
被葬者:皇后井上内親王(光仁天皇皇后)
陵 名:宇智陵(うちのみささぎ)
陵 形:円墳
所在地:奈良県五條市御山町
最寄駅:五条駅(JR和歌山線)
探訪日:平成16年(2004年)9月20日
五条駅から南へ4kmくらい、歩いていくには結構時間がかかるため、車があればその方が良いかと。
廻りにこれといった目印がなく、御陵自体もさほど大きなものではないため、少しわかりにくいかもしれません。
なお、この御陵から北東へ少し行ったところに子の他戸親王墓があります。
井上内親王(イノウエ/イガミ)
・生没年:養老元(717)年~宝亀6(775)年
・続 柄:光仁天皇皇后/(父)聖武天皇、(母)夫人県犬養広刀自
聖武天皇の第一皇女として生まれ、5歳の時に伊勢の斎王として伊勢に赴いた。
30歳で白壁王(後の光仁天皇)の妃となり、王との間に酒人内親王、他戸親王を儲けた。他戸親王を生んだときは45歳という高齢出産であった。
53歳の時に異母妹の称徳天皇が崩御するが、天武天皇系の男系皇族は政争等によりほぼ皆無となっていたため、天皇の姉井上内親王の夫である白壁王が天皇に即位した。これにより系統は天智天皇系へ戻ったが、皇太子には他戸親王が立てられた。
しかし立后から2年後に夫帝呪詛の疑いをかけられ廃后、翌年には子の他戸親王と共に大和国宇智郡に幽閉され、親王と同日に不自然に薨去した。
享年58歳。
この皇后が廃后、他戸親王が廃太子となっって間もなく側室高野新笠出生の山部親王(後の桓武天皇)が立太子されています。
故に、山部親王を推す藤原良継や百川等の政略によるという説が有力であり、政治的に葬られたと言えるかもしれません。また、幽閉先で他戸親王と同日に薨去というあまりにも不自然な亡くなり方をしているため、暗殺説もあるほどです。
ともあれ、これにより完全に天智天皇系へ皇統が移行したのですが、この後天変地異が相次ぐのです。そのため井上内親王と他戸親王は怨霊化したと考えられたため、怨霊を鎮めるために「墓」を「御墓」に改称、この後さらに廃后と取り消し皇后に復した上、「御墓」を「山陵」に改めています。
マップ
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陵 名:宇智陵(うちのみささぎ)
陵 形:円墳
所在地:奈良県五條市御山町
最寄駅:五条駅(JR和歌山線)
探訪日:平成16年(2004年)9月20日
五条駅から南へ4kmくらい、歩いていくには結構時間がかかるため、車があればその方が良いかと。
廻りにこれといった目印がなく、御陵自体もさほど大きなものではないため、少しわかりにくいかもしれません。
なお、この御陵から北東へ少し行ったところに子の他戸親王墓があります。
井上内親王(イノウエ/イガミ)
・生没年:養老元(717)年~宝亀6(775)年
・続 柄:光仁天皇皇后/(父)聖武天皇、(母)夫人県犬養広刀自
聖武天皇の第一皇女として生まれ、5歳の時に伊勢の斎王として伊勢に赴いた。
30歳で白壁王(後の光仁天皇)の妃となり、王との間に酒人内親王、他戸親王を儲けた。他戸親王を生んだときは45歳という高齢出産であった。
53歳の時に異母妹の称徳天皇が崩御するが、天武天皇系の男系皇族は政争等によりほぼ皆無となっていたため、天皇の姉井上内親王の夫である白壁王が天皇に即位した。これにより系統は天智天皇系へ戻ったが、皇太子には他戸親王が立てられた。
しかし立后から2年後に夫帝呪詛の疑いをかけられ廃后、翌年には子の他戸親王と共に大和国宇智郡に幽閉され、親王と同日に不自然に薨去した。
享年58歳。
この皇后が廃后、他戸親王が廃太子となっって間もなく側室高野新笠出生の山部親王(後の桓武天皇)が立太子されています。
故に、山部親王を推す藤原良継や百川等の政略によるという説が有力であり、政治的に葬られたと言えるかもしれません。また、幽閉先で他戸親王と同日に薨去というあまりにも不自然な亡くなり方をしているため、暗殺説もあるほどです。
ともあれ、これにより完全に天智天皇系へ皇統が移行したのですが、この後天変地異が相次ぐのです。そのため井上内親王と他戸親王は怨霊化したと考えられたため、怨霊を鎮めるために「墓」を「御墓」に改称、この後さらに廃后と取り消し皇后に復した上、「御墓」を「山陵」に改めています。
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