
被葬者:尊称太皇太后順子(仁明天皇女御)
陵 名:後山階陵(のちのやましなのみささぎ)
陵 形:円墳
所在地:京都府京都市山科御陵沢ノ川町
最寄駅:山科駅(JR東海道本線)
探訪日:平成16年(2004年)11月17日
山科駅の北方1.5kmくらいの山裾にありますが、少しわかりにくいかもしれません。
この御陵の少し手前に毘沙門堂があるため、確かバスもあったはずですが、1回目は歩いて行った記憶があります。
藤原順子(ノブコ/ジュンシ)
・生没年:大同4(809)年~貞観3(871)年
・異 称:五条后
・続 柄:仁明天皇女御/(父)藤原冬嗣、(母)藤原美都子
10代で正良親王(仁明天皇)に入内し、道康親王(後の文徳天皇)を儲けた。夫の天皇即位に伴い女御に立てられ、承和の変(藤原氏による他氏排斥事件)を経て、子の道康親王が皇太子に立てられた。
41歳の時に夫帝の崩御に伴い皇太后を尊称され、その後子の文徳天皇の崩御、孫の清和天皇の即位に伴い太皇太后を尊称された。また、仏教に深く帰依しており東大寺戒壇や天台座主から受戒されている。
なお『日本三代実録』によると容姿端麗で穏やかな女性であったという。
享年63歳。
マップ
より大きな地図で 陵墓 を表示
陵 名:後山階陵(のちのやましなのみささぎ)
陵 形:円墳
所在地:京都府京都市山科御陵沢ノ川町
最寄駅:山科駅(JR東海道本線)
探訪日:平成16年(2004年)11月17日
山科駅の北方1.5kmくらいの山裾にありますが、少しわかりにくいかもしれません。
この御陵の少し手前に毘沙門堂があるため、確かバスもあったはずですが、1回目は歩いて行った記憶があります。
藤原順子(ノブコ/ジュンシ)
・生没年:大同4(809)年~貞観3(871)年
・異 称:五条后
・続 柄:仁明天皇女御/(父)藤原冬嗣、(母)藤原美都子
10代で正良親王(仁明天皇)に入内し、道康親王(後の文徳天皇)を儲けた。夫の天皇即位に伴い女御に立てられ、承和の変(藤原氏による他氏排斥事件)を経て、子の道康親王が皇太子に立てられた。
41歳の時に夫帝の崩御に伴い皇太后を尊称され、その後子の文徳天皇の崩御、孫の清和天皇の即位に伴い太皇太后を尊称された。また、仏教に深く帰依しており東大寺戒壇や天台座主から受戒されている。
なお『日本三代実録』によると容姿端麗で穏やかな女性であったという。
享年63歳。
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