「同性婚」には賛成だが「夫婦別姓」には反対で、その点を書こうと思って「夫婦別姓」のことを確認していたら、「夫婦同氏(どううじ)は日本の歴史の中でたかだかここ150年ほどのことで日本の伝統ではない」というような民主党・枝野幸男幹事長の発言が出て来ました。

 「えっ、そうだったの?」と思って、いくつか調べたのでそれを書こうと思います。

 結論を先に書くと、

夫婦同氏が公式な制度になったのは明治以降である。
それ以前は夫婦別姓だった、ということにも無理がありそうである。

ということになると思います。
 そもそもは夫婦別姓へ向けて国会で院内集会が開かれたという記事からです。しんぶん赤旗の4月3日付「民法改正速やかに 選択的夫婦別姓など実現へ集会 党議員あいさつ」から。

以下引用(太字は済印によるもの。以下同じ)

 夫婦同姓の強制と女性のみの再婚禁止期間を定めた民法の差別規定をめぐる二つの訴訟で最高裁が審理を大法廷に回付したことを受けて2日、原告や弁護団、市民団体などが参院議員会館で「いよいよ憲法判断へ! 民法改正の早期実現を求める院内集会」を開きました。
 1996年に法制審議会が選択的夫婦別姓制度の導入などを答申していた法改正を19年怠ってきた立法不作為が問われています。最高裁に対し、立法不作為により制約を受けている国民の基本的な権利を擁護する「司法の役割」を果たすこと、国会に対し最高裁の憲法判断を待つことなく、速やかに民法改正を 行うことを求めるアピールを採択しました。

引用終了

 夫婦別姓について大法廷に回付されたとのことですので、判決が出れば取り上げることになると思います。その集会では民社党の枝野幹事長もあいさつをしたようで、民主党の4月2日付「『民法改正の早期実現を求める院内集会』で枝野幹事長があいさつ」の中で、拙ブログの興味を引いた部分を引用すると、

以下引用

 民主党を代表してあいさつに立った枝野幹事長は、・・・  この問題の反対論者が「日本の歴史と伝統」を持ちだすことについては、「文字に残っているだけでも1500、1600年ある日本の歴史のうち、夫婦が同じ氏を名乗るようになったのは、しょせんこの150年ほどに過ぎない。この150年程の歴史というのは、1500年の歴史の中で急激に変化をしている150年であり、そのわずか150年を振りかざして『歴史と伝統』と言うのはちゃんちゃらおかしく、絶対に許すわけにはいかない」と批判。・・・

引用終了

 言われてみると、確かに江戸時代以前の姓や氏のことを分かっていませんでした。
 随分昔ですが、藤原氏の末裔を称していた徳川家康が征夷大将軍になるためには武家の末裔でなければならないので源氏に変え、正式・公式には「源家康」だったというようなことを読んだ記憶があります。

 史学や法学などの専門家が書いた論文があるのでしょうが、ネット上では見付かりませんでしたので、あくまでも拙ブログが分かった範囲で書き留めておこうと思います。自分のための備忘録でもあり、同様の疑問を抱いた方の参考にもなるかもしれませんので・・・。

Ⅰ.夫婦同氏(ふうふどううじ)と夫婦別姓に関する世界の傾向
 一寸長くなりますが、黒木三郎先生(訃報の記事がここにありました)による全体的な説明を引用します。引用元はネットではなく、本です。

以下引用

 氏は、元来、父系的な血縁集団の呼称、すなわち、個人を包摂する親族団体の同一認識の名称であった。姓、苗字、名字と呼ばれた制度も、だいたい同様であったということができる。男系血族団体には、西洋ではファミリーの名称が該当するのが普通である。夫婦の氏については、同姓不婚思想が行われた東洋では夫婦異姓であり、夫婦一体のキリスト教的婚姻思想の西欧では夫婦同氏とするものが多い。・・・わが国では同姓不婚はあまり厳密に行われなかったのであるが、民法制定前までは中国式に妻は生家の姓を用いたようである(明9.3.17太政官指令15号)。旧中国で習俗倫理的に行われていた同姓不婚の原則は、大韓民国ではこんにち法定されているが、その保持については強い批判がある(韓民809)。一般には、社会構造の変遷に従って血縁集団の重要性が失われ、夫婦を構成する生活共同体が重要性を持つようになると、その生活共同体の共通の呼称を氏で示す(夫婦同氏)ようになる

引用終了

 キリスト教社会では夫婦同氏が多く、東洋というか中国の影響下にあるところは夫婦別姓というのが分かると思います。確か、岡田英弘氏の著書に「妻も敵なり」というのがあり、中国では妻は余所者というか親族として扱われていないというようなことを書いていました。
 太政官指令については後(多分、次回)に改めて触れます。

