GUNS OR WRITING

 アメブロから引っ越ししてきました。  坂本流(サカモト ナガレ)です。  夢は小説家、中山市郎・作劇塾で小説家になるため、研鑽する所存でございます。そして、軍隊に入ることであります。(ただいま戦争研究中ということの比喩であります)  階級はまだまだ二等兵。だが、きっと大将になってみます。  そして、今日も戦場に赴くのでございます。

プロになるための考察及び分析

アニメを斬る!!

 

 アニメを斬る!!(アカメを斬るっぽく言ってみました。汗)

 

 先週の土曜日プレミアム見ました?

 そう、アナと雪の女王です。

 

 見ました。ていうか、ディズニー映画初めてかもしれない。

 次の日、坂本はとある友人にいいました。

 「あれぐらいなら、俺でも書けんで!!」

 

 またまた、大口、でかくでたもんだ。

 まあ、映画、しかもアニメーション作品を小説家の僕を比べること自体がそもそもおかしいのだが、それはおいときましょう。

 シナリオという観点で見ましょう。

 久々にやりましょう。プロになるための考察及び分析を!!

 

 まず、魔法という観点。

 劇中にはハッキリと示していないものの、忌み嫌うもの。

 それを持ったエルザ。

 序盤のキーポイントはこれだ。

 魔女のエルザがアナを傷つける。→それにより、魔法を使えなくなり、禁忌になり、閉じこもる。

 あと伏線に、頭を魔法によって怪我させたので、なんかよく分からんホビットみたいなやつらに「頭なら大丈夫、心はどうにもならない」

 といって治してもらう。

 

 後は、王道。アナが惚れた男(第十三王子)が実は悪者で結婚を誓いあう。

 エルザは王女として地位をつく式典のときにエルザの魔法が暴走。

 エルザは雪山に逃げ込む。

 アナは救いにいく。そのとき、なんちゃらとかいう男と一緒に道中、命からがら、エルザの城(雪で作った)についた。

 城に戻れときかないエルザ。

 討伐隊が現われて、エルザの魔法に追い返されるが、エルザはつかまる。

 アナは今度は「心」を怪我させられて、心は真実の愛でしか治せないとホビットたちに言われる。

 アナが死にかける。悪者王子は真実の愛なんて持ち合わせていない。

 この危機(言ってなかったが、エルザのせいで氷河期みたいに世界はなっている)を救えば俺がこの国の王だと、なんというヒ―ルぶり。

 そして、なんちゃらとかいう奴がアナを救いに来る。

 アナはそのなんちゃらに会いにいこうとする。

 その現場、牢獄から逃げたエルザを王子は殺そうとしていた。(エルザぶっ殺したら、氷河期を終わるとおもってのことか?)

 アナはエルザを身を挺して守る。

 アナは凍りづく。(エルザの呪いが全身に広がった)王子の剣は跳ね返る。

 そして、エルザはアナを抱きしめたら治った。

 本当の「愛」

 「愛」によって私も生きていける。

 エピローグ。

 

 前回と同様、これでは物語を説明しただけなので、物語の作り手としてどういうふうに舵をきっていくか、説明していく。

 最初に言ったが、魔法は忌み嫌うもの。その不運な力を手に入れたエルザ。

 そして、そのきっかけをつくった。アナ。

 この二点をポイントとして、頭に入れる。

 そして、クライマックス。真実の愛とは何か?心を凍らせたらどうなるか?

 この点を踏まえる。

 つまりはクライマックスにエルザの愛によってアナの心が溶けることを先に考えておく。

 

 あとは、王子(これも真実の愛のアンチテーゼ)として暴れてもらい。物語を掻き乱してもらったらけっこうだ。

 エルザに会いに行こうとする冒険劇。そして、真実の愛に近い、なんちゃらとか言う男も必要だろう。

 討伐隊とかね。

 

 アナと雪の女王!!これだけ!!

 

 大ヒットした作品だが、俺もこれぐらい!!と正直思った。

 しかしである。

 昨日のショートショートは何や??

 そんな大口たたける作品か??

 

 すいません。

 もう、大口たたきません。(笑)

 


プロになるための考察及び分析⑤

 ブログ三日連続更新だぜ!!

 坂本流は暇何なのか?暇なのか?
 という疑問をお答えする。
 忙しくなっている。

 <完>





  いやいや、終わらんよ、やっとこのテーマに戻ってきたのに(-_-;)。


 今回、話すのは分析と発想の関係である。

 分析するということは、分析力が必要なのだと思われるが、ここで問いたい。
 分析力とは????

