この時点でもかなりの権勢を所持していたため承和の変にも関わっていたという。
享年64歳。

この御方、かなり美麗な方だったらしく、また上記の通り深く仏教に帰依していました。
そのため諸行無常を体現するために、自らが崩御する際に「自らの朽ちていく様を世に見せるため遺体を放置せよ。」と遺言したらしいです。
つまり生前どんなに称賛されようと、死ねば皆朽ちて骨になるということを示したとされます。
この様に「朽ちていく様」を描いたものとして『九相図』というものがあるんですが、このモデルはこの嘉智子皇后という伝説もあります。



マップ

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