光仁天皇陵
被葬者:光仁天皇(第49代天皇)
陵  名:田原東陵(たはらのひがしのみささぎ)
陵  形:円墳
所在地:奈良県奈良市日笠町
最寄駅:日笠バス停(奈良交通)
探訪日:平成16年(2004年)7月22日

近鉄もしくはJRの奈良駅から北野・下水間行き、もしくは奈良市都祁交流センター行きに乗車して、日笠バス停で下車、北西へ500mくらいの場所にあります。
奈良市とはいえども、東の郊外にあるため、バスか自動車等の交通手段がなければなかなか行くのが難しい場所にあります。
ただ、周りは田園地帯で御陵がとても目立つため、景観は良いかもしれません。


光仁天皇
光仁天皇
・第49代天皇
・御  名:白壁王(シラカベ)
・異  称:天宗高紹天皇
・生没年:和銅2(709)年~天応元(782)年
・在  位:宝亀元(770)年~天応元(782)年
・続  柄:(父)施基皇子(春日宮天皇)、(母)紀橡姫
天智天皇の皇孫ではあったが、白壁王の生まれた時代は天武天皇の系統が皇位を継承しており、また父施基皇子が早くに薨去していたため、位階を授けられたのが29歳と遅かった。
43歳で聖武天皇皇女の井上内親王と成婚し、他戸親王や酒人内親王をもうけた。なお、これ以前に高野新笠との間に山部親王(後の桓武天皇)、早良親王等をもうけいている。井上内親王の姉は孝謙天皇であり、その妹の夫ということで順調に出世を重ね、中納言まで昇進した。
ただ、孝謙天皇が重祚して称徳天皇となってからは大納言まで昇進したものの、多くの皇族が謀反の疑いで粛清されたため、毎日酒を飲み凡人を装って難を逃れたという。
称徳天皇が崩御すると、天武天皇系の男系皇族が粛清等で皆無になっていたため、天智天皇系ではあるが、井上内親王の夫でもある白壁王が皇位継承者となり62歳で天皇に即位した(史上最高齢での天皇即位)。
即位に伴い、井上内親王を皇后に、他戸親王を皇太子に立てた。しかし間もなく呪詛の疑いで井上内親王は廃后、他戸親王は廃太子となり、代わって側室(新笠)の子である山部親王を皇太子に立てた。このことから山部親王本人と親王を推す藤川百川等の暗躍があったとされている。
さらに天皇の姉である難波内親王が薨去すると、内親王呪詛の罪で井上内親王と他戸親王を大和国宇智郡に幽閉した。この2年後に二人は急死(暗殺説もある)したため、天武天皇の系統は完全に断絶し、天智天皇の系統が再び皇位継承をしていくこととなった。
この後天皇は一時的に病となったものの、70歳を超えても政務に努めた。しかし第一皇女の能登内親王に先立たれたことから心身ともに疲労し、山部親王に譲位、8カ月後に崩御した。
在位12年、宝算73歳。
始め広岡陵に埋葬されたが、後に田原陵へ改葬された。



マップ

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