 分析力とはなんなのだろうか?

 ここでは生物学的に検証する場ではないので、(あくまで作家になるための教科書作り)
 自分の一存で語りたい。
 
 「分析とは発想力を伴ってできる、検証である。」

 意味が分かるだろうか?
 簡単に言おう、思いつきというものがあるだろう。何かを調べるとき、あ!これとこれ関係あるんちゃう?!
 的な経験がないだろうか、また、あ、こういうことか!!と分かる。
 それは恐らく、発想力を伴う。
 発想力(思いつき)が無い人にはハッキリ言って、分析などできない。

 ならば、発想は逆もしかりなのか?
 という問には頭を悩ませる。
 分析ばかりできても、発想ができるとは限らない。
 もちろん、分析ができる時点で発想ができるのであるから、ある程度はできるだろうが、
 分析がずば抜けているからと言って、発想力がずば抜けている訳ではない。
 
 とは言っても、分析と発想は密接な関係にあることは事実だ。
 何故ならば、分析して発想するからである!!

 つまりは、順序はまず、分析、そして発想。
 そういうことになる。
 このブログでは何回も言っているが、
 インプットなしして、アウトプットはできない。

 よく分からないという人がいるだろうか?
 その物(対象)をどうにかしようとするとき、その物に色々な角度で検証するだろう。
 つまり、それが分析にあたる。
 そして、その物の特徴に適した、発想を生み出す。

 発明家の考え?かもしれないが、
 小説も似たり寄ったりである。
 いきずまったとき、話が転ばないとき、今まで書いているものを検証しない者などいるだろうか?
 そして、悩みあえいだあげく、ヒラメクのである。
 
 しかしである。発想というのは、どこから降ってくるか分からないケースもある。
 気分転換にドライブしている途中。
 風呂はいるとき、
 煙草をすっているとき
 
 降りて来る。そんな経験をした人もいるだろう。
 だから、ひらめきを定義化することなど、自分にはできない。
 
 しかしである。その前の分析があったからこそ、降ってくるのだろう。
 数々の作品を分析したから、発想が芽生えるのだろう。

 それは間違いないのである。
 
 これを読んでいる読者は、作家を目指している人が多いと信じている。(そんなことはないと思うが。。。脱線しなければ・・・・・・。)
 僕も数々の作品を見ていくつもりだが、アナタも数々の作品を見て、分析してもらいたい。
 
 それが作家には必要であることは間違いない。
 ともに頑張ろう!!

 

プロになるための考察及び分析④


このテーマを始めて、四回目になる。趣旨や意図は、僕のブログの読者なら分かっていただいていると思う。初めての方は前のブログを見て欲しい。

 

インプットの話を前回したので、アウトプットの話しをしようとおもう。

 

 

 インプット同様、中々、奥が深い。というより、作家はアウトプットこそが一番大事というか、それが本業である。

 今回は小説を書く前のプロットについて話したいと思う。

 

 プロットというのは、まあ、簡単に言うと今から書き始める、小説を短く内容を記したものである。作家さんによって、プロットの書き方は違うし、極端なことを言えばプロットを書かない人もいる。

 

 ということは、プロットは重要でないのか?

 

 と早まってはいけない。プロットを軽んじると途中こんがらがっても知らないよ。

 長編小説となると、それが書いている途中に、顕著に表れてくる。

 これも書き手によりけりだが、大体、小説としてまとまってるものって、作者はその三倍、四倍のことを考えて、それを削ったり、凝縮したりして、作品に仕上げている。

 つまり、書かれている以上のことを考えているということになる。

 それで、何も書かずに、話をまとめることは可能なのか?

 (可能な人もいます。)

 

 プロットを書かない人の傾向として、その場の思いつきを大事にする人が多いだろう。

 それはそれでいいとは思うが、そうゆう風に好きに舵取りするなら、なら一層、文字として残すことは大事なのかと思うのだが・・・・・。

 

 ちょっと、こんがらがってきたので、まとめたいと思う。

 

 プロットを書くメリット

 物語がしっかりする。

 しかし、頭から固めてるので、変更が効きにくい。

 

 プロットを書かないメリット

 変更が利きやすく、その場の思いつきで、話が広がる。(しかし、まとまるという意味ではない)

 

 

 これは悩みどころだろう。自分みたいな、アマチュアはならどうしたらいいか?など、答えなど見つかっていない。

 

 しかし、僕はプロットを書く。

 Better Sweetみたいな簡単なストーリー(ブログで紹介してリンクできるので是非読んでいただきたい)だからいらないと思われるだろう。

 

 しかし、あれ、めちゃくちゃ、考えられている。方向性とか登場人物のキャラクター性とか、こんがりまくったので、プロットなしでは実は書くのが不可能になった。

 その経験を経て、言わせていただくが、プロットは大事である。

 

 じゃあ、どうすればいいか?

