近代建築の3大巨匠である「フランク・ロイド・ライト」、「ミース・ファン・デル・ローエ」、「ル・コルビュジエ」の住宅建築の代表作品を紹介します。

1、フランク・ロイド・ライト

「フランク・ロイド・ライト」の有名な住宅建築といえば、1937年に、アメリカ、ペンシルベニア州に建てられた「落水荘」の名で知られている「カウフマン邸」(下の写真)である。

カウフマン邸2

自然の中に、溶け込むように建てられ、建物から流れ落ちる滝の景観は、まるで絵画のようである。この建物の内部のリビングには、自然の石がそのまま取り込まれている。この「落水荘」は、「フランク・ロイド・ライト」の晩年の作品である。
もう一つ有名な住宅としては、1906年にシカゴに建てられた「プレリースタイル」の代表作と言われる「ロビー邸」(下の写真)がある。

ロビー邸2

「シカゴ大学」の構内に建てられたこの住宅は、クライアントの都合によって14カ月で立ち退かれた。この建物の特徴的な屋根は、壁から12メートルも跳ねだしているが、スチールビームの使用によって初めて可能になった構造方式で、これを使用した史上初めての住宅でもあった。

2、ミース・ファン・デル・ローエ

「ミース・ファン・デル・ローエ」の有名な住宅建築と言えば、1951年に、アメリカ、イリノイ州シカゴに建てられた「ファンズワース邸」(下の写真)である。

ファンズワース邸2

この住宅は、クライアントである女医の「エディット・ファンズワース」の依頼で設計されたが、建設費が当初の予算より大幅にオーバーしたために、クライアントと訴訟の争いに発展した。しかし、最終的には、彼の勝訴に終わったが、両者の関係は泥沼化してしまい、2003年に、この建物はオークションに出された。イリノイ州の地元の企業である「ナショナルトラスト」社が、この住宅を修得した。
もう一つ有名な住宅建築は、1930年にチェコ・スロバキアに建てられ、歴史的な役割を果たした「トゥゲントハット邸」(下の写真)である。

トゥゲントハット邸2

この住宅は、ユダヤ人である実業家の「フリッツ・トゥゲントハット」夫妻から依頼されて設計しものであったが、ナチス・ドイツが台頭して来て、迫害を恐れた夫妻は、スイスへ逃亡して、二度と戻ることはなかった。第二次世界大戦に突入し、戦争中はナチス・ドイツが使用してが、建物の荒廃がひどかった。大戦後の1955年に「チェコ・スロバキア」の国有財産になり、修復・保全して維持に努めた。1992年に「チェコ・スロバキア」の解体に伴って、解体の調印式をこの建物で行われた。
「ミース・ファン・デル・ローエ」は、この設計を通じて「自由な平面」の概念を発展させた。その後の2001年に、ユネスコの世界遺産に登録された。

3、ル・コルビュジエ

「ル・コルビュジエ」の有名な住宅建築と言えば、1931年にフランス、ポワッシーに建てられた「サヴォア邸」(下の写真)である。

サボア邸2

この建物は、行政官の「サヴォア」夫妻が週末を過ごすための別邸として建てられた。彼の「近代建築の五原則」が集約された傑作として、高く評価されている作品でもある。2階のテラスに接したリビングの配置と横に長い窓が水平に連続して配置されている。リビングの屋根部分に屋上庭園がある。 この建物は、第二次世界大戦中には、ナチスの干し草置き場に使われていたりしていたが、終戦後雨漏り等の問題から解体の憂き目にあったが、当時閣僚を務めていた「アンドレ・マルロー」が、この建物の保存を強く主張し、取り壊しが回避され、その後の段階的な修復を経て現在に至っている。
もう一つ有名な建築は、1952年にフランス、カプ・マルタンに建てられた「カプ・マルタンの休憩小屋」(下の写真)である。

休暇小屋2

この住宅は、地中海に臨むロクブリュヌ・カップ・マルタンに建てられた「休暇小屋」で、妻「イヴォンヌ」のために建てられた。「イヴォンヌ」は、カップ・マルタンから5km 程の場所に位置するマントンの出身である。彼女は、1957年に亡くなったが、彼女の死後もたびたび「休暇小屋」に立ち寄っていた彼は、1965年8月にこの付近で、海水浴中に心臓発作を起こして亡くなった。

今回は、「Wikipedia」、「CASA BRUTUS EKTRA THEBIG3」他を参考に紹介しました。

☆参考

○フランク・ロイド・ライトの本



○ライトの住宅



○ 落水荘



○ ファンズワース邸



○トゥゲントハット邸



○CASA BRUTUS EKTRA THEBIG3



○カップマルタンの休暇




○ サヴォア邸