
被葬者:贈太皇太后新笠(光仁天皇夫人)
陵 名:大枝陵(おおえのみささぎ)
陵 形:円墳
所在地:京都府京都市西京区大枝沓掛町
最寄駅:桂坂口バス停(京都市バス)
探訪日:平成17年(2005年)4月14日
阪急桂駅で京都市バスに乗り換えて、桂坂口バス停で下車、バス停の北西にある小高い丘の上にあります。
宇波多陵から少々距離はありますが、歩いていけない距離でありません。(ここに参拝した時はバスを待つのがめんどくさく、歩いていきました。)
高野新笠(ニイガサ)
・生没年:養老4(720)年頃~延暦8(790)年
・諡 号:天高知日之子姫尊
・続 柄:光仁天皇夫人/(父)和乙継、(母)土師宿禰真妹
白壁王(後の光仁天皇)の側妾となり、山部王(後の桓武天皇)や早良王等二男一女を儲けた。しかし、白壁王は聖武天皇の皇女である井上内親王を妃とし、天皇に即位すると内親王を皇后に立て、内親王との子である他戸親王が皇太子に立てられた。これは、天武天皇系の井上内親王と天智天皇系の光仁天皇との統合が図られたためであった。
しかし、井上内親王と他戸親王は呪詛等の疑いにより幽閉されたため、新笠出生の山部親王が皇太子に立てられ、夫光仁天皇が崩御すると、山部親王が天皇に即位した。この際、新笠は天皇の母であることを以て皇太夫人と称された。
享年70歳。
薨去後、皇太后号を追贈され、孫の平城天皇が即位すると、天皇の祖母であることを以て太皇太后号を追贈されている。
この御方、日本の皇室の歴史の中では珍しく渡来系の家系の出身の方です。
平安時代の公式の歴史書『続日本紀』によると出自を辿っていくと百済王国第25代国王である武寧王にたどり着くとされています。
武寧王の三世孫の代に日本に帰化し和史(やまとのふひと)の姓を授けられ、その7世孫がこの新笠さんとのこと。ちなみに「高野」姓はこの新笠さんの時に新たに授けられた姓です。
外国、特に欧州では他国の王族同志が婚姻関係を結ぶことは多々あるのですが、日本の場合こういうことは基本的になく、かなりレアなケースであったと思われます。
まぁ、最も武寧王の10世孫とはいえ、帰化して7代も経っていれば、日本人だか扶余人(百済王族の民族)だか分からなくなっており、新笠さん自身が渡来系という認識もどれほどあったのかは不明なところではありますがね。
マップ
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陵 名:大枝陵(おおえのみささぎ)
陵 形:円墳
所在地:京都府京都市西京区大枝沓掛町
最寄駅:桂坂口バス停(京都市バス)
探訪日:平成17年(2005年)4月14日
阪急桂駅で京都市バスに乗り換えて、桂坂口バス停で下車、バス停の北西にある小高い丘の上にあります。
宇波多陵から少々距離はありますが、歩いていけない距離でありません。(ここに参拝した時はバスを待つのがめんどくさく、歩いていきました。)
高野新笠(ニイガサ)
・生没年:養老4(720)年頃~延暦8(790)年
・諡 号:天高知日之子姫尊
・続 柄:光仁天皇夫人/(父)和乙継、(母)土師宿禰真妹
白壁王(後の光仁天皇)の側妾となり、山部王(後の桓武天皇)や早良王等二男一女を儲けた。しかし、白壁王は聖武天皇の皇女である井上内親王を妃とし、天皇に即位すると内親王を皇后に立て、内親王との子である他戸親王が皇太子に立てられた。これは、天武天皇系の井上内親王と天智天皇系の光仁天皇との統合が図られたためであった。
しかし、井上内親王と他戸親王は呪詛等の疑いにより幽閉されたため、新笠出生の山部親王が皇太子に立てられ、夫光仁天皇が崩御すると、山部親王が天皇に即位した。この際、新笠は天皇の母であることを以て皇太夫人と称された。
享年70歳。
薨去後、皇太后号を追贈され、孫の平城天皇が即位すると、天皇の祖母であることを以て太皇太后号を追贈されている。
この御方、日本の皇室の歴史の中では珍しく渡来系の家系の出身の方です。
平安時代の公式の歴史書『続日本紀』によると出自を辿っていくと百済王国第25代国王である武寧王にたどり着くとされています。
武寧王の三世孫の代に日本に帰化し和史(やまとのふひと)の姓を授けられ、その7世孫がこの新笠さんとのこと。ちなみに「高野」姓はこの新笠さんの時に新たに授けられた姓です。
外国、特に欧州では他国の王族同志が婚姻関係を結ぶことは多々あるのですが、日本の場合こういうことは基本的になく、かなりレアなケースであったと思われます。
まぁ、最も武寧王の10世孫とはいえ、帰化して7代も経っていれば、日本人だか扶余人(百済王族の民族)だか分からなくなっており、新笠さん自身が渡来系という認識もどれほどあったのかは不明なところではありますがね。
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