 小説を書く上で、僕の書き方を言うことは、僕の中でも極秘中の極秘である。

 あまり人に言ったことがない。

 

 しかし、こう書いてしまった以上、言うしかないだろう。

 前のブログを踏まえて説明する。

 大まかな起承転結をまず決める。

 そして、章を分ける。

 そして、その章のプロットを書きながら埋めていき、違う章も同様に埋める。

 これは実はさっきの話のいいとこどりである。

 

 執筆する際、ある程度、自由に書きながら、思いつきを重視し、そのうえ、大まかな内容を決めているので、ブレが無い。

 

 プロットについて、色々なサイトがこう書いたら、みたいなこと言ってるが、鵜呑みにしないでほしい。

 本当につかえるテクニックなど、インターネットなどで見つかるものでは無いのだ。

 教科書が無い。何度も言ったが、だから自分なりの方法を見つけることがいかに重要か・・・・。

 だから、僕が言った上記の方法も人によっては合わないかもしれない。

 しかし、参考になったら幸いである。

 模索する。し続ける。この体力が恐らくプロになるためのエンジンであることであると思い。筆を置かせてもらう。


プロになるための考察及び分析③


はたして、お待たせしているだろうか?

このブログの意図や趣旨は我々には教科書が無い、その教科書をこのブログを書いていくうちに、自分で発見や自分のやっていることの確認をすることでその教科書を埋めていこうというものである。

 

 

 そして、前回、言った「戦火の馬」の分析である。

 Wikipediaを少しだけ引用する。

 『戦火の馬』(せんかのうま、原題:War Horse) は、1982年に出版されたマイケル・モーパーゴ(英語版)による児童小説。初版はイギリスのKaye & Ward から出版された。アルバートが幼少の頃に手に入れて手塩にかけて育てた馬のジョーイが第一次世界大戦で軍馬としてフランスに送られ、アルバートとジョーイが無事に帰宅するまでを物語っている。この小説は2007年に演劇『ウォー・ホース 〜戦火の馬〜』、2011年に映画『戦火の馬』の基となった。

 

 大体、分かっていただけただろうか?ちなみに完全にネタバレするので、これから観る予定がある人はここでご遠慮していただきたい。

 

 この映画は大きく三章に分かれる。

 一章(起)

 アルバートがジョーイ(馬)と出合う。そして、その美しさに心奪われる。(起)

 親父も同じで、何故か、農耕馬を買わずにジョーイ(サラブレッド)を競売で買う

 そのため、小作地料が払えなくなる。地主と約束して、収穫時に返すと言い。この馬を農耕馬としてアルバートが育てる。

 奇跡が起こり、本当に、農具を引っ張って、農耕馬として使えるように育った。(承)

 

 滞りなく、農作業ができ、一家安泰と思われたとき、嵐が来て、農作物が採れなくなった。

(転)

 そして、軍馬として、売りに出す。(結)

 涙の別かれであった。そのときの馬を買い取った、軍人(中尉)とアルバートは絶対に返しに行くと約束し、戦地(第一次世界大戦、ヨーロッパ大陸に赴くのであった。

 

 

二章(承転)

軍馬になって、騎兵隊の馬となったが、速攻、ドイツにやられる。(起)

ドイツの扱いは悪かった。馬を大砲を引かせる道具としてしか見ていない。

一人馬好きのドイツ兵がいて、丁重に扱おうとするが、命令でそれができない。

ある、兄弟が、ドイツ軍から馬の世話を任せられる。そして、馬を連れて逃げ出す。ある女の子が住む、ジャム農家の風車小屋に馬を隠す。

 そして、兄弟だけ見つかり、馬は取り残された。

 女の子は馬を見てビックリ、馬に乗ることが夢だった。

 そして、少しの間、馬は女の子に育てられるが、軍馬が減ったドイツ軍は馬を見つけて、奪う。

 

