なまずの親父

なまずのひとり言 10月

収穫の秋である。

田んぼの稲は今はコンバインによって刈られるので

はぜかけをみることは本当にまれになった。

10月に入るといっせいにはぜかけが並び出す景色は楽しいものでした。

これも時代の流れか、高齢化社会化かと言ってしまえばその通りだが

「収穫」というイメージ、手で植え、手で育て、手で刈り取るという「手」のイメージが

どんどん薄れていくのを少し淋しく感じてしまいます。

私も年なのでしょうか。

現実には機械による合理的な作業でないとできないことは解っているのですが。



10月17日には天皇がその年の新米を伊勢神宮に供える宮中行事があります。

神嘗祭(かんなめさい)というのです。ちょっと思い出しました。

10月は旧暦でいうと神無月(かんなづき)。

作物の神様が、任務を終え、天に帰っていく月だと聞いたような気がします。

「ご苦労様でした。ありがとうございました。」と感謝をする月なのですね。

本当に食があることに、感謝、感謝ですね。



10月になると今年も残すところ3ヶ月。

どうも秋は淋しい気持ちになってしまいますが

「もう今年も終りかぁ!!」と焦りを感ぜざるを得ません。

つくづく「1年って早いなぁ!!」と感じ入ってしまいました。


とはいえ、秋は食べ物はおいしいし、果物もいっぱいあるし

さあもう一息、頑張るぞーと。

「ふるさとをつくろう。」

なまずのひとりごと 9月

不順な気候の夏が終り、実りの秋が来ている。

ここ数年、毎年「天候不順な夏」という言葉を聞いているような気がする。


どうも「平年」という言葉があまり通用しなくなっているのではないかな。

とはいえ、田んぼの稲は頭を下げ一面黄色く色づき、

米所佐久平はまもなく収穫の秋を迎えている。

九州や、東北の秋田では今年の夏は大水害に見舞われ、

本当に気の毒な状況にある中、

この地域は気候不順と言いながらも例年のごとく

平穏無事の秋を迎えていることに幸せを感じます。


外を観ると、北朝鮮と米国が大声を上げながら、

「ののしり合い」、中国、ロシアは相変わらず御都合主義、

今のところ大きな影響には到っていないが、

少なからず、知らないではすまされない不安を感じることばかりだ。


「何も無い」ことに幸せを感じる今日このごろだが、

「平和ボケ」してしまっていて、何か起きて「いざ!!」という時、

大丈夫だろうかと不安になってしまいます。

時には「自分で自分を守ること、他人のせいにする風潮が多い中、

身の廻り、地域の廻り、国の廻りのことを考えてみる必要が

ありはしないかと「ふっ」と感じた次第です。


ともあれ、見事な秋の風景の中に身を置き、

「何も無いことの幸せ」に浸りきっている自分、

何か申し訳ない気持ちも少々、「ま、いいか!!」と、とりとめもなく。

『ふるさとをつくろう。』

なまずのひとりごと 8月

九州北部の大水害は想像を絶するものであった。

あれほどの集中豪雨が十日間も続けば

大変なことになるのであろう。


数限りなく多くの山が崩れ、

山からはがされた倒木が大量の水に流され、

村落をおそっている様子は、

言葉では表現できない程のものすごさである。


孤立した部落は山間地で老人社会だ。

若者達の姿が見えない。

今の日本の現状をそのまま表している。


この佐久地方の八月一日のお墓参りの習慣は、

千曲川大水害の後、その犠牲者を弔うことが習慣化したものだと聞く。

残念ながら私はその経緯を詳しくは知らない。

この千曲川大水害の詳細の記録はどこかにあるだろうか。

記憶でなく、記録としては残す必要があるのではないだろうか。

記録があれば、記憶がよみがえるでしょうし、

若い世代にも正しく伝えられていき、

防災への予防が個人としてもなされていくものと思います。

やはり一人一人が備える資質を身につけたいものだと思います。


八月は一日のお祭りから始まり、お盆があり、

命の大切さを考えさせられ、

同時に、過去に御苦労いただいた方々の功績を心に想い、

心静かに供養する時だと今年はつくづく思わされています。

日本は本当に災害列島です。

特にこの地域は最近大きな災害がないので、

忘れてしまっていることが多いのではと不安にかられます。

九州北部の大水害を観るに、他人事ではなく、

自分自身の問題として考えてみる必要を感じています。

なまいきなようですが・・・・。

『ふるさとをつくろう。』

なまずのひとりごと 7月

ふっと、「逆も真なり」という言葉を思い出しました。

世の中、「個性が大切だ」とよく言われるが、

既製品の中に慣らされているように感じてならない時がある。

例えば洋服、低価格大量品揃えのもの、

ユニクロなどを代表とする大メーカー、メイドインなんとか。

家電、家具、身の廻りをみるとほとんどがそうだ。

そうそう、住宅でも既製品の世界が幅をきかせている。

どこが「個性が大切だ」だ。と、言ってみたくなってしまいました。



本年より「手造りの建具・家具」を始めました。

技術力のある職人さんが入社してくれました。

製作の機械も入りました。土場もできました。

さあ何をしましょうかと考えたとき、

この地域の宝物は何だと考えさせられました。

そうだ「唐松」だと想い、

唐松では建具、家具を造ってみようと思い、

それを押しすすめています。


中には、今時、建具屋でもないだろうと忠告する人もいますが、

あえて、既製品が幅をきかす世の中から逆を向いて

「手造り」の方向へ向かってみようと思っています。

手造りのすばらしい味のあるものが出来ています。

一度是非、目で観て、手でさわって、感じてみて下さい。

美しいし、やさしいし、あったかいし、職人の技は素晴らしいものです。

技術の伝承も大切です。



今、年齢の少し高い女性の間で古い和服等を使って

「さき織り」が流行っているようです。

これもいいですね。

時には逆の方向に向いてみるのもいいのではないでしょうか。

「逆も真なり」、いっぱいありますね。


世界は緑一色、初夏から盛夏に向かっています。

「エアコン」ではなく、「打ち水」もいいかも。

七月です。

『ふるさとをつくろう。』


なまずのひとりごと 6月

我が家の周りは新緑の世界である。

我家の猫の額ほどの畑には

トマト、キューリ、ナス、枝豆が植わって

いかにも家庭菜園だといった様子にはなっている。

誠にいい季節である。

毎年同じようなことを同じようにやっている。

だが、これが一番幸せなことなのだろうと思います。

時々友人が、山菜をもってきてくれて

いかにも自分でとってきたような顔をして食べるのも

何とも幸せなことですね。


六月と言えば、自分の幼いころは

梅雨空の中、田植えの季節

一本のヒモに並んで、大勢で腰をかがめて

手で稲の苗を植えていく姿をどうしても思い出します。

今は五月に全ては機械が主役になって

あっという間に植わってしまう。

便利になったものだと感心もするが

田んぼの土手で、皆で食べたおにぎりめしや

竹の子のおやつが無くなったのは少しさびしい気もするのですね・・・。

時代の進化と言えばそれまでだが、人々が共に生活し

共に育つといった様子をどうしても思い出してしまいます。

人手不足と高齢化、今は機械が田植えの中心であるが

それさえ、高齢化という名のもとに少なくなり

田んぼに一見素敵なアパート群がどんどん増えていくのをみると

これでいいのかなぁ・・・と不安にかられてしまいます。

「ふるさとの風景」を大切にしながら

残るもの、残せるものと、新しくなっていくものとの

調和を大切にしていきたいと思う今日このごろです。

私の年齢からくるものでしょうか・・・?とりとめもなく・・・。