大正天皇陵
被葬者:大正天皇(第123代天皇)
陵  名:多摩陵(たまのみささぎ)
陵  形:上円下方墳
所在地:東京都八王子市長房町
最寄駅:高尾駅(JR中央線)
探訪日:平成15年(2003年)8月22日 他数回

高尾駅の北方1kmくらいにある武蔵野御陵地内にあります。
この御陵地内には他に皇后の貞明皇后陵、昭和天皇陵、昭和天皇皇后の香淳皇后陵があります。
この陵も明治天皇陵と同じく、復古式の上円下方墳でかなり迫力がありますね。


大正天皇
大正天皇
・第123代天皇
・御  名:嘉仁親王(ヨシヒト)
・生没年:明治12(1879)年~大正15(1926)年
・在  位:明治45(1912)年~大正15(1926)年
・続  柄:(父)明治天皇、(母)典侍柳原愛子
側室の子であるため正室の昭憲皇后の養子となった。生来病弱ではあったが、他の明治天皇皇子たちが相次いで幼少時に薨去していたため11歳で皇太子となっている。
15歳で九条節子(貞明皇后)と御成婚、父帝とは対照的に側室を一切置くことを廃止した。
このころは体調も順調に回復しており、日本各地を行啓し、沖縄県を除くすべての都道府県を巡られた。また、漢文を趣味とし、作成した漢詩は歴代天皇の中でも質量ともに他を圧倒しているという。
34歳の時に父帝崩御に伴い天皇に即位し、同日に大正に改元。
しかし、即位してからは、皇太子時代と違いほぼ自由な時間がなく、また、第1次世界大戦が勃発し政治的判断も求められることもあったため、再び体調が悪化していく。
ついに大正10年には、病状悪化が極まり皇子の裕仁親王(後の昭和天皇)を摂政とし、天皇としての務めは事実上引退することとなった。また、12年には関東大震災が発生し帝都東京をはじめとした関東地方に甚大な被害をもたらしている。
摂政を置いてからは葉山や日光で養成を続けていたが、15年の12月25日に葉山御用邸で崩御。臨終の際は長年会えていなかった生母柳原愛子と対面し手を握りながら崩御されたという。
なお、天皇としては初めて関東の地に埋葬された。
在位15年、47歳で崩御した。


明治天皇、昭和天皇のの間に挟まれあまり詳細を知られていないこの大正天皇ですが、よく見てみると非常に人間味あふれる天皇なんですよ、この方は。
確かに天皇に即位してからは、生来の病弱体質が悪化し、政務がままならないことは多かったのですが、皇太子時代は非常に気さくで、上記の全国行啓の際は、身分関係なく話しかけられていたそうです。さらに、行啓中に旧知の家に行ったり、競馬を観戦したり、普通列車にのったりと、行啓を楽しまれていたんですね。
また、四人の皇子を儲けており、大正天皇に厳格であった明治天皇とは対照的に、皇子たちと合唱を楽しむ等良き父であったようです。
実際、子の昭和天皇は「皇太子時代は非常に快活、身軽に行啓されていたが、天皇に即位されてからは万事窮屈で、御病気となることが非常に多かった。」と回想してます。
明治維新の象徴となり厳格な天皇であった明治天皇の次代ということで、非常に多くの見えないプレッシャーがあったんでしょうね。



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