Ⅱ.夫婦同氏は最近という根拠
 「夫婦別姓の教育学」の「『夫婦の姓』って誰の姓?」に福島瑞穂議員のホームページからの年表風のものが載っていました。元は福島議員の著書のようです。福島議員のホームページやブログでは見付かりませんので、「夫婦別姓の教育学」から引用します。

以下引用

夫婦同姓の歴史[「夫婦別姓セミナー」福島瑞穂著・自由国民社/福島瑞穂のHPより]

*江戸時代まで
670年:日本初の全国的戸籍「庚午年籍」ができ、夫婦は同じ戸籍に入っても別姓だった。源頼朝と北条政子、足利義政と日野富子のように、日本は伝統的には夫婦は別姓である。

*明治から第二次世界大戦終了まで
1760年(明治3年):太政官は平民にも姓の使用を許可する。これにより、庶民が姓の使用始めた。
1867年(明治9年):太政官指令・内務省指令では「結婚後も女性は改姓しない」としている。(福沢諭吉は「新婦人論」で結婚後の姓は結婚後に新しく作ってはどうか(例:山田+中村=田中)と言っている。)
1898年(明治31年):明治民法公布・施行
◎788条「妻は婚姻に因りて夫の家に入る」
◎746条「戸主及び家族は其の家の氏を称す」と規定。

引用終了

 枝野幹事長の認識はこのような資料が元になっているでしょう。従って、これを検証すれば良いのだと思われます。

Ⅱ.北条政子と日野富子
 福島議員によるものと思われる年表には北条政子や日野富子が載っていますが、いずれも生存中にそのように名乗ったかどうかは分かりません。 もし北条政子がそのように名乗ったとしてもそれは頼朝が死んだ後なのではないかと拙ブログは考えるのですが、どうなのでしょう。頼朝死後だとすれば、現在でも同じになります。夫死亡の場合には、妻はその氏(うじ)のままでも良いし、元の氏に戻る(復氏-ふくうじ)こともできることになっています。

民法
(生存配偶者の復氏等)
751条1項 夫婦の一方が死亡したときは、生存配偶者は、婚姻前の氏に復することができる。

 拙ブログが検索した限りでは、北条出身の政子が頼朝のところに嫁いで「北条政子」と名乗ったという記録は見付かりませんでした。家臣が政子を「御台所」ではなく、「北条様」と呼んだ可能性はあると思われますが・・・。

Ⅲ.江戸時代
ⅰ)庶民に姓はなかったのか
 武士や名字帯刀を許された者以外は公式に姓・名字(苗字)を名乗ることは許されなかったとはいえ、姓や名字(苗字)は持っていたのだろうと思われます。と言っても、土着の農民のことで江戸の町人(職人や商人など)がどうだったのかは全く分かりませんでした。

 「姓」は天皇由来のもの(清和源氏、桓武平氏など)で「源家康」という場合の「源」、「名字(苗字)」は土地由来で「徳川家康」という場合の「徳川」の意味で使っています。尤も「徳川」は家康が勅許により「松平」から「徳川」に変えたようですが・・・。
 なお、「朝臣」というような冠位としての「姓」は考慮の対象外にしています。

 姓や名字(苗字)は持っていたのだろうというのは、「源平藤橘」などの「百姓」の話で、「江戸時代の天皇と庶民」から引用します。

以下引用

<嘉永6年(1853年)陸奥国の三閉伊一揆>
 百姓どもカラカラと打ち笑い、
 汝等百姓などと軽しめるは
 心得違いなり、百姓の事を能く(よく)承れ、
 士農工商天下の遊民
 源平藤橘の四姓を離れず
 天下の庶民皆百姓なり
 其命を養う故に
 農民ばかりを百姓というなり、
 汝らも百姓に養るなり。
 此道理も知らずして
 百姓杯と罵るは不届者なり

 天下の庶民みな百姓、おのれら武士の命をも養っているのだ、カラカラと笑っているところが記録されています。農民は天皇の権威のもと強い存在でした。

引用終了

 個々の農民(百姓)が実際に使用する機会がどれほどあったのかは分かりませんが、先祖から受け継いだ「姓」や「名字(苗字)」を意識していた百姓は少なくなかったのではないかと思います。

ⅱ)夫婦別姓だったのか
 これも明確な資料は見付かりませんでした。
 ただ、武士は「夫婦別姓」の意識が強かったのではないかと思われます。上に「妻も敵なり」という言葉を出しましたが、大陸の特に儒教の影響でしょう。

 これに対して庶民は?

ということになるのですが、長くなりましたので続きは次回以降にします。




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