 ここでは起承転結の境目が分かりにくい、さっきから(起承転結)を表しているのは後述する。

 そして、再び、軍馬として、兵器を引きまくる。

 ずっと連れ添っていた馬が死ぬ。(承転)

 涙を流したジョーイは(実際は泣かないが)暴れまくって、敵地の最前線に行く。

 そして、壕の近くで、金網フェンスの針金でぐるぐる巻きになって倒れ込む。(結)

 

 

  三章(結)

 アルバートは実は兵役年齢に達し、ジョーイと会うために兵隊になっていた。

 ジョーイはドイツ兵とイギリス兵の二人によって助けられ、そしてイギリス兵のものになった。一方アルバートは毒ガスで目がやられ、診療所に。(起)

 

 イギリス兵は馬を診療所に持っていくと、破傷風なので、それも馬なんかよりも人名が大事なので、射殺するように命じる。(承)

 しかし、アルバートはジョーイの気配に気づき、二人だけしか分からない。暗号(口笛をふく)すると、ジョーイがやってきて、アルバートとジョーイは奇跡の再会を果たすのであった。(転)

 そして、戦争は終わり、ジョーイは手当され、アルバートが持ち帰るとおもいきや、馬は競売にかけるという。同情した仲間はお金を出し合って、アルバートを勝つように仕向けるが、そこに二章ででてきた、農家の女の子の祖父が出て来る。

 そして、落札する。

 しかし、ジョーイはアルバートの元から離れないので、老人は折れたのであった。

 そして、今や幸せにイギリスの地で、田畑を耕している。(結)

 

 

内容に起承転結をつけていっただけだと思われるだろう。

しかし、違うのだ。物語には、起承転結が積み重なり、そして大きな起承転結を作っている。この事実を知っているだろうか?

 もちろん、こんな公式どおりにいかない物語など、多数存在するが、一番分かりやすい例として、あえて、この映画を選んだ。

 

 ストーリーというものは、分析する材料として、起承転結を意識することは大事だと思う。

しかし、そんな、ここが起だ!などと、意識していない。自然と分かるものなのだ。

 

 そして見終わったら、特に承転は一番ストーリーを作るうえで大事なので、振りかえって分析してみる。この部分はどうか?上手くやっているなど。

物語の中盤というのは物語を転がさす上で凄く大事なのだ。ここに感触を得ないと、名作とは言えない!

 そのインプットしたものを感動とともに考察することによって、自分の物語作りに活かすのである。

 

 もっと、別方面でこの作品もメスをいれたいところだが、次は違う題材でいこうと思う。

 長文失礼しました。


プロになるための考察及分析②

 前回から大分時間が経ちましたが、久々にアップしたいと思います。

 前回と同様、趣旨は同じです。

 我々には教科書が無い。だから作るんだ。

 

 プロになるための考察や分析をすることで、自分自身のやってることの確認やブログでの新発見をみつけて、教科書を埋めていこうというものです。

 ここから敬語は抜きにします。

 

 インプット無しではプロになれない。

 このブログでもインプットについて語る機会はあったが、インプットの仕方を考察したいと思う。

 何をインプットするではなく、インプットする姿勢である。

 

 作品(小説、映画、ストーリー)を見るときに、一般的な人と同じでいいのだろうか?

 僕は某有名大学、映像学部にいた。

 そこでの学生は「~~~~が良かった。」「ラストのシーン泣けた。」

 一般人と同じ感想でものを語っていた。

 それはそれでいいのだが、映像屋なのだから、

 

 それだけでは駄目であろう。

 

 自分にはあまり、絵(映像の上での)センスは無い。それは実感させられたが、仮にも映画監督や、カメラを持つ人ならば、もっというべきことがある。

 一体、彼らはなんだったのだろうか?自分のスキルを盗まれたくなかったのか、分からないが、話していても、クソつまらなかった。

 

 映像屋は映像屋の見方(といっても紹介していないが)があるように、我々、シナリオライター(広義でストーリーを作る人)はどんな見方をしたらいいのだろうか。

 次の回で、最近見た映画、「戦火の馬」を徹底解剖する。

 

 是非みていただきたい。


ギャラリー
  • 音楽について
  • しゃばけ
  • 石上神宮 紀行3
  • 石上神宮 紀行3
  • 石上神宮 紀行3
  • 石上神宮 紀行3
  • 石上神宮 紀行3
  • 石上神宮 紀行3
  • 石上神宮 紀行3