桓武天皇陵
被葬者:桓武天皇(第50代天皇)
陵  名:柏原陵(かしわばらのみささぎ)
陵  形:円墳
所在地:京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎
最寄駅:近鉄丹波橋駅(近鉄京都線)、丹波橋駅(京阪本線)
探訪日:平成15年(2003年)7月21日、他数回

丹波橋駅の東方、明治天皇陵の北西にあります。
この辺に桓武天皇陵があったことは確かなんですが、豊臣秀吉が伏見城築城の際にことごとく潰してしまったため、正確な場所は不明だそうです。
そのため、御遺体が埋葬されていないことが明らかな「擬陵」という形式を取っています。
この様な「擬陵」は他にも、崇峻天皇陵、安徳天皇陵、長慶天皇陵、皇后では播磨稲日大郎娘命等意外と少なくはないんですよね。
もっとも、平安末期以降は幕末に至るまで、数多くの陵墓が所在地不明だったようですが。


桓武天皇
桓武天皇
・第50代天皇
・御  名:山部親王(ヤマベ)
・異  称:日本根子皇統弥照天皇、柏原帝
・生没年:天平9(737)年~延暦25(806)年
・在  位:天応元(781)年~延暦25(806)年
・続  柄:(父)光仁天皇、(母)夫人高野新笠
天智天皇系出身だったため若いころは皇位継承は範疇になく、また母が百済の王族の末裔だったため、官僚としての期待の方が高かった。
天武天皇系の称徳天皇が崩御すると、父白壁王が天皇に即位(光仁天皇)したため、親王宣下は行ったが他戸親王が皇太子となっており、未だに皇位継承の可能性は薄かった。しかし、藤原氏等の計略により他戸親王は自害、山部親王が皇太子に立てられた。
父帝の譲位を受け即位、弟の早良親王を皇太弟とした。父帝のころから平城京の仏教勢力が強かったため、それを排除するために長岡京へ遷都。しかし、遷都途中で造京の責任者藤原種継が暗殺されたため、早良親王を疑い、廃太子、流罪に処した。
長岡京を廃し平安京へと遷都、平安1300年の基礎を造る。治世は東北地方平定のために坂上田村麻呂を派遣したり、空海・最澄を保護し新仏教を普及させた。一方で冤罪で流罪に処した早良親王の怨霊に悩まされ「崇道天皇」と追尊しているほか、平城京の南都六集等の旧仏教勢力には圧力を加えている。
在位26年、宝算70歳。


マップ

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